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2024-02-04 (Sun) 17:00

志度線琴電屋島駅[1] 江戸時代まで文字通りの「島」だった台地

琴電屋島駅a01

香川県は高松市屋島中町270-1にある、高松琴平電気鉄道の琴電屋島(ことでんやしま)駅。
地名の「屋島」とは元々、駅の北側に広がる卓状台地を指す名称です。
その名の通り大昔は瀬戸内海に浮かぶ「島」で、まっ平らな山頂から麓に向かって傾斜した姿が屋根に似ています。

平安時代の屋島には「屋嶋城(やしまのき)」という平家の城砦があり、瀬戸内海の制海権を握る上で重要な軍事拠点だったといいます。
1185年3月22日(旧暦:元暦2年・寿永4年2月19日)には源義経が平家追討のため屋島に至り、源平合戦の一つである「屋島の戦い」が勃発しました。
この時、屋島の平家約3000人に対し義経らは僅か150でしたが、近隣の民家に火を放ち大軍を率いているように見せかける事に成功。
平家はたちまち海に逃げ出し、屋島を放棄してしまいました。

屋島が「島」から「陸続き」になったのは江戸時代の事。
大規模な塩田開発が屋島への手入れに繋がり、新田開発のため埋立工事が実施されました。
現在の屋島には四国八十八ヶ所の第84番札所「屋島寺」をはじめ、新屋島水族館、屋島少年自然の家、展望台などの施設が集まっています。
駅周辺は住宅街となっており、線路沿いでは丸亀発祥の名店「骨付鳥一鶴 屋島店」が営業中です。


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琴電屋島駅a02

ここからは琴電屋島駅の大まかな歴史を辿っていきましょう。
志度線のルーツは1906年11月22日、讃岐電気鉄道㈱による丸亀~高松~志度間の敷設認可の申請まで遡ります。
しかし大部分が国鉄讃岐線(現:JR四国予讃線)と並行するため認可されず、仕方がないので並行しない東半分の敷設を目指したのです。

1908年11月4日に社名を高松電気軌道㈱に改め、高松~志度間の電気軌道敷設と旅客貨物営業の認可申請を行なったところ、翌1909年6月8日付で特許状と命令書が交付されました。
ところが会社設立の直前になって、県内に同じ社名で軌道敷設の特許を受けた会社(長尾線の前身)があると判明したため、同年9月1日付で東讃電気軌道㈱への社名変更願を提出しています。
そして東讃電気軌道は1911年11月18日、今橋~志度間の新規開業に漕ぎ着けました。
開業当初の琴電屋島駅は「屋島駅」という名称で、現在地より約380m西側にありました。

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 明治44年秋には、今橋・志度間の線路の敷設が完成し、今橋以西も半分が終って、発電施設もほぼ完成したので、営業規程の認可を申請するとともに従事員教習所を設けて、運転士、車掌の養成に当るなど営業開始の準備をした。
 今橋以東の工事を予定の44年中に完成させるため、昼夜兼行で工事を急いだところ工事は意外にはかどったので、同年11月18日今橋・志度間7.56哩(12.1km)を開業した。当日は関係者多数を招待して開業式を行ない全線に電飾車を走らせた。
 開通当時は珍しいもの見たさの人たちが乗車して盛況であった。当時の運賃は1区3銭で今橋・志度間は通行税を加えて19銭であった。当時今橋・志度間には乗合馬車が走っており、しばらく競争していたが電車に対抗する手段もなく間もなく廃止された。

《出典》
高松琴平電気鉄道株式会社社史編さん室(1970)『60年のあゆみ』(高松琴平電気鉄道)p.p.28,29
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木造駅舎 木造モルタル造り レトロ駅舎
琴電屋島駅a03

東讃電気軌道は1912年6月27日の臨時株主総会で、香川水力㈱から電力事業経営権を譲り受ける事を決定しました。
香東川の水を利用し安原村に水力発電所を設け、香川郡・高松市に電力を供給したのですが、増収にはいまひとつだったらしく1913年6月12日付で四国水力電気㈱に事業譲渡しています。
以降、東讃電気軌道は四国水力電気から電力供給を受ける事となり、1916年12月25日にはとうとう吸収合併されました。

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 前述のように、当社はその発展のために全力を尽くしたが、創立早々の重役関係の不祥事によって受けた打撃を容易に回復できず、また第一次世界大戦勃発による経済界の一時的混乱もあって経営はますます困難となった。
 そこで電力の受給そのほかで深い関係のあった四国水力に合併することがこの際最も得策であると認め、交渉の結果、東讃電気軌道株式2万株(払込100万円)に対して、四国水力4千株(払込20万円)を交付するとの条件、すなわち5対1の割合で合併することとなった。
 大正5年8月19日会社合併仮契約を取りかわし同年9月5日の臨時株主総会で四国水力との合併を満場一致で可決した。同年12月25日合併手続を完了したので、翌日から四国水力の電車部門として新たに発足することになった。

