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2017-07-14 (Fri) 23:47

日高本線浦河駅 直営駅なのに営業係のワンオペ状態



日高管内は浦河郡浦河町昌平町駅通にある、JR北海道の浦河(うらかわ)駅。
2015年1月に厚賀~大狩部間で高波による土砂災害が発生した影響により、列車代行バスの運行が続く不通区間(鵡川~様似間)に該当します。
浦河町の中心部に位置し、駅前には浦河町役場や浦河警察署、浦河港湾事務所など行政機関が集まっています。
北海道庁の出先機関である日高振興局や日高信用金庫本店も所在し、この界隈は日高地方の心臓部として機能しています。
浦河駅から国道235号線(浦河国道)を0.4kmほど南東に下ると、整然と店舗が建ち並ぶ浦河町大通商店街が広がります。
浦河町は総人口13,000人にも満たない小さな町ではありますが、この商店街はなかなか立派で綺麗な装いです。

JR北海道 国鉄
JR北海道 国鉄


浦河駅は1935年10月、国鉄日高線日高三石~浦河間の延伸開業に伴い、一般駅として設置されました。
1937年8月には当駅~様似間が延伸し、現在の日高本線のルートが完成しました。
日高線は1943年11月に日高本線へと改称。
国鉄末期の1982年12月には貨物取扱いが廃止され、次いで1984年2月には荷物取扱いも廃止されています。
1986年11月には苫小牧(貨)~様似間の特殊自動閉塞(電子符号照査式)化によってタブレット閉塞の取扱いが終了。
これに伴い運転主任(民営化後の輸送主任)の配置が終了し、交換設備も廃止されてしまいました。
1987年4月の分割民営化に伴いJR北海道が継承し、現在は静内駅が管理する直営駅(社員配置駅)となっています。





駅舎は年季の入った木造モルタル造りの平屋で、メインストリートの浦河国道とは正反対の山側に建っています。
手前には細い2車線道路が敷かれ、廃業した駅前旅館と数軒の民家が見られる程度。
線路を隔てた海側には浦河町役場などが集まり、自動車や人の往来も多いだけに別世界のような気分になります。
せっかくのいぶし銀な駅舎も、何だか目立たず寂しい限り。





駅前駐車場に置かれた「長時間の駐車禁止」の看板。
タイヤ付きのホイールを土台にしています。
看板には「浦河駅長」と書かれていますが、先述したとおり現在の浦河駅は直営駅ではあるものの、静内駅の管理下なので駅長は勤務していません。
この看板は結構昔から立ち続けているのでしょうね。







待合室の様子。
列車代行バスが運行されて2年半が経過しますが、お得な切符や観光案内のパンフレットが多数置かれ、掃除も行き届いています。
客の待ち時間に配慮し、漫画や文庫本を入れた小さな本棚が設けられています。
自動券売機は設置されておらず、切符を購入する際は出札窓口に申し出なければなりません。





出札窓口(みどりの窓口)は毎日8:15~16:20の営業でしたが不通が長引いた事により、2015年11月から毎週水曜・土曜と第2・第4月曜日の12:00~16:20に短縮されてしまいました。
営業時間を縮小してもなお駅員を配置し続けているのも凄いですが、特筆すべきは直営駅でありながら営業係のみのワンオペという事。
田舎の有人駅だとワンオペが少なからず見られますが、直営駅なら輸送主任(駅長・助役と同等の運転取扱資格を有する輸送係駅員)が出札業務を兼ね、運転取扱いの無い駅だと業務委託化されている事がほとんど。
浦河駅の場合、とっくの昔に交換設備が廃止されている事もあって、輸送係駅員は配置されていないんですよね。
しかも1日当たりの平均乗降客数は2014年時点で18人と少なく、浦河高校への通学利用が集中する東町駅の114人とは大きな隔たりがあります。
日高振興局や浦河町役場の最寄り駅ゆえ無人化されていないという事なのでしょうが、分割民営化後に駅無人化や普通列車ワンマン化を推進してきたJR北海道の動向を思えば、今日まで業務委託化すらされなかったのが不思議に思えますね・・・。

なお、当駅の駅員は改札業務を担当していないため、ワンマン列車が往来していた頃は前乗り前降り方式の運賃収受が行われていました。
こうした客扱いは札沼線の石狩月形駅でも同様に実施されていますが、あちらはスタフ閉塞を取り扱う輸送主任が石狩当別駅から交代で派遣されていますね。







1面1線の単式ホーム。
全長は20m車4両分ほどです。
床面は全体的にアスファルト舗装が為されており、白線も引かれています。
棒線駅となって久しいですが、広々とした構内に全盛期の面影が感じられます。
交換設備が撤去される前は島式ホーム1面が加わり、2面3線のいわゆる国鉄型配線を構成していました。
3本の側線も有していましたが、今となってはマルタイの留置用に残されたものと思しき1本しかありません。





島式ホームが撤去されても跨線橋は健在で、浦河町役場交差点と駅舎を結んでいます。
跨線橋は自由通路として開放されているのですが、これが単式ホーム上にまで延びているものですから改札業務が省略されているのでしょう。







浦河国道から駅舎を眺めた様子。
平屋ではありますが2階建てのような屋根の高さですね。
庇を支える柱は古いレールを再利用しています。





ホームから改札口を眺めた様子。
元からラッチは設置されていなかったらしく、撤去の痕跡は見当たりませんでした。


丘と海の“まきば” 浦河駅


外壁には浦河高校美術部が2003年10月に作成した、「夢・希望・未来」と題した絵画が展示されています。
同年8月には様似中学校美術部も鵜苫駅西様似駅の駅舎にペイントを施していますが、当時は沿線の学校間で駅を彩ろうという気運があったのでしょうか?





駅事務室の外壁には古めかしい温度計が掛けられています。


日本観光旅館連盟札幌支部


よく見ると日観連(日本観光旅館連盟)の札幌支部が寄贈した物のようです。
同連盟の前身は1949年6月に公共企業体として発足した日本国有鉄道が、「旅館の施設及びサービスの向上改善並びに交通機関・観光関係機関との連絡協調を図り、旅客接遇の向上改善」を旗印に掲げ、1950年6月に設立した国鉄推薦旅館連盟(国旅連)
戦前に鉄道省が定めた「鉄道省指定旅館」の制度をベースにしつつ、国旅連は旅人が安心して宿泊できる「駅長の宿」を広めていきました。
この国旅連を改組し1957年4月に誕生したのが日観連で、その後も「駅長さんも太鼓判」というキャッチコピー(温度計にも書かれていますね)を胸に活動を続けてきました。
温度計は20周年記念の節目に作られた物らしく、少なくとも1977年から浦河駅に存在し続けている事になります。
日観連は2012年10月、国際観光旅館連盟と合併し日本旅館協会に生まれ変わっています。







駅構内北西には保線事務所だったものと思しき2階建ての社屋があります。





使われていない社屋の近くには、黄色いシャッターを有する車庫も。


※写真は全て2017年7月1日撮影


(文・写真:叡電デナ22@札幌市在住)


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最終更新日 : 2019-07-02

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