タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2023-06-25 (Sun) 17:12

土讃線箸蔵駅[1] 『まんが日本昔ばなし』で描かれた「箸蔵山の赤い火」

箸蔵駅a01

徳島県は三好市池田町州津宮ノ久保(旧:三好郡箸蔵村大字州津)にある、JR四国の箸蔵(はしくら)駅。
池田町の中心街から東北東に4kmほど離れた、箸蔵山の麓の集落に置かれた駅です。
かつて存在した自治体・箸蔵村(はしくらそん)の代表駅でしたが、同村は1956年9月30日を以って隣町の池田町に編入合併されました。
なお、三好郡では2006年3月1日に三野町、池田町、山城町、井川町、西祖谷山村(にしいややまそん)、東祖谷山村(ひがしいややまそん)の合計6町村が合併し「三好市」となっています。

江戸時代の箸蔵村は猪ノ鼻峠を控える事から、徳島藩と高松藩の国境警備に当たる番所が置かれていました。
猪ノ鼻峠は清水峠、大坂峠と共に「阿讃三大峠」と呼ばれ、商人の往来、四国巡礼、物資の移動が多い大動脈でした。
また、箸蔵村は吉野川の水上交通と連絡する要衝でもあり、渡船場を設けた大具・渦・西山浜の各地区は大いに繁栄したと伝わっています。

さて、箸蔵駅の付近には当地を語る上で外せない伊丹一族が暮らしています。
伊丹一族は天正時代の初め、長宗我部元親に攻められ根津伊丹城から逃げてきた武家だそうです。
来住したばかりの頃、当地には先住者の池森氏という老夫婦がおり、彼らの面倒を見ながら農業を営み始めたといいます。
やがて伊丹一族は池森氏を氏神として祀り、「池森神社」を造営するに至りました。
池森神社は箸蔵駅から南西に約500m、川北街道の沿線にあります。
そして伊丹一族は先祖代々の慣行として、元旦に親戚そろって池森神社に集まり、新年の挨拶と親睦会を催しているのだそうな。


JR四国 国鉄 JR貨物 土讃本線 無人駅 木造駅舎
箸蔵駅a02

もう一つ、現地にまつわる話で有名なのが「箸蔵山の赤い火」ですね。
これは毎日放送のテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』でも取り上げられた民話で、具体的には1984年11月3日に放送されました。
以下にこの民話の大まかな内容を書きましょう。

その昔、箸蔵山は薄絹を巻いたような霧がかかり、風が無くても木が騒ぐので、里の人々は「神の住む山だ」と恐れて近寄りませんでした。
ところが貧乏な百姓の男が「生活の足しに箸蔵山で薪(たきぎ)を集めよう」と思い立ち、怖がる妻の反対を余所に山へ入りました。
すると薪が大量に落ちていたので、ひとしきり拾って町に持参するとたちまち売れてしまいました。

百姓は「貧しい暮らしを見かねた神様が恵んでくださった」と思い、やがて妻も一緒に山へ入って薪を拾い集めるようになりました。
こうして金を稼ぐと今まで食べた事も無い豪勢な食事にありつけたので、味を占めて畑をほったらかし、ひたすら箸蔵山で薪を拾い集めました。

しかし、いつしか拾う薪が1本も無くなってしまいました。
そこで「拾う薪が無ければ木を切れば良い」と考え、毎日山に入って木を切り出すようになりました。
やがて夫婦は里一番の大金持ちになり、屋敷を構えて贅沢の限りを尽くしました。
一方、箸蔵山は相次ぐ伐採によってハゲ山となりつつありました。

ある雨の夜、何処からか石つぶてが飛んできました。
それは何度も屋敷の軒に当たり、次第に数を増して屋根や柱を壊し始めたのです。
たまらず夫婦が外に出ると、火のように赤く染まった箸蔵山から無数の石が飛んでくるのを見ました。
程なくして山津波(土砂崩れ)が起こり、屋敷は押し流されてしまいました。

九死に一生を得た夫婦は「百姓の本分を忘れ、山林を切り倒した自分達に対する祟りだ」と感じ、箸蔵山の神様に詫びたといいます。
その後も里の人々は箸蔵山の神様を恐れ、誰も山には近づかなかったそうです。



箸蔵駅a23
リフォーム前の木造駅舎
池田町史編纂委員会(1983)『池田町史 下巻』(徳島県三好郡池田町)p.393より引用

ここからは箸蔵駅の大まかな歴史を見ていきましょう。
土讃線は元々、豊永~高知間の南線(高知線)と多度津~三縄間の北線(讃予線)に分割して敷設工事を進めていました。
1929年4月28日には讃予線讃岐財田~佃間が延伸開業し、徳島本線と接続。
箸蔵駅は讃予線の駅として同日付で開設され、当初は旅客・手小荷物・貨物を一手に取り扱う一般駅でした。

1935年11月28日、三縄~豊永間の延伸開業に伴い、南線と北線が繋がって土讃線の全通が実現しました。
同時に箸蔵駅が土讃線の所属となり、徳島本線佃~三縄間も土讃線に編入されました。

