後志管内は虻田郡ニセコ町の市街地にある、JR北海道のニセコ駅。
函館本線長万部~小樽間の通称「山線」に属しており、かつては特急北海や急行ニセコといった優等列車の停車駅でもありました。
標高1,308.2mのニセコアンヌプリがそびえ立ち、冬場は上質なパウダースノーに恵まれる道内有数のスキーリゾートであるニセコ町。
隣接する倶知安町、蘭越町と共に「ニセコ観光圏」を形成しており、2000年代からオーストラリアをはじめ欧米・アジア諸国からスキーヤーが大勢訪れるようになりました。
倶知安駅の記事でも触れましたが、ニセコ観光圏では外国人旅行者・滞在者の増加により別荘やホテル、商業施設の建設ラッシュが続き、地価上昇率も全国トップレベルとなっています。
また、冬以外の季節もカヌーやキャンプ、自然豊かな絶景を楽しもうと多くの観光客・登山客が訪れます。
加えてニセコ昆布温泉、ニセコ五色温泉郷と国民保養温泉地が2箇所あり、スイス有数の観光保養地に因んで「東洋のサンモリッツ」と呼ばれています。
ニセコ駅を利用する客も旅行者が多く、訪問当日も広島や大阪からいらした方々に記念撮影を頼まれたものです。
その一方で駅の南東にあるニセコ高校の生徒達も通学に利用しており、倶知安方面に通学する高校生の乗降も少なくありません。
JR北海道 国鉄 簡易軌道 殖民軌道 ナローゲージ 簡易委託駅 臨時列車
JR北海道 国鉄 簡易軌道 殖民軌道 ナローゲージ 簡易委託駅 臨時列車
ニセコ駅は1904年10月、私鉄の北海道鉄道が歌棄(現・熱郛)~小沢間の延伸開業に伴い一般駅として設置しました。
当初の駅名は真狩(まっかり)駅で、この名前を見て演歌歌手・細川たかしさんの出身地である虻田郡真狩村を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。
確かにニセコ町は1897年に設立された真狩村の一部だったのですが、当駅が開業する3年前の1901年には独立して狩太(かりぶと)村になっていました。
駅の所在地は真狩村から7km近く離れており、真狩駅を名乗るには不自然に遠かったのです。
流石に駅名が実際の立地にそぐわないと判断されたのでしょう、1906年12月には狩太駅に改称されています。
北海道鉄道は1907年7月に国有化されました。
1909年10月の国有鉄道線路名称制定に伴い官設線函館~旭川間が函館本線と名付けられ、倶知安駅も函館本線の所属となっています。
1936年1月、北海道庁により殖民軌道真狩線の真狩別~狩太間(総距離12.9km/軌間762mm)が敷設され開業。
真狩村の農作物や営農物資、旅客の輸送を目的とした路線でした。
当初は馬車鉄道でしたが、1938年にガソリン動力車が導入されています。
殖民軌道で狩太駅まで運搬された農作物は、駅前に現存する石造りの中央倉庫に集約された後、国鉄の貨車に載せ変えられて日本全国に発送されていました。
しかし、戦後は台頭してきたトラック輸送に歯が立たなかったようで、具体的な時期は不明ですが少なくとも1954年には廃止されています。
1963年7月、ニセコアンヌプリを含むニセコ連峰が「ニセコ積丹小樽海岸国定公園」に指定されました。
これを受けて地元では、ニセコの玄関口たる狩太駅をニセコ駅に改称しようという運動が起こり、当時の狩太町が国鉄当局に働きかけました。
しかし、国鉄は「駅名は地名とするべき」として要求を拒否。
すると話は町名の変更にまで発展し、1964年10月に狩太町がニセコ町に改称されました。
これには国鉄当局も地元の要求を受けざるを得なくなり、1968年4月に(仕事が遅い気がしますが)狩太駅がニセコ駅に改称される運びとなりました。
改称運動に前後し町内ではスキー場の開設が相次ぎ、昭和50年代のスキーブームに繋がっていきました。
