タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2022-12-07 (Wed) 23:12

花輪線安比高原駅 ハチロク3重連が挑んだ急勾配の「龍ヶ森」

安比高原駅a01

岩手県は八幡平市安比高原(旧:岩手郡松尾村松尾前森官有地)にある、JR東日本の安比高原(あっぴこうげん)駅。
地名の「安比(アッピ)」はアイヌ語で「安住の地」を意味し、かつて本州アイヌの集落が存在した事が窺えます。
現在の安比高原は杉、ブナ、白樺などの森林に囲まれたリゾート地。
「安比高原スキー場」「安比高原ゴルフクラブ」「安比高原スポーツパークASPA」といったレジャー施設があります。
このうち安比高原スキー場の周辺にはホテルやペンションが軒を連ね、夏はキャンプサイトも営業しています。
春は桜、秋は紅葉を目当てに訪れる行楽客が多く、四季を通してハイキング、山菜狩り、キャンプ、サッカー、スキーなど様々なレジャーを楽しめます。


JR東日本 国鉄 8620形蒸気機関車 ハチロク3重連 花輪線 JR北海道 SL
安比高原駅a02
安代町史編纂委員会(2011)『安代町史(下巻)』p.560より引用

さて、今でこそリゾート地の安比高原ですが、元々この界隈は「龍ヶ森」と呼ばれていました。
花輪線松尾八幡平~赤坂田間(12.2km)は龍ヶ森の真っ只中に線路を敷いており、丘陵の森林にくねくねとしたスラロームが連続します。
しかも勾配は奥羽山脈を縦貫する花輪線で最も急な33.3パーミルを記録し、この激坂が6kmも続くのです。
急カーブだらけの急勾配は紛れも無く花輪線最大の難所で、地元の鉄道職員達は昔から「龍ヶ森越え」と呼び恐れてきました。

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 花輪線では、「ハチロク」の愛称で親しまれた8620型蒸気機関車が、三重連であえぎ、あえぎ、龍ヶ森の33.3パーミルの急勾配を、岩手松尾(現在の松尾八幡平)駅から転車台(ターンテーブル)のある荒屋新町駅まで走っていた。龍ヶ森付近はトンネルが多く、客車の窓を閉めないと煤煙で顔が真っ黒になった。蒸気機関車には、テンダー機関車とタンク機関車がある。テンダー機関車は、石炭と水を積載する炭水車(テンダー)を連結しているため、長距離運転には有利だが、前進方向が運転正位であるため、折り返し運転には転向装置、すなわち転車台が必要であり、ハチロクはテンダー機関車であった。

《出典》
安代町史編纂委員会(2011)『安代町史(下巻)』p.561
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安比高原駅a03
安代町史編纂委員会(2011)『安代町史(下巻)』p.562より引用

そんな龍ヶ森では1947年9月16日、カスリーン台風に誘発された豪雨によって線路の路盤が崩壊。
龍ヶ森越えに挑む最中のSLが陥没した穴に突っ込み脱線転覆する事故が発生しました。
この事故で盛岡機関区荒屋新町支区所属の機関士1名が死亡。
盛岡鉄道管理局は現場付近の線路沿いに慰霊碑を建立しています。

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 戦後の復興の途に付いた東北地方を未曾有の台風が襲う。昭和22年9月8日に、マリアナ諸島東で発生した台風は「カスリン」と名づけられ、次第に勢力を増しながら9月14日未明、鳥島の南西400キロメートルの海上まで北上、中心気圧960ミリバール(ヘクトパスカル)最大風速は45キロメートル毎秒に達していたと推定される。15日紀伊半島沖、勢力を弱めながら遠州灘沖合を通過、夜には房総半島南端をかすめ16日三陸沖から北東海上へ去っていった。上陸はしなかったが、停滞していた秋雨前線に南からの湿った空気が大量に供給されたため、戦後史上に残る大雨を降らせ、利根川、荒川、北上川等を氾濫させた。この台風による被害は、死者1077人、行方不明者853人、負傷者1547人、住家損壊9298棟、浸水38万4743棟、耕地流失1万2927ヘクタール、罹災者は40万人を超えた。 鉄道にも深刻な被害を及ぼした。当時の苫米地運輸大臣の国家答弁によると、国鉄被害は878件、築堤崩壊176件、線路流失203件、橋梁流失16件であり、東北本線をはじめ、上越線、常磐線、奥羽線が不通となった。花輪線においては、9月15日、星沢地内で路体崩壊が発生、龍ヶ森トンネルを抜けたばかりの機関車が陥没した穴に突っ込み脱線転覆、乗務員2名が投げ出され機関車と土砂の間に挟まった。乗客らが懸命に救出したが、荒沢村清水の畠山與四郎機関士が犠牲となった。現場付近には盛岡鉄道管理局によって「殉職之碑」が建立され、今日現場付近の杉林の中にひっそりと立っている。

