空知管内は雨竜郡沼田町字沼田にある、JR北海道の真布(まっぷ)駅。
沼田町の中心街から約3km北西に離れた、丘の麓の稲作地帯に置かれた駅です。
駅名の「真布」という土地は当駅の北に広がっており、駅との交通手段は真布川に沿って伸びる小道しかありません。
Wikipediaの項目「真布駅」に書かれた「北海道雨竜郡沼田町字真布」は間違った住所なのでご注意を。
実際は字沼田の域内北部にあり、元々この界隈は「藤沢部落」または「沼田第五部落」と呼ばれていました。
藤沢部落の起源は1896年、藤沢栄次郎が開墾会社から120町歩の土地を譲り受けた事によります。
藤沢氏の姓を取って「藤沢部落」と称した訳ですが、当の藤沢栄次郎は泥炭地での開拓に苦慮し、すぐさま笠松千太郎に土地を売却。
更に笠松氏も岩見沢や栗沢から移住した人々や旧会社の小作人に土地を分譲し、早々に当地を去ったのだそうです。
1923年には下保要太郎らが寒地稲作の実現を志して貯水池を築造。
これが集落の基礎を固める事となり、最盛期には32戸の農家が暮らしたといいます。
2023年現在は町営藤沢墓園に、かつての部落の名を残しています。
JR北海道 国鉄 JR貨物 留萌本線 廃線 区間廃止 仮乗降場
一方、真布の開拓が始まったのは1900年。
道内各地で炭鉱を経営していた北海道炭礦汽船㈱(通称:北炭)が、道庁から山林の貸付を受けた事に端を発します。
既に北炭は1898年にも沼田山林の貸下げ許可を受けており、ポンニタシベツ(現:更新)およびパンケホロマップ(現:東予)を手中に入れていました。
当時の真布はアイヌ語で「シルトルマップ」(和訳:山の間にある川)と呼ばれ、アイヌも住まない僻地であったようです。
北炭は山林の貸付を受けて直ぐ、石黒甚次郎を苗圃管理人に任命して真布に入地させました。
真布には北炭の事務所や社宅が建っており、石黒氏は苗圃を管理したり、時には山へ出かけて造材・造林の監督を務めました。
北炭は真布山林の経営と並行して林内農耕地の選定を行ない、半農半林の形態により小作人を入植する計画を立てました。
そして1906年、富山県東砺波郡出身の沢田常次郎が真布農耕地に入植。
最初のうちは石黒氏宅に居候していた沢田氏ですが、やがて6kmも離れた土地を北炭から借り、そこに掘っ立て小屋を建てて引っ越しました。
すると翌1907年から真布への入植者が相次ぐようになり、中には近隣の泥炭地・藤沢部落から稔りを求めて移住する人も見られました。
1913年には北炭が造林地も農耕地に転換したため、更に入植者が増加。
道路の整備も進んで生活は豊かになり、模範部落と評されるほどになったそうです。
1940年には「沼田村炭砿農耕地自作農創設期成会」の結成により、真布の住民達はようやく北炭から解放されて自作農家となりました。
藤沢部落と真布農耕地の開拓が進む中、1910年11月23日に国鉄留萠線深川~留萠間が新規開業しました。
しかし真布駅が開設されたのは、それから46年後の1956年7月1日。
当初は正式な「駅」ではなく、旭川鉄道管理局の采配により設定した「仮乗降場」でした。
旭川鉄道管理局管内では1950~1960年代、小集落の利便性確保を目的として自局管轄内の各路線に仮乗降場を次々と設置しており、真布仮乗降場もその一つだったのです。
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かりじょうこうじょう 仮乗降場
季節的に旅客の集合する場合等旅客乗降の利便を図るため駅以外の場所に設備した乗降場をいう。このほかに臨時乗降場も仮乗降場と称することがある。
現在国鉄では仮乗降場の設置は本社で行なっており、その開設期間、旅客の取扱区間等については鉄道管理局長が定めることとなっている。