その一方で1971年3月には過疎地域市町村に指定され、1974年9月にはニセコ駅の貨物取扱いが廃止されてしまいます。
荷物取扱いも1984年2月に廃止され、同年3月には簡易委託化。
駅員に代わって出札業務をニセコ町観光協会が受託するようになりました。
ただし、当駅は単線区間の交換駅であるため、電子閉塞化される1986年11月までの間はタブレット閉塞を取扱う運転主任(民営化後の輸送主任)が業務を続けたものと思われます。
1987年4月の分割民営化に伴いJR北海道に継承され、現在は倶知安駅が管理する簡易委託駅となっています。
簡易委託業者のニセコ町観光協会は2003年9月、ニセコ町とニセコ町民が50%ずつ出資し観光協会としては全国初の株式会社であるニセコリゾート観光協会に転身しています。
現在の駅舎は1966年10月に建て替えられたブロック造りの2階建て。
当初のエクステリアは趣きが大きく異なり、上半分が一面真っ白、下半分は左側が黄土色、右側が黒のタイル張りといったものでした。
民営化後の1988年12月にリフォーム工事を受け、ヨーロッパの山荘を彷彿とさせる現在の姿になりました。
正面玄関の尖塔もリフォーム工事の際に増設されたもので、この部分を除いた招き屋根に最初期の姿の面影が感じられます。
駅前広場では町内の有志団体「コロボウシとカボチャの物語」実行委員会によって、2008年から毎年9~10月にハロウィンカボチャを大量に置く取り組みが続けられています。
使用されるカボチャは地元の農家が生産しており、「ニセコ町をカボチャで賑やかにしよう」という想いが込められています。
この取り組みは口コミで話題になり、ニセコ駅を訪れる多くの観光客を楽しませています。
「コロボウシとカボチャの物語」はニセコ町民をはじめ、子供からお年寄りまで幅広い人達が参加しているプロジェクト。
ハロウィンカボチャには参加者が思い思いに落書きをしています。
玄関脇まで大小様々なカボチャで彩られています。
中にはニセコ駅の駅舎が描かれたカボチャも。
柵の上までカボチャが並べられている様は壮観ですね。
駅前広場の西側には馬車があり、木馬が繋がれています。
ハロウィン期間中は木馬もカボチャと戯れます。
馬車の幌には「kirabasha」と書かれていますが、これは駅前通の綺羅街道に由来するのでしょう。
馬車の側面には何と!
今は無き急行ニセコのサボが掲出されていました。
そんな馬車のすぐそばに建つ山小屋風の建物は、ニセコを流れる尻別川でラフティングツアーを開催しているアウトドア企業の北海道ライオンアドベンチャー。
ツアー参加者はここからワゴン車に乗って尻別川へ移動し、ゴムボートに乗って大自然を満喫します。
駅コンコースの様子。
広いという訳ではありませんが、天井が高く開放感があります。
無料配布の観光パンフレット類とコインロッカーが設けられています。
もはや冬でなくとも置かれているクリスマスツリーは、ハロウィンのメッセージカードで埋め尽くされていました。
ニセコリゾート観光協会に簡易委託されている出札窓口は、7:10~17:10の営業。
切符の販売は基本的に係員1名で対応しているようです。
出札窓口の左隣にはかつての手小荷物窓口があり、普段はブラインドが下ろされています。
出札窓口では直営駅や業務委託駅さながらに、掛札による発車案内が実施されます。
基本ワンオペの窓口業務ゆえ11:30~12:30には昼食休憩に入り、受付が中断されてしまいます。
昼休み中は代理の連絡先が示され、運行に関する問い合わせは倶知安駅、観光案内はニセコリゾート観光協会の電話窓口に指定されています。
正面玄関の頭上には「ENJOY NISEKO ようこそニセコへ」と書かれたモノクロのステンドグラスがあります。
