引き続き空知管内は雨竜郡沼田町北1条3丁目にある、JR北海道の石狩沼田(いしかりぬまた)駅を取り上げましょう。
既に書いたとおり富山県から来た開拓の祖・沼田喜三郎が留萌本線の誘致に関わっており、同氏が寄贈した5,000坪の土地に石狩沼田駅が建設されました。
今回はプラットホームの様子を見ていきましょう。
1面1線の単式ホーム。
全長は20m車3両分ほどで、全面的に上屋で覆われています。
JR北海道 国鉄 JR貨物 北陸本線
第1回の記事で触れたとおり、1994年12月3日のダイヤ改正まで交換設備を有していました。
元々は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を組み合わせた「国鉄型配線」で、駅舎側の単式ホームがかつての1番線でした。
棒線化から28年が経過しましたが、向かいの島式ホームは取り壊されず綺麗な姿で残っています。
駅構内の留萌方に注目。
構内踏切の階段も健在です。
島式ホームには駅名標と名所案内も。
紫外線に晒され続け、萌黄色の帯が退色した駅名標。
名所案内は富山県小矢部市から継承した「夜高あんどん祭り」と、幌新で静態保存されているクラウス15号蒸気機関車を紹介しています。
この名所案内ですが残念ながら現在使用中の旧1番線ホームにはありません。
続いてホーム側から駅舎を眺めていきましょう。
深川方には倉庫と思しき大小2ヶ所のドアがあります。
ここから更に東側は波トタン板で壁を作っています。
波トタン板は白、ベージュ、水色の3色が入り乱れ、まるでパッチワークのようです。
こちらは改札口。
床面を見るとドアの手前を四角く舗装しています。
元々はこの場所にラッチを設けており、それを撤去した痕跡を埋立てた事が窺えますね。
改札口の西側には2段に窓ガラスを入れたドアがあります。
ここは駅事務室の玄関です。
玄関ドアには「事務室」のステッカーを貼っています。
ドットを繋げたビットマップフォントです。
第1回の記事で触れたとおり、駅事務室は地ビール作りに取り組む地域おこし協力隊員の拠点となっています。
深川方から駅事務室、改札口、倉庫(?)のドアを一望した様子。
駅事務室の窓回りには、直営駅時代に駅員が操作していた設備が残っています。
この機械は「踏切列車接近表示器」です。
石狩沼田駅の東側には「第6旭川留萌線踏切」、西側には「植林道路踏切」があり、これら踏切に列車が接近すると上のランプが点灯するようになっていたのでしょう。
踏切列車接近表示器はケーブルで2個のボタンと接続。
ボタンの札には「接近確認押ボタン」と書かれています。
左右別々に赤い矢印を付けている事から、上のボタンは下り列車(留萌・増毛方面)、下のボタンは上り列車(秩父別・深川方面)と紐付いている事が分かりますね。
おそらくは先述の踏切を通過した列車が見えてきた、或いはホームに差し掛かったら、立ち番の駅員がボタンを押してランプを消灯していたのでしょう。
こちらは駅舎の西端。
第1回でも取り上げた集札口のすぐ傍に細いドアがあります。
この部屋は国鉄バス・JRバスの沼田線で使用された「自動車乗務員休憩室」です。
沼田線は戦時下の1944年7月21日、札沼線石狩追分~石狩沼田間が不要不急線として休止された事に伴い代替手段として設定された自動車路線です。
先に休止されていた石狩橋本~石狩追分間を含め、約32kmに渡ってバスとトラックを運行。
運行管理は滝川自動車区(後の滝川自動車営業所)が担当しました。
1956年11月16日には札沼線が全線復旧を果たしますが、沼田線は鉄道のフィーダー輸送を担うべく存続しています。
1972年6月19日、札沼線新十津川~石狩沼田間が廃止。
沼田線は再び鉄道代行輸送を担う事となり、滝川駅にも乗り入れて函館本線と接続しました。
1987年4月1日、分割民営化に伴いJR北海道が沼田線を継承。
同社の滝川自動車営業所が運行管理を担いました。
1993年7月20日には高速沼田号が運行を開始し、札幌~石狩沼田間を2時間50分で結んでいます。
その後、高速沼田号は所要時間を短縮し2時間30分にスピードアップしました。
しかし沼田線は乗客減少に歯止めが効きませんでした。
2000年4月1日にJR北海道のバス部門が分社化し、新会社のジェイ・アール北海道バス㈱が発足。
分社化後の2002年4月1日、北海道中央バスの高速るもい号が並行区間内の雨竜・北竜役場前に停車するようになり、沼田線の乗客を奪われる事にもなりました。
そして2003年3月1日、JHBは滝川営業所を廃止。
同時に沼田線は北海道中央バスに移管され「滝川沼田線」として新たなスタートを切りました。
そんな滝川沼田線も沿線人口の減少や運転手不足に悩まされ、2022年4月1日に廃止。
誰も利用しなくなった自動車乗務員休憩室は、寂しく表札を掲げ続けています。
沼田町史編纂委員会(1982)『新編沼田町史』p.993
今や遺構は見つけられませんが、国鉄時代は駅構内に「深川保線区石狩沼田保線支区」も置かれていました。
石狩沼田保線支区は1910年11月23日、留萠線深川~留萠間の開業に伴い峠下駅構内に開設された「深川保線区峠下保線助手詰所」をルーツに持ちます。