《出典》
安代町史編纂委員会(2011)『安代町史(下巻)』p.p.561~563
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安比高原駅a04

前置きが長くなりましたが、ここからは安比高原駅の大まかな歴史を辿りましょう。
当駅の前身は1926年11月10日、国鉄花輪線平館~赤坂田間の延伸開業に伴い開設された「龍ヶ森信号場」です。
先述したとおり龍ヶ森は花輪線最大の難所なので、その最中に信号場を設ける事で円滑な運行管理を期したのでしょう。
しかし龍ヶ森信号場は戦後の1952年8月5日に廃止され、これに伴い構内の信号設備や交換設備を撤去したそうです。



安比高原駅a05

その7ヶ月前の1952年1月3日、盛岡鉄道管理局が信号場構内に「龍ヶ森仮乗降場」を開設しました。
仮乗降場とは戦後国鉄が旅客乗降の利便を図るべく、地方線区に開設した乗降場の事です。
正規の駅という訳ではないため、その設置については管理局権限により決定していました。
開設から5日後の1952年1月8日には「龍ヶ森スキー場」が開業。
龍ヶ森仮乗降場はスキーシーズンに限り列車が停車し、スキーヤーが大挙して訪れました。

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 昭和27年1月8日、龍ヶ森にスキー場が開設された。日曜日や休日ともなると盛岡駅から花輪線を利用してスキーヤーが大挙訪れるようになり、龍ヶ森駅からロッジまで、スキーをかつぐ人々の長い列ができた。昭和31年、八幡平が十和田国立公園に編入される。十和田湖は明治期から全国的に脚光を浴び、昭和11年に国立公園に指定されていたが、八幡平包含については見送られていたのである。湯瀬については、古くから知られ、昭和7年にはすでに湯瀬ホテルが開業していた。このほか、八幡平山麓には玉川、大深、蒸けの湯、藤七など温泉が多く、戦前から湯治場として栄えていたから、国立公園編入は花輪線沿線住民の悲願であった。昭和30年代国の経済が戦後の復興期を経て高度経済成長期へ進展するにつれ、十和田八幡平国立公園を抱える花輪線は登山、紅葉、温泉保養、そしてスキーなどの観光客でにぎわった。スキーが大衆化するなか、昭和39年12月20日矢神岳にリフト2基とロッジを整備し、田山スキー場が開業した。矢神集落では民宿の開業が相次ぎ、活気付いた。

《出典》
安代町史編纂委員会(2011)『安代町史(下巻)』p.p.565,566
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安比高原駅a06

1959年、龍ヶ森仮乗降場が再び信号場に戻っています。
『鉄道公報』の昭和36年12月22日通報に信号場の記載があるそうなのですが、詳細な開設日は不明です。
書籍『盛岡鉄道管理局25年史』にも龍ヶ森信号場の復活に関する記載は一切ありません。
詳細について書かれた資料を御存知の方は、情報をいただけると幸いです。

1961年12月28日には旅客駅に昇格し「龍ヶ森駅」となりました。
これに伴いスキーシーズンのみの停車だった旅客列車も、通年の停車に改めています。
ただし営業上は無人駅扱いで、信号場時代からの運転取扱要員(駅長・助役・信号掛)のみ勤務する体制が続きました。
なお、花輪線では同年2月15日に線内の駅業務・運転・検修・施設保全を統括する「花輪線管理所」が開設されており、龍ヶ森駅も花輪線管理所運輸科の管轄に置かれました。



安比高原駅a27

ところで龍ヶ森駅構内にはスキー客の休憩・宿泊に供するヒュッテがありました。
このヒュッテは国鉄直営で、旧型客車(オハ31系)5両を改造したものでした。
書籍『蒸気機関車機関区総覧―東日本編―』(椎橋俊之/2022/イカロス出版)によると、客車ヒュッテは1960年12月の開業だといいます。
国鉄の直営となったのは1962年からだそうな。

