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2022-12-18 (Sun) 12:37

飯坂線・阿武急線福島駅[1] 電車の待合室を設けた「福島屋旅館」

私鉄福島駅a01

福島県は福島市栄町にある、福島交通・阿武隈急行の福島駅。
俗に言う「共同使用駅」で、私鉄2社が同じ駅舎とホームを共用しています。
福島駅はJR東日本3路線(東北本線・奥羽本線・東北新幹線)、福島交通飯坂線、阿武隈急行線の計5路線が乗り入れ、何れも駅構内では線路を南北に敷いています。
私鉄2社の乗り場はJR福島駅東口の北側に設けており、施設自体はJR線から独立しています。
付近にはS-PAL福島、Eastビル、福島リッチホテル、日本鉄道OB会福島支部などがあります。

今でこそ私鉄2社の共同使用駅ですが、元々は福島交通の管理物件でした。
それを踏まえて当駅の大まかな歴史を辿ってみましょう。

1887年12月15日、東北本線の前身に当たる私鉄・日本鉄道が本線郡山~仙台間を延伸開業し、同時に福島駅を開設しました。
それから9年後の1906年11月1日には日本鉄道が国有化され、1909年10月12日の国有鉄道線路名称制定に伴い旧本線が「東北本線」と名付けられました。


JR東日本 国鉄 福島交通飯坂東線 阿武隈急行 路面電車 北海道新幹線 東急私鉄福島駅a02
福島交通株式会社(1977)『写真でつづる福島交通70年の歩み』p.49より引用

一方、1908年4月14日には信達軌道(しんたつきどう)という軽便鉄道が新規開業。
福島駅前~十綱間13.5km、本社前~長岡駅前間0.6kmの合計14.1kmが開通しました。
この信達軌道は福島交通飯坂東線の前身に当たり、しかも福島交通の始祖と言える会社です。
開業当初は特殊狭軌(軌間762mm)の併用軌道を蒸気機関車が走っていました。
沿線には養蚕農家が多く、信達軌道も県外製糸工場へと出荷する繭の輸送を主な使命としました。

なお、3ヵ月後の1908年7月28日には合併により早くも法人格が消滅しています。
この合併では信達軌道に加え、静岡鉄道、熱海鉄道、浜松鉄道(現:遠州鉄道)、伊勢軽便鉄道、広島軌道(現:JR可部線)、山口軌道、熊本軽便鉄道の計8社が結集し「大日本軌道株式会社」を設立するに至りました。
大日本軌道は東京市京橋区築地3丁目(現:東京都中央区築地3丁目)に本社を構え、信達軌道から継承した路線については福島支社(所在地:福島市栄町)の管轄としました。



私鉄福島駅a04
福島市史編纂委員会(1975)『福島市史第5巻 近代Ⅱ(通史編5)』(福島市教育委員会)p.413より引用

この大合併の仕掛け人は「投機界の魔王」と称された甲州の資産家・雨宮敬次郎です。
鉄道の無煙化に関心があった雨宮氏は、アメリカの事例を参考にして全国に軽便鉄道を敷き、そこに石油機関車や電気機関車を投入して運輸近代化を図ろうという野望を抱きました。
その第一歩としてまずは既存の軽便鉄道を買収し、これらを蒸気軌道から電気軌道に転換しようと企てたのです。

しかし1911年1月20日、志半ばで雨宮敬次郎が他界。
婿養子の雨宮亘が2代目社長に就任しましたが、先代から引き継いだ事業を上手く扱えなかったそうです。
次第に経営が悪化していき、遂には各支社の身売りや路線廃止を余儀なくされました。
こうして大日本軌道の瓦解は進み、1917年9月6日には福島支社の事業承継法人として信達軌道が復活。
1918年1月8日には正式に大日本軌道福島支社の全事業を引き継ぎ、信達軌道として営業を開始しました。

