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2017-11-18 (Sat) 19:09

士別軌道RC「急行雨竜号」で札沼線・深名線の廃線跡を辿る【3】



旧・沼牛駅に途中停車しつつ、深名線の廃線跡に沿って国道275号線を北上してきた士別軌道の旭川22か1269(日野RC/1982年式)。
「秋の終着駅フェスタ」の会場である札沼線新十津川駅を12:57に出発してから、まもなく2時間が経とうとしていました。
次なる目的地はこれまた駅舎が現存する旧・添牛内駅ですが、予定よりも早くバスが走行していたため、第3雨竜川橋梁を通過してすぐの道の駅「森と湖の里ほろかない」で休憩をとる事になりました。
到着時刻は14:55。







この道の駅には幌加内町民保養センターせいわ温泉ルオント」があり、日帰り入浴と宿泊が出来ます。
もちろん源泉掛け流しのれっきとした温泉ですが、音威子府村の天塩川温泉の如く、政和温泉もルオントの1軒しか入浴施設がありません。
昔は国道を挟んで向かいに温泉旅館があり、その隣に深名線の政和温泉駅がありました。

政和温泉のルーツは当地にて鉱泉を発見した入植者が、1918年に開業した一軒宿。
しかし冷泉であったためボイラーで加温しなければならず、高い燃料費に経営が圧迫された上、経営者が逝去したため一旦は廃業を余儀なくされました。
それが1960年、幌加内町役場が温泉の成分を調べると有効成分が確認された事から、地元有志が宿の後継者を担ぎ上げて(株)政和温泉を設立。
町議会のバックアップを得て、1962年6月に温泉旅館を新築し復活と相成りました。
湯上がりにジンギスカンを楽しめる宿として人気だったようです。
政和温泉駅は1955年8月に設置された下政和仮乗降場を前身とし、温泉会社からの請願を受け1961年12月に深川方へ200mほど移転し政和温泉仮乗降場として開業しました。

豪雪地帯の山間部、それも一軒宿を除いて民家・商店が全く無い立地ゆえ、政和温泉仮乗降場には毎年12月1日~4月20日の冬季休業期間が設定されており、温泉旅館も駅の休業に合わせて春まで営業を中断していました。
それでも経営は安定していたようですが、1981年5月には何と泉源が枯渇するという大事件が発生。
以降は営業休止を余儀なくされ、復活が叶わないまま1986年を以って廃業、跡形も無く解体されてしまいました。
政和温泉仮乗降場は宿の廃業により存在意義を失ったはずなのに何故か残り、1987年4月の分割民営化に伴いJR北海道に継承され臨時駅となりましたが、深名線が全廃される5年前の1990年3月に廃止されています。
しかも当時は冬季休業の真っ只中でしたから、政和温泉駅に列車が発着したのは1989年11月が最後となりました。
しかし驚くべきは駅の廃止後、枯渇したはずの温泉が復活を遂げた事。
旅館の営業休止から13年後の1994年、公営温泉の「せいわ温泉ルオント」が開業し、1998年4月には道の駅に登録されています。

JR北海道 国鉄 モノコックバス
JR北海道 国鉄 モノコックボディ 天塩弥生駅


駐車場では日野RCとキャンプトレーラーのツーショットが撮れました。
ありそうでなかなか見ないシチュエーションです。





道の駅には13分間停車し、15:08に旧・添牛内駅を目指して出発となりました。





引き続き国道275号線を北上し、政和の集落に入ると旧・政和駅の前を通過。
1931年9月、雨龍線幌加内~添牛内間の開業に伴い設置された一般駅で、1995年9月の深名線全廃と運命を共にしました。
開業以来の木造駅舎が現在も残されており、2003年からは「275レスト飯処せいわ」という食堂が入居していましたが、数年前に廃業したようです。
駅舎の存在に気付くのが遅かったもので、カメラを構えた頃には建物の影に隠れてしまい残念な写真に。
通過時刻は15:11でした。


添牛内駅 木造駅舎 士別軌道 日野RC 旭川22か1269


そして15:22、旧・添牛内(そえうしない)駅に到着。
ここも下見張りの木造駅舎が残されており、沼牛駅に負けず劣らずの存在感です。





車外に出て撮影していると、運転手さんがヘッドライトとフォグランプを点けて下さいました。
昭和初期の古めかしい駅舎に、これまた道内最古参の現役路線バスがよく似合います。





添牛内駅は1931年9月の雨龍線幌加内~添牛内間開業に伴い、一般駅として設置されました。
同年10月に雨龍線が幌加内線へと改称された後、1932年10月に添牛内~朱鞠内間が延伸されています。
幌加内線は1941年10月を以って深名線に改称されており、添牛内駅での貨物・荷物取扱いは1982年3月まで続けられました。
この頃に交換設備を廃止し無人化されたそうですが、駅舎は解体・縮小を免れています。
1995年9月の深名線全廃まで旅客駅として機能しました。





