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2023-06-21 (Wed) 20:40

土讃線大歩危駅[1] 南北朝時代を乗り越えた「山岳武士」の徳善家

大歩危駅a01

徳島県は三好市西祖谷山村徳善西(旧:三好郡西祖谷山村字徳善西)にある、JR四国の大歩危(おおぼけ)駅。
三好市は2006年3月1日に三好郡の三野町、池田町、山城町、井川町、西祖谷山村(にしいややまそん)、東祖谷山村(ひがしいややまそん)の合計6町村が合併し発足した自治体です。
四国山地と讃岐山脈に囲まれた自然豊かな環境にあり、市内南東の東祖谷山には四国最高峰の剣山が聳えます。

大歩危駅は西祖谷山村で唯一の鉄道駅で、吉野川中流域の渓谷である「大歩危峡」の東岸に置かれています。
大歩危峡は近傍の小歩危峡と共に景勝地として名高く、激流のスリルを求めてカヤックやラフティングの愛好家が集まります。
駅所在地の徳善(とくぜん)という地名ですが、これは当地を治めた「徳善家」という武士の家系に由来します。


JR四国 国鉄 JR貨物 臨時列車 土讃線 土讃本線
大歩危駅a02

徳善家は南北朝時代の阿波で暗躍した「山岳武士」の一つ。
元は楠木正成の家臣・伊藤兵部が祖谷に隠棲した後、故郷の河内国得銭に因んで「得銭」の姓を名乗るようになり、やがて「徳善」に改名したと伝わっています。
そして同じく祖谷に身を置いた喜多家・小野寺家・菅生家・西山家・有瀬家・阿佐家・久保家と共に「祖谷八家」または「祖谷八士」と呼ばれています。
これら山岳武士は南朝に忠誠を誓い、北朝派の細川一族と真っ向から対立。
気象条件も交通の便も悪い山間部は彼らにとって「地の利」であり、平野の細川一族に対し一歩も譲りませんでした。

寛政年間に菊地助三郎武矩が記した『祖谷紀行』によると、当時の徳善家は30石を領有していたそうです。
南北朝時代の終焉(1392年)から約400年が経過してもなお、徳善家が集落の名士として健在だった事が分かりますね。
駅の北東には2023年現在も徳善家の子孫が暮らしており、その家屋は武家屋敷の名残を留めている事から、2014年2月14日付で徳島県の有形文化財に指定されました。
ただし一般公開はしていないのでご注意を!



大歩危駅a03

ここからは大歩危駅の大まかな歴史を見ていきましょう。
1935年11月28日、三縄~豊永間の延伸開業に伴い、南線(高知線)と北線(讃予線)に分けて敷設工事を進めてきた土讃線が全通を果たしました。
同時に徳島本線佃~三縄間が土讃線に編入され、延伸区間の中間に大歩危駅が開設されました。

ただし開業当初の大歩危駅は「阿波赤野駅」を名乗っていました。
駅名の「赤野」は山城町上名に存在した地名で、当駅から見ると吉野川を挟んで対岸に位置します。
住民からは「徳善にありながら赤野を駅名にするのはおかしい」との声が上がり、長きに渡り議論が続いたといいます。
そして1950年10月1日、折衷案として現駅名の「大歩危駅」に改称しました。

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 昭和10年11月28日、土讃線が開通した。
 西祖谷山村では徳善に赤野駅が設置され、また三名村では西宇駅が設置された。西宇校下の人の西宇駅から下名校下、上名校下、西岡校下、吾橋校下の人々は赤野駅を利用して各地に往来することとなった。
 赤野駅は西岡校下、吾橋校下の人々にとっても非常に貴重な駅である。この駅は徳善にありながら対岸の赤野を駅の名称とする不合理が久しく議論された結果、世に広く知れわたった「大歩危」という駅にかえられた。
 昭和25年10月1日のことで、西宇駅も同時に「小歩危」という駅名となり、名勝地にふさわしい駅名で人々に親しまれることになった。

