タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

現在、札学鉄研OB会ブログから筆者投稿の記事を移転中です

Top Page › 北海道 › 石北本線遠軽駅 国鉄職員700名が勤務した要衝【前編】
2017-01-28 (Sat) 22:14

石北本線遠軽駅 国鉄職員700名が勤務した要衝【前編】



オホーツク管内は紋別郡遠軽町の市街地にある、JR北海道の遠軽(えんがる)駅。
国道242号線(置戸国道)から西へ200mほど逸れた高台の上に位置し、駅舎の手前には駐車場が広がっています。
かつては所属線の石北本線に加えて名寄本線が乗り入れ、遠軽機関区と北見客貨車区遠軽支区が隣接する重大な交通拠点でした。
遠軽駅構内には最盛期の昭和40年代、機関区・客貨車区・保線区(現・北見保線所遠軽保線管理室)を含めて700人もの国鉄職員が従事していました。
宗谷本線沿線の音威子府村は住民の3割を国鉄職員が占める事から「国鉄の村」と呼ばれていましたが、遠軽町も国鉄時代は駅前に宿舎が建ち並び「鉄道の町」と呼ばれる事もあったそうです。
どちらも林業が盛んという共通点がありますね・・・木材の運搬も鉄道の重大な使命でしたから、林業の町に大規模な鉄道現業機関が設けられるのは必然だったのでしょう。
名寄本線の廃止から30年近い月日が経った現在、残された石北本線の線路は駅の南方でY字に分岐しているため、遠軽駅は道内で数少ないスイッチバックの駅として知られています。
このY字分岐は石北本線が元々、当駅を境に別々の路線として敷設された名残です。

JR北海道 国鉄 貨物列車 JR貨物 夜行列車 西武鉄道 西武山口線
JR北海道 国鉄 貨物列車 JR貨物 夜行列車 西武鉄道 西武山口線


遠軽駅が開業したのは1915年11月。
国鉄湧別軽便線下生田原(現・安国)~社名淵(後の名寄本線開盛)間の延伸開業に伴い、一般駅として設置されました。
湧別軽便線はその名の通り、軽便鉄道法に基づいて敷設された路線であり、軌間もナローゲージ(762mm)でした。
しかし、1916年11月には社名淵~遠軽~留辺蘂間が1,067mmに改軌。
湧別軽便線は1922年9月、湧別線に改称されています。

1922年、政府が敷設予定だった石北線の工事延期を決定。
石北トンネル(上川~中越間)の建設費用が確保できなかった事によるそうです。
当時、遠軽~旭川間の旅客・貨物輸送は名寄線(湧別線中湧別駅で接続)を経由しなければならず、片道8時間を要していました。
輸送費もかさんで物価に影響が出ており、白滝村に至っては役場への用事や食糧・物資の調達に徒歩移動を強いられる状況が続いていました。
石北線が開通すれば旭川~遠軽間の移動時間が片道4時間になり、輸送費も大幅に削減できる見通しだったため、遠軽・丸瀬布・白滝の住民は石北線の建設を切望していました。
そのため、地元では石北線の早期敷設を求めるべく陳情団を結成。
1922年11月には陳情団53名が遠軽駅を出発し、札幌で道庁や関連団体等に陳情した後、東京へ移動し国会・政党本部・鉄道省等に陳情し続けました。
陳情団は「遠回りして運賃が加算された高い米は食べられない。カボチャや芋ばかり食べて凌いでいる私達の暮らしを知ってほしい」と訴えており、世間では“カボチャ団体の陳情”、“カボチャ陳情団”などと呼ばれていました。
やがて全国各地からも陳情団に対する激励が寄せられるようになり、政府も1925年9月に建設を認可。
1927年10月には石北東線丸瀬布~遠軽間が新規開業し、その後も全通に向けて工事が進められる事になりました。
この頃に先述したY字分岐が設けられています。

1931年4月には地元の手により、馬車鉄道の遠軽共同軌道が敷設されています。
当時は湧別川で木材の運搬が行われており、網場で陸揚げした木材を遠軽駅の裏手まで輸送していたそうです。
馬車鉄道が何時まで運行されていたのかは不明。
残念ながら詳細な資料が残っていないようですが、函館市中央図書館デジタル資料館が遠軽共同軌道の貴重な写真を公開しています。


丸瀬布森林公園いこいの森


1932年10月には念願の石北トンネルが開通。
これに伴い石北西線新旭川~中越間・石北東線中越~遠軽間・湧別線遠軽~野付牛(現・北見)間が編入され、石北線に改称されました。
湧別線下湧別~遠軽間も名寄本線に編入されています。
同時に遠軽機関庫が設置され、1936年9月の職制改正に伴い遠軽機関区に改称されました。
戦後の1950年2月には北見客貨車区遠軽支区が開設され、1967年10月にはコンテナ基地が設置されるなど、貨物輸送の増強が図られています。
しかし、他駅の例に漏れず国鉄末期の1984年2月に貨物取扱い、1985年3月に荷物取扱いが廃止されました。
この頃には北見客貨車区遠軽支区も廃止されたようです。