書籍『新編沼田町史』(1982)によると1928年10月、峠下保線助手詰所は石狩沼田に移転して石狩沼田保線助手詰所に改称。
これに関連して書籍『留萌市史(昭和40年~45年)』(1970)には1928年10月10日、羽幌線大椴~鬼鹿間の延伸開業に伴い留萠保線区を開設したとあります。
同時に深川保線区が所管していた恵比島~留萠間も留萠保線区に移管しているため、保線手詰所の移転は担当区域の再編によるものだった事が分かります。
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昭和3年10月10日大椴・鬼鹿間の開通に伴い、深川保線区の担当する恵比島・留萌、留萌・増毛間および羽幌線東留萌・鬼鹿間合わせて74粁を担当して留萌保線区を開設した。昭和6年8月15日鬼鹿・古丹別間が開通し担当94粁となる。昭和7年9月1日古丹別・羽幌間16.6粁開通し担当110.6粁となる。昭和16年12月9日羽幌・築別間開通し担当118粁となる。担当距離の増大により同日恵比島・峠下間を深川保線区に移管して108粁となる。
《出典》
留萌市役所(1970)『留萌市史(昭和40年~45年)』p.540
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1930年には石狩沼田線路分区となり、深川保線区の分掌機関として保線作業員(線路工手長・線路工手)を束ねていました。
1941年12月9日、羽幌線の更なる延伸により担当区域が肥大化した留萠保線区から、留萠本線恵比島~峠下間の移管を受けています。
1977年9月25日に撮影された石狩沼田駅周辺の空中写真
黄色く丸を付けた箇所が深川保線区石狩沼田保線支区の事務所棟
国土地理院公式サイト『地図・空中写真閲覧サービス』より引用
1967年12月1日、石狩沼田線路分区は軌道保守近代化に伴う組織再編で「石狩沼田保線支区」に改組。
同時に鉄筋コンクリート造り2階建ての事務所を新築しました。
これまで国鉄の保線区は換算軌道キロ5~6kmおきに、10名前後の線路工手から成る「線路班」を1班ずつ置き、2~4班の取りまとめ役として「線路分区」を構えていました。
換算軌道キロは本線軌道延長に側線軌道延長の1/3を加えたものですね。
例えば換算軌道キロ80kmを担当区域とする保線区なら、線路分区4ヶ所、線路班16ヶ所を抱える事になる訳です。
線路班が担ってきた人力保線は「随時修繕方式」と言い、ビーターを持って担当する区間を巡回し、レールやマクラギ、道床を見たり触ったりして検査を行い、異常を発見したら直ちに修繕を施すものでした。
しかし高度経済成長期に鉄道の輸送量が増大すると、それに伴い列車本数も増便された事により、保線作業の出来る列車間合が減少。
おまけに列車の速度も向上したために線路破壊が早まり、それでも運転回数が多いせいで十分な修繕の出来る時間が少ない…というジレンマを抱えてしまった訳です。
深川保線区 職制
そこで国鉄施設局は「軌道保守の近代化」を計画し、線路分区に代わる現業機関として1963年4月から「保線支区」の設置を開始。
保線機械の導入・増備により、限られた時間の中で集中的に検査・補修を行う「定期修繕方式」に移行していきました。
従前は混同していた検査と作業も完全に分離。
換算軌道キロ10~15kmおきに設置した「検査班」が支区長に報告した検査結果を元に、計画担当(計画助役および技術掛)が作業計画を策定し、作業助役を通じて「作業班」に修繕をさせるという業務体制に移行しています。
国鉄施設局は1982年3月より「線路保守の改善」を敢行しました。
作業班は保線機械業務に特化した「保線機械グループ」に変身。
検査班は軌道検査とこれに伴う簡易な修繕作業、集めた検査データに基づく工事計画、外注工事の監督を担う「保線管理グループ」に改組しました。
そして国鉄解体に向かう最中の1985年12月1日、石狩沼田保線支区は廃止を迎えました。
担当区域は深川保線区深川保線支区が継承しましたが、これも北海道総局が1986年8月1日に敢行した「施設関係業務の改善」によって小編成の「深川保線区深川保線管理室」に改組されています。
分割民営化後は深川保線区も留萌保線区も消滅。
現在は旭川保線所深川保線管理室が留萌本線の軌道検査と簡易な修繕作業、集めた検査データに基づく補修計画の策定、外注工事の監督に当たっています。
外注先は北海道軌道施設工業㈱旭川支店で、同支店の現業部門である旭川第一出張所と旭川機械センターが施工を引き受けています。
石狩沼田保線支区の跡地には「コアタウン21」という3階建てのマンションが建ちました。
単式ホームに停車したキハ150形。
改札口の頭上に掲げた駅名標。
以上、3回に渡って石狩沼田駅を取り上げました。
《ブログ内関連記事リンク》
留萌本線石狩沼田駅[3] JRバス沼田線の乗務員休憩室と「石狩沼田保線支区」
※写真は特記を除き2021年4月3日撮影
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最終更新日 : 2023-02-09