《出典》
西祖谷山村史編纂委員会(1985)『西祖谷山村史』(徳島県三好郡西祖谷山村)p.282
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大歩危駅a04

1959年3月1日、大歩危駅における貨物の集貨と配達取扱いを廃止。

1961年10月1日、車扱貨物の取扱いを廃止。
貨物取扱は小口扱いのみとなりました。

1967年7月1日、土讃線阿波池田~高知間がCTC化。
大歩危駅においてはタブレット閉塞器を撤去する代わりに「CTC中継装置」を設置しました。

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 昭和39年度において国鉄全線での自動信号区間は、約5,000キロメートルであったが、第3次長期計画により、列車密度の高い線区約7,000キロメートルを自動信号化することが決められた。
 四国管内では、この計画に沿って予讃線(多度津・松山間)および土讃線(多度津・高知間)を優先的に、また、その他の主要線区も逐次自動信号化を進めることになった。
 まず、災害線区といわれ、長い山間部をもつ土讃線の保安度を向上するため、多度津・高知間の工事を先行することとした。この工事は、41年2月に着工され、自動信号化と合わせて列車集中制御装置(CTC)の新設も行われたが、このCTCは全国鉄で新幹線に次ぐ2番目のものとあって、内外からの注目を浴びた。そして翌42年2月には、土讃線CTCセンターが阿波池田駅構内に完成し、3月1日から多度津・阿波池田間において、CTCの正式運用が開始された。また、阿波池田・高知間の工事も同年6月に完了し、7月1日多度津・高知間(126.6km)の全面使用が開始された。

《出典》
「四鉄史」編集委員会(1989)『四鉄史』(四国旅客鉄道株式会社)p.86
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 土讃線多度津―高知間(126.8km)の単線自動信号化は昭和40年度から41年度にかけて施行される計画であるが、これと同時に要員の合理化を目的として四国支社からCTCを併施することが提案されたわけである。
1 CTC化計画区間(第1図参照)
 土讃本線 多度津―高知間 126.8km
      (多度津―高知駅構内を除く)
 駅数 24(非運転取扱駅9を除く)
    内訳 車扱貨物取扱駅  10
       車扱貨物非取扱駅 13
       信号場      1
 この数字からわかるように、貨物集約のすすんでいることが、土讃線の停車場作業を簡単にしており、CTC採用の一つの要因となっている。

《出典》
小沢耕一(1966)「土讃線のCTC化と今後の考え方」『交通技術』1966年3月号(財団法人交通協力会)p.p.82,83
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大歩危駅a05

1970年10月1日、ダイヤ改正に伴い貨物フロントを廃止。
同時に駅種別を一般駅から旅客駅に変更し、窓口営業範囲は旅客・手荷物・小荷物(不配達)に縮小しました。

国鉄は1984年2月1日ダイヤ改正において、ヤード系集結輸送から拠点間直行輸送への一大転換を実施。
これに伴い大歩危駅では小荷物フロントを廃止し、旅客のみの営業となりました。

1987年4月1日、分割民営化に伴いJR四国が大歩危駅を継承。
1990年11月21日には土日祝を定休日とし、窓口営業時間を平日6:50~11:50に大幅縮小しました。

JR四国は高速道路の整備によって乗客を奪われ、厳しい経営状況が続いてきました。
そこで2010年度には合理化の一環として「駅業務体制の見直し」を敢行。
徳島県内12駅、香川県内6駅、愛媛県内5駅、高知県内6駅の合計29駅が窓口営業の廃止対象となり、2010年9月1日に13駅、同年10月1日に16駅を段階的に無人化しています。
大歩危駅も合理化の対象となり、2010年10月1日に無人駅となりました。

