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2017-10-29 (Sun) 08:43

士別軌道RC「急行雨竜号」で札沼線・深名線の廃線跡を辿る【2】



引き続き、2017年10月14日に札沼線新十津川駅で開催された「秋の終着駅フェスタ」に合わせ、新十津川駅前~士別営業所間を走った急行雨竜号第5便の乗車記録を書いていきましょう。
札沼線新十津川~石狩沼田間の廃線跡に沿って北上し、留萌本線の石狩沼田駅に5分間停車したのでした。
13:47に石狩沼田駅を出発し、いよいよ深名線多度志~天塩弥生間の廃線跡を辿っていく事になります。

深名線は急勾配が続く険しい天塩山地を越え、深川~幌加内~名寄間を結んでいたJR北海道の路線。
1924年10月に開業した国鉄雨龍線(後の幌加内線)と1937年11月に開業した国鉄名雨線を前身とし、1941年10月に両線を編入・改称して深名線となりました。
沿線の雨竜郡幌加内町では1960年代に入ってから人口が大きく減少し、1968年9月には国鉄諮問委員会によって赤字83線に指定される事態になりました。
しかし、幌加内町・名寄市は道内随一の豪雪地帯で、道路の整備も進んでおらず冬場の交通に支障をきたす事から廃止を免れています。
あのキマロキ編成が投入された地域ですから、如何に厳しい積雪かお分かり頂けるでしょう。
分割民営化後も存続された深名線ですが、平成になると通学定期券の利用が皆無になる程に乗客が減少し、1995年9月を以って全廃されました。
JR北海道は1990年9月の江差線木古内~江差間を皮切りに、札幌近郊を除く各線区で快速・普通列車のワンマン化を推進してきましたが、深名線については乗客僅少にも拘らず最後まで全列車ツーマン運転となっていました。
おそらくは当時の社内では既に廃止方針が出ており、ワンマン運転に向けた設備投資(駅ホームへのバックミラー設置など)をする必要が無いと判断されたのでしょう。
国鉄時代は深川車掌区(1987年3月廃止)と名寄車掌区(1989年4月廃止)が乗務を担当していましたが、晩年は旭川車掌所(1990年3月に旭川車掌を改称)のみの担当となっていました。
閉塞方式も最後まで自動化されず、平成になってからもタブレット閉塞が残る数少ない路線でした。

深名線は当OB会員のうち1990年代の卒業者、つまり札学鉄研の活動初期のメンバーにとって思い出深い路線でもあります。
Wさんは営業最終日に公務員試験を受験されていたそうで、現地でお別れが出来なかった事が心残りと仰られていました。
当OB会の会長である秋田こまち通りさんは、廃止直前に道外から乗りに来ていた鉄道ファンが駅に停車した折に「ホームからはみ出しているしドアカットされるだろう」と高を括ってもたれかかっていたら、急にドアが開いて危うく落ちそうになった様子を見たのだそうです。
深名線の例に限らず、昔の北海道ではホームに収まりきらない列車でも編成全車両のドアが開くのは当たり前で、東急大井町線や山陽電鉄などのようなドアカットを実施する事は無かったのだとか。
流石に20m1両にも満たない長さの朝礼台(道内の仮乗降場に多く見られる)だと車掌が非常ドアコックを扱って1箇所だけ開閉していたそうですが、余程短くなければ全開にしていたようですね。

JR北海道 士別軌道 山陽電鉄 東急
秋の終着駅フェスタ


モノコックバスは沼田町商工会の手前を横切り、村井薬店前の交差点を左折して再び国道275号線へ。
早々に留萌本線の踏切を横断し、市街地を離れ稲作地帯を東に進みます。





雨竜川を越えた先は深川市多度志(たどし)。
国道275号線はセイコーマート深川多度志店前の交差点で左に曲がり、雨竜川に沿って幌加内方面へと延びています。
日野RCも交差点を左折し、山間部をひたすら北上していきます。

