タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2018-03-21 (Wed) 17:35

日高本線清畠駅 海岸沿いに佇む保線休憩室



日高管内は沙流郡日高町清畠にある、JR北海道の清畠(きよはた)駅。
2015年1月に厚賀~大狩部間で高波による土砂災害が発生した影響で、列車代行バスの運行が続く不通区間(鵡川~様似間)に該当します。
当駅はカジカ釣りの穴場として密かに知られているという清畠海岸に面しており、山側の駅前集落は国道235号線(浦河国道)を軸に形成されています。
清畠は古い木造の一軒家が建ち並び、清畠郵便局や理髪店(ヘアーサロンたけだ)、個人商店(ショップマツヒラ)がある程度の小規模な集落です。
太平洋沿岸ではありますが、意外にも住民が漁業を営んでいる気配がありません。
清畠駅から北西、集落の外れには大成建設の子会社である大成ロテックの日胆営業所と、三石生コンクリート工業の清畠工場があります。
浦河国道を離れ内陸に至ると競走馬の飼育牧場である天羽禮治牧場があり、6~8月の3ヶ月間は事前予約制により一般人の見学を受け入れているそうです

JR北海道 国鉄 鵡川清畠休憩室 室蘭保線所鵡川保線管理室清畠休憩室
JR北海道 国鉄 鵡川保線所清畠休憩室 慶能舞駅


清畠駅は1924年9月、日高拓殖鉄道沙流太(現・富川)~厚賀間の延伸開業に伴い、一般駅の慶能舞(けのまい)駅として設置されました。
日高拓殖鉄道は王子製紙の関連会社で、1910年10月に操業を開始した王子製紙苫小牧工場の事業拡大につき、パルプの原料となる木材が更に多く必要となった事から設立されました。
この頃、日本国内では日清戦争や日露戦争に端を発する報道合戦の影響を受け、洋紙需要が急激に増加していたのです。
日高拓殖鉄道は既に苫小牧~沙流太間が全通していた苫小牧軽便鉄道と接続し、日高地方で伐採された木材を苫小牧まで運搬しました。
1927年8月には苫小牧軽便鉄道と日高拓殖鉄道が共に国有化され、日高線と名付けられています。
2社とも軽便鉄道法に基づき敷設されたためナローゲージ(軌間762mm)だったのですが、1929年11月には苫小牧~佐瑠太間が現行の1,067mmへと改軌され、続いて1931年11月に沙流太~静内間も改軌されています。

1943年11月、日高線が日高本線へ改称。
1944年4月には慶能舞駅が現行の清畠駅へと改称されました。
1960年4月に営業業務について業務委託化され、地元企業が出改札業務と貨物・荷物取扱いを請け負っていたそうです。
ただし交換駅だったため、タブレット閉塞を取り扱う助役、運転掛(後の運転主任)が引き続き勤務。
1977年2月、貨物・荷物取扱いが廃止されると共に完全無人化され、この頃に交換設備も廃止されたようです。
1987年4月の分割民営化に伴いJR北海道が継承し、現在は静内駅が管理する無人駅です。


はな交通 日野セレガ 室蘭200か・944


日高本線は2015年1月に起きた高波被害(土砂流出)により、鵡川~様似間が運休となっています。
今も苫小牧~鵡川間で列車の折り返し運転が実施されており、鵡川駅で代行バスに接続しています。
列車代行バスは静内駅で運用を2分割しており、鵡川~静内間は樽前観光、酒井観光、はな交通、むかわ観光の観光バス4社、静内~様似間はジェイ・アール北海道バス様似営業所が運行を担当しています。

業務委託駅 棒線駅
清畠駅 待合所 簡易駅舎 陸屋根 鉄骨造り


現在の駅舎は完全無人化後の1977年10月に建て替えられたもので、線路に並行する2面に大型アルミサッシを取り付けた鉄骨造りの平屋です。
端に丸みを付けた黒の陸(ろく)屋根を持ち、壁は白いコンクリートで覆われています。
待合室とトイレだけ設けたいわゆる簡易駅舎で、お隣の豊郷駅も全く同じデザインの駅舎に建て替えられています。
この手の簡易駅舎で容姿が被るパターンは少なからずあり、同じ道内では新吉野駅、姉別駅、初田牛駅の根室本線3駅が被っていますね。


駅名看板 清畠駅


シンプルな見た目には黄緑色の駅名表記が似合います。
豊郷駅もフォントを黄緑色にしていますね。





駅舎の正面には広々としたロータリーを構えています。




清畠駅 待合室 待合所


待合室の様子。
こじんまりとした外観に比例し、室内も狭く殺風景です。
ベージュ色の4人掛けベンチを置き、掲示物も必要最低限に留めています。
しかしながら窓が大きいおかげで明るく開放感があります。





駅ノートは置かれていませんでしたが、掲示板には中国語を記したメモ書きが残されていました。
右下に貼られた円形のステッカーには「青青的島」と書かれており、調べてみると台湾の彰化市にある旅行代理店「青青的島旅行概念店」が引っかかりました。
どうやら2016年9月30日に清畠駅を訪れた台湾人旅行者の置き土産らしいですね。
日本には鉄道を目当てに来たようで、蒸気機関車も描かれています。
それにしても数ある駅の中から清畠駅を選ぶとは・・・。
かなりの日本通と見ました。





ホーム側から駅舎を眺めた様子。
玄関脇にトイレが設けられています。





手洗い場は野ざらしです。







駅舎とホームは結構離れており、高低差もあって思わせぶりな空間に仕上がっています。
交換設備が運用されていた頃は、ここにも線路が敷かれていたんですね。





構内踏切の階段もバッチリ残されています。
踏切を渡るとそこは海の見えるホーム・・・というシチュエーションが素敵です。
トラ模様が塗り潰されていないのもポイントが高いですね。







かつては1面2線の島式ホームとして使われていた、1面1線の単式ホーム。
20m車3~4両分ほどの長さで、床面には細かな砂利が敷き詰められています。





静内・様似方に向けて歩いていくと・・・


踏切柵 踏切注意柵


何と、ホーム端の斜面に踏切注意柵が3本も敷かれているではありませんか!
一体これはどうした事か。
何故ゆえ踏切注意柵を地面に敷いたのか、皆目見当がつきません。





踏切注意柵の位置から東を眺めると・・・


室蘭保線所鵡川保線管理室清畠休憩室 鵡川清畠休憩室 鵡川保線所清畠休憩室


線路から離れた場所に「鵡川 清畠休憩室」との札を掲示した平屋があります。


室蘭保線所鵡川保線管理室清畠休憩室 鵡川清畠休憩室 鵡川保線所清畠休憩室


清畠郵便局の駐車場からも眺められるこの小屋は、鵡川駅構内にある室蘭保線所鵡川保線管理室が設置した清畠休憩室ですね。
要するに保線作業員(施設係・施設技術係・施設技術主任・保線助役)の休憩所として使われる建物という訳です。
結構年季が入った様子から察するに、おそらくは国鉄時代、道内の保線所が「保線区」を名乗っていた頃から使われてきたのでしょう。
日高本線が不通になって3年が経過し、バス転換の可能性が濃厚になっている中、この保線休憩室が再び使われる日がはたして来るのか気がかりです。





ホーム上の駅名標。


※写真は全て2018年1月6日撮影


(文・写真:叡電デナ22@札幌市在住)


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最終更新日 : 2019-07-02

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