タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2019-01-11 (Fri) 00:21

根室本線東釧路駅 日本最東端の分岐駅と釧路電気所の産廃保管庫



釧路管内は釧路市貝塚2丁目にある、JR北海道の東釧路駅。
釧路の中心街から東へ2.9km、釧路川を越えた住宅街の北部に位置します。
根室本線を所属線とし釧網本線が分岐する上、根室本線東釧路~根室間に当たる「花咲線」の起点でもあります。
駅の南側に広がる緑ケ岡・鶴ケ岱(つるがたい)の住宅街には釧路短期大学、北海道釧路湖陵高校、北海道釧路北陽高校、北海道釧路工業高校と学校が集中。
東釧路駅は標茶・厚岸方面から通学する学生の利用が多く見られますが、何れの学校も歩いていくには結構な距離があり、一番近い釧路短大でも徒歩20分はかかります。
そのため登下校用に自宅から自転車を持ち出しパーク&ライドしている学生が多く、人気が無い夜間・早朝は駅舎の正面に多数の自転車が駐輪されています。


JR北海道 国鉄 根室本線 釧網本線 花咲線 釧路電気区 釧路工務所


駅前にはコープさっぽろ貝塚店(旧・ダイエー釧路店)があり、駅舎の手前まで同店の駐車場が広がっています。
ダイエー釧路店は今やイオンの傘下に入ったダイエーが、欧米の流通業界に触発されて1989年より展開した「ハイパーマート」の一店舗として開業したもの。
コープが引き継いだ現在も、経済性を重視したワンフロア構造の倉庫型店舗にかつての面影を見る事が出来ます。

駅から北西へ約450m進むと釧路川に架かる貝塚大橋があり、この橋を渡ると自治体も変わって釧路郡釧路町となります。
同じ「釧路」の2文字を冠する自治体が釧路市のすぐ隣にある訳で、これが道外からの移住者にしてみればややこしく感じるようです。
私も関東から同じ職場に転勤されてきた方に、「この書類に釧路町って書いてるけど釧路市の間違いだよね?」と訊かれた事がありますw
貝塚大橋を渡って更に約1km北西の光和1丁目交差点では国道44号線(根釧国道)と接続し、そのすぐ近くにインターネットカフェの「ジョイカフェ釧路桂店」があります。
東釧路駅から徒歩にして15分ほど、近場に安く泊まれる宿泊施設があるので私も釧路方面に遊びに行く時は毎度、同駅のお世話になっています。
何しろ釧路駅周辺にはネカフェが一軒もありませんからね・・・。
ジョイカフェから国道を600mほど北東に進んだ釧路町木場にはイオン釧路店(旧・ニチイ釧路店)をはじめ、フレスポ釧路木場、スーパースポーツゼビオ釧路店、ホーマック木場店、100満ボルト釧路店、ニトリ釧路店などの商業施設が集まり活気付いています。


知人駅 太平洋炭礦別保坑 別保鉱山 春採駅


東釧路駅は1925年3月、既に開業していた根室本線釧路~上別保(現・別保)間に別保信号場として設置されました。
この頃の地名は現在の東釧路駅周辺が「別保原野」、別保駅周辺が「上別保」だったため、各停車場もそれに準じた名称を定めた訳です。
「別保原野」は1932年の住所改正により大半が緑ケ岡、貝塚、武佐の3地名に改称されましたが、2019年現在も別保川流域のごく一部に地名が残されています。
上別保駅の近くには釧路炭田の一角である別保坑があり、1920年4月に発足した太平洋炭礦(株)が経営を担うようになると、鉱山機械を導入して本格的な採炭に乗り出しました。
別保坑で出炭し上別保駅から貨物列車で運搬されてきた石炭を、私鉄の釧路臨港鉄道(現・太平洋石炭販売輸送臨港線)に引き継いで釧路港まで輸送するために必要なセクションとして設置されたのが別保信号場です。
別保信号場の開設と共に釧路臨港鉄道も別保信号場~春採間を延伸開業し、港にある知人(しれと)駅まで石炭列車を走らせました。

1927年9月には釧網線別保(信)~標茶間が開業
1928年11月、別保信号場が駅に昇格し、貨物の他に旅客と荷物を取り扱う一般駅となりました。
この時に名称も現行の東釧路駅に改めています。
1936年10月には釧網線が釧網本線に改称されました。

1940年1月、天寧駅に乗り入れる貨物支線の起点が釧路駅から東釧路駅に変更され、天寧駅発着の貨物列車は全て東釧路駅を経由するようになりました。
なお、地名としての「天寧」の正しい読みは「てんね」なのですが、国鉄は天寧駅の読みを「てんね」としています。
旭川駅の読みを「あさひかわ」ではなく「あさひがわ」にしたり、新十津川駅の読みを「しんとつかわ」ではなく「しんとつがわ」としたように、国鉄当局の事務的怠慢により間違った読みが登録されてしまった訳です。
曹洞宗天寧寺が「天寧」を「てんねい」と読ませているため、おそらくはこのイメージが先行して駅名の読み仮名にしてしまったのだと思われます。