1962年4月12日、箸蔵駅を含む四国管内4駅(他は学駅・川田駅・辻駅)において車扱貨物の取扱いを廃止。
ただし小口扱貨物については取扱いを存続しています。



箸蔵駅a03

箸蔵駅においてもタブレット閉塞器を撤去し、当務駅長による列車扱いを取り止めました。

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 昭和39年度において国鉄全線での自動信号区間は、約5,000キロメートルであったが、第3次長期計画により、列車密度の高い線区約7,000キロメートルを自動信号化することが決められた。
 四国管内では、この計画に沿って予讃線(多度津・松山間)および土讃線(多度津・高知間)を優先的に、また、その他の主要線区も逐次自動信号化を進めることになった。
 まず、災害線区といわれ、長い山間部をもつ土讃線の保安度を向上するため、多度津・高知間の工事を先行することとした。この工事は、41年2月に着工され、自動信号化と合わせて列車集中制御装置(CTC)の新設も行われたが、このCTCは全国鉄で新幹線に次ぐ2番目のものとあって、内外からの注目を浴びた。そして翌42年2月には、土讃線CTCセンターが阿波池田駅構内に完成し、3月1日から多度津・阿波池田間において、CTCの正式運用が開始された。また、阿波池田・高知間の工事も同年6月に完了し、7月1日多度津・高知間(126.6km)の全面使用が開始された。

《出典》
「四鉄史」編集委員会(1989)『四鉄史』(四国旅客鉄道株式会社)p.86
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 土讃線多度津―高知間(126.8km)の単線自動信号化は昭和40年度から41年度にかけて施行される計画であるが、これと同時に要員の合理化を目的として四国支社からCTCを併施することが提案されたわけである。
1 CTC化計画区間(第1図参照)
 土讃本線 多度津―高知間 126.8km
      (多度津―高知駅構内を除く)
 駅数 24(非運転取扱駅9を除く)
    内訳 車扱貨物取扱駅  10
       車扱貨物非取扱駅 13
       信号場      1
 この数字からわかるように、貨物集約のすすんでいることが、土讃線の停車場作業を簡単にしており、CTC採用の一つの要因となっている。

《出典》
小沢耕一(1966)「土讃線のCTC化と今後の考え方」『交通技術』1966年3月号(財団法人交通協力会)p.p.82,83
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1969年10月1日、手荷物・小荷物の配達を廃止しました。

1970年6月1日、小口扱貨物の取扱い終了に伴い貨物フロントを全廃。
同時に一般駅から旅客駅に種別変更し、窓口営業範囲を旅客・手荷物(不配達)・小荷物(不配達)に縮小しました。



箸蔵駅a04

1970年10月1日、国鉄四国総局は土讃線営業体制近代化を実施。
多度津~土佐佐賀間に置かれた46駅のうち半数の23駅を無人化しました。
この時、箸蔵駅も駅員無配置となっていますが、新聞紙の荷下ろしについては存続しています。

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 財政再建10か年計画推進中の昭和45年、四国総局では、時代にマッチした鉄道を築き上げるため、営業体制近代化を実施することとなった。
 これは、列車の増発、冷房化などによるサービス面の充実と、ディーゼル機関車の1人乗務や建築・電気の保守体制近代化などが強力に推進された一方で、窓口となる駅に関しては、旧態依然として対応がなされず、多くの不合理が生じたためである。
 まず、列車運転保安設備(CTC方式)の整った土讃線が営近の対象とされ、45年2月から組合、地元代表らと話し合いが続けられ、同年10月1日に実施された。多度津・土佐佐賀間の46駅中、23駅を停留所化(無人化)するとともに、広域営業推進のための旅客営業センターを多度津、阿波池田、須崎の3駅に設置した。

《出典》
「四鉄史」編集委員会(1989)『四鉄史』(四国旅客鉄道株式会社)p.101
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1974年10月1日、営業範囲改正に伴い新聞紙の荷下ろしを廃止。
箸蔵駅では旅客の乗降のみ取り扱う事となりました。

1987年4月1日、分割民営化に伴いJR四国が箸蔵駅を継承。
現在は阿波池田駅が管理する完全無人駅です。



箸蔵駅a05

箸蔵駅a06

駅舎は国鉄時代の木造建築をベースに分割民営化直後、リフォームを施した物です。
待合室・駅事務室側とも部分的に減築し、切妻屋根から寄棟屋根に大胆チェンジ。
しかも寄棟屋根の上に、ちょこんと三角形の瓦屋根を載せているのが面白いですね。



箸蔵駅a07

駅舎の手前には池があります。
国鉄時代は駅構内に庭園を造るケースが各地で見られました。



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駅前西側は月極駐車場となっており、JR四国が運営しています。



箸蔵駅a10

駅舎の玄関脇に目を向けると・・・



箸蔵駅a26

・・・銅鐸のような白ポストが置かれていました。



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待合室の様子。
出札窓口と手小荷物窓口は跡形も無く消え去っています。
格子天井がレトロですね。



箸蔵駅a22

室内の玄関脇には「お知らせコーナー」があり、各種案内を掲示しています。



箸蔵駅a15

かつて近隣住民が「神の住む山」と言い畏れてきた箸蔵山には現在、登山口と山頂の箸蔵寺を結ぶ「箸蔵山ロープウェイ」が引かれています。
箸蔵駅の待合室にも「箸蔵山ロープウェイ乗り場まで徒歩約10分」との案内を貼り出しています。



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こちらは徳島県警が制作した痴漢注意のポスター。
「痴漢は犯罪でよ!」と阿波弁で警告文を書いています。



箸蔵駅a25

こちらも徳島県警が制作した盗撮注意のポスター。
「盗撮は犯罪じょ!」とこれまた阿波弁を使っています。
「~じょ」は主に女性が使う語尾ですね。
男性の場合は「~じゃ」と言います。



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ホーム側から駅舎を眺めた様子。



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旧改札口はラッチの撤去痕も見受けられません。



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庇の下に納まった駅事務室の玄関と、運転事務室の出っ張った窓。
タブレット閉塞を運用していた頃は、見晴らしの良い運転事務室に閉塞器を設置していました。



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駅舎西面には勝手口があります。



箸蔵駅a21

長くなったので今回はここまで。


※写真は特記を除き2023年5月4日撮影
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最終更新日 : 2023-11-22

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