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2018-03-10 (Sat) 21:24

駅の中に駅?宗谷本線名寄駅構内にあった「名寄構内駅」



2017年4月に宗谷北線運輸営業所が廃止され、同営業所から独立した事に伴い地区駅(JR他社で言う管理駅)に昇格した名寄駅。
同時に宗谷本線の各駅に対し、運転取扱業務のフォローを行う名寄地区駅輸送業務センターも開設されました。
保線部門も名寄保線所に改組されて名寄駅工務・音威子府駅工務・南稚内駅工務の3箇所を統合し、それぞれ名寄保線管理室、音威子府保線管理室、南稚内保線管理室に。
更には運転部門も名寄運転所として再出発。
名寄の現業機関はロシアとの国境に接する道北の鉄道輸送を支える拠点として、更なる活躍が期待されます。

そんな名寄はかつて、宗谷本線に加えて深名線と名寄本線が乗り入れる交通の要衝で、「国鉄の街」と呼ばれるほど多くの国鉄職員が暮らしていました。
稚内と樺太を結ぶ稚泊航路が途絶した終戦後、1946年4月に札幌鉄道局稚内管理部が名寄に移転し名寄管理部に改組されました。
すると同年9月には名寄建築工事区、翌1947年には名寄電務区(電信・電話を取り扱う部署)や名寄鉄道公安所が開設され、更に1948年には稚内電力区が移転し名寄電力区となるなど、名寄は道北における国鉄の運輸拠点として大いに拡張。
こうした組織改変が「国鉄の街・名寄」のイメージを決定づけたようです。

しかしながら当時は、戦時下における男子鉄道職員の徴兵が尾を引き深刻な人材不足で、なおかつ車両の酷使による故障の頻発や燃料不足により安定輸送の確保が出来ませんでした。
にも拘らず復員・引き揚げや疎開者の帰郷、買い出しなどで鉄道に旅客が殺到する事態になり、全国各地で起きる大混乱に国鉄当局は頭を悩ませるはめに。
名寄管理部も道北6路線(宗谷本線和寒~稚内間・名寄本線・深名線北母子里~名寄間・羽幌線・天北線・興浜北線)の輸送力確保に全力を注ぎましたが、各駅で輸送しきれない貨物が残る「滞貨」の問題が解消されず、戦後の物資不足に拍車をかけていました。

そこで名寄駅において鉄道輸送の流動化を促進すべく、1949年2月に駅舎の増改築を行い、同年9月に運転取扱業務を分離し「名寄構内駅」を新設したそうです。
書籍『新名寄市史 第2巻』(2000年)にて、ごく短い記述ですが名寄構内駅の存在を確認できます。

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 名寄駅は24年2月に増改築を行い、9月には、列車運転、構内操業を専掌する「構内駅」を分離した。従来の駅はもっぱら旅客、貨物の取り扱いを担当するようになった。

出典:『新名寄市史 第2巻』p.431
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また、『新名寄市史』の29年前に出版された『名寄市史』(1971年)には、名寄構内駅が1953年4月を以って廃止された事が記されています。
これに伴い運転取扱業務は再び名寄駅が担うように。
僅か4年間だけとはいえ、駅の中に別の駅が設置されていた事実は好奇心をくすぐられますね。
京急の品川駅北側にある「新品川駅」みたいなものでしょうか。
でも新品川駅はあくまでも引上線の通称で、独立した駅として機能している訳ではありませんけど・・・。


※写真は2018年1月5日、道道538号線の陸橋から名寄駅を撮影


(文・写真:叡電デナ22@札幌市在住)


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最終更新日 : 2019-07-02

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