タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

現在、札学鉄研OB会ブログから筆者投稿の記事を移転中です

Top Page › 北海道 › 士別軌道RC「急行雨竜号」で札沼線・深名線の廃線跡を辿る【4】
2017-11-19 (Sun) 13:25

士別軌道RC「急行雨竜号」で札沼線・深名線の廃線跡を辿る【4】



引き続き、士別軌道の旭川22か1269(日野RC/1982年式)を使ったバスツアー、急行雨竜号の第5便について書きましょう。
乗車記録は今回で完結となります。
最後の途中停車駅である「旅人宿&田舎食堂 天塩弥生」は、その名の通り天塩弥生駅の跡地に開業した民宿。
道道798号線沿いの畑作地帯に下見張りのレトロな駅舎がポツンと佇んでいます。
天塩弥生駅は1937年11月、深名線の前身に当たる名雨線名寄~天塩弥生間の開業に伴い、一般駅として設置されました。
1941年10月には朱鞠内~天塩弥生間が延伸開業し、名雨線が深川~朱鞠内間の幌加内線と統合されて深名線になりました。
当初の駅名は初茶志内(はっちゃしない)駅でしたが、1951年7月を以って天塩弥生駅に改称。
1960年9月には早くも貨物・荷物の取扱いが廃止されてしまいました。
道内の国鉄線では1977~1984年に貨物・荷物取扱いが廃止された駅が多く、天塩弥生駅はその需要が非常に低かっただろう事が窺えます。
1982年2月には交換設備が廃止され、タブレット閉塞を扱う当務駅長(駅長・助役・運転主任)を配置する必要が無くなったため完全無人化。
交換設備が運用されていた頃は1面2線の島式ホームと貨物側線1線を有していました。
1987年4月の分割民営化に伴いJR北海道が継承し、1995年9月の深名線全廃と運命を共にしました。
廃止後、天塩弥生駅の用地は名寄市の所有になりました。

JR北海道 国鉄 臨時列車 秋の終着駅フェスタ 新十津川駅 京王帝都電鉄 K-RC301P
JR北海道 国鉄 臨時列車 秋の終着駅フェスタ 士別駅 京王電鉄 モノコックバス


廃止から20年が経過しようとしていた2014年、オーナーの富岡達彦さんが名寄市から天塩弥生駅跡の土地を購入。
三笠市出身の富岡さんは鉄道会社に約15年間勤務されていた方で、少年時代に炭鉱町を走る蒸気機関車を見て鉄道職員に憧れを抱いたのだとか。
やがて炭鉱が閉山になると一家で東京に移住しましたが、それでも鉄道職員への憧れは変わらず高校卒業と共に国鉄に就職しました。
国鉄には駅員として約2年間従事した後、分割民営化を前に京王帝都電鉄(現・京王電鉄)に転職。
京王時代に念願だったという車掌を拝命したものの、1992年にリオ・デ・ジャネイロで開催された地球サミットが切欠で環境問題に世間の関心が集まるようになると、故郷・北海道の森の現状を知ろうと林業への鞍替えを決意。
1997年に下川町森林組合に転職し、NPO法人「森の生活」の前身となる森林体験プログラム「さ~くる森人類」を立ち上げるなど活躍されました。

しかし、山中での過酷な労働が続いて身体を壊し、民宿の経営を考えるようになりました。
そこでご自身が好きな鉄道をテーマに、駅舎をモチーフにした宿を作ろうと思い至ったのです。
当初は下川町内の名寄本線上名寄駅跡での営業を考えましたが、町役場の都合により断念。
代わりに駅の構造がある程度残っていた天塩弥生駅跡に目を付け、名寄市と交渉して駅跡地3,700坪を約80万円で購入しました。
「新築だけれども古い昭和の木造駅舎」を作るべく、加藤さんは道内各地の木造駅舎を見てまわり富岡さんとイメージを共有。
2015年6月に着工し、10月にはノスタルジー漂う木造駅舎が完成しました。
そしてローカル線の整理方針を発表したJR北海道に対する抗議の意を込めて、北海道新幹線の開業と同じ2016年3月26日に旅人宿&田舎食堂 天塩弥生」を開業。
TVや新聞、鉄道雑誌、旅行雑誌など様々なメディアで紹介され、1年間の宿泊客数450人、食堂利用者数2000人を数える大盛況となっています。
富岡さんが京王OBである縁から、京王電鉄の現職社員も団体で泊まりに来たのだとか。
将来は線路を敷いてトロッコを走らせたり、深名線の廃線跡を辿るオプションツアーを企画するなど新たな展開を描いているとの事です。





