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2023-04-09 (Sun) 17:10

石巻線石巻駅[7] 分割民営化後に発足した「石巻保線区」

石巻駅a601

引き続き宮城県は石巻市鋳銭場にある、JR東日本の石巻(いしのまき)駅を取り上げましょう。
駅の大まかな歴史については第1回で書いたとおりです。
第4回から連続となりますが、今回も引き続き駅構内を観察していきましょう。



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前回記事で紹介した㈱ジェイアール貨物・東北ロジスティクス石巻事業所の西隣には、淡いブルーグレーと白のツートンカラーを纏ったコンクリート建築があります。
1階には4台分の車庫を備えており、如何にも工務関係の施設といった様相です。



石巻駅a606

この建物の玄関は3番線ホームの東端付近にあります。



石巻駅a607

表札には「石巻乗務員休養室」と書かれていますが、その上には「石巻保線区」の表記を消した跡がありますね。


JR東日本 JR貨物 国鉄 保線区 車両基地 現業機関 石巻駅乗務員休養室 DE10形
石巻駅a603

この石巻保線区は1987年4月1日の分割民営化直後、JR東日本が推し進めた「小保線区制」の導入に伴い開設されました。
従来の保線区は「本区事務室―保線支区―保線管理室/機械班」という組織体制でしたが、小保線区制では支区を廃止して「本区事務室―保線管理室/機械班」ないし「保線区―保線管理室」に改め組織を簡略化しています。
なおかつ現場の実態を迅速かつ確実に把握し、それに適合した方法でタイムリーな保守を実施できるように保線区の分割を実施。
まずは1987年度に新潟支社・千葉支社で小保線区制を実施し、続く1988年度には仙台支社を含む各支社で小保線区制に移行しています。
そして国鉄時代から小牛田保線区が所管してきた石巻市近郊の保線を分離し、1988年度中に発足したのが石巻保線区という訳ですね。



石巻駅a604

さて、国鉄時代の小牛田保線区は下部組織として「石巻保線支区」を設けていました。
この石巻保線支区は1968年12月5日、軌道保守近代化の一環として線路分区を統廃合し開設されました。
保線支区は国鉄施設局が1964年4月1日から1971年度末にかけて、従前の随時修繕方式を改め定期修繕方式に移行する中で開設を進めた業務分掌機関です。


保線区 職制 指揮命令系統図
国鉄における保線区の職制(軌道保守近代化以前)

中央鉄道学園が編纂した『保線支区における作業計画のたて方』(1967年/交友社)という書籍があります。
これは保線計画の策定を担当する計画助役および技術掛(計画)を対象とした実務指南書です。
当時の保線は「増大する輸送量、列車速度に対応」(同序文)する事が最重要課題で、抜本的な改革を急いでいました。
そこで「軌道構造を強化し、保守方式を従来の人力による分散的な随時修繕方式から機械力を活用した集中的な定期修繕方式にあらため、制度的には、そうした作業に対処しやすいように現場組織を集約し、さらに作業と検査の分業化をはかる」(同序文)方針を固めたのです。
つまり従来の人力に頼りきりの保線業務では検査と作業を混同し、現場で異常を認めたら直ちに修繕を行っていたところ、新体制では「異常が発生する前に手を打つ」という「予防保全」に移行する事で作業の省力化を狙った訳です。
保線区内ではこれまでも「線路分区」という組織単位を設けてはいましたが、これは5~6kmおき(中には10kmという箇所も)に分散配置した小規模の「線路班」から成るものです。
労働力が細かく分散する分、労務・財務・資材・契約の管理や、保線作業員への指導教育、長期的な工事計画の策定において不便さを抱えていました。


保守用車 事業用車
石巻駅a635
日本国有鉄道仙台鉄道管理局(1979)『仙台鉄道管理局60年史』p.284より引用

線路分区から保線支区への発展的改組によって、保線機械を活用し限られた時間の中で集中的に検査・補修を行う「定期修繕方式」に移行しました。
従前は混同していた検査と作業も完全に分離。
換算軌道キロ10~15kmおきに設置した「検査班」が支区長に報告した検査結果を元に、計画担当(計画助役および技術掛)が作業計画を策定し、作業助役を通じて「作業班」に修繕をさせるという業務体制に移行しています。

