苗穂・丘珠通から運転所構内を覗くとJR北海道の子会社、北海道ジェイ・アール運輸サポート㈱の灯油配送車が停まっているのを発見。
同社は鉄道関連業務に加え、灯油の移動販売も手がけているのです。
北海道ジェイ・アール運輸サポートの社章
同社公式サイトより引用
北海道ジェイ・アール運輸サポート㈱は「JUS」を公式の略称としています。
直接の前身は国鉄時代の1962年3月23日に設立された北海道車輌整備㈱。
会社設立の背景には国鉄本社が1961年度より着手した「第2次5ヵ年計画」があり、これを受けて札幌鉄道管理局が経営合理化の一環として車両清掃業務の部外委託を実施する事になったのです。
北海道車輌整備の本社は札幌駅北(札幌市北区北7条西4丁目)にあった札幌客貨車区の構内に置かれ、同年4月付で同客貨車区の旅客車清掃業務を受託。
本社に併設した札幌事業所に所属する39名の社員(主に国鉄OB)が、入庫する車両の清掃に着手しました。
その仕事ぶりは国鉄幹部にも評価されたといい、翌1963年8月1日には早くも苗穂機関区(現:JR北海道苗穂運転所)に進出し同構内に苗穂事業所を開設。
苗穂事業所では車内清掃に加え、旅客車内広告の取扱いも併せて受託しました。
その後は創立5年目となる1966年までの間に、
旭川事業所(旭川客貨車区構内)
手稲事業所(札幌運転区構内)
札幌貨物事業所(東札幌駅構内)
函館事業所(函館客貨車区構内)
岩見沢事業所(岩見沢第二機関区構内)
釧路事業所(釧路客貨車区構内)
室蘭事業所(室蘭客貨車区構内)
室蘭事業所鷲別支所(鷲別機関区構内)
室蘭事業所苫小牧支所(追分機関区苫小牧支区構内)
室蘭事業所追分支所(追分機関区構内)
小樽事業所(小樽駅構内)
小樽事業所小樽築港支所(小樽築港機関区構内)
小樽事業所倶知安支所(倶知安機関区構内)
苗穂事業所滝川支所(滝川機関区構内)
苗穂事業所富良野支所(富良野機関区構内)
・・・と道内各地の運転関係区所や駅に進出。
業務範囲も拡大し、コンテナの清掃・塗装、廃品回収、ディーゼル機関車・気動車への給油、ボイラー取扱い、乗務員休養室の管理、座席カバー取替え、車両の蓄電池検査、屋根回り検修・・・と多岐に渡るようになりました。
JR北海道 国鉄 JR貨物 JUS 北海道車輌整備株式会社商事部サービスセンター 苗穂駅
灯油配送販売を手がけた「商事部サービスセンター」
北海道ジェイ・アール整備株式会社(2002)『40年史』p.39より引用
1987年4月1日の分割民営化に伴い、北海道車輌整備㈱はJR北海道の子会社となりました。
灯油販売は1990年10月、同社が苗穂に置いていた商事部サービスセンターが開始しました。
この頃は全国各地でJR各社と関連会社が「事業開発」と銘打ち、鉄道以外の目玉を生み出そうと新事業の開拓に打ち込んでいた時代。
北海道車輌整備商事部も1989年1月25日のサービスセンター開設を機に、米や塩辛、家電、家具などの販売に乗り出しており、その延長線上に灯油の配送販売があったという訳です。
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苗穂運転所の構内に「商事部サービスセンター」開設、平成元年1月25日に開所式を行った。
昭和54年4月に札幌市東区北9条東2丁目に設けられた商事部作業場は開設以来、駅のホームや階段に敷かれるステップラバー工事、石油暖房機器の分解掃除や温水ボイラーの新設工事、各種消火器の点検整備等の作業を主体としてきた。
又、昭和62年3月には開発業務で「消防用設備等の点検・保守並びに建築物の管理及び清掃」を開始し我が社が推進して来た鉄道業務以外の一般業務が一層推進された。特に消防関係の受注が順調に増加し、それに対応するために新たな活動拠点を開設した。
開所式に当たって齋藤社長は「ここを拠点に商事活動を発展的に推進することを決意されたい」と述べた。
こうして、着実に商事部は拡大し会社の大きな収益源になるよう目指した。しかし、現実は厳しかった。何と言っても、目玉事業が確立されていないからである。
そこで、齋藤社長は全国の同業者の商事活動をヒントに、平成2年新たに灯油の配送販売事業に挑戦することを決断した。同年7月から顧客獲得活動を開始し、石油ストーブの分解整備のお客様に灯油配送販売を開始することを話し、またJRの社員にもお願いして顧客になっていただいた。こうしてお客様を増やし、平成2年10月から配送が開始された。この時の顧客は約150軒。
