引き続き岩手県は奥州市水沢東大通り1丁目(旧:水沢市東大通り1丁目)にある、JR東日本・JR貨物の水沢(みずさわ)駅を取り上げましょう。
駅の大まかな歴史、駅舎内とプラットホームの様子については既に書いたとおりです。
今回は駅構内東側にあるコンテナホームと、駅舎の南北にある現業事務所を見ていきましょう。
こちらはコンテナホーム。
正門には「防犯カメラ作業中」「関係者以外立入禁止」「構内速度10km/h以下」と書かれた看板を掲げています。
JR東日本 国鉄 JR貨物 貨物駅 保線区 信号通信区 東北本線 コンテナ基地
門柱に取り付けたJR貨物の駅名標。
駅名は旅客駅と同じ「水沢駅」です。
第1回の記事で触れたとおりJR貨物の直営駅という訳ではなく、子会社の㈱ジェイアール貨物・東北ロジスティクスが営業を担う業務委託駅となっています。
コンテナの積卸作業に使用しているフォークリフト。
TCM製のFD115です。
臙脂色のコンテナと一緒に並ぶ日本石油輸送㈱のタンクコンテナ。
塗料や接着剤の材料となるアクリルエマルジョンが入っています。
金網フェンスには「コンテナ売ります 120,000円~(税別)」との看板を括り付けています。
もちろん販売者は駅業務を受託している東北ロジスティクスです。
2021年4月1日に総額表示(税込価格の表示)が義務化した訳ですけども、コンテナの価格は未だに税別表示のまま。
おそらく看板を交換し忘れているのでしょう。
正門の南脇には平屋の事務所があります。
この平屋はDOWA通運㈱の水沢通運営業所です。
DOWA通運㈱は奥州市水沢佐倉河字中田に本社を構える同和鉱業系の運送会社。
1952年3月20日に設立しており、2022年現在はDOWAエコシステム㈱の100%子会社として運輸事業、倉庫業、自動車分解整備事業を展開しています。
核となる運輸事業では鉄道貨物輸送を活用し、水沢駅・盛岡貨物ターミナル駅・大館駅・秋田貨物駅・仙台貨物ターミナル駅・仙台港駅の計6駅でトラック輸送と連携しています。
正門の北側には日本通運㈱盛岡支店水沢物流事業所があります。
DOWA通運と同様、日通も鉄道コンテナ輸送を取り扱っています。
旅客ホームからコンテナホームを眺めた様子。
水沢駅のコンテナホームは線路を1本敷いただけの簡素な構造です。
ホームからはDOWA通運とは別の平屋が見えます。
玄関の表札をズームして見ると、この平屋がジェイアール貨物・東北ロジスティクスの水沢事業所だと分かります。
ここに貨物列車の配車やトラック・コンテナの手配、貨物の受付・引渡し等を担当する駅員達が詰めているのです。
一通りコンテナホームを見たので駅の西側に戻りましょう。
駅舎の南側には白いコンクリート造りの2階建て社屋があります。
この建物はJR東日本の現業事務所です。
現業事務所の1階には車庫を併設しています。
ここは盛岡信号通信技術センター一ノ関メンテナンスセンターが、近隣で信号設備・通信設備の点検を行なう際に使用している休憩所です。
休憩所なので常駐する係員は居ませんが、その立派な姿を見るに元は信号通信区の派出所だったのでしょう。
建物の北面にも玄関があります。
こちらの玄関には「JR盛岡鉄道サービス㈱ 水沢駅スタッフルーム」との表札を掲げています。
JR盛岡鉄道サービスはJR東日本盛岡支社管内で運輸区の一部業務(車両整備・構内入換)、車内・駅構内の清掃作業などを受託している会社です。
水沢駅スタッフルームには構内の美化を担う清掃員が詰めている訳ですね。
表札の下にある「鉄道用地使用標」を見る限り、JR盛岡鉄道サービスは事務所機能の無い「作業員詰所・用具庫」として使用許可を得ている事が分かります。
清掃員の勤怠管理とかは遠隔で行なっているのかも知れません。
場所は変わって駅舎北側の奥州市営自転車等駐車場。
「自転車等駐車場」と含みを持たせた名前ですが、現場の様子は完全に駐輪場です。
この駐輪場の更に北には、これまた年季が入った2階建てコンクリート建築があります。
玄関の表札には「一ノ関保線技術センター休憩室」と書かれており、ここも近隣で軌道検査や軌道補修工事等を行なう際の休憩所に過ぎない事が分かります。
しかし元々、この建物は1968年4月1日に開設された一ノ関保線区水沢保線支区の現業事務所だったのです。
かつて国鉄の保線区は換算軌道キロ5~6kmおきに、10名前後の線路工手から成る「線路班」を1班ずつ置き、2~4班の取りまとめ役として「線路分区」を構えていました。
換算軌道キロは本線軌道延長に側線軌道延長の1/3を加えたものですね。
例えば換算軌道キロ80kmを担当区域とする保線区なら、線路分区4ヶ所、線路班16ヶ所を抱える事になる訳です。
