JR北海道は2022年8月現在、苗穂工場、釧路運輸車両所、五稜郭車両所、函館新幹線総合車両所の4ヶ所で鉄道車両の定期検査・製修工事を実施しています。
国鉄時代から車両修繕は予防医学的な考え方に基づき、なるべく故障が起きないよう定期的に検査して修理を施す事で安全・迅速・快適な輸送サービスの維持に繋げてきました。
道内においては苗穂・釧路・五稜郭・旭川の4ヶ所に鉄道工場を構えていましたが、合理化のため1985年12月1日に苗穂工場旭川車両センター(旧:旭川工場)が廃止。
釧路工場についても釧路車両管理所、釧路車両所と段階的に縮小改組を重ね、赤字ローカル線整理後の1996年5月1日には釧路運輸所と統合し釧路運輸車両所となりました。
国鉄時代は運転(運転区所での検修を含む)と工作(鉄道工場の業務)を明確に別系統として区別していましたから、現場社員の戸惑いもさぞかし大きかった事でしょう。
輸送量の低迷は鉄道工場の合理化にも紐付く訳で、また一つ北海道から鉄道工場が消滅する事となりました。
以下に道新の報道を引用しましょう。
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五稜郭車両所 来春に廃止
JR北海道 経費削減、苗穂に移管
【函館】JR北海道がJR五稜郭駅に隣接する車両工場「五稜郭車両所」(函館市港町)を来年3月末に廃止することが3日、分かった。JRが関係者に廃止方針を伝えた。JRの車両工場としては、札幌市の苗穂工場に次ぐ2番目の規模で、廃止後は苗穂工場、釧路運輸車両所の2ヵ所となる。五稜郭車両所は1911年(明治44年)に函館工場として開設され、100年以上にわたって道内を走る鉄道の車両修繕や検査を担ってきた。
経営難が続くJRは経費削減のため、組織や施設の統廃合を進めており、五稜郭車両所廃止もその一環。
同車両所は、ディーゼル機関などを動力にする「気動車」が対象で、初代振り子式特急気動車のキハ281系と普通列車気動車のキハ40形の定期検査業務を主に行ってきたが、キハ281系は9月末で運行を終了する。廃止に伴い、キハ40形の定期検査も苗穂工場へ移管することになった。車両所に勤務する社員76人(7月現在)は北海道新幹線や在来線の検査・修繕業務を行う別の部署に異動する予定。
JR北海道によると、同車両所の敷地面積は6万382平方㍍、車輪作業場や旅客車塗装場など建物面積2万2597平方㍍、約200台の検査・修繕機械を備える。車両所内の線路は1680㍍。11年の開設以降、22年(大正11年)に現在地に移転し、五稜郭工場、87年に五稜郭車両所に改称した。
JRは来年3月末の廃止以降、更地にする方針で施設の撤去を進めるが、完了時期は未定。長年、車両工場として利用してきたこともあり、土壌が油などで汚染されている可能性が高い。再開発して土地を再利用するには全面的に土壌改良をしなければならず、関係者は「多額の費用が必要になる」とみている。
(徳永仁)
《出典》
『北海道新聞』2022年8月4日付 朝刊第2面 総合
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五稜郭車両所は1911年4月1日、前身に当たる函館機関庫車両修繕場を拡張の上、同機関庫から独立した「函館工場」として発足しました。
当初は亀田駅に隣接した函館工場でしたが、1911年12月には海岸町に移転。
更に1922年6月15日、現在地である港町1丁目に移転し「五稜郭工場」に改称しました。
1942年9月11日に「鉄道局地方官署設置ノ件」が施行され、運輸・保線事務所の廃止により管理部が発足。
同時に五稜郭工場は五稜郭工機部に改組し、1943年11月1日には管理部と同様に課制を敷きました。
管理部の再編が始まった1950年1月10日に札幌鉄道管理局が発足すると、再び五稜郭工場に改称して管理局配下の地方機関となりました。
なお、同年8月1日に青函船舶鉄道管理局が発足し、五稜郭工場も札鉄局から青函局に移管されています。
1973年9月1日、国鉄本社が全国の鉄道工場を対象に「工場再編成」を実施。
これに伴い五稜郭工場は苗穂工場の下部組織である「苗穂工場五稜郭車両センター」に改組しました。
この車両センター化で従来の「課」と「職場」による組織の二層構造を改め、函館運転所などに準じた「科長制」に移行しました。
具体的には本場4課(庶務課・車両課・生産技術課・設備課)、用品倉庫、客貨車職場、検査職場、部品職場、電機職場、鉄工職場の計10部門を、総務科、計画科、資材科、検修一科、検修二科の5部門に再編しています。
国鉄末期の1985年3月20日、五稜郭車両センターは苗穂工場から独立し「五稜郭車両所」に改組。
部門も総務科・技術科・検修科の3科に再編し、よりコンパクトな組織になりました。
なお、前掲した道新の記事は「87年に五稜郭車両所に改称」としていますが、これは誤りです。
1987年4月1日、分割民営化に伴いJR北海道が五稜郭車両所を継承。
1994年3月1日、ダイヤ改正に伴いキハ281系「スーパー北斗」がデビュー。
五稜郭車両所はJR北海道初となる振り子式特急気動車の定期検査を受け持つ事になりました。
快速海峡の「カラオケボックスカー」や781系「ドラえもん海底列車」など、個性豊かな企画にも携わってきた五稜郭車両所。
分割民営化後に開通した青函トンネルの旅客輸送を裏方から支え、盛り上げてきました。
しかし莫大な赤字に苦しむJR北海道は合理化を進める中で、五稜郭車両所の存在意義にもメスを入れざるを得なくなりました。
受け持ちのキハ281系も2022年10月23日を以って引退する予定。
既に函館近郊を走る733系1000番台「はこだてライナー」は苗穂工場で定期検査をしており、キハ40系についても苗穂工場に集約し効率化しようという話になっています。
そして来る2023年3月末、五稜郭車両所は112年の歴史に幕を下ろします。
青函輸送を支えてきた工場の廃止に一抹の寂しさを覚える次第です。
2016年2月12日、五稜郭駅ホームから撮影
私も雪が積もる前に工場施設の撮り納めに行きたいですね。
錆まみれで構内に留置されていたキハ56系もどうなっている事やら。
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最終更新日 : 2022-08-07