《出典》
高松琴平電気鉄道株式会社社史編さん室(1970)『60年のあゆみ』(高松琴平電気鉄道)p.p.31,32
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木造駅舎 木造モルタル造り レトロ駅舎
琴電屋島駅a04

1925年8月1日、国鉄が高徳線高松~志度間を延伸開業しました。
当該区間は志度線と並行しており、中間には「屋島駅」を開設しています。
すると高徳線・志度線の両方に「屋島駅」が存在する事になる訳ですが、両者は約870mも離れており旅客の混乱を招きかねませんでした。
そのため国鉄は四国水力電気に対し駅名の改称を要請し、同日付で志度線の屋島駅が「屋島登山口駅」に改称しています。
この駅名は国鉄屋島駅に比べて屋島の登山口に近かった事に由来します。

1929年4月21日、屋島登山鉄道㈱が屋島登山口~屋島山上間(屋島ケーブル)を開業。
背景には国鉄や商船会社のPRによる観光客の増加があったそうです。
四国水力電気も屋島ケーブルとの接続を図るべく、同日付で屋島登山口駅を約380m東の現在地に移転しました。
琴電の社史『80年のあゆみ』(1989)によると、移転前の駅については「屋島グランド前駅」に改称し、1932年12月まで存続したそうです。
「屋島グランド前」という名称は香川県立屋島陸上競技場(現:屋島レクザムフィールド)の最寄だった事に由来します。

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 屋島山ろくは源平の古戦場であり、山上には四国88ヵ所霊場の84番の札所屋島寺があり、瀬戸内海随一の展望台でもあるので、ここに登山鉄道を建設して、旅客の便宜を図ることはかねてから交通業者の念願であった。昭和2年3月景山熊造らによって屋島登山鉄道株式会社が設立され、翌3年2月から四国水力が機械電気の技術面を担当して工事を進め、同4年4月21日にケーブルカーの営業をはじめた。
 このころから国鉄および大阪商船会社などの全国的な組織網によって、讃岐路の紹介が行なわれて屋島、栗林公園、琴平を訪れる旅客がしだいに増加した。そこで四国水力、琴平電鉄、屋島登山鉄道の3社が協議して連絡乗車券を販売して旅客の便を図るとともに、県外に社員を派遣して誘致宣伝に努めた。
 ケーブル開通後屋島登山客は年々増加し、毎年山上で盆踊大会など各種の行事も行なわれ、電車収入にも大いにプラスしていた。しかしその後屋島登山鉄道は戦時統制の要請によって、昭和19年その設備を撤去して運転を休止した。

《出典》
高松琴平電気鉄道株式会社社史編さん室(1970)『60年のあゆみ』(高松琴平電気鉄道)p.41
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木造駅舎 木造モルタル造り レトロ駅舎
琴電屋島駅a05

1937年7月7日、北京で盧溝橋事件が勃発。
ここに日中戦争の火蓋が切られ、政府は翌1938年4月1日に国家総動員法を公布しました。
同年12月12日に電力国策要綱が決定し、1938年3月26日には電力管理法と日本発送電株式会社法も成立。
すると四国水力電気も電力統制の対象となり1942年3月31日、水力発電所3ヶ所・火力発電所1ヶ所と附属する送電線を日本発送電㈱に出資しています。

また、1941年8月30日には配電統制令も公布されたため、自社所有の送電線・配電線・屋内電気工作物および電気関係営業設備を全て、1942年4月1日設立の四国配電㈱へ出資する事となりました。
こうして四国水力の事業は鉄道とガスを残すのみとなりましたが、これらにも交通事業調整法とガス事業統制の矛先が向いたため、別個に経営した方が得策との結論に至りました。
そして1942年4月30日、鉄道事業とガス事業を切り離して讃岐電鉄㈱が発足しました。

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 昭和17年3月17日讃岐電鉄株式会社設立の認可を得て、四国水力と高松乗合(営業路線出晴・長尾間、出晴・西植田間)の両会社から現物出資をうけ、同年4月30日資本金180万円をもって創立業務を開始した。創立当時の役員は次のとおりである。

取締役社長  田中 隆
取締役  武田 謙  鎌田 栄  合田 健吉  景山 薫
監査役  塩田 忠左衛門  鎌田 憲夫

《出典》
高松琴平電気鉄道株式会社社史編さん室(1970)『60年のあゆみ』(高松琴平電気鉄道)p.p.45,46
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木造駅舎 木造モルタル造り レトロ駅舎
琴電屋島駅a06

