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2016-08-01 (Mon) 22:29

幌内線幾春別駅跡 北海盆唄発祥の地たる廃坑の町



空知管内は三笠市幾春別町にあった、JR北海道の幾春別(いくしゅんべつ)駅。
かつて幌内線の駅だった場所から北へ行くと、旧・住友奔別炭鉱の立派な立坑櫓が残されています。
ここは先日、三笠アドベンチャートレインが開業した旧・幌内炭鉱と同様、三笠ジオパークの一部。
その中でも、幾春別・奔別(ぽんべつ)エリアに該当します。
奔別炭鉱は1900年に奈良炭鉱として開鉱し、1928年になると住友唐松炭鉱を経営していた住友坂炭(現・住石マテリアルズ)に売却され、1930年に住友奔別炭鉱として操業を開始しました。
ちなみに前回記事でも触れたとおり、住友坂炭砿は国鉄に幌内線への新駅設置を請願し、1929年に唐松駅の開業に漕ぎ着けています。

JR北海道 JR貨物 国鉄 廃線跡 幌内線 北炭 北海道炭礦汽船 三笠鉄道記念館
JR北海道 JR貨物 国鉄 廃線跡 幌内線 北炭 北海道炭礦汽船 三笠鉄道村


住友奔別炭鉱の立坑櫓は、深部採炭の開発や運搬の合理化などを目的として1959年に完成、1960年10月に操業。
櫓の高さ51m、深さ735m、内径6mという規模で、当時は東洋一の立て坑と呼ばれていたそうです。
しかし、新設備の輝かしい評価に反して住友奔別炭鉱は苦境を強いられるようになり、僅か11年後の1971年を以って閉山となってしまいました。
現在も私有地のため、敷地内への立ち入りは固く禁じられていますが、道道116号線からも勇壮な立坑櫓を眺める事ができ、往事の隆盛を今に伝えています。

JR北海道 JR貨物 国鉄 廃線跡 幌内線 北炭 北海道炭礦汽船 三笠鉄道記念館
JR北海道 JR貨物 国鉄 廃線跡 幌内線 北炭 北海道炭礦汽船 三笠鉄道村


さて、本題に移りましょう。
幾春別駅は1888年12月、北海道初の鉄道会社である官営幌内鉄道が幌内太(三笠)以東へ延伸した際、終着駅(一般駅)として開業しました。
その2年前の1886年に幾春別炭鉱が開鉱しており、延伸開業は幾春別から採掘された石炭の搬出を目的としたものでした。
開業当時の駅名は郁春別駅で、翌1889年5月に幾春別駅へと改称されました。
同年12月には官営幌内鉄道が北海道炭礦鉄道に移管され、その直後に北炭幾春別炭砿が操業を開始。
駅の周辺には数多くの炭鉱住宅が建ち並ぶようになり、最盛期には15,000人もの住民が暮らしていたそうです。

JR北海道 JR貨物 国鉄 廃線跡 幌内線 北炭 北海道炭礦汽船 三笠鉄道記念館
JR北海道 JR貨物 国鉄 廃線跡 幌内線 北炭 北海道炭礦汽船 三笠鉄道村


北海道炭礦鉄道の岩見沢~幾春別間・幌内太~幌内間は1906年10月に国有化され、1909年10月より幌内線と名付けられました。
幾春別駅から各炭坑へも専用線が敷設されましたが、1957年に幾春別炭鉱が閉山になってしまいます。
そして、先述したとおり1971年10月には住友奔別炭鉱も閉山となり、炭鉱町は活気を失っていきます。
国鉄末期の1981年5月には貨物取扱い、1984年2月には荷物取扱いが廃止されて業務委託化。
1987年4月の分割民営化に伴いJR北海道に継承されるも、同年7月の幌内線廃止に伴い役目を終えました。
現在、駅舎や線路などの鉄道施設は残されておらず、跡地には1989年に建立された記念碑が立っています。

JR北海道 JR貨物 国鉄 廃線跡 幌内線 北炭 北海道炭礦汽船 三笠鉄道記念館
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単式ホーム1面1線に加え、5~6本程度の仕分線や引込み線、転車台などを有していたという幾春別駅。
かつて駅構内だった場所には、北海道中央バス三笠線の幾春別町バス停が設けられています。
訪問時点では、岩見沢営業所の札幌200か1216(三菱ふそうエアロミディ/2004年式)が出発の時を待っていました。
広大なロータリーに1本だけバス停標識が置かれており、かなり面積を持て余していますね。





ログハウス風のバス待合所。
中にトイレがあるため、クルマで富良野方面に向かう観光客が休憩に利用する事が多いですね。
なので意外に人気が感じられます。





待合所の裏手から、かつて幾春別炭鉱があった東方を望む。
専用線が延びていた場所には郵便局が建っています。





ちなみに幾春別は、北海道における盆踊りの定番である民謡「北海盆唄」が生まれた町です。
元々は新潟から入植した炭鉱夫達が、卑猥な歌詞を載せて歌った「べっちょ節」という楽曲で、明治~昭和初期には三笠のみならず、道内各地で同じようなエログロな唄が歌われていたそうです。
ターニングポイントは太平洋戦争直後の1940年。
札幌の民謡家・今井篁山が幾春別を訪問した折に「べっちょ節」の踊りを見て感銘を受けました。
今井氏はこれを広く普及させようと卑猥な歌詞を刷新し、メロディにも多少のアレンジを加えて現在の形となる「北海盆唄」にしました。
「北海盆唄」は終戦後の1946年、札幌市豊平川沿いの盆踊りで初めて唄われたといい、後に北海道上磯町(現・北斗市)出身の大歌手・三橋美智也の歌唱によりレコード化されています。
三笠市役所も地元が北海盆唄発祥の地である事を強く意識しており、毎年8月14~15日に三笠市中央公園で「三笠北海盆踊り」を開催しています。
筑豊炭田の「炭坑節」に代表されるように、炭鉱と盆踊りの繋がりの深さは日本各地で見られるそうで、大変興味深いものですね。


※写真は全て2016年7月23日撮影


(文・写真:叡電デナ22@札幌市在住)

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最終更新日 : 2019-07-02

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