また、仙鉄局では1971年8月17日に中編成保線機械作業が始まり、まずは川渡駅で発足式を挙行。
同日中に東北地方初の大掛かりな機械保線を石巻駅構内で実施しました。

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 保守近代化については、営林業務の集中管理による広域防災対策の強化と業務運営の一元化による合理化をはかるため、従来各保線区ごとに担当していた営林部門を統合して、仙台営林区を新設。郡山、福島、仙台、小牛田、会津若松に営林支区を設置した。
 また、保線保守機械化のいっそうの推進を図るため、軌道モーターカー、犬釘抜機、枕木交換機、犬釘打機、マルチプルタイタンパー等からなる中編成保線機械を導入。8月17日、石巻線で東北初の保線機械作業を実施した。
 さらに、部外能力の活用による保守作業の合理化をはかって、柳津線、仙石線の貨物支線等の保守外注化を実施した。

《出典》
日本国有鉄道仙台鉄道管理局(1979)『仙台鉄道管理局60年史』p.284
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保線区 職制 指揮命令系統図
国鉄における保線区の職制(軌道保守近代化後、1978年まで)

国鉄施設局は1982年3月より「線路保守の改善」を敢行しました。
作業班は保線機械業務に特化した「保線機械グループ」に変身。
検査班は軌道検査とこれに伴う簡易な修繕作業、集めた検査データに基づく工事計画、外注工事の監督を担う「保線管理グループ」に改組しました。
保線機械グループは「機械班」、保線管理グループは「保線管理室」とも呼ばれます。

一方、本区事務室には事務テーブル、用品テーブル、管理テーブル、線路テーブル、機械テーブル、土木部門(検査テーブル・工事テーブル)、営林テーブルといった部門を設置。
総務・資材管理や技術管理(安全教育・工事設計・発注・統計など)が主体となり、現場に出て検査・作業を行なう保線支区とは一線を画しています。
よって「小牛田保線区石巻保線支区」は石巻保線区の直接的な前身に当たりません。
寧ろ小牛田保線区の本区事務室から一部業務を移し、なおかつ配下の保線管理室・機械班を移管し発足したのが石巻保線区という訳ですね。



石巻駅a633

ところが実は、国鉄時代にも「石巻保線区」が存在した時期があったのです。
書籍『仙台鉄道管理局60年史』(1979)に掲載された年表を見ると「(昭和)35.4.30 川渡及び石巻保線区、陸羽東石巻線管理所の所属となる」(p.390)とあります。
管理所とは駅・車掌区・機関区・保線区・電力区・信号通信区など職能別に分かれた現業機関のうち、担当線区に係る箇所を解消統合した「総合的現業管理機構」の事です。
JR北海道の「運輸営業所」、JR東日本の「営業所」、JR西日本の「鉄道部」などの先駆けと言えます。



石巻駅a608
日本国有鉄道仙台鉄道管理局(1959)『仙台鉄道管理局40年史』p.29より引用

初代・石巻保線区は1960年4月30日、陸羽東・石巻線管理所に統合されたという訳ですが、ここで気になるのは同保線区が開設された時期です。
実は仙台鉄道管理局の各記念誌に目を通しても、初代・石巻保線区の成り立ちに関する記述は見られないのです。

ここで『仙台鉄道管理局40年史』が抜粋している「仙台鉄道局要覧」大正14年度版を見てみましょう。
上に引用したのはp.29の一部で、赤く囲んだ部分に保線区の名称が並んでいます。
当時の仙台鉄道局は青森・秋田・岩手・宮城・福島・山形・新潟の合計7県に敷かれた国鉄線を所管したため、保線区の数も「30ヶ所」と膨大です。
県別に保線区をまとめると以下の通りです。

