引き続き青森県は上北郡野辺地町字上小中野にある、青い森鉄道・JR東日本の野辺地(のへじ)駅を取り上げましょう。
第1回では野辺地駅の大まかな歴史と駅舎の内外、第2回では改札口とプラットホームを見ました。
今回は野辺地駅を語る上で外せない鉄道記念物のお話です。
駅裏には鉄道林が整然と広がっています。
この鉄道林は冬場の防雪を目的とし、線路に沿って杉の木を植樹したものです。
JR東日本 国鉄 JR貨物 JR北海道 東北本線 大湊線 青い森鉄道線
手前の線路脇に立つ看板には「日本最古の鉄道防雪林」と書かれています。
高台の上には記念碑が並んでいます。
左端は青い森鉄道が立てた「野辺地防雪原林」の看板です。
中央左手には「鉄道記念物 野辺地防雪原林」の石碑が立っています。
中央右手には縦書きで「防雪原林」と刻まれた石碑。
右端はJR東日本が立てた「鉄道記念物第14号 野辺地防雪原林」の解説板です。
本文を以下に抜粋しましょう。
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鉄道記念物第14号
野辺地防雪原林
この林は、明治26年(1893年)の春、日本鉄道株式会社により植林された我が国最初の鉄道防雪林です。
東北本線が全通したのは、明治24年9月ですが冬期は強風多雪のためふぶき、吹きだまりが多く鉄道線路が埋没され、しばしば列車の運行が阻害されたので恒久的防雪施設として、水沢・小湊間38箇所に約50ヘクタールの防雪林を設けました。
今日、線路に沿って亭々とそびえる杉の美林は、ふぶき防止に顕著な効果を挙げ、雪国の鉄道交通を防護して今日に至っています。当林地はその代表的なもので、昭和35年10月14日、第88回鉄道記念日に当り、鉄道林発祥の地として鉄道記念物(第14号)に指定されました。当防雪林の現在面積は、6740平方メートルあります。
左側の石碑「鉄道記念物 野辺地防雪原林」の題字は記念物を指定して当時の国鉄十河総裁の筆によるものです。また、右側は昭和15年この林の創設記念として、防雪林設置を提唱した本多林学博士執筆の「防雪原林」の碑であります。
昭和62年4月1日
東日本旅客鉄道株式会社
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日本における鉄道林の礎を築いた本多静六・林学博士の肖像
JR東日本鉄道林研究会(1993)『鉄道林 鉄道林100周年記念写真集』
(東日本旅客鉄道株式会社施設電気部土木課)p.91より引用
JR東日本の解説板に書かれているとおり、日本最古の鉄道防雪林の設置に携わったのは林学博士の本多静六(ほんだ・せいろく)です。
本多博士は1866年7月2日に武蔵国埼玉郡河原井村(現:埼玉県久喜市菖蒲町河原井)で生まれ、苦学の末に帝国大学農科大学を首席で卒業。
その後はドイツに留学しターランド山林学校で造林学、ミュンヘン大学で財政学を学び、1892年3月にドクトル(国家経済学)の称号を得ました。
1892年5月に帰国するや日本鉄道の重役だった渋沢栄一に防雪林設置を進言。
本多はドイツからの帰国途中でカナダに立ち寄り、当時建設中だったパシフィック鉄道の防雪林からアイデアを学んだと言われています。
海外で鉄道防雪林が列車の安全運行に大きく寄与している事を知った渋沢は、その提案を実践するべく本多を日本鉄道の嘱託として採用しました。
かくして本多は26歳という若さで、鉄道の明日を担う一大事業の指揮を執る事になったのです。
本多は線路沿いに100mほどの幅を持った用地を確保し、そこに1ヘクタール当たり1万本もの常緑針葉樹を植える計画を立てました。
そして1893年5月、日本鉄道奥州線水沢~小湊間にて約50ヘクタールの植林を開始。
最初に植林したのは野辺地駅構内で、これが防雪・防風・防砂などの用途を問わず日本初の鉄道林となりました。
これを皮切りとして徐々に延伸した鉄道防雪林は雪崩や吹き溜まりを防ぎ、鉄道の安全安定輸送に絶大な効果を発揮しました。
その後は東北地方・北海道を中心に各地で鉄道林の植林が行なわれ、保線区にも営林士や営林工手といった鉄道林の保全を担う職員が置かれるようになりました。
一方、本多は鉄道林の造成と並行して帝国大学農科大学助教授、東京専門学校講師を歴任し、1899年3月に『日本森林植物帯論』で林学博士の学位を取得。
1900年6月には帝国大学農科大学の初代林学教授に就任し、その生涯を演習林制度の確立など林業の発展に捧げました。
晩年の1948年にラジオで「鉄道林を伐採して戦後復興費に充てる」という話を聴くと、時の小沢佐重喜・運輸大臣に「鉄道林は守るべき」との開陳書を送っています。
これに接した田中茂美・鉄道総局施設局長からは、本多博士に充てて「伐採計画は事実無根であり、今後とも鉄道林について指導を頂きたい」との返信が送られ事なきを得ました。
鉄道林の保全と継承を願い続けた本多博士は1952年1月29日、85年の人生に幕を下ろしています。
日本最古の鉄道防雪林と青い森701系。
野辺地防雪原林の傍には一目で国鉄時代の関連施設と分かる、白壁のコンクリート建築があります。
この建物は野辺地周辺で鉄道林の保全に当たった「盛岡営林区野辺地営林支区」(1972年2月1日開設)の事務所で、大湊線・大畑線の軌道検査・軌道補修工事を統括した「野辺地保線区野辺地北保線支区」(1972年2月10日開設)も同居していたそうな。
