青い腕章を付けた国鉄の寝台列車乗務員(車掌補・乗務掛)

3 0


国鉄時代の寝台列車には寝台の解体・組立や車内清掃、乗客案内を行う乗務員が乗っていた事がありました。
いわゆる「列車ボーイ」ですね。
正しくは「列車給仕」といい、職制の改正に伴い乗客掛、乗務掛・乗務指導掛、車掌補と改称されていきました。
国鉄では鉄道乗務員の種別を動力車乗務員、列車乗務員の2つに大別しており、動力車乗務員が機関士・運転士を指すのに対し、列車乗務員は車掌区に所属する乗務員を指していました。
即ち列車乗務員とは車掌(車掌長・専務車掌・普通車掌)のみを指す単語ではなく、列車給仕や荷扱掛、制動手、列車手、列車掛などの乗務員も含んでいるのです。
もちろん列車給仕も車掌区に所属していましたが、車掌よりも格下の職種でありました。




白い長袖の作業服(給仕衣)を着て、A寝台・B寝台の解体作業を行う下関車掌区の車掌補
鉄道ジャーナル社『ドキュメント列車追跡 リバイバル作品集⑥昭和49年』(1982年)p.92より引用
取材列車は寝台特急あさかぜ1号で、川口裕之氏による撮影
東京~九州間の長距離乗務を担った下関車掌区は、最盛期に762名の職員が在籍した

国鉄の人事制度を司る日本国有鉄道職員局の内部組織、国鉄職制研究会の書籍『国鉄における職制の構造』(1978年/鉄道研究社)によると、1898年9月には私鉄の山陽鉄道(現・JR山陽本線)が列車ボーイを乗務させており、これが列車給仕のルーツと思われます。
山陽鉄道の列車ボーイは列車内で起きた陸軍大尉の遭難事故を契機に新設された職種で、「身体剛健・容姿端麗の青年職員を選ぶという企画は、当時相当な好評をはくした」(国鉄における職制の構造:総論p.9)といいます。
主な職務内容は急行列車における乗客の保護でしたが、他にも車内の掃除、旅客案内、車掌の補助や駅弁の取り次ぎ、蚊帳の貸付など様々な業務を担当していたそうです。
山陽鉄道では1900年4月に神戸~三田尻(現・防府)間で日本初となる寝台列車の運行を開始し、寝台車での接客業務も列車ボーイが担うようになりました。
国鉄でも1901年12月1日に列車給仕の乗務が開始され、当初は東海道本線新橋~神戸間の1・2等車で乗客の身の回りの世話をしていました。
山陽鉄道は1906年12月を以って国有化されており、以降の国鉄では全国的に特急列車・寝台列車の増便が相次ぎ、列車給仕も増員されていきました。

JR北海道 東海道線 国鉄 JR西日本 山陽本線 JR東海 運用教導掛 庶務掛
JR東日本 夜行列車 乗務掛 乗務指導掛 列車手 JR九州 列車長 用務掛 乗客掛 奥羽本線

明治時代から国鉄末期に至るまで、国鉄在来線の車掌区における職制の変遷を示した図
この図では列車給仕の職名設定を「運輸従事員服務規程」が施行された1914年3月としている
なお、太字ゴシック体の職名は1983年時点で存在したものである
札幌車掌区開区70周年記念誌『北の軌跡』(1983年/札幌車掌区北州会)p.60より引用

1914年1月17日には『鉄道院総裁達第43号』により「運輸従事員服務規程」が制定され、同年3月1日から施行されました。
同規程で初めて駅務従事員と列車従事員の職務が明確に分離され、従来は駅夫との区別が曖昧だった列車給仕の職務内容についても下記の通り定められました。

********************************************************************************************
・列車給仕は列車に乗務し、列車運転中は車掌、停車場に停車中の場合は駅長の指揮を受け、旅客の所用のため雑務にあたる。
・列車給仕は、次の場合は速やかに車掌又は駅長に報告のこと。
 客車内が不潔であるとき、又はその備品が不足しているとき。
 貯水器の水が不足しているとき、又はその水が不潔なとき。
 車内において遺留品を発見したとき。
 客車燈器が不完全なとき、又はその光力が不十分なとき。
・列車給仕は、座席の分配に注意すること。
・列車給仕は、旅客が飲食物を購入するとき、又は下車に際し手回り品の取り片付けをする場合は、旅客の便宜をはかること。
・列車給仕は、列車に乗務する場合は、別に定める物品を携帯すること。
・列車給仕は、寝台車に乗務する場合は、規定どおり寝台の取り付け、取り片付けを行うこと。

出典:村上心『日本国有鉄道の車掌と車掌区』(2008年/成山堂書店)p.35~36
********************************************************************************************