正面玄関に掲げられた駅名看板。
真っ黒な板に白ペンキの筆字が踊ります。
添牛内駅も沼牛駅と同様、玄関引き戸に駅ノートをぶら下げていました。





公式側が見えるように日野RCと駅舎を撮ろうとすると、逆光になってしまうのが悩みの種。
やっぱり程よく曇ってくれた方が(ry





元は2面2線の相対式ホームを有していたものの、1982年3月の無人化に伴い交換設備も撤去されたという添牛内駅。
綺麗な状態でホームが残る沼牛駅に対し、こちらは雑草が茫々で段差も視認しづらいほどに荒れ果てていました。





ホーム側から駅舎を眺めると・・・


添牛内駅


何と、テコ小屋(信号テコ扱い所)の跡を発見!
交換設備が運用されていた頃はここに場内信号や転轍機を操作するレバー(テコ)が置かれ、赤帯制帽を被った当務駅長(駅長・助役・運転主任)がテコを扱っていた訳ですね。
この手の古い駅舎では、ついついテコ小屋の痕跡が残っていないか探してしまいますね。
テコ小屋は全国各地のローカル線で見られましたが、自動閉塞化によって次第に役目を失っていきました。





案の定、駅舎の中に入る事は叶わず、15:28に添牛内駅を出発。
駅前に建つ旧・添牛内郵便局の庁舎には、“そばの花道 添牛内”の文言を窓に掲げた「手打そば処 霧立亭」が入居しています。
添牛内の集落もまた日本一の蕎麦処・幌加内町を支える一生産拠点であり、蕎麦畑の規模も沼牛周辺に負けていません。
引き続き国道275号線(空知国道)を北へ北へと進んでいきます。




朱鞠内駅


蕎麦畑を過ぎたら山林に囲まれた登り坂をひた走り、朱鞠内(しゅまりない)の集落へ。
ここには深名線の駅としては幌加内駅に次いで、2番目の規模だった朱鞠内駅がありました。
朱鞠内駅は1932年10月、幌加内線添牛内~朱鞠内間の開業に伴い一般駅として設置され、1941年10月には幌加内線・名雨線を深名線に統合した上で朱鞠内~初茶志内間が延伸開業。
構内には深川機関区朱鞠内支区や貨物のストックヤードが築かれ、雨竜第一ダム(1943年竣工)の建設に使う資材の輸送拠点としても重要な働きをするなど活気がありました。
1962年7月のダイヤ改正では沿線地域が北海道随一の豪雪地帯である事に配慮し、冬場のダイヤ乱れを最小限に留めるべく深名線の運転系統が朱鞠内駅で2分割されました。
朱鞠内駅を境にした区間運転は1995年9月の全線廃止まで続けられており、深川~名寄間の通し運転は当時で1往復だけだったといいます。
また、1962年には朱鞠内と羽幌を繋ぐ名羽線の敷設工事が羽幌側で始まり、朱鞠内側でも1966年7月に起工式を執り行いましたが、1980年12月に国鉄再建法が制定されると工事はあえなく凍結されるはめに。
深名線沿線でも人口の流出が進み、列車利用の減少に合わせて交換設備の撤去が進み、晩年になると起終点の深川駅・名寄駅を除いて交換駅は当駅と幌加内駅の2駅だけでした。
朱鞠内駅跡は朱鞠内コミュニティー公園として整備されており、園内に駅名標と線路のモニュメントが置かれているほか、広々とした敷地に在りし日の駅の規模を垣間見る事が出来ます。







更に国道275号線を進み、坂を登っていくと朱鞠内湖が現れました。
ここは雨竜第一ダムの完成によって出来た日本最大の人造湖であり、深名線が建設される大きな要因となった場所でもあります。
先に「朱鞠内駅が雨竜第一ダムの資材を運ぶ拠点になった」と書きましたが、1930年前後に深名線の延伸工事とタイミングを合わせてダムの建設工事が進められており、効率よく資材輸送に列車を利用していたんですね
雨竜電力(株)は1932年10月の添牛内~朱鞠内間延伸時に建設工事を本格化させ、1941年10月の全通時には本体工事を開始し深川・名寄の両方面から大量の建設資材を受け入れました。
しかし、ダムが完成すると貨物輸送・旅客輸送ともに低迷に転じた訳で、朱鞠内湖こそ深名線の光と影を象徴するスポットと言っても過言ではありません。
なお、ダムの所有者であった雨竜電力は電力管理法施行令の制定に伴い1939年を以って日本発送電に吸収。
戦後の1951年に日本発送電が解体され、以降は北海道電力が雨竜第一ダムを所有しています。