信達軌道は1921年1月11日、保原町の共輸自動車㈱から自動車その他動産を買収。
そして自動車運送業に参入するようになり、同年7月1日には福島駅に運送部を開設しました。
軌道線では開業当初から貨車を運行しており、トラックとの連絡による貨物輸送の拡大を狙っていたようです。



私鉄福島駅a03
福島交通株式会社(1977)『写真でつづる福島交通70年の歩み』p.49より引用

1924年4月13日、福島交通飯坂線の前身に当たる福島飯坂電気軌道(福島~飯坂間8.7km/軌間1,067mm)が開業しました。
蒸気機関だった信達軌道に対し、こちらは開業当初からの電化路線です。
そんな飯坂電車の福島駅は開業当初、現在地よりも約140m東方の佐平ビル付近にあったそうです。
駅構内は小さな切符売り場があるだけで到底駅舎とは言えなかったそうですが、乗り場の傍にある「福島屋旅館」(旅館福島館とも)の1階に飯坂電車の旅客待合所を設けていました。

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 福島の電車停車場(?)は福島屋旅館の角に立ってる、停車場といっても一間四方程もないマッチ箱のような切符売場が一つ立ってるきりだ、また駅員の任命もなに相で、本社会計の高田氏が背広を着て切符売をしていた。乗客の待合所は福島屋旅館の一部を借りて堂々たるもの(切符売場に比して)が出来ている、新しい卓子、新しい腰掛、みな気持がよい。
 福島のそれに比べると、飯坂停車場は立派なものだ、ほんものの停車場だ。

《出典》
福島交通株式会社(1977)『写真でつづる福島交通70年の歩み』p.48
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私鉄福島駅a07

なお、福島飯坂電気軌道は1924年10月23日付で社名を「飯坂電車」に改称しました。
この飯坂電車という名称は現在も、飯坂線の愛称として定着しています。
また、終点の飯坂駅についても1927年3月23日、同駅~飯坂温泉間(0.5km)の延伸開業に伴い「花水坂駅」に改称しています。

信達軌道は1924年11月30日、自動車運送業から完全に撤退しました。
参入から僅か4年弱での撤退で、福島駅の運送部も廃止に至りました。



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福島市史編纂委員会(1975)『福島市史第5巻 近代Ⅱ(通史編5)』(福島市教育委員会)p.173より引用

さて、蒸気軌道の特許状に係る命令書は、SLの燃料を無煙炭または骸炭(コークス)に指定しています。
これらは通常のSLが使用する有煙炭に比べて高価であり、信達軌道においては有名無実化されていました。
しかし信達軌道は有煙炭の使用により2回も飛火事件を起こし、特に1922年5月19日に鎌田村で起こした飛火は沿線46戸を全焼する大惨事となりました。
この事件は「本内大火」と呼ばれ、激怒した住民達が18日間も軌道に座り込んで抗議したため、止む無く運休する事態に発展しました。

そして本内大火をきっかけに信達軌道の電化を求める運動が活発になり、会社側も1925年10月16日に電化工事の許可を受けました。
電化開業に向けて764mmから1,067mmへの改軌も決まり、同年10月23日からは陸軍鉄道第二連隊が福島~長岡~飯坂間の電化工事・レール引換工事に着手。
同年12月24日には社名を「福島電気軌道」に改め、翌1926年には軽便鉄道から路面電車への脱皮を為しました。

