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2023-11-09 (Thu) 23:01

高徳線三本松駅[2] ホーム東端のCTC設備と保線区・電気区の旧駐在

三本松駅a101

引き続き香川県は東かがわ市三本松(旧:大川郡大内町三本松152)にある、JR四国の三本松(さんぼんまつ)駅を取り上げましょう。
駅の大まかな歴史、待合室の様子については既に取り上げたとおりです。
今回はプラットホームと関連施設を見ていきましょう。



三本松駅a103

三本松駅a104

ホーム側から駅舎を眺めた様子。
庇には緑色の波トタン板を葺いており、赤茶色の瓦屋根とは対照的です。



三本松駅a102

ホーム側から改札口を眺めた様子。
有人駅とはいえ駅員不在の時間帯があるため、パイプのラッチに水色の集札箱(きっぷ運賃入れ)を設けています。


木造駅舎 駅事務室
三本松駅a106
木造駅舎 駅事務室
三本松駅a105

こちらは自動信号化される前、タブレット閉塞器を配置していた運転事務室です。
この手の運転事務室は大抵、当務駅長が駅構内を見渡せるよう窓を出っ張らせていますが、三本松駅では精算所と一体化しています。



三本松駅a107

三本松駅a108

三本松駅a109

三本松駅a110

三本松駅構内は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を組み合わせた、いわゆる「国鉄型配線」です。
各ホームの全長は20m車7両分ほどで、何れも上下双方向の列車が発着可能です。
駅舎側の単式ホームは1番のりばで、特急「うずしお」をはじめ大抵の列車が発着します。



三本松駅a111

三本松駅a112

三本松駅a113

三本松駅a114

こちらは島式ホーム。
内側は2番のりば、駅裏側は3番のりばで、列車交換や待避の際に使用します。



三本松駅a117

両ホームを繋ぐ跨線橋。
屋根の無い歩道橋タイプです。



三本松駅a115

三本松駅a116

3番のりばの脇には保線用の留置線があります。



三本松駅a118
三本松駅信号扱所 CTC制御所 CTCセンター
三本松駅a119

1番のりばの東側にはコンクリート造り2階建ての施設があります。
見るからに信号扱所の装いですね。
東西両面に外付けの階段が伸びています。



三本松駅a123

外壁に付いた財産標は「A区現業事務所3号 S.51.3.30」と表示しています。
この事から建物の正式名称は「A区現業事務所3号」で、1976年3月30日の竣工だと分かります。



三本松駅a124

もう一つ、こんな銘板も付いています。
「高徳本線CTC装置三本松駅新設工事」と書かれており、前回記事で触れた高徳線CTC化に関連した施設だと分かりますね。
工事設計は国鉄大阪電気工事局、工事監督は国鉄岡山電気工事所、実際の施工は日本電設工業㈱四国支店が担当しています。
そして使用開始日は1977年3月15日で、同日を以って高徳線の全区間CTC化を果たしました。



三本松駅a121

1階は大部分が機器室となっており、極端に窓が少ないです。
西寄りの玄関をよく見ると・・・



三本松駅a122

・・・「高松電気区三本松駅搬送室」と書かれた表札を掲げています。
室内に搬送通信装置を格納しており、その保守管理を高松電気区が担当している事が窺えますね。
同じ四国管内では1967年、土讃線多度津~高知間でトランジスタを用いた電子CTCの運用を開始しました。
それから10年後にCTC化した高徳線でも、高速度の伝送によって長距離区間をカバーできる電子CTCを採用しただろう事は想像に難くありません。

《ブログ内関連記事リンク》


三本松駅信号扱所 CTC制御所 CTCセンター
三本松駅a120

2階は一般的な信号扱所と同様に継電連動装置を設けており、非常時の手動操作で駅構内を見渡せるよう1階に比べて窓を多めに配置しています。



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信号扱所の線路向かいには工務関係の詰所があります。
コンクリートブロック造りの2棟が並び、それぞれ1階に車庫を設けています。



三本松駅a129

背の低い建屋は玄関頭上に「高松保線区三本松駐在」「高松電気区三本松駐在」と書かれた表札を掲げています。
右隣には無記名の表札がありますが、昔はこちらにも何らかの部署名を記していたのでしょうか?