【青森県】
尻内保線区、野辺地保線区、青森保線区、弘前保線区
※尻内は現在の八戸に当たる

【秋田県】
横手保線区、秋田保線区、機織保線区、本荘保線区
※機織(はたおり)は現在の東能代に当たる

【岩手県】
一ノ関保線区、黒沢尻保線区、盛岡保線区、一戸保線区
※黒沢尻(くろさわじり)は現在の北上に当たる

【宮城県】
仙台保線区、小牛田保線区、川渡保線区

【福島県】
富岡保線区、中村保線区、郡山保線区、福島保線区、小野新町保線区、若松保線区
※中村は現在の相馬に当たる

【山形県】
米沢保線区、山形保線区、新庄保線区、酒田保線区

【新潟県】
柏崎保線区、長岡保線区、新津保線区、津川保線区、村上保線区

このうち宮城県内にあったのは仙台保線区、小牛田保線区、川渡保線区の3ヶ所だけ。
「石巻」の名は何処にも無く、当時は石巻保線区など存在しなかった事が分かります。



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日本国有鉄道仙台鉄道管理局(1959)『仙台鉄道管理局40年史』p.99より引用

こちらは「仙鉄要覧」昭和15年度版から抜粋した現業機関の一覧表。
1936年9月1日に新潟鉄道局が発足し、仙鉄局から新潟・山形・秋田3県の国鉄線が移管されました。
新潟鉄道局の分離独立から4年、仙鉄局管内では仙台保線事務所、盛岡保線事務所、福島保線事務所、青森保線事務所の計4ヶ所が、各県において保線区を統括していました。

このうち仙台保線事務所が所管する保線区は合計7ヶ所で、担当区域は東北本線越河~前沢間、仙山線(山寺以西を除く)、塩釜線、陸羽東線、石巻線、常磐線平~岩沼間、大船渡線、白中線(省営自動車)です。
常磐線については福島県内の平駅(現:いわき駅)までを所管していた事から、同区間の保線に係る富岡保線区、中村保線区は間違いなく仙台保線事務所が管轄していたでしょう。
前掲の仙台保線区、小牛田保線区、川渡保線区、岩手県内の一ノ関保線区も確実に入りますね。
すると残る1ヶ所の保線区は1925年~1940年の間に増設されたもので、これが石巻保線区だろうと考えられます。
ただし1944年5月1日に宮城電気鉄道が国有化されて「仙石線」となったので、これに伴い石巻保線区が開設された可能性もありそうです。

そして1960年4月30日、陸羽東・石巻線管理所への統合に伴い石巻保線区は消滅。
1968年12月5日に同管理所から保線業務を分離し、小牛田保線区石巻保線支区が発足しました。
それから2年以上が経った1971年4月1日、陸羽東・石巻線管理所は廃止に至っています。
更に分割民営化後の1988年、小保線区制の導入により小牛田保線区から石巻近郊の保線を分離し、2代目・石巻保線区を開設したという訳ですね。
ただし「2代目・石巻保線区に引き継がれず、石巻保線支区が廃止された」という点に注意が必要です。
「保線区」と「保線支区」は鉄道ファンが混同しがちな話ですね。



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この施策では保線社員による直轄作業を原則廃止し、施工は全面的に外注化したほか、軌道検査もごく一部を除いて請負業者に任せました。
保線社員は「監理」、請負業者は「作業」という棲み分けをしたのです。
当然ながら現業機関の大規模な統廃合も起こり、保線区に代わる新たな現業機関として「保線技術センター」が発足。
石巻保線区も右ならえで廃止対象となり、小牛田保線技術センターに業務が集約されました。

石巻保線区の旧本区事務室は「乗務員休養室」に転じました。
石巻線・仙石線の乗務員が折り返し待ちの休憩に使うほか、列車の夜間滞泊に伴う睡眠もここで取ります。



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旧石巻保線区の傍には駅の南北を繋ぐ跨線橋があります。
ラッチ内を介さず横断できる「自由通路」です。
駅前駐輪場とも接続しています。



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線路の北側から跨線橋を眺めた様子。
周囲は広場として整備されています。



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駅北のロータリー。
一般車の送り迎えに使われるのみで、バスはおろかタクシーが乗り入れる気配もありません。