「せっかくだからフェイスブックに載せる写真が欲しい」と富岡さんは、士別軌道の日野RCと共に記念撮影。
天塩弥生駅では料理担当の奥さんを駅長に据え、ご自身は首席助役の職に就いている富岡さん。
国鉄の接客制服と金線1本入り赤帯制帽を着用し、これまたレトロなモノコックバスと並ぶ姿が様になっています。
しかもジャケットは3つボタンのシングルスーツ、おまけに左腹部には司法巡査章を装備しており、助役の姿を再現するのが大変細かい!
国鉄の制服は季節ごとに合服、盛夏服、冬服の3種類に大別され、合服は5月1日~6月30日および9月15日~10月24日、盛夏服は7月1日~9月14日、冬服は10月25日~4月30日を着用期間と定めていました。
駅長・助役・車掌長・カレチ(客扱専務車掌)は盛夏服期間は白服、冬服期間は紺色の6つボタンダブルスーツを着用した訳ですが、合服期間は一般の駅員や普通車掌、ニレチ(荷扱専務車掌)等と同じ3つボタンシングルスーツでした。
司法巡査章は鉄道公安官(現・鉄道警察)と同等の司法警察権が付与された職員が装備した徽章。
司法警察権は駅長・車掌区長、駅助役・車掌区助役といった管理職に加え、長距離列車に乗務する車掌長、カレチが付与の対象となり、駅構内や車内で犯罪者を逮捕する事もしばしばありました。
鉄道施設における犯罪の抑止力になっていた司法警察権ですが、分割民営化に伴い過去のものとなっています。
ちなみに助役と同じ金線1本入り赤帯制帽を被る運転主任(民営化後の輸送主任)は、運転取扱上の当務駅長に指定されてはいるものの、司法警察権は付与されませんでした。
今や助役と輸送主任の見分け方は名札の役職表記に頼るばかりですが、国鉄時代は司法巡査章の有無でも見分けが付いたんですね。





玄関に貼り出された“食堂車”の営業案内。
食堂車は11:00~14:00の営業で、14時以降は宿泊客向けに仕込みを行うため“閉駅”となります。
臨時に運休する事もあるので、訪問の際はご注意を。





窓には富岡さんが車掌をされていた京王帝都電鉄の前面行先サボや・・・





森林組合の職員をされていた下川町にあった、名寄本線一ノ橋駅の駅名標が飾られています。
展示品一つ一つにご主人のルーツを表しているのも面白いですね。







かつてホームがあった側から駅舎を眺めた様子。
奥まった改札口にも作り込みの細かさを感じられます。





改札口には「はっちゃしない」「てしおやよい」と新旧駅名が表示されています。
その手前には赤いタブレット閉塞機が置かれていますが、室内に置き場所が無くて一時的に待避させていたのでしょう。





タブレット閉塞機の傍でうずくまる猫。





気象告知板や民営化後の駅名標もあります。





駅事務室側(実際には宿泊室だけど)にはテコ小屋・・・ではなく、薪小屋が築かれています。
薪はストーブに使っているそうです。





線路跡に沿って「ハエたたき」と呼ばれる電柱や・・・





腕木式信号機が設置されています。
これで尚且つ線路を敷いて、トロッコを走らせたらさぞかし楽しいでしょうね。







最近では踏切警報機と遮断機もお目見え。
バッチリ通電されており、室内からのボタン操作で警報音を鳴らしたり、遮断機を下ろす事も可能です。





駅構内をじっくり眺めた後は、正面玄関から入室。





防寒のため二重になった玄関の内側には、昭和30年代の国鉄制服が飾ってあります。
奥さんのお父さんも元国鉄職員で、実際に勤務されていた頃に着用した制服なんだとか。
腕章や職務札から察するに、お父さんは信号掛だったようですね。
駅や信号場に勤務し信号機を扱う信号掛は1973年12月、営業関係職員を対象とした職制改正により運転係(信号担当)に改称された後、分割民営化後の1988年4月にはJR各社一斉の職制改正で輸送係になり現在に至っています。
なお、運転係は1973年12月以前に存在した運転掛とは全く別の職種で、運転掛については同時期に運転主任へと改称されています。







待合室・・・もとい食堂の様子。
部屋の中心には薪ストーブが置かれ、多数の鉄道用品で賑わっています。
白熱灯の暖かい光がレトロ感を演出。
私がたまに購読している北海道の観光情報誌『HO(ほ)』も置かれていました。
「旅人宿&食堂 天塩弥生駅」は『HO(ほ)』2017年8月号で紹介されており、しかも表紙を飾る大躍進でありました。
しかも同号には我らが札幌学院大学出身のスター、ウエスギ専務の特別記事「上杉周大の旭川・東神楽・富良野ぶらり旅」も掲載されていますので、未読の鉄研OB諸兄には購読をオススメします!
たまたま居合わせた女性の宿泊客とも、この雑誌について会話しました。
その方は鉄道ファンという訳ではないものの、旅行雑誌やTVを見て天塩弥生駅に心惹かれ、1人で泊まりに来たそうです。
深名線の廃線から22年、天塩弥生の地に新たな人の流れが生まれてきています。