北陸本線


車内の給水器を点検する米子車掌区の乗務掛
鉄道ジャーナル社『ドキュメント列車追跡 リバイバル作品集③昭和46/47年』(1982年)p.19より引用
取材列車は下り寝台特急出雲で、白井朝子氏による撮影

更に1925年4月10日には『鉄道省総裁達第247号』にて「運輸・運転従事員職制及服務規程」が定められ、同年5月1日より施行。
これにより列車給仕の担当業務は寝台の取扱いと座席の整理、乗客案内に絞られ、車内清掃については新設された列車手が引き継ぐ事になりました。

********************************************************************************************
れっしゃしゅ 列車手
 車掌区におかれる職で、車掌の指揮をうけて客車内のそうじを行うものである。列車に乗務しないで車掌区で勤務するときは、庶務掛の指揮をうけて区内の雑務に従事する。(加藤誠次郎)

出典:日本国有鉄道『鉄道辞典 下巻』(1958年)p.1784
********************************************************************************************




明け方にデッキブラシを持ち、車内を掃除する米子車掌区の乗務掛
鉄道ジャーナル社『ドキュメント列車追跡 リバイバル作品集③昭和46/47年』(1982年)p.12より引用
取材列車は下り寝台特急出雲で、白井朝子氏による撮影

戦後も暫く乗務を続けていた列車手ですが、1962年7月1日付で営業関係職員の職制改正が施行された事に伴い廃止されてしまいました。
この職制改正は駅(操車場・信号場を含む)でも施行されており、「封建的かつ身分差別的である」として廃止の要望が強かった手職(「○○手」という職種)が一斉に掛職へと改称・整理されています。
これに伴い列車給仕も乗客掛に改称。
ただし、駅ホームでの案内業務に従事する駅員も乗客掛と称していたため、混同を避けるべく駅の乗客掛は出札掛、改札掛と統合して旅客掛(分割民営化後の営業係・営業指導係に相当)に変更されました。
そして列車手が担当してきた清掃業務のうち、車内については乗客掛、車掌区内については用務掛(車掌教導掛・庶務掛の指揮を受けて雑務を行う地上勤務職員)が継承しています。
職制改正後の1962年8月17日に発布された『総裁達第363号』では、乗客掛の主な職務内容を下記の通り定めています。

********************************************************************************************
寝台の取扱、座席の整理、旅客車の清掃その他これらに附帯する業務
旅客業務に関する車掌の職務補助

出典:鉄道公報『昭和37年8月17日総裁達第363号』
********************************************************************************************

また、この時に「営業関係職員の職制及び服務の基準」が定められ、以降の駅・車掌区における職制改正は同基準を下敷きにして施行されるようになりました。


乗務掛(荷扱) 乗務掛(客扱) 客扱専務車掌 米子車掌区

東京駅にて出発前の記念撮影に応じる下り寝台特急出雲の乗務員
後列に立っている丸首シャツ姿の男性は記者ではなく、荷扱担当の乗務掛である
鉄道ジャーナル社『ドキュメント列車追跡 リバイバル作品集③昭和46/47年』(1982年)p.12より引用
白井朝子氏による撮影

ところでカレチ(客扱専務車掌)は1954年8月より、夏服期間(7月1日~9月15日)に白い盛夏服を着用するようになりました。
当初は東京~大阪間の特急つばめに乗務する場合のみ着用を認められていましたが、やがて全国の車掌区に波及し優等列車(特急・急行)の象徴として定着しました。
冬服期間(10月25日~翌年4月30日)については紺色のダブルスーツを着用し、指定駅長・助役も1960年7月から白服・ダブルスーツを着るようになりました。
一方、乗客掛は寝台の解体・組立を行う際などに給仕衣を着用する場合を除けば、一般の駅員や普通車掌、ニレチ(荷扱専務車掌)などと同様の服装。
夏服期間は紺色の制帽・ズボンに半袖シャツ、合服・冬服期間は全身紺色で3つボタンのシングルスーツを着用しました。





腕章も車掌の赤色に対し、乗客掛が着用するのは青色。
列車給仕は「給仕 BOY」と書かれた群青色の腕章を着用していましたが、1962年7月に乗客掛に改称されてから導入された腕章は水色になり、「乗客掛 STEWARD」と表記されています。
ちなみに1962年6月以前の乗客掛(駅員)は、黄色い布地に橙文字で「乗客掛」と刺繍された腕章を付けていました。
どうやら国鉄では接客担当の駅員を表す色として、腕章や職務札に黄色・橙色を使用していたようですね。
同じ駅員でも運転取扱担当の操車掛、信号掛、構内掛は緑色の腕章を付けていました。