JR北海道 国鉄 士別軌道 日野RC 旭川22か1269 日野K-RC301P
多度志そば


深川市は日本有数の蕎麦の生産地であり、作付面積・収穫量ともに全国2位を誇ります。
市内の蕎麦農家はここ多度志に集中しており、製粉会社「多度志そば工房」も本社を構えて「多度志やまそば」を製造しています。
集落の飲食店も「多度志そば」ののぼり旗を出していました。
また、隣接する雨竜郡幌加内町に至っては日本一の蕎麦処で、2市町で天塩山地の一角に壮大な蕎麦畑を作り上げています。
そんな多度志の集落には深名線の多度志駅がありました。
多度志駅の跡地には駅舎こそ現存しないものの、草生したホームが残っています。





秋の蕎麦畑は鮮烈な赤。
木々の紅葉と共に天塩山地を彩る光景は壮観です。





14:07、幌成駅跡を通過。
国道沿いの溶接加工場に晩年の貨車駅舎(ヨ3500形車掌車)が置かれていますが、駅があったのは工場の裏手です。





旧幌成駅舎のすぐ近くには幌成郷土資料館があります。
元は1997年3月に閉校された幌成小学校で、古めかしい下見張りの校舎を再利用しています。
「この建物が幌成駅の旧駅舎だったんだ」と言われたら、思わず納得してしまいそうなくらい駅舎っぽい佇まいです。





幌加内トンネルを抜けると雨竜郡幌加内町。
山林を過ぎると再び蕎麦畑が広がります。
程なくして国道沿いに沼牛駅が見えてきました。


14:25、沼牛駅に途中停車。
個人的には「おかえり沼牛駅」から2年ぶりとなる訪問です。
駅前では士別軌道の日野RCと沼牛駅を撮るべく同業者が待機していました。
今回は駅舎に入れませんでしたが、正面玄関に駅ノートが出されており閲覧する事が出来ましたね。





旭川22か1269は2016年10月の「新十津川駅開業85周年を祝う会」開催時も、沼牛駅に乗り入れていたようです。
駅舎正面からでは逆光になってしまうので、日野RCと駅舎を絡めての撮影には苦労しました。





職員用玄関の方からだとバスも順光になって良いんですけどね。





「おかえり沼牛駅」は2017年9月にも開催されており、まだ正面玄関に駅名看板が掲示されていました。







深名線の廃止から22年の歳月が流れたものの、沼牛駅は駅舎・ホームともに健在。
レールが剥がされたバラストは農道として活用されています。





最近になって改札口のラッチが復元されました。
封鎖用の鎖も付けた木製のラッチです。
やはり駅舎はラッチがあってこそ映えるもの。





沼牛駅をひとしきり眺めた後、14:32に出発し国道275号線を更に北上。
道中には地元の農家が設置したものと思しき、タイヤとホイールで組み立てた「交通安全」の人形がありました。





日本一の蕎麦処とあって、幌加内町内の所々に「幌加内そば」を宣伝する看板が立っています。
こちらは2003年に日本農業賞大賞を受賞した事をアピールしていますね。





国道沿いには国の補助を受けて2012年に建設した「そば日本一の牙城」もあります。
何の施設かと言うと、蕎麦の乾燥調整施設ですね。
蕎麦は乾燥調整を誤ると品質が劣化するデリケートな農作物で、それこそ幌加内では大量の蕎麦が一斉に収穫されるため乾燥・保管をするには大規模な調整施設が必要だった訳です。
「そば日本一の牙城」は日本最大規模の乾燥調整施設で、当施設の完成によって生産量の更なる増強も容易になったそうです。





広大な蕎麦畑、幌加内市街を抜けて山林へ。
雨竜川に沿って国道275号線を北上していると・・・







深名線雨煙別~政和温泉間の第3雨竜川橋梁が見られました。
1931年9月の雨龍線幌加内~添牛内間開業に伴い建設され、深名線が廃止されるまで64年に渡り運行を支えた鉄道橋ですね。
これまた廃止から22年が経ってもなお美麗な姿を保っています。


急行雨竜号は士別に向け、国道275号線を更に北へと進んでいきます。
続きは次回で。


※写真は特記を除き2017年10月14日撮影


(文・写真:叡電デナ22@札幌市在住)


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最終更新日 : 2019-07-02

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