しかし高松保線区、高松電気区は共に三本松駐在を廃止しているようで、構内は荒れ果てていますし社員が常駐する気配もありません。
現在は近郊で軌道検査・軌道補修工事・電気保全などを実施する際、休憩所として使っているだけのようです。



三本松駅a126

元々この施設は国鉄時代、高松保線区の下部組織である「高松保線区三本松保線支区」が入居していたそうです。
国鉄施設局は1963年4月より「軌道保守近代化」と称した保線業務の改革を推進。
その渦中に高松保線区も近代化に則した組織改正を行ない、1968年4月6日に三本松線路分区を「三本松保線支区」に改組したのです。



国鉄における保線区の職制(軌道保守近代化以前)

「保線支区」とは国鉄施設局が従来の線路分区・線路班による分散的な人力保線を改め、組織の集約化と機械の投入による集中的な保線体制の確立を目指し、全国各地に設置を進めていた現業機関です。
元々、国鉄の保線区は5~6kmおき(中には10kmという箇所も)に、概ね10~15名の線路工手から成る「線路班」を1班ずつ置き、その元締めとして「線路分区」を構えていました。
線路班が担ってきた人力保線は「随時修繕方式」と言い、ビーターを持って担当する区間を巡回し、レールやマクラギ、道床を見たり触ったりして検査を行い、異常を発見したら直ちに修繕を施すものでした。

しかし高度経済成長期に鉄道の輸送量が増大すると、それに伴い列車本数も増便された事により、保線作業の出来る列車間合が減少。
おまけに列車の速度も向上したために線路破壊が早まり、それでも運転回数が多いせいで十分な修繕の出来る時間が少ない…というジレンマを抱えてしまった訳です。
また、労働力が細かく分散する分、労務・財務・資材・契約の管理や、保線作業員への指導教育、長期的な工事計画の策定において不便さを抱えていました。



国鉄における保線区の職制(軌道保守近代化後、1978年まで)

そこで国鉄施設局は「軌道保守の近代化」を計画し、線路分区に代わる現業機関として「保線支区」の設置を開始。
保線機械を活用し限られた時間の中で集中的に検査・補修を行う「定期修繕方式」に移行していきました。
従前は混同していた検査と作業も完全に分離。
軌道換算キロ10~15kmおきに設置した「検査班」が支区長に報告した検査結果を基に、計画担当(計画助役および技術掛)が作業計画を策定し、作業助役を通じて「作業班」に修繕をさせるという業務体制に移行しています。
高松保線区三本松保線支区も定期修繕方式に移行する中で発足したという訳ですね。



三本松駅a128

1983年9月には「線路保守業務の改善」を実施。
保線支区の単調業務・波動業務を外注化し、直轄部門の検査班・作業班を「保線管理グループ」と「保線機械グループ」に再編しました。
このうち保線管理グループは「保線管理室」とも呼ばれ、担当区域内における軌道検査とこれに伴う簡易な修繕作業、検査データを基にした工事計画、外注工事の立会い・監督を担当。
当初は検査班時代と同じく換算軌道キロ10~15kmおきに1室ずつ配置し、検査から施工管理まで一貫して行なう「庭先意識の復活」を期しました。

1986年8月1日、保線関係で国鉄最後の近代化となった「線路保守業務の効率化」を実施。
高松保線支区は規模を大幅に縮小し、助役1名を「区長代理」に指定した「高松保線区三本松保線管理室」に改組しました。



三本松駅a130

1987年4月1日、分割民営化に伴いJR四国が高松保線区三本松保線管理室を継承。
1990年4月1日、JR四国は保線区組織の更なる簡素化に踏み切り、本区事務室と保線管理室の二層構造を撤廃。
技術管理と検査・工事の融合化により、三本松保線管理室を「高松保線区三本松駐在」に改組しています。

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2)組織改正
 平成元年4月、関連事業及び旅行業部門の拡大並びに鉄道事業部門の効率的な運用を目的として、本社組織の大幅な改正を実施したが、平成2年4月1日においても鉄道事業部門における業務運営の円滑化等を図るため、あわせて船舶事業の今後のあり方を勘案し、再度、運輸部の組織の見直し等を行った。
 主な改正点及び実施時期等は、次のとおりである。
(1) 運輸部体制の整備
① 運輸部各課が所掌している要員、資材、設備及び経理に関する業務を一元管理する課として新たに「計画課」を設置した。
② 運輸課は、名称を「輸送課」に改称した。
③ 定期航路の休止に伴い、船舶関係は讃岐丸による不定期周遊船のみとなるため、その事業を事業開発部へ移管した。
④ 現行駅務課の業務は、新設した計画課に移管した。
(2) 工務関係現業組織の見直し
 組織の簡素化を行い業務の効率化を図るため、工務関係の現業機関の統合と組織の見直しを行った。
① 保線区、構造物検査センター
ア 高松保線区と高松構造物検査センターを統合し、高松保線区とした。
イ 保線区の「本区―管理室―派出」の組織を「本区―駐在」とした。
② 建築区、機械区
ア 高松建築区と高松機械区を統合し、高松機械建築区とした。
イ 高松建築区の各駐在を廃止し、各保線区に統合した。
ウ 高松機械区多度津駐在を廃止し、業務を高松機械建築区に集約した。
③ 電気区
ア 高松第一電気区と高松第二電気区を統合し、高松電気区とした。
イ 電力指令と信号通信指令を一元化し電気指令とした。
ウ 各派出を駐在に名称変更した。