1968年4月1日にも車掌区を対象とした職制の改正が行われ、乗客掛と荷扱掛が統合される事になり、乗務掛と乗務指導掛に整理されました。
この職制改正の意義について国鉄職員局の内部組織、国鉄職制研究会は下記の見解を述べています。

********************************************************************************************
 近年、旅客の輸送需要は質・量ともに逐年変化してきている。旅行人口の増加は勿論のこと、旅行内容、旅行形態及び需要の時期等の複雑多彩化という面ばかりでなく、旅行の普遍化、旅行知識の普及、旅行条件の向上及び関連産業の発達整備等によって質的にも、旅客輸送需要の動向が大きく変わってきている。こうした輸送需要動向の変化に対処するために、優等列車や都市間急行の増発、さらには快適なサービスの提供という観点から、スピード・アップ、近代車両の投入、販売体制の充実などの諸施策を行なってきた。
 このような輸送需要動向の変化、これに対処する輸送方式の改善及び各種設備の改善強化に伴って、列車乗務員の車内業務の内容も当然変化することとなるので、それに対応した列車乗務員の乗組基準改正とあわせて、職制改正も実施したものである。

出典:国鉄職制研究会『国鉄における職制の構造』(1978年/鉄道研究社)p.81
********************************************************************************************

改正内容は『昭和43年5月23日総裁達77号』に示されており、いわゆる「助役補佐」である車掌教導掛が運用教導掛に改称され、「専務車掌(A)」、「専務車掌(B)」が新設される等の変化がありました。
乗務指導掛、乗務掛についても下記の通り規程されています。

********************************************************************************************
【職名】
乗務指導掛
【主な職務内容】
乗務掛の業務の調整及び指導
乗務掛の職務

【職名】
乗務掛
【主な職務内容】
寝台車旅客の接遇、案内及び整理並びに旅客業務に関する専務車掌(B)の職務補助
寝台の取扱い及びこれに附帯する業務
荷物の積卸し及び整理並びに荷物業務に関する専務車掌等の職務補助

出典:鉄道公報『昭和43年5月23日総裁達第77号』
********************************************************************************************

なお、職名が統一されたとはいえ、実際の現場では「乗務掛(客扱)」、「乗務掛(荷扱)」という単語が使われていたほどで、担当業務は分担されていたといいます。
この辺の感覚は1973年8月の職制改正で操車掛・信号掛・構内掛を統合した運転係(一部の優秀な駅員は輸送管理係に登用)や、JR西日本が2000年4月の職制改正で駅の営業係・輸送係を統合した運輸管理係(主任および指導係は廃止)に似ていますね。





青い腕章も刷新されて濃い目の色合いになった上、乗務指導掛は「乗客案内 HEAD STEWARD」、乗務掛は「乗客案内 STEWARD」と表示されるようになりました。
続いて1973年4月にも車掌区を対象に職制の改正が実施され、乗務指導掛が車掌補に改称されて業務内容も見直されました。
なお、乗務掛については改称されていません。
『昭和48年6月15日総裁達第6号』では、車掌補の主な職務内容を下記の通りとしています。

********************************************************************************************
旅客の接遇、案内及び整理並びに車内用の乗車券類の販売
荷物輸送業務の処理に関する専務車掌(B)等の職務補助
乗務掛の職務

出典:鉄道公報『昭和48年6月15日総裁達第6号』
********************************************************************************************

この改正は寝台セット解体装置の自動化が実施される事になり、労務作業面の省力化が為されるため、接客サービス面の比重がより高くなったため実施されたものです。
よって、従来は車掌にしか認められていなかった車内補充券の発行について権限を委譲するため、職名を乗務指導掛から車掌補に改めた訳ですね。
車掌補は引き続き「乗客案内 HEAD STEWARD」の青い腕章を付け、寝台列車の乗務を担当しました。
4ヵ月後の1973年8月には、それまで新幹線の車掌所にしか配置されていなかった車掌長が、在来線の車掌区にも配置される事になりました。
車掌長は専務車掌(A)の全員および専務車掌(B)の一部から登用し、車掌2名以上が乗務する特急・急行については原則1名以上の車掌長を乗せるようになりました。
同時期には駅の職制改正も行われ、掛職が「係」または「管理係」、「主任」に変更されています。




1976年10月、最後の乗務を終えた車掌補(客扱)・乗務掛(客扱)が集まった記念写真
札幌車掌区開区70周年記念誌『北の軌跡』(1983年/札幌車掌区北州会)p.56より引用
なお、最前列中央に立っている初老男性は当時の札幌車掌区長・菊地一夫氏である
菊地氏は旭川鉄道管理局営業総本部長を務めた後、1975年2月に札幌車掌区へ異動
同車掌区の26代目区長として2年間執務し、1977年2月を以って国鉄を退職され