スノーボーダー、ラフティングのゴムボート、狐や野うさぎなどの野生動物、ニセコ乗馬ビレッジの馬・・・といった具合にニセコ観光に因んだ絵柄が面白いですね。
簡易委託駅ではあるものの観光客に配慮し、デジタルサイネージが導入されています。
道内各方面の列車運行情報に加え、ニセコ近郊の観光情報が表示されるようになっています。
このデジタルサイネージはJR北海道が導入したものではなく、ニセコ町がIT企業のシスコシステムズへ独自に発注し開発したものです。
駅事務室の脇には「茶房ヌプリ」という喫茶店が入居しています。
ヌプリとはアイヌ語で山という意味の単語ですね。
営業時間は11:00~19:00で、定休日は個人経営の飲食店にありがちな毎週水曜日です。
壮年男性お2人で切り盛りされています。
このお店は何といってもオリジナルカレーに定評があります。
黒いカレーソースは香り高く、独特のほろ苦い味わいがグッド。
少量のサワークリームも良いアクセントになっています。
訪問当日はハンバーグカレーを頂きました。
待合室は茶房ヌプリの真向かいにあります。
室内にはニセコ観光案内所が設けられています。
営業時間は8:00~17:00。
出札窓口と同じくニセコリゾート観光協会が運営していますが、切符の取扱いは担当外なのでご注意を。
単式ホームと島式ホームを組み合わせた、2面3線の国鉄型配線。
駅舎側の単式ホームが1番線で、基本的に上り列車(長万部方面)が発着します。
島式ホームは内側から2番線・3番線で、どちらも下り列車(倶知安・小樽・札幌方面)が発着します。
ただし、3番線は長万部方が本線と繋がっておらず、臨時列車の折り返し程度でしか使用されません。
全長は20m車換算で1番線が7~8両分ほど、2番線が6両分ほど、3番線が4両分ほどです。
滅多に使用されない3番線。
車止めは非常に頼りない見た目で、レールともども蔦で覆われていました。
ホーム側から駅舎を見た様子。
こちらはリフォーム前の雰囲気が色濃く残っています。
かつては駅前側もホーム側の壁に準じた配色でした。
改札口には簡易的な柵のラッチが残されています。
直営駅時代はここで駅員が改札業務に当たっていました。
簡易委託化された現在では運行上は無人駅扱いとなり、ワンマン列車も1番前のドアしか開きません。
改札口の手前には、小樽駅や倶知安駅にもある「むかい鐘」が設置されています。
しかし盗難にでも遭ったのでしょうか、6個あった鐘のうち1個がなくなっています。
単式ホームと島式ホームを繋ぐ跨線橋。
通路にはニセコ観光をPRする絵が飾られています。
構内西側には転車台があります。
これは小樽~倶知安間で運行されていたC62ニセコ号が、1990年5月よりニセコ駅まで運転区間が延長される事を受けて設置されたもの。
元は根室本線の運行拠点だった新得機関区で使用されていました。
C62ニセコ号はSLニセコ号の前身に当たる列車で、民間団体の北海道鉄道文化協議会が運転資金をまかない、車内清掃や旅客案内のボランティアをする等して運行された保存列車でした。
しかし、全検および運行に必要な資金の確保がままならなくなり、1995年11月を以って廃止。
バブル崩壊の煽りを受けてスポンサーが集まらなくなった事が原因だったようで、北海道鉄道文化協議会も廃止後に解散しています。
その後は本線との分岐器が撤去されて長らく放置されてきた転車台ですが、近年では有島記念館の主導により保存活動が行われています。
思えば難所・狩勝峠に挑む新得機関区を支えていたこの転車台、往事を伝える貴重な遺産として末永く残ってほしいものです。
※写真は全て2016年10月10日撮影
(文・写真:叡電デナ22@札幌市在住)
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最終更新日 : 2019-07-02