仮乗降場と仮駅の異なるところは、仮乗降場には営業キロ程が設けられず、運賃は外方駅の運賃によることとしている点である。現在通勤・通学等の利便を図るため、鉄道管理局長かぎり臨時に列車を停車させ旅客の取扱を行っている場所があり、これも仮乗降場または臨時乗降場と通称する。
(森 悌寿)
《出典》
日本国有鉄道(1958)『鉄道辞典 上巻』p.269
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1987年4月1日、分割民営化に伴いJR北海道が継承し、同時に旅客駅へと昇格しました。
1997年4月1日、路線名称の留萠本線について「萠」を「萌」に直して「留萌本線」に改称しました。
実際、昭和時代から地元住民や官公庁・企業等は「留萠」ではなく「留萌」の表記を用いており、分割民営化10年目でようやく地域の実態に則した路線名称となりました。
現在は旭川駅を拠点駅とする旭川地区駅(担当区域:函館本線江部乙~旭川間、留萌本線全区間、富良野線旭川~学田間、宗谷本線旭川~名寄高校間、石北本線新旭川~上越間)に属し、地区駅長配下の管理駅である深川駅が管轄する完全無人駅です。
そして2023年4月1日、当駅を含む留萌本線石狩沼田~留萌間が廃止される予定です。
最終運行日は前日の3月31日となります。
国鉄時代の仮乗降場に相応しく、駅構内には20m車1両分にも満たないほど短いプラットホームを設けています。
この手の短いホームはしばしば「朝礼台」と呼ばれていますね。
床下の桁も必要最小限。
1面1線の単式ホーム。
床は全体的に板張りです。
木造駅舎 待合所 待合室
木造駅舎 待合所 待合室
駅舎は開設当初から存在するものと思われる、こじんまりした下見張りの小屋です。
ホームから駅の外側にはみ出すように建っています。
国鉄は仮乗降場に自前の駅舎を建設しない事が多かったので、これも元々は地元住民が列車の待ち時間を過ごせるように建設したのでしょう。
木造駅舎 待合所 待合室
木造駅舎 待合所 待合室
待合室の様子。
コの字型にベンチを設けています。
頭上の梁にも年季を感じます。
照明は裸電球が1個だけ。
室内に飾られた桜の造花。
造花には「32 宇都宮東」「630-8799 奈良中央」などと書かれたラベルが付いています。
「630-8799」は奈良県奈良市大宮町の郵便番号ですね。
おそらく「宇都宮東」は宇都宮郵便局、「奈良中央」は奈良中央郵便局の事でしょう。
どうやら宇都宮東局で集荷し、奈良中央局まで輸送した荷物のラベルみたいです。
これも造花を持ち込んだ人の置き土産でしょうか、ベンチには『HOT PEPPER 宇都宮版』の2020年10月号が置かれています。
どうも宇都宮在住らしいのですが、だとすれば宇都宮市内から奈良市内まで郵送した造花を、わざわざ現地で受け取って北海道まで持ってきた意図が読めません。
そんな面倒くさい事をするくらいなら、道内の郵便局まで郵送するか、自力で宇都宮から持ち運んだ方が良いでしょうに。
ホットペッパーと一緒に並んでいるのは『大学への数学』2011年5月号。
表紙には豊富町のスタンプを押印している事から、元の持ち主は羽幌線の廃線跡を辿って真布駅まで来たのかな・・・と足取りを想像してしまいました。
木造駅舎 待合所 待合室
駅舎の裏側を眺めた様子。
窓は一切ありません。
藤沢線踏切
藤沢線踏切
真布駅のホームとは目と鼻の先にある踏切。
この踏切の正式名称は「藤沢線踏切」。
こんなところにも藤沢部落の名が残っています。
※写真は全て2021年4月3日撮影
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最終更新日 : 2023-01-22