一方で寝台列車は車両の近代化、旅客サービスの見直し等により、新しい車内営業体制の確立が求められました。
寝台の解体・組立を業務委託化する事によって、寝台列車に乗務する車掌補・乗務掛を全廃する準備が整ってきたのです。
そして国鉄当局は1976年10月の職制改正により、明治時代から続いた列車給仕の廃止を敢行しました。

********************************************************************************************
姿消す“列車ボーイ”

 国鉄寝台の“列車ボーイ”が、十五日から姿を消す。明治三十三年の誕生から七十六年。四十三万職員を抱えた赤字国鉄の、これも合理化策の一環だ。
 正規の呼び名は「車掌補」(現在千三百人)。車内の案内やベッドの整理にあたっていたが、その必要のない二段寝台車がふえたことなどから「業務の一部は下請けに」「車掌のワクを四百五十人ふやす」などの条件を国鉄当局が提案、一年余の交渉の末、労使が合意した。
 発足当初は「列車給仕」と呼ばれ、チップをとっていたが、昭和三十七年に乗客掛に“昇格”してノーチップ制へ。その後「乗務掛」さらに「車掌補」へと変わっていた。

出典:『朝日新聞 東京本社版』1976年10月13日 夕刊第8面
********************************************************************************************




1978年5月、寝台特急日本海1号に乗務し、車内改札を行う大阪車掌区の車掌(乗客案内)
車掌(乗客案内)は車掌長1名・専務車掌2名と共に乗務し、4名の乗組となった
鉄道ジャーナル社『青い流れ星ブルートレイン 列車追跡リバイバル』(1998年)p.105より引用
沖勝則氏による撮影

寝台列車の車掌補(客扱)、乗務掛(客扱)の廃止と引き換えに、1976年10月に車掌区の職制が改正されました。
この改正では「車掌補(客扱)の中で、高年齢かつ寝台車乗務経験の長い者については、過去の経験を生かし有効に活用することも考えて、暫定的に車掌(乗客案内)を設置」(国鉄における職制の構造p.92)しています。
この「車掌(乗客案内)」は括弧内を含めて正式な職名で、「車掌」の2文字だけで示される普通車掌とは趣きが異なります。
即ち寝台列車に乗務して、ドア操作や発車合図といった運転兼掌を一切せず、車内での接客業務を専門としたものです。
『昭和51年11月8日総裁達第23号』に車掌(乗客案内)に関する取り決めが記されています。

********************************************************************************************
   ◎   総裁達第23号(昭和51年11月8日)
 車掌区に車掌(乗客案内)を置くことについて次のように定める。
    昭和51年11月8日
       車掌区に車掌(乗客案内)を置くこと等について
 車掌区に、営業関係職員の職制及び服務の基準(昭和37年8月総裁達第363号)の定めによるほか、次により、当分の間、車掌(乗客案内)を置くものとする。
1. 主な職務内容は、次の各号に定めるとおりとする。
 (1) 旅客の接遇、案内及び整理並びに車内用の乗車券類の販売
 (2) 列車内の秩序維持及び環境の保持並びに列車食堂営業等の指導
 (3) 寝台用品類の引継ぎ等に関する業務
2. 指揮命令系統については、営業関係職員の職制及び服務の基準に定める車掌に係るものを準用する
3. 乗務方等については別に通達するところによる。
      附  則
 この達は、昭和51年10月1日から適用する。

出典:鉄道公報『昭和51年11月8日総裁達第23号』
********************************************************************************************





車掌(乗客案内)の着用する腕章には「乗客案内 STEWARD」と書かれていますが、車掌補・乗務掛の青い腕章に対し、こちらは一応は車掌の扱いとあって赤い腕章になっています。
専務車掌の「乗客専務 CONDUCTOR」、車掌長の「車掌長 CHIEF CONDUCTOR」とも一線を画していますね。
この後、国鉄はいよいよ分割民営化に向かう事になりますが、車掌(乗客案内)は合理化の波を掻い潜り、1987年3月の国鉄解体まで乗務を続けていたそうです。
荷物車に乗務する荷扱専務車掌や車掌補(荷扱)、乗務掛(荷扱)は、1982年前後の大々的な荷物営業廃止に伴い、次第に姿を消していきました。
貨物列車の車掌車に乗務する列車掛(係職への転換が進む中でも掛職のままだった)も、1985年3月ダイヤ改正に伴う貨物列車ワンマン化によって役目を終えています。
車掌区で助役の補佐を担い、乗務に係る事務の一切を受け持つ運用教導掛も、分割民営化後の職制改正により消滅。
昔に比べて随分と鉄道職員が減ってしまいました。


(文・特記を除く写真:叡電デナ22@札幌市在住)


鉄道コムのブログランキングに参加中!バナーのクリックをお願い致します。
ページトップ