引き続き空知管内は岩見沢市志文本町1条4丁目にある、JR北海道の志文(しぶん)駅を取り上げましょう。
駅の大まかな歴史と駅舎待合室の様子については既に書いたとおりです。
「鉄道の町・岩見沢」の南方に位置し、中津軽からの入植者・三浦伊次郎が誘致に尽力した志文駅。
今回はプラットホームなど諸施設を見ていきましょう。
ホーム側から簡易駅舎を眺めた様子。
左の大きな窓は駅事務室、右の小さなドアはトイレです。
駅事務室側には2台の鉄道電話機を備えています。
2面2線の相対式ホーム。
駅舎側が1番線で上り列車(栗山・追分・苫小牧方面)、反対側が2番線で下り列車(岩見沢方面)が発着します。
ホーム全長は20m車4両分ほどです。
元々は2面4線の島式ホームで、簡易駅舎の建つ位置が万字線の発着する旧1番線でした。
そして1番線が旧2番線、2番線が旧3番線で、駅裏側に旧4番線が敷かれていたのです。
JR北海道 国鉄 JR貨物 弘南鉄道 JR東日本
両ホームを繋ぐ跨線橋。
この跨線橋も元々は旧1番線・貨物積卸線を跨いで旧駅舎に至るE字型でした。
現駅舎の竣工に合わせて東側の通路が撤去され、切断面に張った仕切り板にはバツ字に鉄骨を当てて養生しています。
構内北側には駅東の市街地と駅西の稲作地帯を結ぶ歩道橋もあります。
どうやら岩見沢市役所が1980年代に建てたそうな。
歩道橋から1・2番線(旧2・3番線)を俯瞰した様子。
両ホームはピッタリ向かい合っている訳ではなく、少しだけ前後にズラしています。
キハ150形 苫小牧運転所 志文駅構内
1番線に入線したキハ150-107。
平日の朝夕は高校生の通学利用が見られる志文駅ですが、普段は旅客の出入りが少なく閑散としています。
万字線 廃線跡 廃止区間
旧1番線と貨物積卸線を俯瞰した様子。
黒い軽自動車が停まっている辺りが旧駅舎の跡地です。
その手前にある白いコンクリート建築は、今なお現役の継電器室。
JR北海道岩見沢電気所が保守管理を担当する信号設備の一つです。
ホームから離れて建つ継電器室も、更地に線路が敷かれていた事を物語っていますね。
駅裏の草むらは旧4番線とヤードの跡地です。
農地との境界に衝立を設けています。
ヤード跡は歩道橋より北、道央自動車道の手前まで広がっています。
既に触れたとおり、かつては万字線の分岐駅でもあった志文駅。
朝日炭鉱、美流渡炭鉱、万字炭山の3ヵ所から出発した石炭車は、このヤードを中継し各地に向かっていたのです。
志文駅を眺めていると石炭産業の栄枯盛衰を感じずにはいられません。
構内北側のポイントを見ると、1本だけヤード跡に伸びる線路が残っています。
この線路は保守用車(マルタイ・BR・軌道モーターカー等)の留置線として活用されています。
構内南側の線路も見てみましょう。
上下線ともに上り出発信号機の手前で大きく湾曲しており、それぞれ旧1番線、旧4番線と接続する転轍機があった事を物語ります。
駅舎から約48m南方にはコンクリート造りの平屋があります。
これは国鉄時代、追分保線区栗沢保線支区志文検査班が使っていた詰所ですね。
栗沢保線支区は北海道炭礦鉄道時代の1894年10月1日、室蘭線栗山~岩見沢間の延伸開業に伴い発足した「追分保線事務所清真布保線手詰所」をルーツに持ちます。
清真布保線手詰所は清真布丁場(現在の栗沢駅に所在)、栗沢丁場(実際は栗丘に所在)といった実働部隊を設け、そこに保線作業員(組頭・線路工夫)を配置していました。
追分保線事務所は1年ほどの稼働だったらしく、1900年には岩見沢に保線事務所を移しています。
1906年10月1日、北海道炭礦鉄道の国有化に伴い「追分保線区」を開設。
清真布保線手詰所は清真布丁場・栗沢丁場ともども追分保線区の管轄に移りました。
一方、1914年11月11日に新規開業した万字軽便線(後の万字線)は、全区間を岩見沢保線区(旧:岩見沢保線事務所)の管轄としました。
岩見沢保線区は万字駅に「万字保線手詰所」を開設し、その配下に上志文丁場、朝日丁場、美流渡丁場、万字丁場を設けています。
そして意外な事ですが当初、志文駅に保線作業員の詰所は無かったそうです。
国鉄当局は1936年9月1日、大規模な機構改革を実施。
これに伴い全国の保線手詰所は「線路分区」に、線路丁場は「線路班」に改称しました。
もちろん道内も右ならえで、追分保線区清真布保線手詰所は「追分保線区清真布線路分区」、岩見沢保線区万字保線手詰所は「岩見沢保線区万字線路分区」となりました。
なお、1949年9月1日に清真布駅が「栗沢駅」に改称すると、清真布線路分区も「栗沢線路分区」に改称しています。
追分保線区は1968年12月10日、従来の線路分区5ヶ所(追分・由仁・栗沢・紅葉山・夕張)を廃止する代わりに、4ヶ所の保線支区(追分・栗山・栗沢・紅葉山)を開設して1本区4支区体制を確立しました。
このうち追分保線支区は苫小牧保線区早来線路分区、栗沢支区は岩見沢保線区万字線路分区の担当区域も一緒に引き継いでいます。
「保線支区」とは国鉄施設局が従来の線路分区・線路班による分散的な人力保線を改め、組織の集約化と機械の投入による集中的な保線体制の確立を目指し、全国各地に設置を進めていた現業機関です。
元々、国鉄の保線区は5~6kmおきに、概ね10~15名の線路工手から成る「線路班」を1班ずつ置き、その元締めとして「線路分区」を構えていました。
