タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2022-05-29 (Sun) 07:42

下請け業者・東部建設の社屋と化した野辺地保線区

野辺地保線区a02

青森県は上北郡野辺地町字上小中野。
ここには青い森鉄道・JR大湊線の野辺地駅が置かれていますが、その東隣には㈱東部建設野辺地作業所があります。



野辺地保線区a04

野辺地保線区a11

玄関にはご覧の通り表札を掲げています。
㈱東部建設はJR東日本グループの建設会社・仙建工業㈱の協力会社で、東北地方の軌道工事業者が連帯する「みちのく軌道会」にも加盟しています。
JR東日本や青い森鉄道から見ると仙建工業は請負業者、東部建設は下請け業者という事になります。

東部建設の設立は1974年1月10日で、上北郡東北町滝沢平に本社を構えています。
1980年代以降に国鉄・JR東日本が保線作業の外注化を推進すると、東部建設も受注が増加。
1999年4月1日に野辺地作業所、2004年4月1日に青森作業所(青森市大字三内字丸山)、2006年4月1日に八戸作業所(八戸市大字尻内町字鴨ケ池)・・・と拠点の新設が相次ぎました。
その途上の2001年9月27日には株式会社化しています。

その後は東北新幹線八戸~新青森間の延伸開業に伴う受注エリア変更のため2010年11月30日、4年半に渡り八戸近郊の保線作業を担ってきた八戸作業所を廃止。
現在は本社、野辺地作業所、青森作業所の3ヶ所から成り、青森県内における在来線・新幹線の軌道補修工事(レール更換・マクラギ更換など)、冬季のポイント除雪・踏切除雪を受注しています。


青い森鉄道線 JR東日本 大湊線 東北本線 JR貨物
野辺地保線区a06

玄関引き戸には「従業員募集中」の広告を掲げています。
2022年5月現在、東部建設は保線作業員を募集しています。
一般的な軌道工は日給月給制ですが、東部建設では正社員採用のため月給制としています。
募集要項は以下の通りです。

【職種】
鉄道線路保守メンテナンス(在来線・新幹線)スタッフ

【業務内容】
◇JR東日本(在来線・新幹線)や青い森鉄道の線路の保守メンテナンス業務です。
◇レール交換やマクラギ交換等で乗り心地の良い線路にする仕事です。
◇降雪時期はポイント除雪や踏切除雪で雪による列車や車の交通影響を最小限にします。

【応募資格】
普通自動車免許(AT限定不可)、学歴・経験一切不問
未経験者の方歓迎

【初任給】
月給 184,000~240,000円

【諸手当】
深夜、超勤、家族他
交通費支給(最高2万円)
昇給・賞与有り(昨年度実績あり)
資格取得全額支援有り

【就業時間】
8:00~17:00
21:00~翌6:00
※業務の都合により繰上げ、繰下げがあります。

【休日休暇】
日曜日 他、夏季休暇、年末年始休暇、有給休暇(6ヵ月経過後)
※上記以外にも希望休もご相談に応じます。

【福利厚生】
社会保険(雇用、労災、健康、厚生)
作業服、防寒着、安全靴支給



野辺地保線区a01
国鉄時代の野辺地保線区を記録した写真
日本国有鉄道盛岡鉄道管理局(1976)『盛岡鉄道管理局25年史』p.555より引用

ところで東部建設野辺地作業所の社屋ですが、実は野辺地保線区の本区事務室だった建物を再利用しているのです!
元々、野辺地作業所は斜め向かいにあった仙建工業の管理物件(旧:仙建工業野辺地出張所)を借用していました。
しかし従業員の増員により手狭となったため、2017年3月に旧野辺地保線区へと移転した訳ですね。
ちなみに現在、旧野辺地保線区は青い森鉄道の管理物件となっており、東部建設は青い森鉄道から施設を借用しています。



野辺地保線区a03

野辺地保線区は国鉄時代の1921年9月25日に発足。
当初は東北本線千曳・野辺地間694k600m地点~野辺地・狩場沢間699k500m地点、大湊線全区間、大畑線全区間において線路、土木構造物(橋梁・トンネル・プラットホーム等)、鉄道林の保守管理を担ってきました。
戦後の1950年8月5日には担当区域を三沢・小川原間668k000m地点~野辺地・狩場沢間699k500m地点、大湊線全区間、大畑線全区間に変更。

1954年3月15日、本区事務室に米軍三沢基地所属の戦闘機が墜落。
本区事務室は全壊し保線区員12名が負傷、近くに建っていた駅長官舎も大破するなど甚大な被害となりました。

1955年10月8日、風水害により大畑線下北~田名部間で線路故障が発生。
1958年9月18日には東北本線乙供駅構内でも風水害で線路故障、同月27日には台風22号により石文(信)~千曳間で8ヶ所の水害に見舞われました。

1958年10月20日、大湊・大畑線管理所が発足しました。
同管理所は大湊線・大畑線の駅業務・保線・電気設備保守などを担う統合管理組織です。
野辺地保線区においては大湊線1k地点以北の保線を全て大湊・大畑線管理所に移管しています。



