タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2017-06-14 (Wed) 00:13

留萌本線恵比島駅 今なお残る明日萌駅と留萠鉄道本社



空知管内は雨竜郡沼田町恵比島にある、JR北海道の恵比島(えびしま)駅。
石狩沼田の市街地から北西へ6.3km離れた、山間部の小集落に位置します。
かつては留萌炭田の一角である昭和炭鉱・浅野炭鉱の玄関口であり、延べ400人が生活していたという恵比島の町。
今年3月に道新でも報じられていましたが、現在の恵比島には9世帯13人の住民が暮らすのみとなっています。
しかしマイカーを持つのは2世帯しかなく、東京のコンサルタント会社「ディー・アイ・コンサルタンツ」が調査したところ、1日当たりの乗降客数は人口のほとんどを占める10人に上ります。
小集落と言えども鉄道への依存度の高さが窺え、訪問当日も当駅に下車して帰宅する高校生の姿が見られました。
深川市内へ通院する住民も、所要時間が列車の3倍になる路線バスの利用を敬遠しているそうですね。
おまけに道内のバス業界は運転手不足が全国的に見ても特に顕著で、待遇の悪さを嫌って田舎のバス会社に就職したがらない人材が多い状況。
JR北海道は沿線自治体に留萌本線のバス転換を打診していますが、本州のバス会社が道内に来て採用活動を行い、人材の流出が起きているものですから上手く事が運ぶようにも思えません。
留萌~増毛間が廃止されて半年が経過し、残された深川~留萌間の動向が非常に気掛かりです。

JR北海道 国鉄 JR東日本 東急 神戸高速鉄道 鹿児島本線 JR九州 臨時列車
JR北海道 国鉄 JR東日本 東急 神戸高速鉄道 鹿児島本線 JR九州 臨時列車


恵比島駅は1910年11月、国鉄留萠線(1931年10月に留萠本線へ改称)深川~留萠間の新規開業に伴い、一般駅として設置されました。

1930年7月には昭和炭鉱・浅野炭鉱から産出した石炭を運搬すべく、留萠鉄道炭砿線が新規開業。
留萠鉄道は私鉄でありながら、当初は国鉄が運行管理を担っていました。
駅構内に新設された深川機関区恵比島駐泊所には留萠鉄道の乗務を担当する機関士・機関助士が配置され、車掌についても深川車掌区の所属人員が担当しました。
言わば東急が運行管理と乗務を担う横浜高速鉄道みなとみらい線のようなものですが、一つ違う点を挙げるとすれば本線を走る自社の保有車両が1両も無かった事でしょう。
他社の車両のみ運行しているあたり、神戸高速鉄道のようでもあります。

ただし、昭和炭鉱の入換機2両は留萠鉄道に車籍があったそうです。
しかも2両とも明治鉱業が東京横浜電鉄(現・東急)から購入したものであり、そのルーツは九州鉄道のイ形蒸気機関車。

長らく車両・乗務員ともに自前が無かった留萠鉄道ですが、1952年12月の客貨分離に伴い初めて気動車を購入。
ケハ500形2両がそれで、茨城交通湊線(現・ひたちなか海浜鉄道)のケハ400形・ケハ600形などと同様、「キハ」ではなく「ケハ」を形式名に宛がった希有な気動車です。
その後も自社車両の増備を続け、1960年11月を以って国鉄への運行管理委託を終了し、乗務員も自社で雇用するようになりました。
1965年度の貨物輸送量は50tを越え、経営は順調のように思えました。

しかし、1968年度に出炭量が激減し貨物輸送量は28tにまで落ち込みました。
同年11月には浅野炭鉱が閉山し、直後の12月に「石炭鉱山整理特別交付金制度」が制定された事もあり、残された昭和炭鉱も間髪入れず1969年4月に閉山。
結果、留萠鉄道は1969年5月に営業休止へ追い込まれ、1971年4月を以って廃止されてしまいました。





留萠鉄道の廃止後も恵比島駅は国鉄の駅として残りましたが、1977年5月には貨物取扱いが廃止されました。
国鉄末期の1984年2月には荷物取扱いが廃止され、同時に出札・改札業務についても無人化。
ただし、タブレット閉塞を取り扱う運転主任(民営化後の輸送主任)は引き続き配置され、1986年11月の交換設備廃止に伴い勤務を終了しています。
1987年4月の分割民営化に伴いJR北海道が継承し、1997年4月には本線が留本線に改称されています。

20世紀の終わりが近づいてきた頃、恵比島駅では1999年4~10月に放送されたNHK連続テレビ小説『すずらん』の撮影が行われました。
撮影に際し駅構内には昭和初期の雰囲気を再現した下見張りの駅舎が建設され、駅前にも駅長の家や中村旅館などのオープンセットが用意されました。
劇中では明日萌(あしもい)という架空の地名で登場しており、「新しい淀み」や「新しい淵」を意味するアイヌ語の「アシリ・モイ」に由来しています。
最近ではJR北海道がC11形207号機を東武鉄道に貸与して話題になりましたが、当時は撮影のために真岡鐵道からJR北海道にC12形66号機が貸し出されて話題になったものでした。
この出来事が切欠となり、C11形171号機の動態復元による「SLすずらん号」の運行が1999年5月から開始されました。