線路班が担ってきた人力保線は「随時修繕方式」と言い、ツルハシを持って担当する区間を巡回し、レールやマクラギ、道床を見たり触ったりして検査を行い、異常を発見したら直ちに修繕を施すものでした。
しかし高度経済成長期に鉄道の輸送量が増大すると、それに伴い列車本数も増便された事により、保線作業の出来る列車間合が減少。
おまけに列車の速度も向上したために線路破壊が早まり、それでも運転回数が多いせいで十分な修繕の出来る時間が少ない…というジレンマを抱えてしまった訳です。
そこで国鉄施設局は「軌道保守の近代化」を計画し、線路分区に代わる現業機関として1963年4月から「保線支区」の設置を進め、限られた時間の中で集中的に検査・補修を行う「定期修繕方式」に移行していきました。
従前は混同していた検査と作業も完全に分離。
換算軌道キロ10~15kmおきに設置した「検査班」が支区長に報告した検査結果を元に、計画担当(計画助役および技術掛)が作業計画を策定し、作業助役を通じて「作業班」に修繕をさせるという業務体制に移行しています。
一ノ関保線区でも「軌道保守の近代化」を図るべく、1967年9月1日に一ノ関保線支区、1968年4月1日に水沢保線支区、1969年4月1日に千厩保線支区・気仙沼保線支区を設置し段階的に新体制へ移行しました。
これで一ノ関保線区が抱える保線支区は4ヶ所が揃い、花泉検査班・有壁検査班・一ノ関第一検査班・一ノ関第二検査班・平泉検査班・前沢検査班・陸中折居検査班・水沢検査班・陸中門崎検査班・陸中松川検査班・千厩検査班・折壁検査班・気仙沼検査班・上鹿折検査班・陸前高田検査班・大船渡検査班・南気仙沼検査班の計17班と、一ノ関・水沢・千厩・気仙沼の4作業班を設けました。
また、1973年7月1日には盛線綾里~吉浜間(現:三陸鉄道南リアス線)の延伸開業に伴い三陸検査班が新設され、最終的に検査班は合計18班となりました。
国鉄施設局は1982年3月より「線路保守の改善」を敢行しました。
作業班は保線機械業務に特化した「保線機械グループ」に変身。
検査班は軌道検査とこれに伴う簡易な修繕作業、集めた検査データに基づく工事計画、外注工事の監督を担う「保線管理グループ」に改組しました。
職名についても保線機械グループは重機保線長・重機副保線長・重機保線係の3段階、保線管理グループは保線管理長・保線副管理長・保線管理係・施設係の4段階としています。
保線管理グループは「管理室」とも称しており、「一ノ関保線区水沢保線支区水沢管理室」というような呼び方になりました。
1987年4月1日、分割民営化に伴いJR東日本が一ノ関保線区を継承。
JR東日本は1988年までに全保線区の支区制を廃止し「本区事務室―保線管理室/機械班」という簡素な組織体制に移行。
なおかつ保線区を増やして小刻みに配置しており、この施策を「小保線区制」と称しています。
更に1989年、新たな現業機関として保線区と電気区を統合した「工務区」、保線区に建築区・機械区の一部業務を統合した「施設区」の設置を敢行。
この時、一ノ関保線区は盛岡建築区・盛岡機械区から一ノ関周辺の建築物・機械設備の保全を引き継ぎ「一ノ関施設区」に改組しました。
そして2001年10月1日、JR東日本は「設備部門におけるメンテナンス体制の再構築」を開始。
この施策は「設備21」とも呼ばれており、保線区の下部組織で担当区域内の軌道検査、工事計画(年間・月間)、施工管理を担当した「保線管理室」、保守用車の運転による機械保線を担当した「機械班」を全て廃止。
これら下部組織が担ってきた業務は一次請けの各建設会社、即ち東鉄工業㈱、仙建工業㈱、第一建設工業㈱、㈱交通建設、ユニオン建設㈱の5社に外注化しました。
そして保線区に代わる新たな現業機関として「保線技術センター」を開設。
保線技術センターは工事監理、関係各所との工事スケジュール調整、集めた検査データの分析と工事発注、請負業者を対象とした講習会・訓練などをしています。
つまりJR社員(施設職)の仕事は管理業務・デスクワークが主体となった訳です。
一ノ関施設区の保線部門についても管理室・機械班を全廃し、人員も大幅に削減して「一ノ関保線技術センター」に生まれ変わりました。
従前の一ノ関施設区水沢管理室にJR社員が常駐する事は無くなりましたが、1階に併設された車庫や資材庫に往時の面影を感じられます。
以上、計4回に渡って水沢駅を取り上げました。
《ブログ内関連記事リンク》
東北本線水沢駅[4] 県南の物流を支える貨物駅と水沢保線支区
※写真は全て2022年5月2日撮影
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最終更新日 : 2022-09-08