野辺地保線区a07

1958年12月20日、三沢線路分区・小湊線路分区の編入により担当区域が拡大。
全容は東北本線下田・向山間657k700m地点~小湊・西平内間716k地点、大湊線野辺地~1k地点となりました。

1961年7月6日、尻内管理所の発足により担当区域が拡大。
全容は東北本線八戸・陸奥市川間647k200m地点~小湊・西平内間716k地点、大湊線野辺地~1k地点となりました。

1966年10月14日、集中豪雨により東北本線清水川~小湊間が線路故障。
1967年9月24日には八戸~陸奥市川間の築堤が崩壊、2日後の同月24日には向山~三沢間でも築堤が崩壊し列車の脱線事故が起きるなど、災難が続きました。


野辺地保線区 職制 国鉄 掛職 係職
野辺地保線区指揮命令系統(1969)a01

さて、長らく国鉄の保線区は換算軌道キロ5~6kmおきに、10名前後の線路工手から成る「線路班」を1班ずつ置き、2~4班の取りまとめ役として「線路分区」を構えていました。
換算軌道キロは本線軌道延長に側線軌道延長の1/3を加えたものですね。
線路班が担ってきた人力保線は随時修繕方式と言い、ビーターを持って担当する区間を巡回し、レールやマクラギ、道床を見たり触ったりして検査を行い、異常を発見したら直ちに修繕を施すものでした。
しかし高度経済成長期に鉄道の輸送量が増大すると、それに伴い列車本数も増便された事により、保線作業の出来る列車間合が減少。
おまけに列車の速度も向上したために線路破壊が早まり、それでも運転回数が多いせいで十分な修繕の出来る時間が少ない…というジレンマを抱えてしまった訳です。

そこで国鉄施設局は「軌道保守の近代化」を計画し、線路分区に代わる現業機関として1963年4月から「保線支区」の設置を進め、限られた時間の中で集中的に検査・補修を行う「定期修繕方式」に移行していきました。
従前は混同していた検査と作業も完全に分離。
換算軌道キロ10~15kmおきに設置した「検査班」が支区長に報告した検査結果を元に、計画担当(計画助役および技術掛)が作業計画を策定し、作業助役を通じて「作業班」に修繕をさせるという業務体制に移行しています。

野辺地保線区も1969年4月1日に近代化に合わせた組織改正を敢行し、線路分区の統合により三沢保線支区・野辺地保線支区の2ヶ所を開設。
検査班は陸奥市川・下田・三沢第一・三沢第二・上北町・乙供・野辺地第一・野辺地第二・清水川の計9班とし、各支区に作業班を1班ずつ置きました。


野辺地保線区 職制 国鉄 掛職 係職
野辺地保線区指揮命令系統(1969)a02

1972年2月1日には盛岡営林区野辺地営林支区が発足したため、野辺地保線区が担ってきた鉄道林の保守管理は同支区に移管されました。

1972年2月10日には大湊・大畑線管理所が廃止となったため、大湊線・大畑線の全区間が再び野辺地保線区に編入。
同時に野辺地北保線支区を開設し、有戸・陸奥横浜・大湊・大畑の4検査班と作業班を設けました。

1981年7月1日、国鉄施設局は「土木及び営林保守体制近代化」を敢行。
保線区で土木構造物の保守管理を担ってきた2部門(検査テーブル・工事テーブル)を統合し「土木テーブル」としました。
職名も構造物検査長・構造物検査係と工事技術係・工事係を統合・再編し、土木技術主任・土木技術管理士・土木技術管理係・土木係の4段階に改めています。

1982年3月1日、国鉄施設局は「線路保守の改善」を敢行。
作業班は保線機械業務に特化した「保線機械グループ」、検査班は軌道検査に加えて工事計画と外注工事の監督を担う「保線管理グループ」に改組しました。
職名についても保線機械グループは重機保線長・重機副保線長・重機保線係の3段階、保線管理グループは保線管理長・保線副管理長・保線管理係・施設係の4段階としています。
保線管理グループは「管理室」とも称しており、例えば「野辺地保線区野辺地保線支区野辺地第一管理室」というような呼び方になりました。



野辺地保線区a05

国鉄末期からの野辺地保線区の詳細な足取りは不明。
みちのく軌道会の広報誌『仙建線路グループだより絆』第41号には「国鉄時代の野辺地保線区事務所」と書かれているので、おそらくは分割民営化のタイミングで野辺地保線区は廃止になったものと思われます。
担当区域は大方、青森保線区や八戸保線区に分割移管されたのでしょう。
そして野辺地には「青森保線区野辺地保線管理室」でも置いていたんじゃないかと想像。
なお、JR東日本の保線区は2001年10月1日に始まった「メンテナンス体制の再構築」により、業務内容を大幅に見直した「保線技術センター」に改組されています。



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東部建設野辺地作業所の構内奥をよく見ると・・・



野辺地保線区a09

・・・野辺地保線区野辺地保線支区の事務所棟だった建物も残っています。



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野辺地駅利用者駐車場に面する保線用自動車の車庫。
シャッターには「車庫前につき駐車禁止」との注意書きを表示しています。




※写真は特記を除き2022年5月1日撮影
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最終更新日 : 2022-06-04

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2022-10-08-23:59 * - [ 編集 * 投稿 ]