一方、政府は1940年1月31日、国家総動員法第8条に基づき陸運統制令を公布。
すると全国各地で鉄道会社・バス会社の戦時統合が起こりました。
讃岐電鉄も国策に従い1943年11月1日、琴平電鉄、高松電気軌道の2社と合併して高松琴平電気鉄道㈱に生まれ変わっています。
もちろん屋島登山口駅も新会社に引き継がれました。
なお、屋島登山鉄道は不要不急線に指定されてしまい、1944年2月10日より営業休止となりました。

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 当時は軍需工場の勤務者や軍関係の乗客の増加によって、当社の運輸収入は飛躍的に増加し、経営状態は好転しつつあった。
 昭和16年4月以降は政府補助金の交付をうけなくても、年2分程度の配当金支払が可能となり、昭和18年4月期においては借入金を完済するに至ったのである。しかし一方戦局の進展によって、交通統制の国策に沿う企業統合が当局からいっそう強く要請されたため、香川県東部においては、琴平電鉄を主体として讃岐電鉄、高松電気軌道の3社を統合して、新たに高松琴平電気鉄道株式会社を設立することとなり、同年10月12日千代田生命ビルで、当時の株主636名中354名が出席して、臨時株主総会を開催し、新会社の設立発起人となることならびに当社の運輸事業と、その付属財産を現物出資することに関する誓約書承認の件を決議した。

《出典》
高松琴平電気鉄道株式会社社史編さん室(1970)『60年のあゆみ』(高松琴平電気鉄道)p.90
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木造駅舎 木造モルタル造り レトロ駅舎
琴電屋島駅a07

終戦後、屋島登山鉄道は琴電のグループ会社として復活する事となり、1949年7月7日にはGHQから復活工事施工の許可を受けました。
工事は玉藻建設㈱が請け負い、1950年4月16日に6年越しの営業再開を遂げています。
これに伴い屋島登山口駅は「琴電屋島駅」に改称しました。

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 太平洋戦争のため施設、車両を撤去売却して、19年2月10日から営業を休止していた屋島ケーブルを当社の傍系会社として復活することとなり、24年7月7日米国駐留軍(GHQ)から復活工事施工の許可を受けた。同年8月2日起工式をあげ、玉藻建設㈱に請負わせて直ちに着工した。春の観光シーズンを目標に突貫工事をつづけ、翌25年3月末に完工した。
 車両は日立製作所製64人乗り2両で、観光屋島にマッチした美しい朱色の車体であった。同年4月16日実に6年ぶりに、待望の運転を再開した。
 開業に先だって15日午後1次から四国民事部長官代理セチンカー中佐、増原香川県知事、国東高松市長など来賓を迎え屋島登山鉄道の大西禎夫社長ほか工事関係者が参列して華々しく開通式を行なった。
 軌道全長815mでケーブルカーの運転所要時分は5分、運賃は上り35円下り30円、往復60円であった。戦後の観光ブームにともない乗客は急激に増加した。毎年当社とタイアップして新春の初詣、夏は山上の納涼大会などを催して乗客の誘致につとめた。

《出典》
高松琴平電気鉄道株式会社社史編さん室(1970)『60年のあゆみ』(高松琴平電気鉄道)p.p.155,156
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木造駅舎 木造モルタル造り レトロ駅舎
琴電屋島駅a08

琴電は1953年10月20日、ダイヤ改正に伴い琴平線築港~栗林公園間を自動閉塞化。
四国の鉄道としては最初の自動信号となり、これを皮切りに3路線の自動閉塞化を推進していきました。
志度線では長らく票券閉塞を施行してきましたが、1963年9月3日に今橋~春日川間を単線自動閉塞化。
屋島関連では1964年12月23日、春日川~琴電屋島間を単線自動閉塞化しています。
更に1969年10月28日、残る琴電屋島~琴電志度間の単線自動閉塞化を果たしました。
これと引き換えに琴電屋島駅は票券閉塞の取扱いを終了しています。

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 当時の信号保安装置は琴平線タブレット閉塞式(瓦町・琴平間)、築港線(瓦町・築港間)双信閉塞式(複線)、長尾、志度線はともに票券閉塞式を採用していた。28年10月に当地で第8回国民体育大会が開催されたので、かねて計画していた志度線の築港乗り入れを実現した。これによって築港線は琴平線、志度線の単線並列運転となったので、この間の保安を重視して、最も保安度の高い単線自動閉塞装置の工事を行なった。
 これは当時四国で最初の自動信号であったので注目された。なおその後は全線にわたって順次自動閉塞方式を採用することとなった。

