JR北海道は2022年9月13日~16日の4日間に渡り、旭川運転所に留置していた旧型客車4両を苗穂工場まで陸送しました。
陸送は2両ずつ、2回に分けて実施しています。
まずは9月13日の夜間にスハフ42-2071、オハフ33-2555の2両がトレーラーに載せられ旭川運転所を出発。
日付が変わって14日の夜明け前、苗穂工場に到着しました。
続いて9月15日の夜間にオハシ47-2001、スハフ42-2261が同様にトレーラーで旭川運転所から搬出。
これまた日を跨いで16日、朝日を迎える前に苗穂工場へと搬入しています。
旭川運転所から搬入された4両の旧型客車は、何れも今は無き「SLニセコ号」に充当された車両です。
SLニセコ号は2000年4月1日~2014年11月3日の14年間に渡り、函館本線蘭越~札幌間で運行された臨時列車です。
列車愛称に「SL」を冠するとおり、C11形蒸気機関車が旧型客車4両を牽引。
基本的に毎年9月~11月の秋季を運行期間とし、多くの観光客が乗車する人気の列車でした。
しかしC11形への新型ATSの設置が技術的に困難で、安全上問題があるとして泣く泣く運行を終了。
以降、4両の客車は活躍の機会を失くし、8年間も旭川運転所構内で燻っていました。
JR北海道 国鉄 JR貨物 苗穂工場 苗穂車両所 スハ43系 オハ35系
苗穂駅自由通路から苗穂工場構内を眺めてみましょう。
赤レンガの機関車検修場、北海道鉄道技術館の手前に4両仲良く留置されていますね。
これら客車はかつてJR東日本の高崎運転所に所属しており、SLニセコ号を運行するに当たりJR北海道へ譲渡されました。
オハフ33形 スハフ42形 オハシ47形 C62形3号機 C62-3 蒸気機関車 高崎線 上越線
手前のオハフ33-2555は車内に雨や砂埃などが入らないよう、貫通路をベニヤ板で塞いでいます。
オハシ47-2001だけ銀色のシーツを被っていますが、よほど車体の劣化が著しいのでしょうか?
JR北海道 国鉄 JR貨物 苗穂工場 苗穂車両所 スハ43系 オハ35系 食堂車
場所を変えて眺めます。
JR北海道 国鉄 JR貨物 苗穂工場 苗穂車両所 スハ43系 オハ35系
スハフ42(2071・2555)の2両は遠すぎて車号を視認できず、どっちがどっちだか分からないw
車掌室の低く小さな前面窓が独特ですよね。
789系0番台 789系基本番台 H100形 DECMO スハシ44形 スハ43系客車
ちなみに混金クズ置き場の留置線をよく見ると・・・
・・・789系0番台やH100形に混じり、5両目の旧型客車が留置されています。
マルーンの車体には1本の赤帯が引かれています。
これは「SL冬の湿原号」に充当されているスハシ44-1ですね。
キハ143系 PDC 特急ライラック キハ283系 特急スーパーおおぞら 特急おおぞら
このアングルからカメラをズームすれば・・・
・・・合計5両の旧型客車を1枚の写真に収められます。
それにしても旧型車両が5両とは、かつての「C62ニセコ号」を思い起こさせますね。
先述したとおり旭川運転所から来た4両は「SLニセコ号」の充当車両でしたが、実はSLニセコ号よりも前に「C62ニセコ号」なる列車が存在したのです。
C62ニセコ号は1988年4月29日~1995年11月3日まで、函館本線小樽~ニセコ間を走行した臨時列車です。
こちらはC62形3号機で旧型客車5両を牽引していたのですが、面白い事に「北海道鉄道文化協議会」(通称:鉄文協)という民間団体が寄附を集めて列車の運行経費に充てる「動態保存列車」でした。
鉄文協は小樽市内でレストランを経営していた工藤竜男さんが、国鉄末期に発足した小樽築港機関区企画室の活動に部外者として携わった事がきっかけで生まれた団体です。
1987年4月1日の分割民営化と共に発足すると、『鉄道ジャーナル』編集長の竹島紀元さんが顧問に就任し、札幌の平岸に本社を置くゲーム会社の㈱ハドソンがスポンサーを買って出ました。
同年4月7日には小樽運転所のC62形3号機が苗穂工場に移送され、復元工事と車籍復帰申請を経て翌1988年4月29日から動態保存運転を開始。
終点のニセコ駅構内にはカマの方向転換が出来るよう転車台(ターンテーブル)を新設しました。
15年の歳月を経て復活したシロクニは大いに話題を呼び、沿線には全国各地から撮影者が集まりました。
しかしバブル崩壊が仇となって企業からの協賛金が減少。
C62ニセコ号の運行に必要な費用の確保は次第に難しくなっていきました。
挙句の果てには1995年1月、鉄文協の創立者だった工藤事務局長が銃刀法違反で逮捕されるスキャンダルが発生。
これが鉄文協の活動にトドメを刺し、同年11月3日を以ってC62ニセコ号は無念のラストランとなったのです。
旧型客車が5両も揃い、しかも技術館の手前には静態保存車両と化したC62形3号機。
おまけに奥にはC62形3号機の復元工事を実施した機関車検修場もあります。
そんな光景を目の当たりにして「C62ニセコ号の再来か?」と思わずにはいられませんでした。
だけどほら、旭川運転所から来た客車4両の留置場所をよくご覧ください。
この線路は鉄道ファンの間では有名な「解体線」で、㈱宮坂商店が廃車体の解体作業を行なう場所なのです。
考えてみればSLニセコ号の引退から8年も経つのに、車籍は残したままなので固定資産税もかかり続けている筈ですよね。
国の特例措置で固定資産税が減免されているとはいえ、課税標準は3/5の軽減なので全く負担がないという訳ではありません。
JR北海道は厳しい経営状況に拍車が掛かりっ放しで、そこに2020年からはコロナ禍が覆いかぶさって余計に辛さを増しています。
ならばいっそ無駄な固定資産はまとめて廃棄し、少しでも経営改善に繋げようと考えるのは至極当然の話でしょう。
でも今年は我が国の鉄道開業150周年という歴史的な節目。
もしかしたら何か企画を立てているのかも知れない・・・と淡い期待を寄せてしまいます。
単に廃車解体にしようというならわざわざ苗穂まで運ぶより、旭川で地元の解体業者を呼んでやった方が遥かに効率的ですよね。
どの客車も今や貴重な存在ですし、今後の動向が大変気になります!
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※写真は全て2022年9月18日撮影
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最終更新日 : 2022-11-07