引き続き札幌市営地下鉄南北線の高架橋補修工事に伴い、リニューアルされる事になった札幌市交通資料館の見納め会について書きましょう。
がらんどうになった市電22号車展示室を見た後は、いよいよ補修工事の過程で取り壊される事になった屋内展示場に足を踏み入れます。
この頃には親子連れの見学者が増え、館内が活気に満ちてきました。
屋内展示場の玄関口は外壁がオレンジ色に塗られており、玄関そばには事務室が設けられています。
この事務室に常駐しているのは札幌市交通局の外郭団体である札幌市交通事業振興公社の職員と、定年退職を迎え暇を持て余している交通局OBのボランティアで、私設博物館にありがちな事ですが学芸員は一人もいません。
屋内展示場に入室した見学者を最初に出迎えるのは、2009年に登場した市営地下鉄東西線6000形のモチーフ。
その美麗なデザインが評価され、1977年度鉄道友の会ローレル賞を受賞した6000形の廃車発生品を組み合わせて作られた大型模型です。
しばしば鉄道ファンの間で「モックアップ」と呼ばれていますが、そもそもモックアップとは「細部に至るまで実物に似せて作られた実寸大模型」を指す言葉。
側面の三角窓や乗務員室内の機器配置が如実に再現されている訳ではないこのモチーフを、「モックアップ」と呼べるかは甚だ疑問ですね。
6000形は鉄研関係者の間でしばしば、「実物が保存されなかったのが残念」と言われているほどの名車であります。
JR北海道 国鉄 札幌市営地下鉄 札幌市交通局 鉄道模型
JR北海道 国鉄 札幌市営地下鉄 札幌市交通局 鉄道模型
ツーハンドル横軸式の運転台。
コンソールを構成する部品は別々に持ち寄られた物らしく、塗装が統一されていません。
6000形は1990~1991年のATO撤去に伴い、従来は緑色だったコンソールが茶色に塗り替えられており、晩年まで運転台は茶色い姿でした(ただし621~624号車の2次車はATOが残されていた)。
どうやらこのモチーフの運転台に使われている緑色のパーツは、東西線大谷地駅に隣接する交通局本庁舎の教習所にあった6000形シミュレータから流用された物のようです。
茶色いコンソールの左端には、ATO出発ボタンを撤去した痕跡が見られます。
運転席
6000形を語る上で外せないのがこれ。
運転席は日本の鉄道車両では一般的な跳ね上げ式(背面の壁に装着し、座る時に引き出す)ではなく、運転台に向けて倒して格納するように作られているのです。
このスタイルの運転席は南北線3000形や東豊線7000形にも引き継がれましたが、1995年デビューの南北線5000形からはオーソドックスな跳ね上げ式になってしまいました・・・。
6000形が現役だった頃は、倒した状態の座席の背もたれ部分に腰を預ける車掌が多く見られたものです。
そういえばあの頃の東西線は、進行方向右側のドアを開ける場合は運転士側、進行方向左側のドアを開ける場合は車掌側・・・と駅間ごとに居座る位置を明確に分ける車掌が非常に多かったものです。
次駅で左側のドアを開ける場合は放送用マイクを車掌側まで伸ばし、ATC車上機器の取っ手にひっかけるのが当たり前でしたね。
懐かしいなあ。
車掌スイッチ
運転席の背面に設置された車内放送装置と車掌弁(非常ブレーキスイッチ)、ドアスイッチ、電鈴。
札幌市営地下鉄では南北線2000形から東豊線7000形に至るまで、車掌が使う放送装置を運転士も乗務員間の通話に用いていました。
特に6000形、3000形、7000形は前後の乗務員室で背面の機器配置が大きく異なり、百の位が「1」の制御電動車はATC機器に車内放送装置が付属していました。
その逆の制御電動車は運転士側の背面にATC機器が無く、車内放送装置は壁から出っ張る鉄骨の先端に装着し、運転席のすぐ後ろまで伸ばしていました。
こうする事で運転士がマイクを取りやすくしていたようです。
しかし、資料館の6000形モチーフは乗務員室の構造を簡略化しており、実車の姿を粒さに観察した者としては寂しい限りです。
ドアスイッチは開閉2つのツマミを設け、閉扉のツマミをひねるとドアブザーが鳴るようになっています。
このドアスイッチもまた札幌市営地下鉄のオリジナルで、交通局の最新鋭・東豊線9000形も継承しています。
しかし全3路線のワンマン化が完了し、運転台に設置されたドアスイッチを使用するようになった現在では基本的に活躍する場面はありません。
6000形モチーフには実車で使われた乗降口ドアも付いています。