出札窓口を模したフロントにはオリジナルの普通旅客運賃表が掲示されています。
「道内難読駅」の駅名・運賃を並べたり、食堂車メニューや寝台料金を表示したりとユニークです。





タブレットキャリアも置かれていますが、丸窓から見える中身に注目!
何と金属製の通票ではなく、紙の票券を格納しているではなりませんか。
元は全線でタブレット閉塞を使用していた深名線ですが、晩年は朱鞠内~名寄間の1閉塞に限り票券閉塞を用いていました。
この票券閉塞、道内での採用例はここだけではなかったかという位に貴重な閉塞方式で、全国的に見ても使用路線は少なかった代物。
記事を書いている2017年11月現在で現役の票券閉塞が見られるのは3路線です。
しかもJR東海の名松線松阪~家城間がJR唯一となっており、他は銚子電鉄仲ノ町~笠上黒生間、小湊鐵道上総牛久~里見間と千葉県内のローカル私鉄2社のみとなっています。





これまたかなり貴重じゃないですか?
運転無事故を祈願して作られた、国鉄旭川鉄道管理局のダルマですね。
旭川鉄道管理局は現在のJR北海道旭川支社で、しばしば「旭鉄局」と略されています。
その上に乗っかる人形はよく分かりません。





それでは食事といきましょう。
乗客2人と乗員3人の計5人が同じ食卓で温かい蕎麦を頂きました。
深名線に因んで蕎麦は幌加内産を使用。
黒くて歯ごたえのある田舎蕎麦が好きです。





下川産カボチャのプリン幌加内産蕎麦のシフォンケーキも美味しかったですね。
これ全部、奥さんの手作りですよ。
本格的な料理の数々に舌鼓を打ちました。





食事のお供は道民に馴染み深いコアップ・ガラナ
個人的にはキリンガラナよりも、甘ったるくてシロップ感があるコイツの方が好きですね。





最後は本州から来た宿泊客のお土産、赤福を頂きました。
こうした人の繋がりが感じ取れるのも民宿の良さですね。


士別軌道 日野RC モノコックバス 天塩弥生駅 夜景




食後はすっかり日が落ちてしまい、旅の終わりが近づいてきた事を実感。
名残惜しんで灯りが点いた駅舎と日野RCを撮影します。


旭川22か1269


屋根上のマーカーランプも点灯し、夜間モードになった士別軌道の日野RC。





もう1人の乗客は天塩弥生駅に宿泊するため、ここまでの乗車となりました。
残る乗客は私1人だけ。
あとは「ぽっぽや」のスタッフさんと関係者1人、士別軌道の運転手さん・・・と乗客より乗員が多いアベコベさは更にエスカレートします。
富岡さん夫妻や宿泊客に見送られ、急行雨竜号は17:30に出発。
いずれ再訪したいスポットです。





次は終点の士別営業所。
ガラガラのモノコックバスは道道798号線を引き返し、真っ暗な丘陵地帯を越えたら交差点を左折して道道729号線へ。
天塩川に架かる瑞生橋を渡ってから1箇所目の交差点で右折し、農耕地帯の道道850号線・道道976号線をひたすら南下していきます
下北大橋では再び天塩川を越え、日本甜菜製糖の士別製糖所が見えてくると士別市街はもうすぐそこ。
住宅地の西3条6丁目交差点を左折し、国道239号線(下川国道)の跨線橋を渡り士別営業所へ進入。







そして18:02、遂に終点の士別軌道士別営業所に到着し、札沼線新十津川駅を出発し5時間に及ぶバスの旅が完結しました。
モノコックバスと廃線跡の魅力を最後まで存分に堪能できるツアーを企画した、旭川の鉄道ショップ「ぽっぽや」には唯々感謝!





バスを降りた後は営業所の近くにある宗谷本線の士別駅へ。
19:39発の330D(音威子府17:54始発・旭川行き普通列車)で旭川駅に向かいます。
士別駅は窓口営業時間が終了した後で無人駅扱いになっていましたが、それでも士別市の中心駅とあって乗降は多めでした。
キハ40系の車内もなかなかの乗車率、石北本線8585D(旭川20:00始発・北見行き臨時快速)がお粗末に感じるほど客が多く乗っています。


キハ183系


20:56、旭川駅に到着。
ここで21:14着・21:17発の特急オホーツク4号(網走17:25始発・札幌行き)に乗り換えて札幌に帰りますが、定刻より4分遅れで旭川駅に入線。
結局4分遅れのまま21:21に旭川駅を出発しましたが、伊納のトンネルを越えて石狩平野に出ると順調に回復運転を成し、札幌駅には定刻通り22:53に到着しました。


※写真は全て2017年10月14日撮影


(文・写真:叡電デナ22@札幌市在住)


鉄道コムのブログランキングに参加中!バナーのクリックをお願い致します。
スポンサーサイト



最終更新日 : 2019-07-02

Comment







管理者にだけ表示を許可