朱鞠内湖を過ぎるとT字路を右折し、道道729号線へ。
ここからはどんどん坂を下り、名寄市へと足を踏み入れます。




北海道電力 北電 雨竜発電所

道道729号線沿いには北海道電力雨竜発電所があり、朱鞠内湖を利用した水力発電が行われています。
なかなか味のある建物ですね。
下り坂が終わって平地に着いた急行雨竜号は田園地帯を走行。
天塩川に沿って道道729号線を走り続け、風連町西風連の交差点で右折。
そして天塩川に架かる橋の手前で更に交差点を左折し、道道798号線に入りました。





道なりに丘陵地帯を走り続け、急行雨竜号第5便もいよいよハイライト。
16:15、最後の途中停車駅である「旅人宿&田舎食堂 天塩弥生」に到着しました。
元鉄道職員の富岡達彦さんが奥さんと二人三脚で切り盛りされている民宿で、その名の通り深名線天塩弥生駅の跡地にあります。
日野RCの到着を待っていた富岡さんは、国鉄の接客制服を着て登場。
フライ旗を持ってバスを駅舎前まで誘導しました。





停車後、富岡さんに出迎えられて車外へ。
「長らくのご乗車お疲れ様でしたー」と声を掛けて頂けました。
ここからは食事休憩、「ぽっぽや」のスタッフさんと士別軌道の運転手さんも下車し、乗客乗員5人で屋内へと案内されました。


次回に続きます。


※写真は全て2017年10月14日撮影


(文・写真:叡電デナ22@札幌市在住)


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最終更新日 : 2019-07-02

No title * by らんちゃん
デナさん、こんばんは😄

えっ、「政和温泉駅」というのが昔、あったのですね!「政和駅」は覚えていますけど・・・。そして温泉は、数々の数奇な運命をたどった、というか、さらされたのですね😱
1度だけ、道の駅のルオントの日帰り入浴に行ったことが。また行ってみたくなりました。来春以降カナ・・・?

添牛内駅の周りの、荒れっぷり・・・😢

幻の名羽線の話も、知ったのは割合最近でした😓

深名線廃線前、深川ー湖畔駅を最後に往復し、歩いてダムや湖を見てきたことは、忘れられない思い出です。とても暑い日でした。
廃線後、しばらくしてから、別団体で、ダムや発電所見学に行ったこともあります。

ああ、憧れの手塩弥生駅・・・近々、きっと訪れたいと思います😄

No Subject * by -
wikipedia等によると添牛内駅の無人化は1982年3月末(この事は間違いなく、同じ日に委託駅だった町内の沼牛、雨煙別等も無人化されている)で、同時に運転取り扱いを廃止したとされている様ですが、昭和52年頃に撮られたこの写真、
駅事務室の窓も開けられていて、確かに生きている駅の佇まい、

https://www.facebook.com/soeusinaieki/

事務室内にも通票閉塞器と思しき物体が写っていますが、
駅舎右の信号扱所に滑車はあるが、信号梃子がなく、
梃子がないのでワイヤーでも繋がれていない・・・(-"-;)

ひょっとすると、この時点で添牛内駅は既に運転扱いは停止していて、
窓口営業のみの棒線駅だった可能性もあり、何やら意味深な写真ですね?(@_@)?

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No title

デナさん、こんばんは😄

えっ、「政和温泉駅」というのが昔、あったのですね!「政和駅」は覚えていますけど・・・。そして温泉は、数々の数奇な運命をたどった、というか、さらされたのですね😱
1度だけ、道の駅のルオントの日帰り入浴に行ったことが。また行ってみたくなりました。来春以降カナ・・・?

添牛内駅の周りの、荒れっぷり・・・😢

幻の名羽線の話も、知ったのは割合最近でした😓

深名線廃線前、深川ー湖畔駅を最後に往復し、歩いてダムや湖を見てきたことは、忘れられない思い出です。とても暑い日でした。
廃線後、しばらくしてから、別団体で、ダムや発電所見学に行ったこともあります。

ああ、憧れの手塩弥生駅・・・近々、きっと訪れたいと思います😄
2017-11-18-23:29 * らんちゃん [ 編集 * 投稿 ]

No Subject

wikipedia等によると添牛内駅の無人化は1982年3月末(この事は間違いなく、同じ日に委託駅だった町内の沼牛、雨煙別等も無人化されている)で、同時に運転取り扱いを廃止したとされている様ですが、昭和52年頃に撮られたこの写真、
駅事務室の窓も開けられていて、確かに生きている駅の佇まい、

https://www.facebook.com/soeusinaieki/

事務室内にも通票閉塞器と思しき物体が写っていますが、
駅舎右の信号扱所に滑車はあるが、信号梃子がなく、
梃子がないのでワイヤーでも繋がれていない・・・(-"-;)

ひょっとすると、この時点で添牛内駅は既に運転扱いは停止していて、
窓口営業のみの棒線駅だった可能性もあり、何やら意味深な写真ですね?(@_@)?
2021-08-20-11:24 * - [ 編集 * 投稿 ]