明日萌駅舎は撮影終了から18年が経過した今も沼田町が管理しており、室内を見学する事が出来ます。
待合室は本物の駅舎さながらの古めかしさで、壁には劇中に登場した中村旅館や北澤理髪所、横田写真館などの広告看板が掲示されています。
部屋の中央には主人公・萌が孤児院「幸福学園」へ向かう際に乗った馬ソリも。





改札口の頭上には明日萌駅の発車時刻表が掲示されています。
間違っても恵比島駅の発車時刻表とは思わないように!w
恵比島駅の1日当たりの発着本数は上り(深川方面)9本、下り(留萌方面)7本ですが、明日萌駅は上下5本ずつと更に少なめです。





手小荷物窓口・出札窓口の様子。
出札窓口は若干奥まった場所に設けられており、窓の開口部が小さめです。





出札窓口の頭上には三等旅客運賃一覧表が設置されており、青森、盛岡、一ノ関、仙台、郡山、宇都宮、上野と本州主要駅への運賃も表示されています。
「稚内港」の駅名を記している点もポイントが高いですね。





駅長室(駅事務室)も公開されているので入ってみましょう。







駅長室(駅事務室)の様子。
4台の机が置かれており、待合室同様にダルマストーブも設置されています。





うち1台の机には橋爪功さんが演じた常盤次郎駅長の蝋人形が。
鉄道省時代の詰襟の制服を着ています。





劇中の常盤次郎駅長は金線2本入り赤帯制帽を被っていましたが、こちらの蝋人形は黒帯制帽を着用。
しかも帽章は何故か、日本政府の象徴である五七桐紋に動輪を載せた国鉄の徽章ではありません。
おまけにアゴ紐の留め具にはJRマークが・・・これはJR東日本の旧型制帽に付いていたのと同じ物を使っていますね。
下手なレプリカを使うよりも、ドラマの撮影に使った実物に似せた制帽を作れば良かったのではないかと・・・。





しかしながら駅事務室は、鉄道の職場らしさをしっかり演出していますね。
壁にはJR各社にも継承されている国鉄の安全綱領や・・・、





「「レール」は抜身と思へ」「停まった車は猛獣と思へ」などと記された、北海道運輸事務所の「職員死傷防止標語」・・・、





南樺太と北東北を含めた戦前の道内鉄道路線図に・・・、





事故を未然に防いだ事を讃える賞状などが見られました。





明日萌駅舎の北隣には駅長の家が建っています。
こちらは訪問時点で封鎖されていました。





さて、この木造駅舎ですが明日萌駅の駅舎であっても、恵比島駅の駅舎という訳ではありません。
では恵比島駅舎は何処かというと・・・、





明日萌駅舎の東隣、旧駅舎の基礎の上にポツンと佇んでいます。
旧駅舎は1986年11月の完全無人化に伴い解体されており、それに入れ替わるかたちで現在の駅舎になりました。
ヨ3500形車掌車を転用した貨車駅舎ですが、『すずらん』の撮影に伴い車体を板で囲まれており異彩を放っています。







待合室の様子。
大半の窓が塞がれている事もあり、日が昇っている間から室内灯が点灯しているのですがいやに薄暗いですね。
見たところ室内で列車を待つ乗客も少ないようで、隅っこの机には駅ノートが寂しく置かれていました。





ホーム側から貨車駅舎を見た様子。







1面1線の単式ホーム。
全長は20m車3~4両分ほどで、大部分はアスファルト舗装が施されています。
昔はこれに島式ホーム1面を加えた2面3線の国鉄型配線で、島式ホームの外側が留萠鉄道の乗り場でした。
他にも貨物側線や安全側線を有していたそうですが、その面影は線路向かいに広がる空き地に見られる程度です。





ホーム上で仲良く佇む明日萌駅の駅名標と、恵比島駅の駅名標。





明日萌駅舎のホーム側。







改札口には木製のラッチが2台。
なお、改札口の扉は何故か施錠されているので、見学の際は正面玄関から入りましょう。





改札口の脇には明日萌の情景を描いた看板が掲げられています





信号扱所(テコ小屋)まで再現されていますが、中の信号テコは既に撤去されています。





ホームから東方を見ると日本ケミカルコートの廃工場があります。
実はこれ、留萠鉄道の本社社屋でした。
かつては寄棟屋根を有していたのですが、今ではすっかり抜け落ちてしまいました。
現地の歴史を伝える貴重な建造物であり、保存される事を期待したいですが望み薄ですね・・・。


※写真は全て2017年4月10日撮影


(文・写真:叡電デナ22@札幌市在住)


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最終更新日 : 2019-07-02

No title * by yrg*45
SLすずらん号に乗って3回訪れたことがあります。
今では冬の湿原号以外の運行がなくなり淋しい限りです。

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No title

SLすずらん号に乗って3回訪れたことがあります。
今では冬の湿原号以外の運行がなくなり淋しい限りです。
2017-10-16-13:46 * yrg*45 [ 編集 * 投稿 ]