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 軽便鉄道が粗悪な石炭を使用したため、大正2年には飛火事件がおこり、関係消防組から厳重抗議がなされたことは前にふれたとおりである(消防の項参照)。とくに人家の並ぶ福島市内にあっては、5年には「停車場前から豊田町に至る軌道をば廃止せしめる方がよろしかるべし」という強硬意見がおこり、2月の市会では市会終了後の協議会によって、「軌道廃止問題についての講義をこらした」と報ぜられている(5.2.28「民報」)。
 このような沿線住民の不安と不信がたかまりつつある折も折、ついに大正11年5月19日には、いわゆる「本内大火」が発生した(消防の項参照)。その直後、怒りにもえた住民は、軌道に座り込みを行ない、18日あまり福島・長岡間の軌道は運転を休止せざるを得なかったと伝えられる。この事件がもとで、飛火による火災を防止するため煙突に飛火よけのカバーがとりつけられたという。
 元来この軌道の機関車は、無煙炭と骸炭を使用することになっていたにもかかわらず、費用の関係からか市街地内だけは無煙炭を使い、その他の地区では有煙炭を使用するようにしていたのに、市街地内でも黒煙がはき出され一部から苦情が出ていたのである。これらのことがあって、電化促進への動きが活発になった。
 この線の電化工事の第一期線は、福島―長岡―飯坂間で、大正14年10月16日鉄道・内務両大臣の許可をとり、直ちに着工した。この工事は千葉の鉄道隊すなわち鉄道第二連隊の演習作業として実施され、同年12月24日には信達軌道株式会社を福島電気鉄道株式会社と改称した。
 福島―長岡―湯野間の電化工事は、大正15年4月6日に完了し、開通した。長岡―保原間の電化は同年11月6日、保原―掛田間が同年12月2日、保原―梁川間は同年12月21日、それぞれ前後して電化が完了した。
 川俣―掛田線と保原―桑折間は電化しなかった。当時から廃止の予定になっていたものであろうか。

《出典》
福島市史編纂委員会(1975)『福島市史第5巻 近代Ⅱ(通史編5)』(福島市教育委員会)p.p.173,174
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福島市史編纂委員会(1975)『福島市史第5巻 近代Ⅱ(通史編5)』(福島市教育委員会)p.175より引用

1927年10月1日、福島電気鉄道が飯坂電車を吸収合併しました。
これに伴い従来の福島電気鉄道線は「飯坂東線」、飯坂電車線は「飯坂線」に改称しています。
ただし飯坂線は飯坂東線の西方に所在する事から、便宜的に「飯坂西線」と呼ばれる事もありました。

1942年7月17日、飯坂線福島~森合間の併用軌道を専用軌道に切り替える工事が開始。
同年12月3日には専用軌道の使用を開始すると共に、国鉄福島駅の構内東側に乗り入れるようになりました。
つまり福島屋旅館の傍にあった電車乗り場が移転したという訳です。
自社専用の駅舎もようやく落成し、飯坂線の利便性は大いに向上しました。
1945年3月1日には飯坂線に地方鉄道法が適用され、軌道線から鉄道線に変更されています。



私鉄福島駅a05
福島交通株式会社(1977)『写真でつづる福島交通70年の歩み』p.76より引用

福島電気鉄道は1962年7月12日、社名を「福島交通」に改称。
この頃は鉄軌道事業よりバス事業のウェイトが増し、県内随一のバス会社へと成長を遂げていました。
一方、路面電車の飯坂東線はモータリゼーションの台頭により苦境に立たされました。
年を追う毎に旅客・貨物利用は減少し、1971年4月12日に惜しくも全線廃止。
これで福島交通の鉄軌道事業は飯坂線の一路線だけとなったのです。

1988年7月1日、阿武隈急行が福島~丸森間(37.5km)を延伸開業。
阿武隈急行は国鉄丸森線を引き継いだ第三セクターで、延伸開業によって54.9kmが全通しました。
起終点の福島駅については新規に施設を建設せず、福島交通飯坂線の駅施設を共用。
面白い事に一部区間(瀬上~梁川間)はかつての福島交通飯坂東線を補完するように敷かれています。
なお、阿武隈急行は延伸開業に伴い東北本線郡山~自社線富野間の相互直通運転を開始し、当該直通列車についてはJR駅に乗り入れています。



