福島駅は構内北部で県道310号線の陸橋(西町跨線橋)と立体交差しています。
この立体交差は地平の在来線、西町跨線橋、東北新幹線の高架による3段重ね。
高低様々な構造物が乱立する中、跨線橋の東側からは広々とした在来線ターミナルを俯瞰できます。
写真右に見える2両編成は、山形新幹線と同じく奥羽本線の改軌区間を走る「山形線」の719系5000番台ですね。
西町跨線橋の袂には2階建てのコンクリート建築があります。
2階には室内から駅構内を見渡せるように広い窓を設けており、施設系のネタが好きな鉄道ファンなら一目で信号扱所だと察する事でしょう。
JR東日本 JR貨物 運転取扱業務 信号掛 JR北海道 東北本線
陸橋を下りて東側に回ってみます。
見るからに国鉄末期に建てられた建築物で、外壁は所々に蔦が張っています。
南側には2階に直通する階段があります。
もちろん信号扱所は関係者以外不可侵の領域なので、周囲には金網が立ち塞がります。
階段脇には「福島駅信号扱所」の表札を掲げています。
金網越しに建物を眺めていると、信号扱所の建設に関する工事銘板を発見。
これを読むと工事件名は「福島駅信号設備改良その他工事」で、使用開始日は1981年9月28日だと分かります。
つまり福島駅では国鉄末期に、元々あった信号扱所を老朽化など何らかの理由で建て替えているという訳です。
設計・監督は国鉄仙台電気工事局に属する現業機関の福島電気工事所。
鉄道管理局に属し電気設備の日常的な保守管理を担う電力区・信号通信区・電気区などに対し、電気工事所は電気設備の新設・改良や電化工事の施工管理を担当しました。
実際の施工は原則として部外の工事業者に発注するため、当然ながら工事銘板も設計・監督と施工で異なる名義を表示します。
「福島駅信号設備改良その他工事」の場合、外注先は保安工業㈱東北支店だった事が読み取れますね。
交通協力会が発行していた雑誌『交通技術』の1960年8月号によると、福島駅で第一種継電連動装置の使用を開始したのは1959年12月1日の事。
同1960年2月号によると「東北本線電化に伴ない、交直電源切換設備の新設と、老朽甚だしい電気連動機を継電連動機に取替える工事」(p.82)を11ヶ月かけて実施したのだといいます。
また、同1968年5月号では福島駅構内の信号扱所として「中川信号扱所」の名を確認できます。
この「中川」とは現在の福島総合運輸区(当時は福島機関区)がある町域で、中川信号扱所は動力車の出入区に係る信号扱いを担当していたのでしょう。
そして中川はプラットホームから約700mも離れている事から、当時の福島駅は複数箇所の信号扱所を設けていたものと思われます。
国鉄時代、大規模駅の構内に複数の信号扱所を設けるのはザラで、それこそ岩見沢駅は操車場含め7ヶ所の信号扱所を設けていた事がありました。
すると例えば「駅東信号扱所」「駅西信号扱所」「操北信号扱所」「操中信号扱所」というように、箇所別に名前を付けて区別する必要が生じたのです。
この「中川信号扱所」という名称も、福島駅がいくつかの信号扱所を抱えていた事の証左でしょう。
ただし1959年12月に継電連動化したというのがミソです。
継電連動装置は駅構内の各所に配置された転轍機や信号機(出発信号機・場内信号機・入換信号機など)を1ヶ所で制御できるようになるというメリットがあります。
つまり福島駅でも継電連動化によって、構内に分散配置されていた信号扱所の数々を統廃合している可能性があるのです。
すると連動化後に配置されていた信号扱所は、少なくとも駅本屋側と機関区側(中川)の2ヶ所に圧縮していたはずです。
そして1981年9月28日、建て替えにより新たな信号扱所が落成。
以来、40年以上もの長きに渡り福島駅の運転保安を担い続けているという訳ですね。
この信号扱所は面白い事に、JR東日本の施設でありながら福島交通飯坂線の線路脇です。
福島交通1000系や、阿武隈急行の8100形やAB900系とツーショットを撮るのも愉快。
※写真は全て2022年7月16日撮影
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最終更新日 : 2023-01-20