しかし書籍『盛岡鉄道管理局25年史』は1967(昭和42)年12月開設としており、何故か情報が食い違っています。
おまけに龍ヶ森を「竜ヶ森」と誤植していますね。
駅名標や時刻表には「龍ヶ森」と書いていたのにね。
以下に盛鉄局の記述を引用しましょう。

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 スキー場には、12月中旬から翌年の3月まで多くのスキー客で賑わう。この間、スキー客専用の臨時列車“竜ヶ森スキー号”が運転され、スキー客収容のため駅構内に客車を改造した「国鉄ヒュッテ」が、42.12から解説された。このようなヒュッテが設けてあるのは全国でも竜ヶ森だけである。

《出典》
日本国有鉄道盛岡鉄道管理局(1976)『盛岡鉄道管理局25年史』p.468
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安比高原駅a07

1969年2月9日、花輪線管理所が廃止。
経営改善に効果を発揮したのは最初のうちだけで、思うように経営成績を上げる事が出来ませんでした。
この廃止に伴い龍ヶ森駅は独立した現業機関に戻りました。

1987年4月1日、分割民営化に伴いJR東日本が龍ヶ森駅を継承。
1988年3月13日、ダイヤ改正に伴い現駅名の「安比高原駅」に改称しました。

1998年12月8日、ダイヤ改正に伴い駅構内の交換設備を撤去し完全無人化。
以降は大更駅の被管理駅となりましたが、2018年6月1日に大更駅が業務委託化したため盛岡駅に移管されています。
現在は盛岡駅が管理する完全無人駅です。



安比高原駅a08

駅舎は元々、2階建ての信号扱所と平屋の待合所が並んで建っていましたが、1980年前後に現在のコンクリート建築に建て替えたそうです。
正面玄関にドアは無く、階段を上がって待合室・ホームに至る構造ですね。



安比高原駅a09

階段上がって正面がホームへの通用口、左手が待合室への廊下です。
駅前から待合室をスルーしてホームに直行できる構造は、国鉄末期の室蘭本線・根室本線などに建設された簡易駅舎を彷彿とさせます。



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階段の頂上から駅前方向を眺めた様子。



安比高原駅a11

階段に沿って設けられたトイレ。
このトイレで用を足すためだけに、安比高原駅に立ち寄る自動車がチラホラ見られますね。



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こちらは待合室前の通路です。
左側のドアはかつての駅事務室。
右側にはズラリとフックが並んでいます。



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待合室の様子。
2010年代半ばまでは広々としていましたが、現在は壁を増設したため狭くなってしまいました。
どうやら壁の向こう側は、近隣で保線作業を行なう際の休憩所に転用されたようです。



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ホーム側から駅舎を眺めた様子。
手前に細い柱のような箱がありますが、これはJR東日本の盛岡支社・仙台支社管内で多く見られるタイプの集札箱ですね。



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元々は信号場に由来する交換駅だったので、プラットホームの駅舎側には線路を撤去した跡が見られます。
草むらをよく見ると、道床のバラストが残っているのを確認できますね。



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単式ホームもかつては島式ホームでした。



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ホーム上から旧構内踏切を眺めた様子。



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1面1線の単式ホーム。
全長は20m車4両分ほどです。
好摩方には申し訳程度に旅客上屋を設けています。



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安比高原駅に停車した盛岡行きのキハ110系2連。



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ホームは好摩方がアウトカーブを描いているため、車掌は落とし窓から大きく身を乗り出して閉扉操作を行ないます。



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好摩方から走りこんできた鹿角花輪行きのキハ110系2連。
花輪線は2022年8月14日、豪雨により鹿角花輪~大館間で54ヶ所の路盤流出が生じたため、当該区間の運休と代行バス輸送が続いています。
JR東日本盛岡支社・秋田支社は2023年4~5月頃の運行再開を目指し、不通区間の復旧工事を進めています。



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ホームの停止位置を確認して指差称呼する車掌。



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ホーム上の名所案内。
「安比高原スキー場 バス5分」と案内しています。



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安比高原駅a30

ちなみに安比高原スキー場行きのバス停はこちら。
おおよそバス停らしからぬ大きな看板を設置しています。
なお、定期バスは夏休み期間とスキーシーズンしか運行しない上、運行期間でも夜間の発着はありません。
定期バスの運行期間外にスキーリゾートへ向かう場合、宿泊先に連絡して送迎してもらう事になります。


※写真は特記を除き2022年9月24日撮影
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最終更新日 : 2022-12-07

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