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跨線橋の袂には保線用の土場があります。



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金網の内側にはJR東日本の貸付財産票が置かれています。
これによると仙建工業㈱が「レール付属品等置場」として借用している事が分かります。
仙建工業はJR東日本から保線作業を受注している建設会社で、「設備21」以降は軌道検査や保守用車の運転(マルタイ・バラストレギュレーター・軌道モーターカー等)も引き受けています。



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こちらは駅構内北側の駐車場。



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出入口には朽ち果てた「パーク&ライド」の看板が立っています。
昔は石巻駅や「びゅうプラザ石巻」で乗車券・旅行商品などを買うと、出発日から帰着日まで無料で駐車できました。



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既にパーク&ライドを廃止しており、現在はLiViT(JR東日本東北総合サービス㈱)の仙台駐車場センターが「月極駐車場」として営業しています。
月極料金は5,500円(税込)で、2023年4月現在の空き状況は「若干数」となっています。
空き台数の問い合わせは仙台駐車場センターまで。
同センターの受付時間は平日9:30~17:00です。



石巻駅a615

駐車場にもJR東日本の貸付財産票があります。
これによるとLiViTは2017年12月1日から、石巻駅構内で月極駐車場を運営している事が分かります。
駐車可能台数は30台が上限ですね。



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所変わって、こちらは駅構内西端の水押踏切。
水押は字面のまんま「みずおし」と読みます。
実際の水押は踏切から約900mも北に離れた町域なのですが、どうして踏切名称に使われているのかは全く以って謎です。



石巻駅a619

水押踏切のすぐ傍にも保線関係の詰所があります。
左に「仙建工業㈱小牛田出張所」との看板が見えますね。



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水押踏切を渡り、北側から保線詰所を眺めた様子。



石巻駅a621

建物の周囲は雑草が鬱蒼と生い茂り、まるで人の出入りが無いかのような荒れ具合。
玄関前でさえこの有り様です。



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それでも見慣れた社章付きの看板は健在です。



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玄関左脇の表札には「仙建工業株式会社小牛田出張所」とあります。
その左側に貼られた白いテープから「石巻派出所」の名称が薄っすらと見えますね。



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哀しくなるほどに雑草をほったらかしの詰所ですが、元々は仙建工業の「小牛田出張所石巻派出所」だったんですね。
仙建工業は保線作業員や建築作業員などが所属する現業部門を「出張所」と称し、その出先機関はJR同様に「派出所」と名付けています。
この石巻派出所もかつては作業員達が常駐し、近郊の線路や駅舎等の保全に当たっていたのでしょう。



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旧石巻派出所の東側には、これまた雑草だらけの土場があります。



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この土場にもJR東日本の貸付財産票があります。
これによると土地面積は362.5㎡に及び、今なお仙建工業が「機材置場」として活用している事が分かります。
どうやら軌陸バックホー(コマツスーパーライナー等)をはじめとした保線機械の留置に使っているようです。



石巻駅a629

旧石巻派出所は現在、仙建工業小牛田出張所が近隣で保線作業を実施する際に休憩所として使っているようです。
小牛田出張所は小牛田保線技術センターから石巻線の保線作業を受注しています。



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改めて水押踏切を眺めましょう。
踏切敷板は赤茶色に舗装しています。



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水押踏切には「TC列警不可」を知らせる看板が立っています。
TC列警とはJR東日本が開発した「TC型無線式列車接近警報装置」の略。
無線を使って列車の接近を保線作業員・電気作業員などに伝達し、触車事故の防止を図る装置です。
それが石巻線曽波神~石巻間、仙石線陸前山下~石巻間では使用できないため、より一層の注意を払って作業するように忠告している訳ですね。



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踏切脇には「小牛田信号通信区長」名義の注意書きも。
信号通信区も「設備21」以降のJR東日本には残っていない現業機関ですね。
現在は「仙台信号通信技術センター」が信号設備・通信設備の保守管理に当たっています。


以上、7回に渡って石巻駅を取り上げました。


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※写真は特記を除き2022年9月23日撮影
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最終更新日 : 2023-04-13

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