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2017-01-30 (Mon) 19:21

石北本線遠軽駅 国鉄職員700名が勤務した要衝【後編】





前回に引き続き、遠軽駅を見ていきましょう。
構内は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の複合ホームで、待避線を含め2面2線の配線となっています。
駅舎側の単式ホームが1番のりばで、特急オホーツクと下り普通列車(生田原・北見・網走方面)が発着します。
島式ホームは2番のりば・3番のりばで、2番のりばには上り普通列車(白滝・上川・旭川方面)、3番のりばには下り普通列車の一部が発着します。
待避線は1番のりばと2番のりばの間にあり、運転取扱い上は待避線が2番線で、2番のりば・3番のりばの線路が3番線・4番線に該当します。
ホーム全長は20m車換算で1番のりばが10両分ほど、2番のりばが7両分ほど。
3番のりばは切欠き部分があるため、2番のりばより短い6両分程度です。
床面はほとんどアスファルト舗装で、先端部分のみコンクリート板が敷かれています。

JR北海道 国鉄 JR東日本 遠軽機関区 北見運転区遠軽派出所
JR北海道 国鉄 JR東日本 遠軽機関区 北見運転区遠軽派出所


ホームから駅舎を見た様子。
正面に負けず劣らず風格があります。





駅舎の庇は母屋を離れて跨線橋まで延びています。
単式ホーム・島式ホームともに雨除け屋根が長いので、列車待ちにはありがたいですね。

JR北海道 国鉄
JR北海道 国鉄


柱に据え付けられたノリホ入れとトークバック、発車ベルのスイッチ。
トークバックと発車ベルは立ち番の運転主任を配置していた名残ですね。
遠軽駅には現在も輸送係駅員が配置されていますが、事務所内での機器扱い・運転整理や構内作業が主となっており、ホームで出発指示を送る事は基本的にないようです。





前回記事で取り上げた北一そば店は当然、ホーム側にもカウンターを設けています。
ただ、プレハブ小屋まで雨除け屋根が延びていないため、雨天時の食事は大変そう・・・。





改札口の様子。
ドアの脇にはのりば案内操作器が設けられています。
これはホーム上にある電飾案内板のスイッチで、表示したい行先・乗り場のランプを点灯させるものです。
新得駅や留萌駅等の電飾案内板は事務室内にスイッチがあるようでしたが、遠軽駅ではホーム上にスイッチを設置しているんですね。
国鉄時代は立ち番の運転取扱い駅員が操作していたのでしょうか?





こちらがのりば案内の電飾看板。
よく見ると廃止された名寄本線の行先(紋別・名寄方面)と、0番のりば・1番のりばの表示欄が残されています。





ホームには0番のりば(0番線)の遺構も残されています。
1番のりばを北(旧・湧別方)へ進むと頭端式ホームの痕跡が確認できます。





0番線は3両分ほどの長さ。
国鉄末期~民営化初期にはこのホームから、タラコ色のキハ22系・キハ40系が紋別・名寄方面まで運転されていました。
線路が撤去された地面を見るとタイヤ痕があり、どうやら何らかの作業でJRの社用車が乗り入れる事があるようです。





そんな0番線の真向かいには、北見保線所遠軽保線管理室の社屋があります。





名寄本線の線路は300m強が留置線として残り、回送車の折り返しや夜間滞泊などに活用されています。
奥には車庫も設けられていますね。
ホームの先端から眺めると行き止まりが見えず、まるで何処までも続いているかのようです。
外国人観光客の来道が急増している昨今、せめて遠軽~紋別間が残っていれば流氷観光にも便利だったかも知れない・・・と考えてしまいますね。





1番のりばの跨線橋手前にはこんな電飾看板もあります。
「旭川・札幌・函館方面/北見・網走・釧路方面/の方はこの橋をお渡りください」と記されており、この看板もまた名寄本線があった頃の名残でしょうね。





跨線橋も駅舎並みに古いですが、壁材の更新や鉄骨による補強などのリフォームが施されています。
1番のりばには前後に階段が設けられていますが、北向きの階段は封鎖されています。





跨線橋は内部もリフォームされていますが、天井と床が妙にレトロな姿を保っています。





跨線橋からホームを俯瞰した様子。







島式ホームの北側には旧・輸送本部の社屋が残されています。
昔はこの建物が信号扱所として機能しており、輸送主任を含む輸送係駅員が信号管理や運転整理(遅延状況を見て列車の入線順序を変えたり、番線を入れ替える業務)などの業務を行っていました。
名寄本線が廃止された1989年5月以降も活用されましたが、1994年2月に信号取扱機器を母屋の事務室に移した事に伴い輸送本部としての役目を終えています。
ホーム上に設けられた輸送本部で現役のものは、道内ですと札幌駅5・6番線だけになっているようですね。

遠軽駅の旧・輸送本部は窓ガラス越しに照明が灯っている様子が確認でき、現在は乗務員の宿泊・休憩所や倉庫として活用されているようです。
2009年6月のSL常紋号運転日には、国鉄時代の写真やサボ等の展示を兼ねて屋内が公開されたそうです。





2・3番のりばの屋根下は照明が少なめです。





2・3番のりばの電飾案内板。
1番のりばの物とは表示が大きく異なりますね。
こちらも「紋別・名寄方面は0番線/紋別・名寄方面は1番線」と、名寄本線の表示欄が残されています。







3番のりば(4番線)の外側には更地が広がり、1本の留置線が敷かれています。
かつてはこの場所に遠軽機関区の扇形庫と事務所がありました。
前回記事でも触れましたが、遠軽機関区は1932年10月の石北線全通に伴い設置された現業機関です。
蒸気機関車に加えて1956年1月からは気動車が配置されていました。
最盛期の昭和40年代には区長・助役・機関士・気動車運転士・検修員など、約350名の職員が従事していたそうです。
遠軽町内の企業としては最大級の職場だったといいます。
乗務範囲は石北本線・名寄本線・湧網線・渚滑線・興浜南線の5路線、延べ472kmを誇りました。
それが国鉄末期には職員の異動により配置人員が激減。
同じ旭川鉄道管理局の稚内運転区・北見運転区に転属する人もいれば、現業職員が人員過剰とされた北海道・九州で実施されていた広域異動の募集に応じ、首都圏に異動しJR東日本に採用された人も多かったそうです。

遠軽機関区は1987年4月の分割民営化に伴い、北見運転区遠軽派出所に改組。
配置人員も10名足らずとなりました。
どうやら定年退職が近い運転士を中心に配置したそうですね。
JR北海道発足当初の定年は国鉄時代と同じ55歳で、国労とのイザコザを経て1990年4月に現行の60歳へと引き上げられています(※エルダー制度は65歳まで)。
1990年3月の職制改正により北見運転所遠軽派出所に改称され、1991年4月を以って廃止。
鉄道の町・遠軽の象徴であった運転職場が消滅する事になりました。





遠軽駅の近くには、遠軽町の地名の由来になった瞰望岩(がんぼういわ)が聳えています。
瞰望岩はアイヌ語でインカルシ(見張りをするところ)と呼ばれており、この土地のランドマーク的存在です。
その実態は標高78mの火山礫凝灰岩で、2011年2月には国指定名勝「ピリカノカ」(アイヌ語で“美しいかたち”)の構成資産に指定されました。
ほぼ垂直に切り立った岩壁の頂上からは、遠軽駅を含む市街地を一望する事ができます。


※写真は全て2016年9月8日撮影


(文・写真:叡電デナ22@札幌市在住)

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最終更新日 : 2019-07-02

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