タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2019-01-18 (Fri) 22:49

2017/7山陽旅行【8】 防府駅前に鎮座する防石鉄道のクラウス2号機



旅行初日の2017年7月15日は宇部線・小野田線を踏破し、123系も乗車がてらじっくり観察したのでした。
あれから約1年半が経過した2019年1月、沿線自治体である宇部市とJR西日本が宇部線・小野田線のBRT化を検討していると発表して話題になっていますね。
中国新聞の2019年1月12日付報道によると宇部市は今後、JR西日本、山口県に加えて沿線の山口市、山陽小野田市に対しても勉強会の参加を呼びかける予定との事。
宇部市が計画を主導している様子を見る限り、BRT化の話はJR西日本が沿線自治体に提案したというより、宇部市がJR西日本や山口県庁などの関係先に提案したと捉えて間違いないでしょう。
人口減少が続く宇部市役所は2014年6月に「JR宇部線利用促進協議会」を結成しています。
宇部市花火大会の開催に合わせて花火を観ながらビールを飲む団体臨時列車「はなびーる電車」の運行や、児童を対象にした乗務員体験など各種イベントを企画して宇部線の利用促進を目指してきましたが、乗客減少に歯止めが効かずBRT化に舵を切った訳です。
また、宇部線・小野田線は宇部市交通局が運営する市営バス路線と競合しているため、宇部市側としてはBRT化によってバス路線を再編できるというメリットもあるそうです。
しかし、いくら利用が減っているとはいえ電車が走るのは宇部興産(株)のお膝元。
両線とも朝夕は通勤通学客で混雑しますし、私が乗り回した土曜のデータイムでも本山支線を除けば座席が埋まり、立ち客が出るくらいには乗っていましたから、BRTで乗客を捌き切れるかは甚だ疑問です。
宇部市が導入予定としている連接バスの定員が110~190名程度なのに対し、鉄道車両の1両あたり定員は123系で126名、105系ならクモハ105で128名、クハ104で136名。
宇部線の主力である105系2両編成なら定員264名ですから、これに比べて連接バスは輸送力が落ちる事になる訳で・・・。
そもそも人口減を引き合いに出す割には、普通の代替路線バスにせずバス専用道の建設に金をつぎ込もうとしているのも妙な話です。
宇部興産のトレーラー専用道路がBRT化の発想に繋がったのかな・・・と思ったり。


JR西日本 国鉄 防石鉄道 石三軽便鉄道 山陽本線 西武鉄道 JR北海道 東京メトロ JR九州


さて、旅行2日目となる2017年7月15日の話をしていきましょう。
宿泊予定だったネカフェのコミックバスター防府店が何と旅立つ2日前に閉店してしまった事を現地で知り、暑苦しい熱帯夜の駆け込み寺としてホテルサン防府のお世話になりました。
部屋の鍵と一緒にミネラルウォーターまで頂いて、フロントさん達の気遣いが素晴らしいホテルでした。
そんなホテルサン防府を出発したのは日が昇る前の4:50。
まだ防府市街に人気は無く静まり返っています。





宿を求めて彷徨った前夜には気付きませんでしたが、ホテルサン防府のすぐ近くには「拉麺 GINKORO 吟葫蘆」というラーメン屋があります。
歓楽街なら夜通し営業し、早朝に店じまいするラーメン屋が多いですが、こちらは市街地が寝静まったままですから当然ながら閉店状態でした。





玄関にメニュー表が貼られていたので読んでみると、鳥取県中西部ではポピュラーな牛骨ラーメンの専門店でした。
私も食べた事がありますが、鳥取牛骨ラーメンって美味しいんですよね。
東京に住んでいた頃は、有楽町線銀座一丁目駅の近くにある「香味徳(かみとく) 銀座店」に足繁く通ったものです。
牛脂でスープに熱を閉じ込めているものですから、麺を食べきるまでアツアツの状態が維持されるんですよ。
北海道では牛骨ラーメンを作るお店がかなり少なく、あの風味を楽しめる場所がなくて寂しいですね。
メニュー表を眺めているうち、背脂マー油入りの「極味」に興味を惹かれました。
また山口県を旅する機会があったら食事に行きたいと思います。





眠気覚ましにビル・ヘイリーの「Rock Around the Clock」を聴きながら、県道54号線を南に歩くと防府駅天神口。
ホテルから徒歩にして僅か5分です。
駅前ロータリーには何やら雀の大群が留まっており、人っ子一人居ない街中に大合唱が響き渡る光景は異様でしたね・・・。