連査閉塞式 通票閉塞式 タブレット交換 タブレット授受 特殊自動閉塞式(電子符号照査式)


戦後は太平洋炭礦(株)別保坑の出炭が頭打ちになり、1949年11月を以って閉山を迎えます。
別保駅を出発する石炭列車も無くなりましたが、東釧路駅を介した釧路臨港鉄道との連絡貨物は継続。
1962年1月には別保駅の貨物取扱い全般と東釧路駅の車扱貨物の取扱いが廃止されました。
一方、釧路市内の春採坑はまだまだ好調な出炭で、釧路臨港鉄道も貨物輸送量が増加を続けます。
しかし路線バスが復興すると、中心街への移動距離の面で劣る釧路臨港鉄道は徐々に旅客が減少し、貨物輸送の足を引っ張るように。
そして1963年11月を以って旅客営業が廃止される事となり、以降の同社は貨物輸送一筋となりました。
その後の1969年、太平洋炭礦の出炭量は初めて年間200万トンを突破しています。

1968年3月、釧網本線の全区間にて連査閉塞が運用を開始し、タブレット閉塞が全廃される事となりました。
1970年12月には根室本線厚内~東釧路間が自動閉塞化され、東釧路駅におけるタブレット閉塞の取扱いは根室本線東釧路~別保間の一閉塞を残すのみとなりました。
1979年4月には釧路臨港鉄道が太平洋石炭販売輸送(株)に吸収合併されています。

1984年2月には荷物取扱いが廃止されると共に、天寧駅への貨物支線も廃止。
1986年11月には根室本線東釧路~根室間、釧網本線全区間が共に特殊自動閉塞(電子符号照査式)化され、東釧路駅における連査閉塞とタブレット閉塞の取扱いが終了。
同時に駅営業(出改札業務)が終日無人化されましたが、電子符号照査式で使用する車載器(RPCアンテナ)の管理・授受を行う必要から運転主任(分割民営化後の輸送主任)のみ引き続き配置されました。
太平洋石炭販売輸送臨港線との直通運転も廃止され、東釧路駅は旅客駅に。
以降は釧路駅の管理下に置かれています。


釧路駅 車載器授受 RPCアンテナ授受 特殊自動閉塞式 電子符号照査式


1987年4月の分割民営化に伴いJR北海道が継承。
1991年7月、根室本線東釧路~根室間の経営改善を目的として花咲線運輸営業所が発足となり、東釧路駅が花咲線の起点となりました。
1994年3月には特殊自動閉塞(電子符号照査式)で使う車載器の管理担当が釧路駅に変更されたそうで、輸送主任が勤務を終了し完全無人化されました。
2019年現在も、花咲線・釧網本線で使用する車載器の授受は釧路駅にて実施されています。
釧路駅の場合、どうやら駅構内西側に建っている輸送事務室が駅本屋の社員に対し車載器授受の指示を出しているらしく、助役と同じ金線1本入り赤帯制帽を被る輸送主任や作業服を着た輸送担当駅員(輸送係・輸送指導係)ではなく、黒帯制帽を被った営業担当駅員(営業係・営業指導係・営業主任)が実作業を行っています。
これが宗谷本線の南稚内駅ですと当務駅長(助役・輸送主任)が直接授受をしているんですけどね。





駅舎は1957年1月に竣工した2代目で、コンクリートブロック造りの平屋となっています。
元々、運転取扱上の要衝だった事もあって駅事務室が広めに取られています。
正面玄関は二重構造になっていません。


東釧路駅 北海道釧路北陽高校美術部


駅事務室の窓には最寄り高校である北海道釧路北陽高校の美術部が作成した、自転車マナーに関する啓発ポスターが貼られています。
最寄り高校・・・といっても東釧路駅~北陽高校間はまともに歩くと30分はかかりますが。
だから標茶・厚岸方面から通学する生徒達は駅前に自転車を駐輪し、駅と高校の行き来に使用している訳ですね。
こちらのポスターは「あなたの止め方 迷惑になっていませんか」とあり、通行人の妨げにならない駐輪を呼びかけています。





