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2022-04-17 (Sun) 19:23

根室本線山部駅[1] 芦別岳の麓に置かれた北大農学部第8農場

山部駅a03

上川管内は富良野市山部中町(旧:空知郡山部町市街地1条通南1丁目)にある、JR北海道の山部(やまべ)駅。
かつて存在した自治体・山部町の中心街に設けられた駅です。
駅前にはJAふらの(ふらの農業協同組合)の拠点があり、同農協山部支所、エーコープやまべ、資材センターやまべ店、農業倉庫群が集結しています。

駅の北東にある大きな工場は、神戸に本社を構える建材メーカー・㈱ノザワのフラノ事業所。
同事業所では各種建材の製造に加え、ミネラル肥料の製造・販売を手がけています。
ノザワは山部で石綿鉱山を操業していた事もありました。

山部の開拓が始まったのは1901年の事。
北海道大学農学部が第8農場を開設し、小作人の募集を開始したのです。
最初の入植者は橋本長吉・河原秀吉・登友吉の3戸。
その後は岩手県・福島県・富山県・徳島県など17県から団体入植が相次ぎ、1915年4月1日には山部村の発足と相成りました。
言わば村全体が北大の“学田”である事から、山部村は「大学村」と呼ばれました。
北大農学部第8農場は研究施設として各種実験に取り組み、小作人に対しても適作物の栽培技術を指導するなど手厚い保護政策を展開しました。


JR北海道 国鉄 JR貨物 無人駅 根室本線 簡易委託駅
山部駅a02

終戦後の1947年、GHQによって小作人の解放を目的とした農地改革が打ち出されました。
これを受けて山部町でも農地解放運動が巻き起こり、全農家374戸の9割に相当する335戸が北大に対し学田の解放を要求しました。
何度も折衝を重ねた末、1950年1月4日を以って学田の売渡が実現。
農地解放に伴い北大は入植40年以上の各世帯に対し、記念品としてスプーンセットを寄贈しています。

一方、北大農場には39戸が残留しました。
彼らは学田に留まれば北大の保護を受けられ、土地に係る租税負担も無いので都合が良いと考えていました。
しかしその後は1959年の小作料10倍増額、1960年の農業基本法制定などが重なり、小作農を続ける事が不利益になってしまいました。
結局は彼らも1961年4月20日に解放期成会を結成し、他所の北大農場で働く小作農達と連帯して学田の払い下げを要求しました。
そして1963年12月15日付で北大が売渡通知書を交付し、北大農場62年の歴史は幕引きとなりました。
これを地元では「第二次解放」と呼んでいます。
農地解放の終結から3年後の1966年5月1日、山部町は隣接する富良野町と合併し「富良野市」となって現在に至ります。



山部駅a06
山部駅の2代目駅舎は正面右端に玄関を寄せ、大半のスペースを駅事務室としていた
山部町史編集委員会(1966)『山部町史 昭和40年刊』(山部町役場)p.553より引用

山部駅は1900年12月2日、北海道官設鉄道十勝線下富良野~鹿越間の開業に伴い信号場として開設されました。
翌1901年4月1日には一般駅に昇格し、旅客・小荷物・貨物の取扱いを開始しています。
書籍『山部町史』によると初代駅舎は「粗末な小さなもの」(p.100)だったそうな。
駅の付近には宿屋・雑貨屋などの商店が建ち始め、市街地の基礎を築きました。

この頃、西達布の東大演習林から搬出される木材が毎年10万石を突破。
山部駅も木材の発送拠点として活用される事になり、駅裏には貯木場が設けられて造材関係の労務者も多く出入りするようになりました。

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資料1 宮田利作の思い出話

 私は明治32~33年(1899~1900)頃、旭川で師団の建築材の木挽をしていた。
 その頃下富良野に横山金之助という知人が造材業をしていたのでその人を頼って山部へ来た。
 横山は、山部で造材事業をすることになったので、山ご、木挽きなど数人の労務者を現在の山部駅土場附近に小屋を作りそこで造材事業を行なわしめた。これが山部での造材の始めであったかと思う。
 当時は、まだ市街地もなく鉄道も開通していなかった。山部全体が原始林である。
 飯場の賄の食糧などは、駄馬の背に積んで馬夫1人が3~5頭の馬を曳き旭川へ往復したのである。その頃の米賃は運賃込みで1俵4円位でなかったかと思う。
 立木の払下げは、北大から調査にきて行なわれたが親方の払う木代金はタダみたいなものであった。
 その後鉄道がつき、駅ができて造材業者がどんどん入るようになってきた。天塩木材とか、三井造材部などはその筆頭であったろう。
 業者たちは、平坦地の木の性のよいところを選んで払下げをうけ伐出した。当時の木材というとハビロ(斧の大きなもの)で削って角材にした枕木が主なもので殆ど小樽方面へ積出された。三井は砂川木工場に送っていた。
 山部の木材は、小樽の材木商たちから木の質が良質だというのでたいへん評判がよかった。