私鉄福島駅a06

2001年4月8日、飯坂線の飯坂発福島行き列車が福島駅構内の車輪止めを乗り越えて脱線し、向かいのEastビルに衝突する事故が発生しました。
当該列車(7000系7107F)は美術館図書館前駅を出発した直後に停電し、運転士は咄嗟にブレーキをかけましたが全く制動せず、非常ブレーキも故障していました。
制御不能の暴走状態に陥った列車は曽根田駅を通過し、時速30km程度で福島駅に突入。
この事故で乗務していた運転士(当時52歳)と、乗客のアルバイト店員(当時56歳)、予備校生(当時17歳)、会社員(当時32歳)の合計4人が手や胸を打つ軽傷を負いました。
警察は電源装置の不良により、ブレーキ装置の動作不良が引き起こされたものと見ていますが、その原因が解明される事はありませんでした。

阿武隈急行は2004年3月13日、ダイヤ改正に伴い東北本線郡山~福島間との相互直通運転を廃止。
以来、現在に至るまで東北本線槻木~仙台間への片方向直通運転を実施しています。



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駅舎はS-PAL福島とEastビルの裏手にあります。
駅前側には鉄骨造りの出入口を設けています。



私鉄福島駅a08

出入口の頭上には古めかしい「電車のりば」の看板を掲げています。
かつての福島市民は国鉄線を「汽車」、福島交通を「電車」と呼び分けていたそうな。



私鉄福島駅a10

2つのビルに挟まれた連絡通路。
駅舎まで鉄骨の上屋が伸びています。



私鉄福島駅a11

出入口の脇には行灯タイプの時刻表を設置しています。



私鉄福島駅a12

駅舎側から連絡通路を眺めた様子。



私鉄福島駅a24

連絡通路の中間にはS-PAL福島の北口玄関も。



私鉄福島駅a25

S-PAL福島はJR東日本のグループ会社、仙台ターミナルビル㈱が運営する駅ビルです。
前身は1988年6月10日に開業した福島駅東口駅ビル・福島ルミネで、これら商業施設を統合し2004年3月20日にオープンしました。



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ラッチ外コンコースの様子。
待合室と呼べるものは無く、改札口・出札窓口・トイレを設けただけの簡素な空間です。
連絡通路側にはガチャガチャを設置していますが、鉄道グッズは一切取り扱っていません。



私鉄福島駅a17

トイレ側に阿武隈急行の駅務室と出札窓口があります。
窓口営業時間は5:40~23:20で、オリジナルの「あぶQグッズ」も販売しています。



私鉄福島駅a28

阿武隈急行の鉄道むすめ、丸森たかこ。
職名は車掌ですが大半がワンマン運転なので、実際には滅多に車掌を見られません。



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阿武隈急行は連絡通路側に自動券売機を設置しています。



私鉄福島駅a18

一方、改札口側にあるのは福島交通の出札窓口と駅事務室。
窓口営業時間は6:00~22:50で、オリジナルの「いい電グッズ」も販売しています。
「湯ったり切符」「いい電フリー切符」の取扱いもこちら。



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福島交通の自動券売機はシャッター付きのスペースに設置しています。
積増・定期券継続の専用券売機もあります。



私鉄福島駅a19

改札口は会社別に分けておらず、1ヵ所を共用しています。



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私鉄福島駅a20

自動改札機も導入しておらず、昔ながらのステンレスのラッチが残ります。
ただしICカードには対応しており、ラッチの前後にカードリーダーを備えています。



私鉄福島駅a23

何故か足元に置かれた案内板。
「乗車券をお持ちの方はホームへお入り下さい」と書かれています。
入場の改札は省略しているのです。
切符を手にした客は思い思いにホームへと進んでいきます。



私鉄福島駅a22

これまた足元に案内板。
土休日だと「本日は日祝ダイヤで運行しております」との板を置くようです。


阿武隈急行8100系
私鉄福島駅a29

長くなったので今回はここまで。


※写真は特記を除き2022年7月16日撮影
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最終更新日 : 2022-12-20

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