《出典》
財団法人交通協力会(1991)『交通年鑑』平成3年度版、p.p.372,373
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三本松駅a127

一方、高松電気区三本松駐在の前身は、1963年2月1日の「電気新保守体制(1次近)」実施に伴い発足した「徳島電気区三本松電気支区」です。
徳島電気区は徳島電力区と徳島信号通信区を統合した現業機関で、強電(電力)と弱電(信号・通信)の各種電気保全を一手に引き受けました。
下部組織として三本松電気支区・徳島電気支区・阿波池田電気支区の3ヶ所を設けています。

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 電力区、信号通信区、さらに以前は電力区、通信区と保守対象電気設備によって、それぞれの単独業務機関が設けられていたが、昭和38年2月、高度の技術管理と能率化を目標に電気一本化の新電気保守体制ができあがり、電気業務の系統化が図られた。このため、それまでの4電力区、4信号通信区は統合されて4電気区という形で再発足した。この電気区の下部組織として、いままでの分区と根本的に性格を異にする技術管理、作業管理いっさいの責任を持つ支区が設置された。支区の業務内容をさらに分割して、それぞれに検査班と作業班をおき、検査と作業を主体にしたシステムが確立された。
 当時、管内では4電気区、14支区、1駐在、56検査班、5作業班であった。ただ、支区でも高松管内だけは、設備の関係上、専門の電力、信号、通信の各分業体制をとり、他の区ではいわゆる混成支区となっていった。

《出典》
「四鉄史」編集委員会(1989)『四鉄史』(四国旅客鉄道株式会社)p.549
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三本松駅a133

1968~1971年施行の「電気保守近代化(2次近)」では、電気設備の急激な増加に対応するべく全国で業務改革を進めました。
四国でもより効率的な業務処理を実現するべく1968年12月24日、作業班における修繕業務の全面外注化、検査班による検査業務の一部外注化を敢行しています。

更に1970年代後半は機械検測、集中監視などの導入によって、従来のような定期検査を必要としない設備保全が可能となった事から、段階的に「電気保守体系近代化(体系近)」を実施。
徳島電気区でも1980年3月1日、体系近に対応するべく組織再編に踏み切り、三本松電気支区を廃止して三本松在勤助役・阿波山川在勤助役・阿南在勤助役・大杉在勤助役・窪川在勤助役の5ヶ所を置きました。
このうち三本松在勤助役が「高松電気区三本松駐在」の直接の前身と言えます。

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 その後、システム技術などの急速な発展と積極的な導入により、設備の信頼度は飛躍的に向上した。さらに機械検測、集中監視および新しい保全管理手法の確立などにより、従来のような定期検査を必ずしも必要としない設備保全の方法が可能となり、昭和51年10月に高松、松山電気区の電気保守体制近代化(体系近)が実施された。これに伴い、高松電気区の専門の電力、信号および通信支区が廃止され、電気支区となった。また、55年3月徳島、高知電気区の体系近が実施され、三本松、阿波山川、阿南、大杉および窪川に助役駐在を設置した。この体系近により、管内全電気区が混成支区となり技術融合が図られた。

《出典》
「四鉄史」編集委員会(1989)『四鉄史』(四国旅客鉄道株式会社)p.549
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三本松駅a135

しかし急速な近代化の一方で、直轄・外注施行区分の境界における業務能率の低下、直轄作業の減少による技術力低下といった問題を抱えるようになりました。
これらのひずみを改善するべく、1983年4月に「電気保全業務改善」を実施。
日常的な保全業務を設ける事により、技術力の維持向上と事務業務の質的向上を図りました。

国鉄解体に向かう中でも、電気関係の業務改善を更に重ねていきました。
本区と支区の分業制にもテコ入れをし、技術管理と検査班の業務の統合を画策。
これに伴い三本松在勤助役は「徳島電気区三本松駐在」に改称しました。

1987年4月1日、分割民営化に伴いJR四国が徳島電気区を継承。
その後、詳細な時期は不明ですが徳島電気区から三本松駐在が高松電気区に移管しています。
なお、『ネットの電話帳』(旧:住所でポン!)を閲覧する限り、高松保線区三本松駐在・高松電気区三本松駐在は少なくとも2007年まで稼働していたようです。
その後の合理化で保線関係は高松保線区の本区、電気関係は高松電気区の本区にそれぞれ統合した模様。


JR四国1500形 JR四国1500系 JR四国2700系 特急うずしお 国鉄
三本松駅a131

駅構内で肩を並べた1500型と2700系の特急「うずしお」。



三本松駅a132

ホーム上の駅名標。


※写真は全て2023年7月15日撮影
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最終更新日 : 2023-11-09

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