《出典》
山部町史編集委員会(1966)『山部町史 昭和40年刊』(山部町役場)p.p.86,87
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十勝線は1905年4月1日、国鉄に移管。
その後は1909年10月12日に釧路線、1913年11月10日に釧路本線と2度に渡る改称を経て、1921年8月5日の全通により現名称の根室本線となりました。



山部駅a04

国鉄時代の山部駅は1906年4月から公衆電報の取扱いを開始し、概ね16~17名ほどの駅員が勤務していたといいます。
以下に『山部町史』の記述を引用しましょう。

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 駅員の数は初期の頃は明らかでないが大正10年(1921)3月に16名、昭和24年(1949)2月も16名、そして現在は17名である。
 駅長は初代桑村某から、順崎清太・牧原武次郎・岡本保・岩崎得一・寺沢一郎など23名交替し現駅長田守健之助となった。
 開駅当時の旅客は1日平均50名内外、貨物の発送10トン位であったものが、現在では600名、140トンに増加している。

《出典》
山部町史編集委員会(1966)『山部町史 昭和40年刊』(山部町役場)p.100
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1966年9月30日、根室本線落合~新得間において狩勝峠越えのルートを変更し新線が開業(地元では“新狩勝線”と呼ばれる)、同時に富良野~新得間が自動信号化しています。
これに伴いタブレット閉塞が御役御免になり、山部駅におけるタブレット交換も廃止されました。

1974年10月1日には山部駅の営業範囲が改正され、貨物フロントの営業は車扱貨物のみに縮小しました。
1981年10月1日に石勝線が開通すると、道央と道東を結ぶ特急・急行の大半が石勝線経由に変更されました。

国鉄は1984年2月1日ダイヤ改正において、ヤード系集結輸送から拠点間直行輸送への一大転換を実施。
これに伴い全国各地の小駅を対象に大規模な貨物フロント・小荷物フロントの整理が為されました。
山部駅も例に漏れず貨物フロントを廃止し、一般駅から旅客駅に種別変更しています。

小荷物フロントは1985年3月14日を以って廃止。
1986年11月1日ダイヤ改正では遂に駅員無配置となり、出札業務のみ近隣住民に委託する簡易委託駅となりました。



山部駅a09

1987年4月1日、分割民営化に伴いJR北海道が山部駅を継承。
同時に山部駅の簡易委託営業が終了しました。

2016年8月31日には台風10号が北海道に上陸し、根室本線富良野~音別間が甚大な被害を被ります。
このうち新得~音別間は同年12月22日までに順次復旧し、富良野~東鹿越間も同年10月17日に運行を再開。
しかし東鹿越~落合間は土砂災害のダメージが深刻で、この区間では列車代行バスを運行する事になりました。
不通区間は一向に復旧されず、2017年3月28日には列車代行バスの運行区間を新得駅まで延長。
その後は不通区間の在り方を巡り、廃止したいJR北海道と復旧したい沿線自治体の間で平行線を辿り続けます。

そして2022年1月28日、遂に沿線自治体が根室本線富良野~新得間のバス転換に合意。
今後は当該区間の廃止に向けて議論を進めていく事になりました。



山部駅a01

現在の山部駅は岩見沢駅を拠点駅とする岩見沢地区駅(担当区域:室蘭本線栗沢~岩見沢間、函館本線幌向~滝川間、根室本線滝川~落合間)に属し、地区駅長配下の管理駅である富良野駅が管轄する簡易委託駅です。
駅舎は1988年12月2日に建て替えた3代目で、ロッジを思わせる洒落た洋風建築です。



山部駅a10

山部駅a11

駅舎の南隣には車庫の付いた木造建築があります。
まるで保線関係の詰所だったかのような装いですが、保線とは関係ありません。
実はこれ、2代目駅舎の北半分を減築し、残した南半分に改築を施した物なんですね。



山部駅a26
Googleマップより引用

そんな旧駅舎の片割れには㈱富良野タクシー山部営業所が入居していました。
富良野タクシーは1964年10月2日に設立されたタクシー会社です。
当初は有限会社でしたが1992年7月15日に株式会社化。
現在は富良野市本町に本社を構え、タクシー事業を核に介護事業、アウトドア事業、損害保険代理店業を展開しています。