元々、野辺地周辺の鉄道林は野辺地保線区が管理していました。
野辺地保線区は1921年9月25日の開設。
東北本線千曳・野辺地間694k600m地点~野辺地・狩場沢間699k500m地点、大湊線全区間、大畑線全区間を担当区域とし、線路・土木構造物・鉄道林の保守管理に当たってきました。
担当区域内には保線作業を担当する線路班、営林作業を担当する営林班をこまめに配置していました。
戦後は担当区域の変更が相次ぎ、1960年代には東北本線八戸・陸奥市川間647k200m地点~小湊・西平内間716k地点、大湊線野辺地~1k地点が担当区域となりました。
この頃、国鉄施設局は「軌道保守の近代化」を掲げ、従前の「随時修繕方式」から「定期修繕方式」への移行を進めている真っ最中でした。
野辺地保線区も1969年4月1日に近代化に合わせた組織改正を敢行し、線路分区の統合により「保線支区」を設置すると共に線路班を「検査班」と「作業班」に再編。
なおかつ営林部門を本区事務室の「営林テーブル」に一本化し、これまで営林班が担ってきた鉄道林の保安作業を外注化しました。
その後、1965年12月1日に北海道総局が旭川営林区・名寄営林区・札幌営林区を開設すると、盛岡鉄道管理局でも保線部門から営林部門を分離し、専門性を強化しようという気運が高まりました。
まずは1968年度、盛鉄局管内に保線区所属の営林支区を6ヶ所設置する案を本社施設局土木課に提出。
既に盛鉄局は1965年12月に北上保線区陸中川尻営林支区を開設しており、保線区の統廃合に託けて営林支区の設置拡大を進めるつもりだったのです。
他方、金沢鉄道管理局も富山保線区猪谷営林支区を設けていました。
これに対し施設局土木課は1967年5月、東北・新潟においては保線区に営林支区を設けるよりも、1局1区の営林区を設けた方が効果的と考え検討を開始しました。
そして1970年12月に新潟営林区、1971年10月に秋田営林区と仙台営林区を相次ぎ開設。
盛鉄局管内については1972年2月1日、各保線区から営林部門を分離して盛岡営林区を開設しました。
盛岡営林区では本区事務室、陸中川尻営林支区、盛岡営林支区、野辺地営林支区、青森営林支区、宮古営林支区の1本区5支区体制を採りました。
国鉄末期の1985年4月3日、各地の営林区は支区制を縮小した駐在制に移行。
盛岡営林区においても各支区を陸中川尻営林駐在、盛岡営林駐在、野辺地営林駐在、青森営林駐在、宮古営林駐在に縮小改組したそうです。
1987年4月1日、分割民営化に伴いJR東日本が発足すると共に新潟営林区が廃止。
1988年3月13日には盛岡営林区と秋田営林区、1989年3月11日には仙台営林区も廃止され、本州の営林区は全て消滅しました。
これらの廃止に伴い営林業務は保線区の土木部門が継承しましたが、2001年10月1日に「設備部門におけるメンテナンス体制の再構築」が始まると保線から土木を切り離し、専門の現業機関である「土木技術センター」に移行しました。
野辺地防雪原林の営林も盛岡土木技術センター青森派出が担当するようになりました。
そして2010年12月4日、並行在来線分離により東北本線八戸~青森間が青い森鉄道に移管されると、野辺地防雪原林の営林も同社設備管理所が引き継いでいます。
旧野辺地営林支区の構内にはトタン板を張った平屋も見られます。
おそらくは野辺地保線区時代に営林班の詰所として使われたのでしょう。
現在は小屋の傍にトロが置かれており、保線関係に活用している事が分かります。
せっかくなので旧野辺地営林支区の反対側も見に行きましょう。
駅構内西側の種畜場踏切を渡ります。
・・・とその前に、野辺地駅を出発した大湊線のキハ100系を撮影。
枇杷野川に架かる橋を渡ると、川沿いから鉄道林へと続く砂利道があります。
砂利道の先には旧野辺地営林支区が見えますね。
鉄道林を潜って旧野辺地営林支区へ。
事務所棟の手前には自動車が多く駐車されています。
玄関の表札には「仙建工業株式会社盛岡支店野辺地出張所」とあり、その手前には社用車が停まっています。
仙建工業㈱はJR東日本グループに属する建設会社で、仙台に本社を構え東北地方の太平洋側をメインに鉄道施設の新築・修繕工事を受注しています。
受注元はJR東日本に限らず、仙台市営地下鉄、三陸鉄道、IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道などの保全にも携わっています。
青い森鉄道の保全には青森土木出張所、青森出張所、野辺地出張所、八戸機械出張所の4ヶ所が関与。
このうち野辺地出張所は野辺地近郊の青い森鉄道線・JR大湊線の軌道検査、人力作業・軌陸両用重機を用いた軌道補修工事、建築物(駅舎・車庫・社屋)の修繕工事などに当たっています。
野辺地防雪林の保全作業については青森土木出張所が請け負っているようですね。
以上、3回に渡って野辺地駅を取り上げました。
実は野辺地駅周辺にはまだまだ鉄道スポットがあるのですが、それはまた次の記事で。
《ブログ内関連記事リンク》
青い森線野辺地駅[3] 日本最古の鉄道防雪林と野辺地営林支区
※写真は特記を除き2022年5月1日撮影
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最終更新日 : 2022-06-04