1987年4月の分割民営化に伴いJR北海道に継承され、同時に遠軽機関区が北見運転区遠軽派出所に改組・縮小されました。
名寄本線は1985年に第2次廃止対象特定地方交通線の追加承認を受け、民営化後は乗降が多い名寄~下川間・紋別~遠軽間の第三セクター化が検討されていました。
しかし、残念ながら1989年5月を以って全面廃止され、現在はバス事業者4社(名士バス・北紋バス・北海道北見バス・湧別町営バス)により代行バスが運行されています。
北見運転区遠軽派出所は1990年3月に北見運転所遠軽派出所へ改称された後、1991年4月に廃止されています。





現在の駅舎は1934年に改築された、屋根裏部屋付きの木造モルタル2階建て。
堂々たる姿に交通の要衝だった頃の雰囲気が感じられます。
屋根は緑色のトタン板を張っており、側面を見ると左右の傾斜を非対称にした招き屋根である事が分かります。
駅前には岩見通商店街、ゆうあい通りといった商店街が広がり、飲食店・居酒屋が軒を連ねています。
国道242号線に出ると北海道北見バスの遠軽バスターミナルがあり、国道沿いに北へ歩くとコープさっぽろプラザ店があります。
コープさっぽろプラザ店は札幌のルーシー店・ソシア店のような複合スーパーで、これら店舗と同様にファッション市場サンキや書店、100円ショップ等が入居しています。
人口の減少が進んでいるという遠軽町ですが、市街地の利便性は高いと思いますね。
南東には遠軽高校があり、中には美幌から特急オホーツクで通学する生徒も見られます。





駅前ロータリーから駅舎に上がる階段のうち、正面左側の階段には向日葵が描かれています。
遠軽町は向日葵を町の花に指定しています。
横の壁にもエゾヤマザクラが描かれていますね。





正面右側の階段には、これまた遠軽町を象徴する花・コスモスが描かれています。
これらの絵は町民の方々が手がけ、何年かに1度はお色直しをされているそうです。





正面玄関には木製の駅名看板が掲示されています。


夜行列車 駅そば


駅舎の脇にあるプレハブ小屋は、立ち食い蕎麦屋の北一そば店
店頭には特に明記されていませんが、営業時間は11:00~19:30で不定休だそうです。
夜行の特急オホーツク9・10号が運行されていた2008年3月以前は、停車時間に合わせて深夜0:00~1:00に営業していた事もあったのだとか。









コンコースの様子。
天井が高く開放感があります。
壁には2008年6月・2009年6月に遠軽~北見間で運行されたSL常紋号の写真が飾られています。
他にも、町内にある日本最大級のコスモス園「太陽の丘」や、雨宮21号・西武山口線5形などの蒸気機関車の動態・静態保存で知られる丸瀬布いこいの森のポスターが貼られています。





時刻表の隣に掲げられた遠軽駅開駅100周年の記念エンブレム。
100年目を迎えた2015年11月1日に設置されたものですね。





遠軽駅は社員配置駅(直営駅)で、駅長を筆頭に助役、営業係駅員、輸送係駅員(輸送主任・構内作業員など)が従事しています。
出札窓口(みどりの窓口)の営業時間は7:35~19:50。
窓口営業時間外は無人駅扱いになりますが、運転取扱い業務がある輸送係駅員は終日勤務です。
全体的にベテランの駅員が多いようですね。





改札口には1台のラッチが設置されています。
窓口側で改札業務を行う事が多く、ラッチがお飾り状態になりがちなJR北海道ですが、遠軽駅のラッチはしっかり活用されています。





特急停車駅ではあるものの電光掲示板が導入されておらず、改札案内は吊り板式の案内板で実施されています。
左端の空白欄は名寄本線廃止前にあった0番線の名残です。





自動券売機は1台のみの設置。
近距離での販売となっています。







待合室の様子。
ストーブを囲んで椅子が置かれており、部屋の奥にはトイレが設けられています。
なお、コンコース・待合室ともにコインロッカーはありません。





待合室にはキヨスクがあったのですが2015年11月を以って閉店となり、店舗跡は網走駅の如くブルーシートで覆われていました。
閉店から1年以上が経過した現在では、ここでの工事も終わっているのでしょうか?


次回はホームを見ていきましょう。
続きます。


※写真は全て2016年9月8日撮影


(文・写真:叡電デナ22@札幌市在住)

http://images.tetsudo.com/banner/banner_88_31_2.png 鉄道コムのブログランキングに参加中!バナーのクリックをお願い致します。
スポンサーサイト



最終更新日 : 2019-07-02

Comment







管理者にだけ表示を許可