線路班が担ってきた人力保線は随時修繕方式と言い、ビーターを持って担当する区間を巡回し、レールやマクラギ、道床を見たり触ったりして検査を行い、異常を発見したら直ちに修繕を施すものでした。
しかし高度経済成長期に鉄道の輸送量が増大すると、それに伴い列車本数も増便された事により、保線作業の出来る列車間合が減少。
おまけに列車の速度も向上したために線路破壊が早まり、それでも運転回数が多いせいで十分な修繕の出来る時間が少ない…というジレンマを抱えてしまった訳です。
そこで国鉄施設局は「軌道保守の近代化」を計画し、線路分区に代わる現業機関として1963年4月から「保線支区」の設置を進め、限られた時間の中で集中的に検査・補修を行う「定期修繕方式」に移行していきました。
従前は混同していた検査と作業も完全に分離。
軌道換算キロ10~15kmおきに設置した「検査班」が支区長に報告した検査結果を元に、計画担当(計画助役および技術掛)が作業計画を策定し、作業助役を通じて「作業班」に修繕をさせるという業務体制に移行しています。
支区制移行後における追分保線区の組織図
追分町編さん委員会(1986)『追分町史』(北海道勇払郡追分町役場)p.p.1037,1038より引用
検査班は1支区につき3~5班を設置しており、作業班は1支区1班ずつとしています。
追分保線支区の検査班は追分検査班、安平検査班、早来検査班、遠浅検査班の計4班。
栗山保線支区の検査班は三川南検査班、三川北検査班、由仁検査班、栗山検査班の計4班。
栗沢保線支区の検査班は栗沢検査班、志文検査班、朝日検査班、万字検査班(後に移転し美流渡検査班)の計4班。
紅葉山保線支区(後の新夕張保線支区)の検査班は川端検査班、滝ノ上検査班、紅葉山検査班(後の新夕張検査班)、夕張検査班の計5班です。
1981年10月に石勝線が開通すると、紅葉山保線支区を新夕張保線支区に改称すると共に、新規開業の占冠駅構内に石勝保線支区(後の石勝保線管理室→占冠保線管理室)を開設しました。
石勝保線支区はオサワ検査班、占冠検査班、東占冠検査班の計3検査班を設けています。
軌道保守近代化によって、上志文から線路班が消滅したのと引き換えに、志文で「追分保線区栗沢保線支区志文検査班」が発足した訳ですね。
1982年3月1日には保線支区の単調業務・波動業務を外注化し、直轄部門の検査班・作業班を「保線管理グループ」と「保線機械グループ」に再編しました。
このうち保線管理グループは「保線管理室」とも呼ばれ、担当区域内における軌道検査とこれに伴う簡易な修繕作業、検査データを基にした工事計画、外注工事の立会い・監督を担当。
当初は検査班時代と同じく換算軌道キロ10~15kmおきに1室ずつ配置しました。
志文検査班も「追分保線区栗沢保線支区志文管理室」に改組し、検査から施工管理まで一貫して行なう「庭先意識の復活」を期しました。
しかし1985年4月1日、赤字に喘ぐ万字線の全区間(23.8km)が廃止されてしまいました。
これで栗沢保線支区は担当区域の大部分を失う事となり、志文管理室も泣く泣く活動に終止符を打ちました。
常駐する係員が誰一人いなくなり、40年近い歳月が経った保線詰所ですが、近隣で作業を行なう時に休憩所として活用されています。
志文にはもう一つ、重要な保線スポットが存在します。
それは駅から約1.6km北東、国道234号線沿いにある㈱猪股組の「事業所」です。
株式会社猪股組 社旗 緑十字 ロゴ
猪股組は岩見沢市駒園8丁目に本社を構える建設会社です。
1982年1月15日の設立で、資本金は2,004万円、従業員数は40名。
北海道軌道施設工業㈱(通称:軌道会社)の協力会社として、主にJR北海道岩見沢保線所管内(函館本線・根室本線)における保線作業(軌道補修工事・軌道改良工事)を受注しています。
岩見沢保線所の各保線管理室は定期的に軌道検査を実施し、集計した検査データを基に工事計画を策定。
その工事計画に従い、軌道会社や猪股組などの建設会社が保線作業を実施するという訳です。
また、札建工業㈱からも工事案件を受注する事があり、苗穂駅移転橋上化工事や北海道新幹線北斗工区軌道敷設工事などに携わりました。
猪股組の拠点は「本社」と「事業所」に分かれており、志文の事業所には作業員とその管理職が配置されています。
事務所棟は2階建てのプレハブです。
敷地の奥には重機の整備場があります。
保線の現場では軌陸バックホー(コマツスーパーライナー等)が大活躍。
アタッチメントの付け替えにより、道床つき固め、マクラギ更換、除草など様々な用途に使えます。
ちなみに元請けの軌道会社も、自社現業部門の「出張所」に軌陸バックホーと保線作業員を配置しています。
猪股組はJR関連工事の他に、岩見沢市役所や岩見沢ガスからも工事案件を受注。
道路工事や外構整備、杭打ち工事、ガス管工事、解体工事など活躍は多岐に渡ります。
ちなみに猪股組事業所の隣には「湯元岩見沢温泉なごみ」があります。
年中無休の日帰り入浴施設です。
以上、2回に渡って志文駅を取り上げました。
※写真は全て2021年10月2日撮影
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最終更新日 : 2023-03-11