山部営業所の看板には「有限会社富良野タクシー」と書かれていました。
株式会社化する前に設置した看板を、取り替えずに使い回していたんですね。



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山部駅a13

富良野タクシーはコロナ禍の経営改善で山部営業所を廃止した模様。
2022年4月9日に現地を訪問すると、営業所の看板は撤去されていました。



山部駅a106

裏手の外壁には駅名標が付いています。
どうやらJR北海道は2代目駅舎の片割れを賃貸物件として所有し続けており、それを富良野タクシーに貸していたという事らしいですね。
それにしてもガレージ付きに改築したとはいえ、窓が一つしかないのは何とも息苦しそうな職場ですね・・・。



山部駅a05

駅前交差点には「世界連邦平和都市 北海道発祥地・山部」との札を掲げた塔があります。
「北海道発祥地」だなんて随分とテキトーな事を書いているなあw

史実上は1189年、最初に和人が住み着いて蝦夷地開拓を始めた上ノ国が「北海道発祥の地」とされていますね。
更に言うと「北海道」という名称の発祥地は音威子府で、これは松浦武四郎がオニサッペ(筬島の鬼刺川付近にあったコタン)のエカシから聞いた話に基づきます。
曰くアイヌは自分達の事を「加伊(カイ)」と称しており、その意味は「この国(=蝦夷地)に生まれた者」となります。
この話から武四郎は「北加伊道」の名を思いつき、それがやがて「北海道」と字面を改め地名に採用されたという訳ですね。

※2022年11月6日訂正※
看板に書かれた「世界連邦平和都市 北海道発祥地・山部」の文言は「世界連邦平和都市」「北海道発祥地・山部」と区切って読むのではなく、一つの文言として読むのが正しい事が分かりました。
つまり山部は1955年、北海道内において初めて世界連邦平和都市宣言を行なった場所だとPRしているのであり、最初から「北海道発祥の地」だと主張している訳ではありませんでした。
訂正してお詫び申し上げます。



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山部町史編集委員会(1966)『山部町史 昭和40年刊』(山部町役場)p.488より引用

今でこそ「北海道発祥地」とデタラメな主張をしている塔ですが、元々は山部町の開基50周年を記念し1965年に建立された祝賀塔です。
『山部町史』には竣工当時の祝賀塔の写真が掲載されています。



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駅舎の正面玄関はまるでカフェのような雰囲気です。



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待合室の様子。
部分的に吹き抜けとなっています。



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玄関側には簡易委託時代の出札窓口が残っています。



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出札棚には山部駅で開催されたハロウィンパーティーの記念写真が置かれていました。



山部駅a24

出札窓口の脇にはJR北海道の子会社、北海道クリーン・システム㈱の求人チラシが貼られていました。
募集職種は富良野駅の清掃員です。
勤務時間は8:15~翌8:15の宿直勤務で実働13時間6分。
業務内容は到着列車の折り返し清掃、サボの交換作業、乗務員宿泊所の清掃など。
4週6休~8休程度で時給894円です。
連絡先として北海道クリーン・システム旭川支店の電話番号を掲示しています。



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待合室のベンチには山部商工会女性部の手作り座布団を敷いています。


長くなったので今回はここまで。


※写真は特記を除き2022年4月9日撮影
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最終更新日 : 2022-11-06

こんばんは😃 * by らんちゃん
いつも楽しみに拝見しています。久々コメです🙇

山部駅を始め、山部には親せきもいて、よく知っている場所です。

お写真、7枚目からの数枚、〝あらっ、これ、タクシー会社んとこでしょ〝と、すぐわかりました。が、ここ、JRが貸していた建物だったのですね😲ここから1度だけ、幼少時、弟と2人で乗せてもらい、親せき宅へ。その時のことを、道新の「はいはい道新」に載せてもらったことも、よく覚えています・・・。

Re: こんばんは😃 * by 叡電デナ22
らんちゃんさん

どうも、お久しぶりです。

山部にご親戚がいらっしゃるんですか!
地元の昔話でも伺えるとタメになりそうです。

富良野タクシー山部営業所はJRから借りていた物件でしょうね。
そうでなければ外壁に駅名標を掲げる事はないだろうと思います。
らんちゃんさんの思い出の場所でもある営業所が消滅してしまったのは寂しいですね。

こんばんは😃 * by らんちゃん
山部には、母の実家があります。おばや、いとこ家族が住んでいます。
母は小学生時代、学校帰りにたまに馬ソリに(ついでに)乗せてもらってきたり、高校時はSLでかよってた・・・という、地元の昔話と言うより母の昔話ですね💦ためにならない話で、ごめんなさい💦💦