しかし近年、大歩危駅は訪日外国人の観光利用が増加。
近くの古民家を所有するアメリカ人の東洋文化研究者、アレックス・カーさん(Alex Arthur Kerr)が祖谷の自然美を著書やホームページで発信した事が、海外から観光客を集めるキッカケになったと言われています。
JR四国は2018年7月14日、利便性向上を図るべく駅構内に無料Wi-Fiサービスを導入しました。



大歩危駅a06

大歩危駅a07

現在の大歩危駅は阿波池田駅が管理する完全無人駅です。
駅舎は開業時からの木造建築で、伝統的な入母屋屋根にトタン板を張っています。



大歩危駅a08

正面玄関の庇は瓦を葺いています。



大歩危駅a09

玄関頭上の駅名板。



大歩危駅a10

駅前広場には四国交通・三好市営バスの停留所があります。



大歩危駅a11

軒下にはツバメの巣があり、雛が親の帰りを待っていました。



大歩危駅a12

玄関引き戸の貼り紙によると、親ツバメはこの場所に巣を作った事を覚えており、春になると戻ってくるそうな。



大歩危駅a13

大歩危駅a14

大歩危駅a15

大歩危駅a16

待合室の様子。
砂利をセメントから浮き上がらせた「洗い出し」の床が印象的です。
ベンチには畳を敷いています。



大歩危駅a17

無人化から約13年の歳月が経ちましたが、出札窓口は往時の姿を留めています。
その手前には観光パンフレットを並べたマガジンラックが1台。
右端には自動券売機を備えています。



大歩危駅a18

同協議会には先述のアレックス・カーさんも参加しており、室内には来訪者が自由に使えるパソコンや無線LANを導入しました。
開所時間は9:00~16:00で、毎週木曜日を定休としています。

最初の2年間は住民達が自発的に観光案内所の管理運営をしてきました。
2013年11月からは㈱大歩危妖怪村が活動拠点を設け、簡単な案内業務をするようになりました。
しかし大歩危妖怪村の運営は僅か1年ほどで終わり、2014年12月からJR大歩危駅活性化協議会の運営に戻っています。
そして2015年4月から三好市観光協会が観光案内所を引き継ぎ、現在に至るまで運営を続けています。



大歩危駅a19
大歩危駅事務室 駅員
大歩危駅a20

窓口越しに観光案内所内を覗いた様子。
訪問当時は朝6時だったので誰もおらず、出入口も施錠されていました。
奥に見える座敷の部屋は、泊まり勤務の駅員が睡眠休憩に使っていた寝室ですね。



大歩危駅a21

駅前側から観光案内所内を覗くと「阿波弁講座」や、すぐ隣の山城町に残る「妖怪伝説」に関する掲示物を見る事ができました。
阿波弁講座で取り上げている方言は20種類。
「めんどい」と言うと一般的には「面倒くさい」の略ですが、阿波弁においては「難しい」「難儀する」という意味になります。
他にも「いけるで?」は「大丈夫?」、「せこい」は「しんどい」といった具合に、標準語から連想できない語意のものが多いですね。


臨時列車 四国まんなか千年ものがたり キハ185系
大歩危駅a24

大歩危駅は2017年4月1日にデビューした観光列車「四国まんなか千年ものがたり」の終点でもあります。
待合室にも「四国まんなか千年ものがたり」のポスターを掲示しています。



大歩危駅a22

こちらは管理駅である阿波池田駅が作成した「四国まんなか千年ものがたり」の運行予定カレンダー。
基本的に土日祝の運行で、毎週火・水は祝日を除き定休としています。
月・水・金については平日でも運行したり、運休にしたりとまちまちです。



大歩危駅a23

カレンダーの下には阿波池田管理駅長の似顔絵・・・なんですかね?
前日に阿波池田駅で見かけた駅長さんは、このイラストとは明らかに別人の顔立ち(しかも白髪混じり)でしたけども。
歴代駅長の似顔絵を使いまわしているのでしょうか?