《出典》
高松琴平電気鉄道株式会社社史編さん室(1970)『60年のあゆみ』(高松琴平電気鉄道)p.172
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 長尾線にあった川島口駅は勾配と曲線にかかり、立地条件が悪く連結運転に支障があったので、44年4月6日駅を廃止した。これに伴い車両の増結、スピードアップが可能となったので長尾線全線の運行ダイヤを改正して乗客の便宜を図った。また志度線についても国道11号線の交通緩和のため志度線に並行して高松北バイパス道路が新設されることとなり、この計画により琴電屋島・古高松間の約920mの線路移設工事が同年10月2日に完了した。ついで琴電屋島・琴電志度間の運行ダイヤを改正し、最高8分のスピードアップを図ることができた。

《出典》
高松琴平電気鉄道株式会社社史編さん室(1970)『60年のあゆみ』(高松琴平電気鉄道)p.p.233,234
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駅名板 駅名標
琴電屋島駅a09

1977年8月16日、琴電は全駅に特殊信号発行機、出発反応灯を設置。
その後も琴電屋島駅では施設改良を重ね、1981年には上りホームを47m延長し、1983年にはホーム全体の嵩上げ、1986年には上屋の増築を行ないました。

琴電は1991年11月に「コトデンそごう」を設立するも、郊外型ショッピングセンターとの競争に敗北を喫しました。
その莫大な債務に押しつぶされ、琴電は2001年12月7日に民事再生法適用を申請しました。
経営再建のため2003年11月24日には全線をCTC化。
更に2005年4月1日、琴電屋島駅を無人化しています。

一方、屋島登山鉄道は琴電グループの中でも特に経営不振が深刻で、2004年10月12日付で高松地方裁判所に準自己破産申請を行ないました。
同月15日よりケーブルカーの運行を停止し、2005年8月31日付で正式に廃止となりました。
負債総額は約9億円で、残務整理により2006年7月20日に解散しています。


木造駅舎 木造モルタル造り レトロ駅舎
琴電屋島駅a10

現在の駅舎は1929年の移転に伴い新築された2代目。
左右対称の木造モルタル建築で、勾配の急なスレート葺きの寄棟造です。
大正浪漫を感じる洋風の平屋で、各面には縦長の窓を2ヶ所ずつ配置しています。



琴電屋島駅a11

駅舎の西側には降車専用の集札口があります。
現在は封鎖されていますが、瓦屋根を葺いた上屋に往時の面影を残しています。


木造駅舎 待合室
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木造駅舎 待合室
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木造駅舎 待合室
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木造駅舎 待合室
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木造駅舎 待合室
琴電屋島駅a15
木造駅舎 待合室
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待合室の様子。
天井が高く開放感のある空間です。
ベンチは背中合わせに座るタイプと、背もたれの無いタイプを配置しています。



琴電屋島駅a26

天井にはシャンデリアを2つ設置しています。


ことでん 改札口 出札窓口
琴電屋島駅a17

改札口と出札窓口の様子。
改札口にはICカードリーダーを備えていますが、自動改札機はありません。
出札窓口は内側から板で塞いでおり、窓ガラスが有人駅時代の姿を保っています。



琴電屋島駅a18

自動券売機は2台分の枠を設けていますが、実際に稼働しているのは1台だけです。
現在の琴電屋島駅は鉄道事業本部運輸サービス部運転営業所が管轄する無人駅で、ALSOKが駅構内の機械警備を受注しています。



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出札窓口の頭上には「ことでんスタンプラリー」のロゴを貼っています。



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改札口の頭上には電飾式の発車標を備えています。



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発車標の左隣には「近代化産業遺産」の銘板が1枚。



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改札口脇の精算所にも認定証を掲げています。
琴電屋島駅の木造駅舎は2009年2月23日、経済産業省から近代化産業遺産の認定を受けました。
認定証には時の経済産業大臣・二階敏博さんの記名があります。

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 現在の駅舎は、昭和4年(1929)屋島登山鉄道の開業時に建てられました。
 軒の出が浅い緩勾配のスレート屋根や、平面の凹凸を抑えた外壁が平明でグラフィカルな外観を構成しており、すっきりとあか抜けしている住宅をイメージさせるモダンデザインの駅舎は、屋島観光を支えた昭和初期の大衆文化を反映しています。
平成21年2月現在 築80年
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待合室の掲示板には「お詫び」と題した貼り紙がありました。
これによると琴電屋島駅では2023年4月13日から、踏切施設の改良工事に伴う電車の速度制限を実施していた事が分かります。
この速度制限は4月16日、改良工事の竣工によって解除されたといいますが、2日間に渡り遅延等が発生したため旅客に対し謝罪文を出したという訳ですね。



琴電屋島駅a24

長くなったので今回はここまで。


※写真は全て2023年5月3日撮影
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最終更新日 : 2024-02-06

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