Re: こんばんは😃 * by 叡電デナ22
らんちゃんさん

どうも、こんばんは。

>ためにならない話で、ごめんなさい💦💦

いえいえ、現地に縁のあるお話をいただきありがとうございます。
マイカーがまだ普及していない頃は、道内の至る所で馬ソリを使っていたという話をよく聞きますね。
自宅と小学校の行き来にも馬ソリを使うほど、馬が日常生活に溶け込んでいた時代・・・たった数十年で世の中は様変わりしたんだなあと考えさせられます。

承認待ちコメント * by -

記念塔について * by 山田雅和
記念塔の表記「〜発祥の地」は、その前にある「世界連邦 平和都市宣言」にかかるもので、北海道で最初にその宣言をした町という意味であり、いい加減なことを書いたのではありません。

Re: 記念塔について * by 叡電デナ22
山田雅和さん

なるほど、看板に書かれた2つの文言を別々に読んでいたから誤解してしまったんですね。
試しに調べてみたら確かに1955年、山部村が北海道で最初に「世界連邦平和都市宣言」を行なったとありました。
1946年10月に始まった世界連邦運動の一つで、日本では1950年10月に京都府綾部市で宣言したのが初だそうで・・・。

本文にも訂正を入れておきます。
ご指摘いただきありがとうございます。

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こんばんは😃

いつも楽しみに拝見しています。久々コメです🙇

山部駅を始め、山部には親せきもいて、よく知っている場所です。

お写真、7枚目からの数枚、〝あらっ、これ、タクシー会社んとこでしょ〝と、すぐわかりました。が、ここ、JRが貸していた建物だったのですね😲ここから1度だけ、幼少時、弟と2人で乗せてもらい、親せき宅へ。その時のことを、道新の「はいはい道新」に載せてもらったことも、よく覚えています・・・。
2022-04-17-22:46 * らんちゃん [ 編集 * 投稿 ]

叡電デナ22 Re: こんばんは😃

らんちゃんさん

どうも、お久しぶりです。

山部にご親戚がいらっしゃるんですか!
地元の昔話でも伺えるとタメになりそうです。

富良野タクシー山部営業所はJRから借りていた物件でしょうね。
そうでなければ外壁に駅名標を掲げる事はないだろうと思います。
らんちゃんさんの思い出の場所でもある営業所が消滅してしまったのは寂しいですね。
2022-04-18-22:09 * 叡電デナ22 [ 編集 * 投稿 ]

こんばんは😃

山部には、母の実家があります。おばや、いとこ家族が住んでいます。
母は小学生時代、学校帰りにたまに馬ソリに(ついでに)乗せてもらってきたり、高校時はSLでかよってた・・・という、地元の昔話と言うより母の昔話ですね💦ためにならない話で、ごめんなさい💦💦
2022-04-19-19:14 * らんちゃん [ 編集 * 投稿 ]

叡電デナ22 Re: こんばんは😃

らんちゃんさん

どうも、こんばんは。

>ためにならない話で、ごめんなさい💦💦

いえいえ、現地に縁のあるお話をいただきありがとうございます。
マイカーがまだ普及していない頃は、道内の至る所で馬ソリを使っていたという話をよく聞きますね。
自宅と小学校の行き来にも馬ソリを使うほど、馬が日常生活に溶け込んでいた時代・・・たった数十年で世の中は様変わりしたんだなあと考えさせられます。
2022-04-21-21:04 * 叡電デナ22 [ 編集 * 投稿 ]

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
2022-04-25-18:34 * - [ 編集 * 投稿 ]

記念塔について

記念塔の表記「〜発祥の地」は、その前にある「世界連邦 平和都市宣言」にかかるもので、北海道で最初にその宣言をした町という意味であり、いい加減なことを書いたのではありません。
2022-11-02-12:27 * 山田雅和 [ 編集 * 投稿 ]

叡電デナ22 Re: 記念塔について

山田雅和さん

なるほど、看板に書かれた2つの文言を別々に読んでいたから誤解してしまったんですね。
試しに調べてみたら確かに1955年、山部村が北海道で最初に「世界連邦平和都市宣言」を行なったとありました。
1946年10月に始まった世界連邦運動の一つで、日本では1950年10月に京都府綾部市で宣言したのが初だそうで・・・。

本文にも訂正を入れておきます。
ご指摘いただきありがとうございます。
2022-11-06-23:30 * 叡電デナ22 [ 編集 * 投稿 ]