最初は2トンタンクローリー車を1台購入して、2人乗車で配送作業体制をとった。その後徐々にお客さんを増やすことが出来、平成4年12月に2代目の3トンタンクローリーを購入、平成5年9月に3台目、平成8年に4台目と順調に拡大し、お客様も1,500軒になった。
しかし商売はそう容易に行くものではない。これだけのタンクローリーと配送要員では夏期間は遊ぶことになる。何とか単独で利益が出るようにと、配送作業は1人にし、さらに平成9年からは冬だけの契約社員に配送作業をしてもらう体制をとった。
これで、漸く採算の取れる事業にすることが出来た。お客様から連絡を頂かなくても、お客様の灯油タンクが少なくなってきた頃を見計らって配送(顧客情報管理による定期配送)に出向くわけである。特に大きな事故もなくお客様のタンクを安心してお任せしていただき、信頼を得るまでになった。
《出典》
北海道ジェイ・アール整備株式会社(2002)『40年史』p.p.39,40
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旧社名の北海道ジェイ・アール整備時代に所有していた灯油配送タンクローリー車
北海道ジェイ・アール整備株式会社(2002)『40年史』p.40より引用
その後、商事部は販売体制の見直しに着手し1992年3月31日にサービスセンターを廃止。
これに代わる新組織として、同年4月1日に苗穂事業所・手稲事業所・旭川事業所・函館事業所の4ヶ所に「販売センター」を併設しました。
灯油販売については苗穂事業所が継承しています。
その後、取扱商品については手を広げ過ぎた従前の姿勢を改め、得意分野である灯油販売、石油ストーブの分解整備に絞りました。
更に1993年からは踏んで除雪が出来る「ステップラバー」の開発・販売を展開。
札幌運転所構内の車両部品工場「手稲ワークス」でもルーフヒーティング、家庭用ロードヒーディング等の施工・販売に乗り出していきます。
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商事部の基本活動と言っても専任の営業社員がいる訳ではない。各社員の販売高に応じて報奨金制度をとっていた。納品作業は所長を先頭に管理社員が中心であったが、このパターンには限界が見えてきた。
そこで、平成4年3月に商事部の販売体制強化のため組織を大きく変更した。まず、本社商事部の販売要員を苗穂に移し、同年4月1日に販売センターを事業所に設置。その他苗穂、手稲、旭川、手稲の4ヵ所にもセンターを置いた。販売センター組織にして、センターの判断で仕入れが出来るようにしたが、各事業所の負荷は大きくなった。事業所と本社商事部の間で利益の奪い合い(良く言えば売り上げ競争)も起きてしまった。何せ決定的な目玉商品の無いのが如何ともしがたかった。体制を強化したくても利益の望めない所には増員も出来ないわけである。
(中略)
こんな折、平成5年度から商事部は、商事部の赤字体質に憂慮して、取り扱い商品の将来性をじっくりと検討した。その結果、灯油販売と、石油ストーブの分解整備が相互に関連性もあり不況下にも強い商品であると考えた。これで2本の主力商品が出来た。
《出典》
北海道ジェイ・アール整備株式会社(2002)『40年史』p.p.40,41
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北海道車輌整備㈱は1993年10月1日、同じくJR北海道の整備関連業務を受託していた北海道電工㈱と合併し北海道ジェイ・アール整備㈱に改組。
2005年4月1日には現社名の北海道ジェイ・アール運輸サポート㈱に改称しました。
現在もJUS苗穂事業所が灯油配送販売を続けており、札幌市内をはじめ北広島市、小樽市、江別市、石狩市など、道央圏に販売エリアを構築しています。
ちなみにJUS苗穂事業所は苗穂運転所構内に社屋を構えています。
同事業所は灯油販売の他に、気動車の給油作業、車内外の清掃、座席カバー取替え、冷暖房点検、構内入換(車両の運転を含む)といった受託業務を展開しています。
このうち構内入換については2005年4月1日の社名変更に伴い開始。
2009年9月からは庫内運転士の養成を開始し、自前で庫内運転士を雇用しています。
※写真は特記を除き2022年12月24日撮影
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最終更新日 : 2023-01-05