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2017-07-23 (Sun) 13:09

2017/7山陽旅行【2】 改築された新山口駅と種田山頭火



伊丹空港から列車を乗り継ぎ、新山口駅までやって来ました。
新幹線ホームで700系「ひかりレールスター」を撮影した後は、階下の改札口へと向かいます。







ラッチ内の掲示板では、2017年度にリニューアルするSLやまぐち号をPRしていました。
今年9月に営業を開始する新車・35系客車が復刻モデルとしている、SL全盛期の旧型客車について解説しています。





また、梅小路運転区(梅小路蒸気機関車館)で動態保存されていたD51形200号機を修繕・改造の上、今年以降に本線運転に復帰させる予定です。
復帰後はSLやまぐち号に加えSL北びわこ号にも充当され、かなりガタが来ているというC56形160号機を置き換える事になります。
D51-200は5月に北陸本線米原(操)~木ノ本間で本線試運転を実施した後、6月には新山口駅構内の下関総合車両所新山口支所(旧・小郡機関区)まで配給輸送されました。
そして7月11日に山口線新山口~津和野間での試運転を開始しており、年内にはJR西日本から営業運転の開始時期が告知されるものと思われます。

JR西日本 国鉄 山陽本線 山陽新幹線 山口線 宇部線 蒸気機関車 JR北海道
JR西日本 国鉄 山陽本線 山陽新幹線 山口線 宇部線 蒸気機関車 JR北海道


改札口を通過したら南口を出て、駅舎を撮影。
山口市内における交通の要衝とあって、古いながらも大きく立派な駅舎です。
1900年12月、山陽鉄道(現・山陽本線)三田尻(現・防府)~厚狭間の開業に伴い、一般駅として設置された新山口駅。
当初は小郡(おごおり)駅という名前で、2003年9月まで103年近い歳月を通し小郡を名乗ってきました。
小郡とは駅の所在地の地名であり、駅名が改称されてなお周囲には、小郡黄金町郵便局や小郡幼稚園、ホテルアルファーワン小郡など「小郡」の名を冠する施設が多く見られます。

駅構内には山口地域鉄道部が拠点を設けています。
地域鉄道部というのはJR北海道の運輸営業所(日高線・宗谷北線・花咲線)みたいなもので、ローカル線の効率化を目的として線区のあらゆる業務を集約した組織の事ですね。
周辺の駅を管轄に置き電気・保線・建築を一手に受け持つほか、在来線の運転士・車掌が所属する山口乗務員センターを置いています。
西労組(JR連合系)の分会も駅分会、輸送分会、電気分会、施設分会と担当業務ごとに設置されています。





南口の駅前広場には防府出身の著名な俳人・種田山頭火の銅像が建立されています。
何故ここに山頭火の像があるかと言えば、駅から北西2.4kmの地点に氏が1932~1938年の6年間を過ごした其中庵(ごちゅうあん)があるからです。

山頭火は季語や五・七・五といった俳句の定型を無視し、自らのリズム感に身を委ねる自由律俳句を詠んだ事で知られていますが、その生涯もまた型破りなものでした。
早稲田大学を中退した後、結婚し文芸活動を開始するも実家の酒蔵が倒産し、妻子を連れて熊本へ夜逃げ。
古書店を開業するも軌道に乗らず、37歳で単身上京してから1年後に離婚するも、関東大震災で焼け出された後は何と元妻の家に居候。
そんな奇妙な居候生活の最中、生活苦による自殺を図ったのか42歳にして熊本市電を急停車させ、これが切欠で曹洞宗に出家。
遂には漂白の俳人・尾崎放哉の世界観に共感し、44歳の時に寺を出て法衣とすげ笠を纏い各地を放浪するように。
旅先で俳句を詠んでは俳誌『層雲』に投稿する日々が続きました。
そして50歳の時、体力の限界を感じて小郡に其中庵を結ぶ事になった訳です。
其中庵での定住生活を始めてすぐ、山頭火は放浪生活の中で詠んだ俳句をまとめた第一句集『鉢の子』を刊行しました。
その後も次々と句集を発表しています。

1938年、其中庵が著しく老朽化したため、山頭火は新たな庵を求めて再び旅に出ました。
其中庵は山頭火と親交があった近木黎々火(ちかき・れいれいか)による見取り図を元に、跡地に復元されています。





出発の時を待つ防長交通(防長バス)の山口200か・936(日野レインボーⅡ)。





南口から新山口駅を眺めると国鉄時代の雰囲気を感じられますが、実を言うと在来線側の駅舎は橋上駅舎に建て替えられています。
駅舎の改築工事は2011年より開始され、2015年10月を以って竣工し供用を開始しました。
新幹線駅舎と在来線駅舎の間には、開放的な半屋外構造の南北自由通路が建造されています。
自由通路脇の壁には、フランス人の植物学者・デザイナーであるパトリック・ブラン氏の監修により「垂直庭園」が造園されました。





自由通路には階下の線路に平行してレールのモニュメントが何本も作られており・・・、





番線と路線名称まで表記されています。





面白い事に側線のモニュメントまで作られています!







