上川管内は旭川市東8条西6丁目にある、JR北海道・JR貨物の新旭川駅。
宗谷本線を所属線とし、石北本線の起点でもある当駅は2017年現在、日本最北端の分岐駅です。
石北本線の当駅発着は全列車が宗谷本線旭川~新旭川間に乗り入れています。
新旭川駅は1922年11月、国鉄石北線新旭川~愛別間の開業に合わせ一般駅として設置されました。
当初の読みは「か」を濁音とした「しんあさひがわ」。
先んじて1898年7月に開業していた旭川駅についても、1905年4月に読みを「あさひかわ」から「あさひがわ」に改めていました。
しかし、「明治23年9月20日 北海道庁令第61号」によると、旭川市の前身である旭川村が設置に際し定めた正式な読みは「あさひかわ」であり、国鉄当局が間違った呼称を駅名に宛てがった事になります。
駅名ひとつ取っても、お役所仕事のいい加減さが現れるものですね。
このミスは実に根深いもので公共施設や店舗等の呼称が右ならえになり、郵便局の局名便覧にさえ「あさひがわ」の読みが使われるほどでした。
一方で地元住民の中には長年に渡り、本来の呼称である「あさひかわ」に改めるよう要望する声も多かったといいます。
JR北海道 国鉄 JR貨物 簡易委託駅 無人駅
JR北海道 国鉄 JR貨物 簡易委託駅 無人駅
1927年10月、石北東線丸瀬布~遠軽間の新規開業に伴い、石北線新旭川~上川間が石北西線に改称されました。
1932年10月に石北トンネルが開通すると、石北西線新旭川~中越間・石北東線中越~遠軽間・湧別線遠軽~野付牛(現・北見)間が編入され、再び石北線を名乗るようになりました。
1939年10月、新旭川駅と国策パルプ工業(後に山陽国策パルプ→日本製紙)旭川工場を繋ぐ専用線が開業。
同工場で製造された紙製品の発送と、工場内で使用する液体塩素・石油の搬入に利用されました。
1961年4月には石北線が石北本線に改称されています。
1978年12月、山陽国策パルプ旭川工場専用線の乗り入れを除いて貨物取扱いが廃止。
1983年1月には宗谷本線旭川~永山間と石北本線新旭川~網走間が自動閉塞化(CTC化)された事に伴い、同駅における連査閉塞・タブレット閉塞の取扱いが終了しました。
これと同時に運転主任(民営化後の輸送主任)の人員も削減されたようです。
1984年2月に荷物取扱いが廃止され、同年11月には出札窓口の簡易委託化も敢行。
ただし、車扱貨物を受け入れる輸送係駅員(民営化後のJR貨物社員)は引き続き業務に当たりました。
1987年4月、分割民営化に伴いJR北海道・JR貨物が継承。
1988年3月、旭川駅ともども読みが見直され、「しんあさひかわ」に改称されました。
間違った呼称が使われるようになってから83年、これには旭川市の内外から歓迎の声が上がったそうです。
一方で新旭川駅は縮小の一途を辿り続け、1992年4月には簡易委託が終了し、1997年9月には日本製紙旭川工場専用線が廃止されるに至りました。
現在は旭川駅が管理する無人駅で、一応はJR貨物の駅としても機能し続けているのですが、臨時取扱駅となっており貨物列車の発着はありません。
住宅街に面した駅舎は堂々たる体躯の木造モルタル2階建てで、正面には長い庇が設けられています。
緑色のトタン屋根は高く、妻面の開口部から察するに屋根裏部屋があるみたいですね。
現在の姿からも最盛期の活気が思い起こされますが実はこれ、正面玄関を挟んで左半分(北側)が取り壊された姿。
昔は2倍の大きさだったというのですから凄いですね。
詳細な記録が残っていないようですが、国鉄時代は製紙工場以外にも油槽所や材木工場など、周辺の様々な会社に線路が延びていたという新旭川駅。
朝夕は通勤客で賑わい、貨物列車も多く発着するターミナル駅だったのでしょう。
無人駅ながら、軒下には飲み物の自動販売機が設置されています。
待合室の様子。
ストーブを囲むように椅子が配置されています。
出札窓口・手小荷物窓口は取り壊された駅舎の北半分にあったようで、左右の壁を見ても窓口を封鎖した痕跡がありません。
ホーム側から駅舎を眺めた様子。
駅前側にはありませんでしたが、こちらでは2階の窓が確認できます。
庇はやけに新しい金属製の物で、年季の入った木造駅舎には似合いませんね。
かつての改札口にラッチは残されておらず、代わりに車椅子用スロープが増設されています。
駅舎の南側にある事務室は、運転取扱いを担当する輸送係駅員が詰所として使用していたもの。
分割民営化から日本製紙旭川工場専用線が廃止されるまでの10年間は、JR貨物の社員が常駐していました。
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を組み合わせた複合配線。
島式ホームは外側から2番線・3番線、駅舎側の単式ホームは4番線です。
2番線の隣にある側線が1番線に当たり、他にも複数の貨物側線が敷かれているのですが、訪問当時は雪に埋もれていました。
乗り場は基本的に方面別で、2番線は石北本線上り列車(旭川方面)、3番線は宗谷本線上り列車(旭川方面)、4番線は宗谷本線下り列車(名寄・稚内方面)と石北本線下り列車(上川・北見・網走方面)が発着します。
各ホームとも全長は20m車3両分ほどで、旭川運転所の移転に伴い2003年5月に側線を除き交流電化されています。
宗谷本線・石北本線ともに停車する列車は普通列車のみです。
平日朝ラッシュ時の宗谷本線320D(名寄5:50始発・当駅7:26発・旭川行き)においては車掌が補助乗務に当たりますが、意外にも住宅街に位置する当駅では通常のワンマン運転同様、一番前のドアしか開閉されません。
比布駅や旭川四条駅では全ドア開扉になるんですけどね。
ホーム上には接近放送を流す構内自動放送装置が設けられています。
両ホームを繋ぐ跨線橋。
交流電化の際に建て替えられたのでしょうか、比較的新しいですね。
中に入るとより一層無機質な印象。
ここからは各番線の停止位置目標を見ていきましょう。
まずは2番線。
跨線橋の手前に上り列車1~3両編成用が設けられています。
ホームをはみ出した所には4・5両編成用と6・7両編成用も設置されています。
おそらくはダイヤ乱れの際に特急オホーツク・大雪が臨時停車する事を想定しているのでしょう。
2番線には下り列車の停止位置目標も設置されています。
1連、2連、3連と3箇所に分けて配置されていますね。
もっとも、活用される機会はごく稀でしょうけど・・・。
3番線の停止位置目標は跨線橋手前の上り列車用ただ一つ。
編成両数を問わずこの1箇所に統一されています。
4番線の停止位置目標は下り列車用のみで、1・2両編成用と3両編成用の2箇所に分けられています。
ホームに設けられた駅名板。
※写真は全て2017年3月10日撮影
(文・写真:叡電デナ22@札幌市在住)
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最終更新日 : 2019-07-02