大歩危駅a25

駅舎の西隣には・・・



大歩危駅a26

・・・三角屋根のトイレがあります。
このトイレも阿波池田駅の管理物件です。



大歩危駅a30

トイレの奥にも建物が1棟。



大歩危駅a27

大歩危駅a28

2階建てのアパートです。
1階に3世帯分の玄関を設けていますが、住民の名前を書いた表札は1枚もありません。



大歩危駅a29

外壁には国鉄時代の建物財産標が付いています。
このアパートが国鉄官舎だったという証左ですね。
財産標を見ると建物の正式名称は「A宿 宿舎5号」で、1984年3月16日に竣工した事が分かります。



大歩危駅a31

線路側から国鉄アパートを眺めた様子。
官舎の老朽化に伴い国鉄末期に建設されたのでしょう。
分割民営化後も暫くは駅員の社宅として使っていたものと思いますが、大歩危駅の無人化から13年が経ち、今や生活の気配は感じられません。
ただ、1階ベランダ側の窓にカーテンを付けている様子からして、近隣で保線作業を行う際の休憩所に使っているのかも知れませんね。


キハ1000形 キハ1000型 JR四国 構内踏切
大歩危駅a32

長くなったので今回はここまで。


※写真は全て2023年5月5日撮影
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最終更新日 : 2023-06-24

ご紹介ありがとうございます。 * by ひろし
4代前に新潟へ移った、一応は徳善の末裔の者です。
(曽祖父が満洲の奉天新聞に勤務、引揚げ後に曽祖父が亡くなり、曽祖母の実家のある新潟へ)
私も一昨年初めて訪れ、生まれて初めて家族以外の徳善姓の方々に会ってきました。
一昔前はタクシーも危険手当を取るような場所だったようで、やれやれご先祖もよくまぁこんなところで繁栄できたものだなと思います。笑
投稿日が私の誕生日でもあり、何か運命を感じコメント差し上げた次第です。

Re: ご紹介ありがとうございます。 * by 叡電デナ22
ひろしさん

どうも、はじめまして。
多忙につき返信が遅れてしまい、大変申し訳ございません。

まさか徳善家の血統の方からコメントをいただくとは思わず、恐悦至極に存じます。
確かに現地は険しい地形ですが、タクシー会社が危険手当を出すような環境だったんですね!

4代前に新潟へ移られたとは・・・実は私も少年時代、新潟に住んでいた事があります。
投稿日もひろしさんのご誕生日とは、私もますますもって運命を感じました。
拙い記事ですがコメントをいただき、誠にありがとうございます。

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ご紹介ありがとうございます。

4代前に新潟へ移った、一応は徳善の末裔の者です。
(曽祖父が満洲の奉天新聞に勤務、引揚げ後に曽祖父が亡くなり、曽祖母の実家のある新潟へ)
私も一昨年初めて訪れ、生まれて初めて家族以外の徳善姓の方々に会ってきました。
一昔前はタクシーも危険手当を取るような場所だったようで、やれやれご先祖もよくまぁこんなところで繁栄できたものだなと思います。笑
投稿日が私の誕生日でもあり、何か運命を感じコメント差し上げた次第です。
2024-03-20-19:55 * ひろし [ 編集 * 投稿 ]

叡電デナ22 Re: ご紹介ありがとうございます。

ひろしさん

どうも、はじめまして。
多忙につき返信が遅れてしまい、大変申し訳ございません。

まさか徳善家の血統の方からコメントをいただくとは思わず、恐悦至極に存じます。
確かに現地は険しい地形ですが、タクシー会社が危険手当を出すような環境だったんですね!

4代前に新潟へ移られたとは・・・実は私も少年時代、新潟に住んでいた事があります。
投稿日もひろしさんのご誕生日とは、私もますますもって運命を感じました。
拙い記事ですがコメントをいただき、誠にありがとうございます。
2024-03-28-20:30 * 叡電デナ22 [ 編集 * 投稿 ]