旧駅舎の頃は南北に改札口が分かれていた在来線駅舎。
橋上化により1箇所に集約されています。
駅舎は真新しいのに改札口は自動改札機が導入されず、駅員が直接改札業務を担うというアンバランスさ。
北陸新幹線が開業した直後の金沢駅を彷彿とさせます。





新駅舎と自由通路は完成したものの、北口駅前広場はまだまだ工事中。
「まちと駅をつなぐ」事をコンセプトに、広場には「0番線」と名付けられています。
北口駅前広場の完成は2018年3月となる予定です。





切符を買ってホームに出ます。
これから宇部線に乗る予定ですが、次の列車まで時間があるので撮影して過ごします。
まずは4番線の山陽本線3338M(下関13:11始発・岩国行き普通列車)を撮影。
黄色1色の115系3000番台4連、広セキN-16編成が充当されていました。
2ドアの115系3000番台を見ると山陽地方に来た事を強く実感できますね。
前面種別幕が全くの白幕なのもご愛嬌です。
これまでの瀬戸内色、広島更新色、カフェオレ色(岡山更新色)、湘南色に代わり、2009年12月より黄色一色への塗装変更が始まった岡山・広島地区の国鉄型直流電車。
塗装のコストを削減するために1色化が開始された事から、「真っ黄色」と絡めて「末期色」と呼ばれています。
しかし、中央総武緩行線のカナリアイエローほどは明るくないこの黄色、個人的には「真っ黄色」というより「山吹色」と言った方が適切だよなあ・・・と思うのですが如何でしょうか?
塗り替え開始から8年が経過した今では瀬戸内色、カフェオレ色が消滅してしまい寂しい限り。
クリーム色を基調に青帯を引いた瀬戸内色が好きだったんですけどね・・・。





定刻どおり14:20、3338Mは岩国に向けて出発しました。





真向かいの5番線には14:23、出庫した広セキN-11編成が入線。
これから山陽本線3415M(新山口14:35始発・下関行き普通列車)に充当されます。







2分後にはキハ40系とキハ47系2連のタラコ色3連が、回送列車用の3番線に入線。
このタラコ色も先述の塗装省力化により復活したもので、イベント的なリバイバル塗装という訳ではありません。
編成内容は下記の通りでした。

←新山口 キハ40‐2035キハ47‐1059キハ47‐109 津和野→





115系とキハ40系列のツーショット。
この並びは最高にツボですね!





車内温度を維持するため、ドアを半自動扱いにしている115系。
乗降口の脇には乗客用のドアスイッチが付いていますが、新潟に住んでいた私としては上沼垂の115系と比べてしまい、国鉄型車両が半自動ドアスイッチを装備している事に違和感を覚える次第です。
新潟では取っ手を掴んで手動で開閉するのが当たり前でしたからね。







14:32、3番線に長門鉄道部常駐のキハ120系2連(キハ120‐10+キハ120‐18)が出現。
下関総合車両所山口支所のキハ120系は山陰本線や美祢線で使用されており、基本的に山口線で運行される事は無いはず。
検査入場か何かで回送されてきたのでしょうか?





突然のキハ120系出現に驚く一方、5番線ではレピーターが点灯し山陽本線3415Mが出発体勢に。





1番線に移動するとキハ40系・キハ47系の併結3連が停車中。
山口線669D(新山口14:58始発・山口行き普通列車)への充当です。





どうやら入線後に増結作業を実施したらしく、車体側面には「作業中」と書かれた赤い旗が出されたままでした。
私が1番線に来たのと入れ替わりに乗務員2名が下車。
そのうち1人は制帽に金線1本が入っていますが、山口乗務員センターの助役か係長(助役より格下の管理職)でしょうか?
2017年3月まで使用されていた3代目制服では、運転区や車掌区の管理職は区長も含め平社員と同じ装飾なしの黒帯制帽だったんですけどね。







1番線ホームの津和野方には新山口駅運転本部があり、駅構内における運転取扱業務(連動装置の操作や運転整理など)を担当しています。
この運転本部の手前は「SLひろば」になっており、動輪や写真などが飾られています。





そんな「SLひろば」には小郡駅の駅名標も展示されています。





ホーム末端から車庫を眺めます。
115系3000番台の広セキN-18編成が留置されていました。


構内を観察しているといい時間になったので、宇部線の乗り場である8番線に移動しました。
次回に続きます。


※写真は全て2017年7月15日撮影


(文・写真:叡電デナ22@札幌市在住)


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最終更新日 : 2019-07-02

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