タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2024-01-14 (Sun) 17:00

大導寺境内にある苗穂工場の「製罐職場殉職病没者碑」

苗穂大導寺a01

石狩管内は札幌市東区苗穂町2丁目2-3にある、浄土真宗大谷派の大導寺(だいどうじ)。
苗穂駅南口から平和通、苗穂・丘珠通りを経由し、東へ徒歩14分の立地です。
寺の付近にはJR北海道の苗穂運転所と苗穂工場、北海道を代表する醤油・味噌メーカーの福山醸造㈱本社があります。

札幌市教育委員会文化資料室が編纂した書籍『さっぽろ文庫39 札幌の寺社』(1986)によると、大導寺のルーツは北海道寺務出張所が免囚保護事業の一環として設けた「北海道授産所」にあります。
この授産所は1910年の開設で、出獄者の更生保護(社会復帰・再犯防止の援護)に当たっていました。
『新札幌市史 第4巻 通史4』(1997)にも授産所に関する記述があり、これによると授産所に製造部・農業部の2部門を置き、製造部は蝋燭の製造、農業部は厚別での開墾事業に取り組んだといいます。


仏教寺院
苗穂大導寺a02

北海道授産所は1913年6月8日、東本願寺札幌別院から現在地の苗穂に移転。
1916年には隣接地に説教所を創設し、1920年3月に法人組織となりました。
その後は1924年8月に少年保護部、1929年に労働部を相次ぎ設置し、優良私設社会事業団体として顕著な実績を上げていきました。

1933年10月には晴れて「大導寺」の寺号公称を得て、授産所創設期から勤め上げた巌城静政が開基住職となりました。
1934年には庫裡・納骨堂を新築し、1986年3月にコンクリート造り2階建ての「大導寺会館」が完成しました。

更生保護については北隣の「大谷染香苑」で続けており、現在も刑務所や少年院を出た人達が一時入居しています。


JR北海道 国鉄 苗穂駅 苗穂車両所 JR貨物 函館本線 千歳線
苗穂大導寺a03

そんな大導寺の境内には「産業と鉄道の町・苗穂」に相応しいとでも言いましょうか、鉄道に関連した石碑が建っています。



苗穂大導寺a04

石碑を正面から見た様子。
碑文は「札鐵苗工製罐職場殉・・・」とまで読めますが、後に続く文字は風化により判読できません。
しかし人づてに聞いた話では、この石碑の正式名称は「札鐵苗工製罐職場殉職病没者碑」と言うそうな。
「札鐵」は札幌鉄道局(戦後は札幌鉄道管理局)、「苗工」は苗穂工場の略称で、共に国鉄職員が使っていた言葉ですね。
気になって書籍『さっぽろ文庫45 札幌の碑』(1988)を開いてみると・・・石碑に関する記述を見つけました!
以下に内容を引用しましょう。

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 真宗大谷派、大導寺の境内には、ささやかな軟石の碑が建っている。「札鐵苗工製罐職場殉職病没者碑」と記してあるが、その碑文も、少し欠け落ちている。国鉄苗穂工場新生会という職場の親睦会が、大正9年の秋に建立したものだ。
 国鉄苗穂工場は、明治42年12月、鉄道院北海道管理局札幌工場としてスタート。当時の職員は、約200人だったという。以後、苗穂地区工場地帯の“核”として、列車の“総合病院”の役目を果たし、最盛期には約4,000人もの職員を擁した。
 スタート以来、大正3年には手宮工場の統合、大正4年には岩見沢工場との統合、終戦後の混乱期には復員者の受け入れといった形で、職員も徐々に増大し、活気を呈してきた。単に苗穂地区の工業地帯化だけにとどまらず、その活動ぶりは、北海道の鉄道工場の中心的存在だったといえる。
 大導寺は、苗穂工場に隣接したところにあり、この記念碑は、その職務のなかで殉職し病没した人たちの深い歴史を、いまでも語りかけている。大導寺では毎年10月の上旬に、国鉄苗穂工場新生会追弔会が、遺族の人たちを招待して開かれている。

《出典》
札幌市教育委員会文化資料室(1988)『さっぽろ文庫45 札幌の碑』(札幌市・札幌市教育委員会)p.115
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苗穂大導寺a06

慰霊碑の右側には「発起人」として7人の氏名が刻まれています。
建立者である苗穂工場新生会の人々なのでしょう。
上段は宇佐美浩之郎、細矢七之助、田辺伊勢松、宅原富次郎と読めますが、下段はやはり風化しておりフルネームが判らなくなっています。
何とか読める範囲で書くと、大万○○、小畠久○○、京菱惣五(郎?)といったところでしょうか。