こちらのポスターは「自転車は優しい手を待っている」とあり、どうやら駐輪している自転車に対しイタズラをしないよう呼びかけているようです。







待合室の様子。
駅舎全体の1/5程度の広さです。
ベニヤ板の4人掛けベンチが2脚置かれています。
室内にも高校関連の掲示物があるかと思いきや特になし。





手小荷物窓口と出札窓口。
案の定、板で封鎖されていますが窓枠がしっかり残されているのが嬉しいですね。
チッキ台はステンレスの板を敷いた物です。





ホーム側から駅舎を眺めた様子。







こうして見ると屋根の形状が変則的だと分かりますね。
東側妻面は三角屋根ですが西側妻面は招き屋根になっています。





駅舎とホームは大きく離れており、砂利を敷き詰めた駐車場が広がっています。
このスペースには元々、3本の貨物側線が敷かれていたとの事。
国鉄時代はホームを挟んで南側にも多数の側線が敷かれており、貨物掛、配車掛、運転掛、操車掛、構内作業掛といった駅員も大勢従事したんだろうなあ・・・と当時の情景を想像。
助役も貨物助役、配車助役、輸送助役、旅客助役・・・といった具合に担当業務を分けていたでしょうね。





改札口の近くには釧網本線のキロポストが置かれています。





駐車場には色褪せたJR貨物のコンテナが置かれています。


釧路電気所 


このコンテナはJR北海道の釧路電気所が、廃PCB(ポリ塩化ビフェニル)など特別管理産業廃棄物の保管庫として使用しています。
PCBは変圧器やコンデンサー等の電気機器に使われている化学物質で、電気絶縁性や不燃性などが高いという特徴があります。
しかし、1968年10月のカネミ油症事件をきっかけに健康被害のリスクが注目される事となり、現在では製造・輸入ともに禁止されています。
JR北海道もPCBの撤去に取り組んでいるらしく、廃棄するまでの一時的な保管場所を東釧路駅の隅っこに設けている訳ですね。

ちなみに釧路電気所は1963年2月、釧路電力区と釧路通信区の廃止に伴い業務を引き継ぐかたちで開設された釧路電気区をルーツとしています。
釧路電気区は配下に釧路電気支区、釧路信号支区、釧路通信支区、標茶電気支区を置き、後の1971年4月に追設した厚床電気支区は国鉄における日本最東端の電気関係区所でした。
標茶を除く各支区は1980年2月を以って廃止。
分割民営化に伴いJR北海道が継承し、1990年代の工務系統組織改正により釧路保線所(旧・釧路保線区)と統合し釧路工務所となりました。
1区所で保線・電気を兼務する工務所体制は暫く続きましたが、2014年4月の組織改正により再び保線から分離されて釧路電気所となって現在に至ります。
2019年1月現在、JR全体で電気関係区所を見ると日本最東端はJR北海道釧路電気所、日本最西端はJR九州長崎鉄道事業部佐世保工務センター、日本最南端はJR九州鹿児島鉄道事業部鹿児島工務センター、日本最北端はJR北海道旭川電気所です。
なお、JR北海道に現存する工務所は函館新幹線工務所(旧・青函トンネル工務所)の1箇所だけとなっています。







駅舎とホームを繋ぐ構内踏切。
綺麗な敷板を置いていますが遮断機は無く、LEDランプで「列車が」「きます」を交互に表示する警報機を設置した程度のシンプルなものです。


東釧路駅 ホーム

国鉄清算事業団 東釧路駅

1面2線の島式ホーム。
ホーム全長は20m車6両分ほどです。
駅構内南側には側線が10本ほど敷かれていたそうですが、国鉄解体に伴い清算事業団が引き継いでからは線路が全て剥がされ、今や宅地化が完了しています。





構内踏切が位置するのはホームの中間やや東側で、踏切の左右には雨除け屋根が設けられています。
床面は大半が砂利を敷き詰めた状態ですが、雨除け屋根の周辺だけアスファルト舗装が施されています。





番線表示は駅舎側から1番線、2番線で、基本的に1番線は釧網本線の上下列車、2番線は根室本線の上下列車が使用します。
ただし何れも発着番線の変更に対応しており、網走・根室方の出発信号機もご覧の通り2路線分ずつ、合計4台を設置。
それぞれ「釧1」、「根1」、「釧2」、「根2」と番線表示標が付いています。
なお、東釧路駅は現在、日本国内の鉄道駅としては最東端の分岐駅です。
歴史上は1965年10月まで根室港貨物支線と接続した根室駅こそが日本最東端の分岐駅。
次いで1989年4月まで標津線厚床支線と接続した根室本線厚床駅、そして現在進行形で釧網本線と接続する東釧路駅・・・と続きます。





駅構内西側の跨線橋から釧路方を望む。
1番線の脇には転轍小屋が残されています。


※写真は全て2017年9月10日撮影


(文・写真:叡電デナ22@札幌市在住)


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最終更新日 : 2019-07-02

No title * by 彩香
東釧路駅近くには釧路工業高校があるのですね.わたしのおじいちゃんは戦後に鉄道省をやめた後に釧路工業高校の教師でした.その後転勤で札幌に移りました.

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No title

東釧路駅近くには釧路工業高校があるのですね.わたしのおじいちゃんは戦後に鉄道省をやめた後に釧路工業高校の教師でした.その後転勤で札幌に移りました.
2019-01-12-07:14 * 彩香 [ 編集 * 投稿 ]