2日目は防府駅から山陽本線を東に進み広島県に至る訳ですが、まだ駅舎には入らず高架線沿いの道路を西へと進みます。
この道路は地平時代の山陽本線の線路跡を転用したもので、4分ほど歩くと公園が見えてきました。


防石鉄道 石三軽便鉄道


高架線に隣接するこちらの公園こそ、防府に来たからには訪ねておきたかった目的の場所。
植え込みには2つの記念碑が並んで建っています。
ここは防府市役所が1996年に造成した「鉄道記念広場」で、かつて市内に敷かれていた私鉄の防石(ぼうせき)鉄道を今に伝える施設です。


防石鉄道 石三軽便鉄道


左の石碑は防石鉄道OB会が2002年7月に建立した物で、防石鉄道の78年間の歴史を示しています。
防石鉄道は1914年5月に設立された石三(せきさん)軽便鉄道をルーツとし、2年後の1916年5月に社名を防石鉄道に改めました。
明治・大正期は播但線や伯備線のように山陰地方と山陽地方を結ぶ鉄道、いわゆる「陰陽連絡路線」が数多く計画されており、防石鉄道もその一つでした。
1919年7月に三田尻(後の防府)~奈美(後の上和字)間の11.3kmが新規開業し、1920年9月には上和字~堀間の7.4kmが延伸開業しました。
続く1921年4月には防府町~中関村間の免許を取得しましたが、1930年10月に失効しています。
戦時中はガソリン不足で自動車の使用が困難になり、人や物資が6往復しか列車が運行されていない防石鉄道に殺到。
1941年度には旅客292,799人、貨物40,748トンの輸送実績を記録しています。
特に旅客は増加が激しく、1943年度には495,290人、1945年度には858,640人と4年間で3倍近くに膨れ上がりました。
戦後の混乱期を経て1956年11月のダイヤ改正では10往復に増便されましたが、次第に旅客はバスに奪われる事に。
防石鉄道もバス事業を兼営していたため、早々に鉄道事業を見限って1963年に廃止を申請。
1964年6月には運輸審議会から「廃止は至当」とする答申を受けたため、1964年7月を以って防府~堀間の全線を廃止しました。
開業以来一貫して非電化で、閉塞方式は票券閉塞とし最晩年は防府駅、周防宮市駅、上和字駅、堀駅の4駅を運転取扱駅にしていたそうです。

一方、自動車事業については1933年12月に乗合自動車、1961年に貨物自動車の営業を開始しています。
貨物自動車は鉄道貨物輸送がトラックに転換しつつある時代背景を見据えての参入でしたが、営業はあまり芳しくなく1968年2月を以って新会社の防石陸運(株)に事業譲渡しました。
以来、一般路線・貸切のバス事業を専門としてきましたが1992年4月、近鉄グループの防長交通に吸収合併されて78年の歴史に幕を閉じました。





石碑の右隣には路線図を掲げていますが、彫刻で地図を作っている上に野ざらしですから見づらいのなんの。
防石鉄道の防府駅は先ほどの天神口ロータリー付近に設置されていました。
ではこの鉄道記念広場は廃線跡に造られたのか・・・と思われるかも知れませんが、実は防石鉄道ではなく山陽本線の地平線跡に位置しています。




グーグルマップより引用

地図上に赤線で防府駅周辺の防石鉄道の廃線跡を示すと、上図のようになります。
二重丸の箇所が防石鉄道防府駅の跡地とされる地点で、鉄道記念広場の北側に線路が敷かれていたのです。
防石鉄道の廃線跡は大部分が道路・遊歩道に転用されているので容易に辿れますね。


防石鉄道 クラウス2号機 川越鉄道 西武鉄道 西武国分寺線

防石鉄道 クラウス2号機 川越鉄道 西武鉄道 西武国分寺線


この鉄道記念広場、もちろん記念碑を置いているだけではありません!