苗穂大導寺a07

慰霊碑の左側も見てみましょう。
こちらは24人の氏名を刻んでいます。



苗穂大導寺a08

一番上には横書きで「卋活人」と刻んでいるように読めます。
「卋」という漢字を知らなかったので調べてみると、音読みは「セ」または「セイ」、訓読みは「よ」で、「30年間」「時代・時勢」「世の中・社会」「代々」「受け継ぐ」「親のあとを継いでから、その地位を子に引き継ぐまでの期間」といった意味を持つそうです。
「卋活」はどうやら「生活」の表記ゆれらしく、「卋活人」が「生活人」だとすれば「現実の生活に根ざした考え方・生き方をする人」という意味になります。
おそらくこの24人は1920年の建立当時、存命だった製罐職場の職員達で、殉職または病死した仲間達を慰霊しようという新生会の意思に賛同して氏名を刻んだのかな・・・と考えました。
「卋活人」とは現実世界から霊界に向けて祈る自分達を表現した言葉なのでしょう。



苗穂大導寺a09

一応、24人分の氏名が刻んである事は分かるのですが、こちらも風化によって一部の判読が難しくなっています。


苗穂工場製缶職場
苗穂大導寺a10

こちらは「ライジング苗穂」というパチンコ屋の駐車場から、国鉄時代の「苗穂工場製罐職場」だった建物を撮影した様子。
現在は組立科の「旅客車鉄工作業場」となり、東端に総務科の「安全道場」と内燃機科の「DL変速機検修場」が同居しています。

製罐職場はボイラー及び台車枠など鉄鋼構造物の製修工事に当たっていた職場で、特に機関車職場と密接な関係にありました。


《ブログ内関連記事リンク》


※写真は全て2024年1月13日撮影
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最終更新日 : 2024-01-21

こんにちは。 * by 闘将ボーイ
私も構内で買車の入れ換え作業をしていたので
殉職者の話をよく聞かされました。
ですから今回は感慨深く読ませていただきました。
句碑等は無かったとは思いますが、工場や
検査区、機関区があったので過去にさかのぼれば
それなりの数が挙げられたかと思われます。
私も二度、後一秒遅ければ死んでいたかもしれない
と言う場面に遭遇しました。
色々とありまして、JRには残らなかったのですが
今生きていられる事に感謝したいです。
本日は私事ばかりですみません。

Re: こんにちは。 * by 叡電デナ22
闘将ボーイさん

どうも、こんばんは。

国鉄時代は入換作業での労災が多かったそうですね。
操車掛や車掌がステップから落ちてしまい、打ち所が悪く殉職するケースもあったという話はよく聞きます。
闘将ボーイさんも大変緊張されたものと拝察いたします。

札幌車掌区では恵庭駅構内で入換作業をしていた車掌が滑落し、運悪く車輪に轢かれて両足を切断する事故もありました。
一命を取り留めたのが不幸中の幸いで、その方は義足を付けて職場に復帰し、庶務掛に転じて定年まで勤め上げたそうです。

苗穂工場ですと輸送職場での入換作業はもちろん、各職場でも機械に挟まれたり、屋根回りの検修中に転落したり・・・といった事故があっただろうと思います。
工場関係で特に多かったのは、腕を切断する、或いは潰すという労災だったそうですね。
鉄道の歴史には数々の尊い命が犠牲になった一面もあるという事を心に刻みたいものです。

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こんにちは。

私も構内で買車の入れ換え作業をしていたので
殉職者の話をよく聞かされました。
ですから今回は感慨深く読ませていただきました。
句碑等は無かったとは思いますが、工場や
検査区、機関区があったので過去にさかのぼれば
それなりの数が挙げられたかと思われます。
私も二度、後一秒遅ければ死んでいたかもしれない
と言う場面に遭遇しました。
色々とありまして、JRには残らなかったのですが
今生きていられる事に感謝したいです。
本日は私事ばかりですみません。
2024-01-14-17:19 * 闘将ボーイ [ 編集 * 投稿 ]

叡電デナ22 Re: こんにちは。

闘将ボーイさん

どうも、こんばんは。

国鉄時代は入換作業での労災が多かったそうですね。
操車掛や車掌がステップから落ちてしまい、打ち所が悪く殉職するケースもあったという話はよく聞きます。
闘将ボーイさんも大変緊張されたものと拝察いたします。

札幌車掌区では恵庭駅構内で入換作業をしていた車掌が滑落し、運悪く車輪に轢かれて両足を切断する事故もありました。
一命を取り留めたのが不幸中の幸いで、その方は義足を付けて職場に復帰し、庶務掛に転じて定年まで勤め上げたそうです。

苗穂工場ですと輸送職場での入換作業はもちろん、各職場でも機械に挟まれたり、屋根回りの検修中に転落したり・・・といった事故があっただろうと思います。
工場関係で特に多かったのは、腕を切断する、或いは潰すという労災だったそうですね。
鉄道の歴史には数々の尊い命が犠牲になった一面もあるという事を心に刻みたいものです。
2024-01-15-22:23 * 叡電デナ22 [ 編集 * 投稿 ]