しかし、これは「プロト車」と呼ばれる試作車の601号車が装備していたもの。
量産車のドアに比べて窓が大きく取られています。
ドアの窓には1990年代の札幌市営地下鉄で使われていた、熊のキャラを描いた「いたいよ~!~注意一瞬~ドアの閉まる前!」の大きなステッカーが貼られています。
懐かしい気分に浸らせてくれる一品ですが、ひとつ残念なのは車外に向けて貼られているという事。
実際のステッカーは客室側にイラストを向けて貼っていました。
これまた札幌市交通事業振興公社の時代考証の甘さが露呈するはめに・・・。
6000形モチーフの背後では数多くの模型が展示されています。
6000形乗務員室に隣接して展示されている、市営バスの環状バスや高速電車第3次試験車「はるにれ」、南北線1000形(後に2000形に統合)の模型達。
このうち下から2段目の1000形の模型は、札幌市交通局の現業職員だった榎陽(えのき・あきら)さんが作り上げた力作。
榎さんは1950年に入局して以来、車掌・運転士として札幌市電に奉職された方です。
退職後は路面電車の有効活用を市民の立場で考える団体「札幌LRTの会」の創設に関わり、同会の編集による書籍『札幌市電が走った街 今昔』(2003年/JTB)の執筆にも携わりました。
交通資料館には自作鉄道模型の他にも数多くのカラー写真を寄贈されたほか、札幌市中央区HPにも貴重な映像を提供されており、市営交通ファンにとっては神様のような存在です。
2010年に惜しまれつつ逝去されましたが、榎さんの模型や写真は末永く保存される事でしょう。
こちらは東豊線9000形を除く歴代の地下鉄車両の模型で、元は6000形モチーフが置かれている場所に展示されていました。
東豊線7000形は塗装の違う3次車しか作られていません。
こうして見ると南北線5000形や東西線8000形は、札幌らしさが幾分薄く感じられますね・・・。
あの麗しい車両達はもはや過去帳入り、模型を見ていると愛おしさと虚しさが込み上げてきます。
6000形の中で唯一、顔立ちが違うプロト車(601号車)の廃車部品は衝立に固定し展示されています。
これも見ていると物哀しい気分になりますね・・・。
プロト車・量産車ともに実車が保存されなかった事が悔やまれます。
展示室を更に進むと歴代の制服を着用したマネキンが登場。
昔はSTマーク制定後の茶色い制服も展示されていたのですが、いつの間にやら消え去ってしまいました。
このうち紺色の制服は、前回記事でも触れたとおり1986~1993年に使用されていたモデル。
制服指定ネクタイは赤と群青色のストライプです。
ジャケットはダブルスーツですが実はこれ、運転士用の制服。
当時のモデルは駅員・車掌用を2つボタンシングルスーツ、運転士用を6つボタンダブルスーツに作り分けていました。
しかも駅長・助役用はヒラの駅員や車掌と同じシングルスーツ。
運転士用のみダブルとするのは珍しいように思います。
「市営バス展示室」にあった制帽は冬用でしたが、こちらはオールメッシュの夏用です。
しかもこれ、内周にウレタンやプラスチックの芯が入っていないので、普通に被っていてももろく型崩れしやすいという・・・。
奥の展示室には市電の模型や各種乗車券、写真、部品などが展示されています。
制御電動車のみで8連を構成した2000形220号車の編成写真も素敵です。
地下鉄の駅事務室や指令所に設置されている連動盤(連動装置)。
通常はキャブシグナル(車内信号)により閉塞を管理している札幌市営地下鉄ですが、非常時には職員の手動により閉塞を扱います。
閉塞装置と共に展示されている地下鉄試験車両の写真。
第1次試験車はバスに案内軌条式の台車を装着した、鉄道の試験車両としては異彩を放つ代物でした。
南北線2000形と東西線6000形のゴムタイヤ。
実は南北線の方が床は低いのですが、2000形や3000形では大きめのタイヤハウスを設けていたため、その分東西線・東豊線よりも大きなタイヤを使っていました。
現行の5000形や他2路線よりも小さなタイヤを採用しています。
1917年、札幌電気軌道の開業を記念する花電車を撮影した写真。
1927年、札幌電気軌道が市営化された当時の花電車を捉えた写真。
屋内展示場を見た後は、市電・地下鉄の車両展示場に向かいました。
次回に続きます。
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最終更新日 : 2019-07-02