防石鉄道 クラウス2号機 川越鉄道 西武鉄道 西武国分寺線 国鉄10形蒸気機関車


園内では防石鉄道で使用されていた3両の鉄道車両が静態保存されています。
この車両達は1975年に防石鉄道が防府市に貸与し、暫く市内の児童公園で展示されていたのですが、山陽本線の高架化事業に合わせ1995年付で防府市に譲渡されたものです。
鉄道記念広場が完成した1996年より当地で静態保存されています。
15年間に渡り野ざらしで展示されていたため車体の傷みが酷かったのですが、2012年3月にお色直しを実施。
この頃に雨除け屋根も新設されており、訪問時点で5年が経過していたものの良好なコンディションを保っていました。


防府鉄道 クラウス2号機 西武国分寺線 川越鉄道 国鉄10形蒸気機関車 九州鉄道 保存車両

防石鉄道 クラウス2号機 国鉄10形蒸気機関車


編成の先頭を飾る蒸気機関車はドイツ・ミュンヘン生まれのクラウス2号機。
クラウス社が1894年に製造したBタンク機で、九州鉄道(現・JR九州鹿児島本線)が1889年12月の開業に際して導入した機関車と同じ「LX」という形式です。
日本に輸入された「LX」は合計25両で、うち23両は所属事業者の国鉄編入後に「10形」という形式名を付けられています。
2号機は埼玉県の川越鉄道(現・西武国分寺線)が1894年に輸入しており、1918年を以って防石鉄道に譲渡されました。
防石鉄道では1919年7月の開業当初から営業運転に就き、1964年7月の廃線まで車籍が残されていました。
車体寸法は長さ7,799mm、高さ3607mm、幅2,438mmと小柄。
この可愛らしいSLを一目見たくて防府まで来たという訳です。


防石鉄道 クラウス2号機 運転台 運転室 機関室 乗務員室 国鉄10形蒸気機関車 保存車両


ホーム上からは機関室の中を覗く事が出来ます。
機関室にドアは無く、ややイビツなキノコのような形状の出入口を持っています。


防石鉄道 クラウス2号機 運転台 運転室 機関室 乗務員室 国鉄10形蒸気機関車 保存車両


C62形やD51形などの蒸気機関車に比べて小ぶりな車体を持つ訳で、機関室内もやはり狭いですね。
ここに機関士と機関助士の2人組が乗務するのですから、さぞかし窮屈だったろうと思います。


防石鉄道 クラウス2号機 国鉄10形蒸気機関車


クラウス2号機は石炭を本体に積載するタンク機関車なので、炭水車を連結していません。
機関室の前後には角を丸くした正方形の窓が2枚ずつ付いています。


防石鉄道 クラウス2号機 国鉄10形蒸気機関車


足回りはこんな感じ。

なお、同じクラウス製LXの仲間で保存されているのは他にも、北海道の沼田町で余生を過ごすクラウス15号機が挙げられます。
そちらは留萌本線恵比島駅から約6kmも離れた「ほたるの里オートキャンプ場」で展示されており、バスでのアクセスが一切ない山奥のため訪問難易度は高めです。


防石鉄道 ハ6客車 津山線 中国鉄道 保存車両

防石鉄道 ハ6客車 津山線 中国鉄道 保存車両


クラウス2号機のすぐ後ろに連結されているのは木造客車のハ6。
元は1899年に平岡工場が製造した中国鉄道(現・JR西日本津山線)のハ68で、国鉄を経て1948年に防石鉄道に譲渡されました。


防石鉄道 ハ6客車 車内 客室内 津山線 中国鉄道 保存車両


施錠されており中には入れませんでしたが、オープンデッキから車内の様子を覗く事が出来ました。
座席はロングシートでモケットが一切付いていない裸のベンチです。
コミュニティスペースとして活用されているらしく、車内中間にはテーブルが置かれています。
窓際には車両設計図が展示されていますね。


防石鉄道 ハニフ1 合造緩急車 荷物車 客車 保存車両


最後尾は荷客兼用の合造緩急車、ハニフ1。
クラウス2号機やハ6客車とは違い、こちらは防石鉄道の自社発注車です。
枝光鉄工所(後の東洋車輌)が1919年に製造した木造車で、他2両と同じく廃線まで在籍しました。


防石鉄道 ハニフ1 合造緩急車 荷物車 客車 車掌 保存車両


緩急車ゆえオープンデッキにはブレーキハンドルが設置されています。
荷物室には掃除用具が収納されていました。


防石鉄道 ハニフ1 ハ6 連結器 保存車両


ハニフ1とハ6の連結部。
渡り板もバッチリ付いています。


防石鉄道 ハニフ1 ハ6 連結器 保存車両


2両ともオープンデッキの足元には社名表記が為されています。





保存車両達を眺めているうちに30分が経過。
この頃には日が昇り周囲が明るくなってきました。


長くなったのでここまで。
次回に続きます。


※写真は1枚目を除き2017年7月16日撮影
※1枚目のみ2017年7月15日、宇部線宇部新川駅にて撮影


(文・写真:叡電デナ22@札幌市在住)


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最終更新日 : 2019-07-02

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