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2022-08-04 (Thu) 23:00

まさかの平成生まれ!青い森線北高岩駅の保線休憩所

北高岩駅a102

青森県は八戸市大字上野字高岩(旧:三戸郡館村大字上野字高岩)にある、青い森鉄道の北高岩(きたたかいわ)駅。
駅舎の東隣には三角屋根を持つ小屋があります。
見るからに保線関係の施設ですね。
北面には煙突が飛び出しています。



北高岩駅a104

玄関引き戸のステッカーを見ると、施設管理者はジェイアール東日本ビルテック㈱だと分かります。
ジェイアール東日本ビルテックはJR東日本グループの100%子会社で、駅舎・駅ビルや総合事務所などの施設管理を受託するビルメンです。
「BT」を公式の略称としており、2016年4月1日に社名を「JR東日本ビルテック」に改めています。
ステッカーにはJR電話とNTT電話、2種類の電話番号を書いていますが、これらは同社の「盛岡支店青森事業センター」が使用している番号ですね。
「BT保全(電力)」と書かれた貼り紙もあり、どうやらこの建物の電力設備もBTが管理しているようです。


JR東日本 国鉄 青い森鉄道線 JR貨物 八戸保線区三戸保線支区北高岩検査班 東北本線
北高岩駅a103

外壁に掲げた建物財産標を見ると、この建物の正式名称は「休憩所1号」。
そして竣工時期は1990年1月と分かります。
何と国鉄時代ではなく分割民営化後に建てられた施設なのです。



国鉄八戸保線区の指揮命令系統図(1969年4月)

元々、国鉄時代の北高岩駅には八戸保線区三戸保線支区北高岩検査班が置かれていました。
「検査班」とは国鉄施設局が1963年4月に開始した「軌道保守の近代化」において、従前は混同していた検査と作業を分離して生まれた組織単位です。
それまで国鉄の保線区は人力作業に依存した「随時修繕方式」を採っており、換算軌道キロ5~6kmおきに配置した「線路班」が毎日線路を点検して回り、異常を認めたら即座に補修を施してきました。
しかし国鉄当局は高度経済成長期に突入すると列車の増発、スピードアップを重ねるようになりました。
すると安全に保線作業が出来る「列車間合い」が減ってしまい、十分に保線が出来ないのに線路破壊ばかり進むというジレンマを抱えるはめになってしまったのです。
そこで保線機械を導入し、限られた時間の中で集中的に補修工事を行なう「定期修繕方式」への移行を画策。
同時に線路班は「検査班」と「作業班」に再編し、換算軌道キロ10~15kmおきに配置した検査班が軌道検査を実施。
集めた検査データを基に支区事務室の計画担当(計画助役・技術掛)が作業計画を策定し、それに従って作業班が軌道補修工事を実施する体制に脱皮しました。



北高岩駅a101

国鉄施設局は1982年3月より「線路保守の改善」を敢行しました。
作業班は保線機械業務に特化した「保線機械グループ」に変身。
検査班は軌道検査とこれに伴う簡易な修繕作業、集めた検査データに基づく工事計画、外注工事の監督を担う「保線管理グループ」に改組しました。
保線管理グループは「管理室」とも称しており、「八戸保線区三戸保線支区北高岩管理室」というような呼び方になりました。

1987年4月1日、分割民営化に伴いJR東日本が八戸保線区を継承。
JR東日本は1988年までに全保線区の支区制を廃止し「本区事務室―保線管理室/機械班」という簡素な組織体制に移行。
なおかつ保線区を増やして小刻みに配置しており、この施策を「小保線区制」と称しています。

しかし北高岩駅の小屋は財産標に「休憩所」と書かれており、この小屋が竣工した1990年1月当時は既に保線係員の常駐が無くなっていた事が見て取れます。
詳細な時期は不明ですが、おそらく八戸保線区三戸保線支区北高岩管理室は分割民営化前後に廃止されたのではないでしょうか?
とはいえ廃止後に保線詰所をわざわざ建て替えるというのも妙な話ではありますけど・・・。



北高岩駅a105

休憩所の隣にはコンクリート造りの危険品庫もあります。
こちらも建物財産標には「平成2年1月」と書かれています。
危険品庫までわざわざ新調するとは・・・。



北高岩駅a106

危険品庫と休憩所のツーショット。


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※写真は全て2022年5月1日撮影
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最終更新日 : 2022-08-04

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