札幌駅直結の複合商業施設「札幌エスタ」。
このビルの10階はレストラン街となっており、フロアの東側には「札幌ら~めん共和国」が広がっています。
「札幌ら~めん共和国」は2004年10月1日に開業したラーメンテーマパークで、あまり知られていませんがJR北海道の関連事業でもあります。
運営者はJR北海道の子会社にして、駅ビルの管理運営を担う札幌駅総合開発㈱です。
同社は札幌エスタも管理物件としています。
札幌エスタはビックカメラをはじめユニクロ、ロフト、ニトリEXPRESS、ヴィレッジヴァンガード等が入居しており、多くの買い物客が「ら~めん共和国」で食事を取ります。
以前は道外や中国・台湾・韓国などの観光客も多く出入りしていましたが、コロナ禍に突入してからはめっきり減りましたね。
札幌駅周辺では2030年度の北海道新幹線札幌延伸に先駆け再開発計画が動いており、札幌エスタも新ビルの建設と引き換えに2023年8月末での閉館が決まりました。
「ら~めん共和国」については移転の計画も特に無く、札幌エスタと運命を共にする事となります。
JR北海道 国鉄 JR貨物 札幌駅 函館本線 札沼線 学園都市線 千歳線 苗穂運転所
『北海道新聞』2022年2月11日付朝刊付録「さっぽろ10区(トーク)」第2面より引用」
最近の道新で知ったのですが「ら~めん共和国」の館長は何と国鉄苗穂機関区(現:苗穂運転所)のOBだといいます。
館長の沼田さんは1977年、国鉄に入社して苗穂機関区に勤務。
1987年4月の分割民営化に伴いJR北海道に入社すると、関連事業の管理運営を経験。
そして札幌駅総合開発㈱に転籍し、2006年から「ら~めん共和国」の業務に参加しました。
2010年には館長に就任し、以来12年間もの長きに渡り「ら~めん共和国」を牽引し続けています。
以下に道新の記事を引用しましょう。
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人とーく 閉館前、恩返しのイベントを
札幌ら~めん共和国館長 沼田 初さん(63)=中央区
八つのラーメン店が軒を連ね、今年10月で開業18周年を迎える「札幌ら~めん共和国」。札幌駅南口再開発に伴い、入居する商業施設「札幌エスタ」が取り壊されるため、来年8月末での閉館が決まっています。
「国内外のラーメンファンに愛され、ここまで営業を続けることができました。最後に北海道に恩返しするイベントができたらと考えています」
館長として、道内の小さな町から九州まで全国のラーメン店に足を運び、札幌ではあまり知られていない名店の発掘から出店交渉までを手がけてきました。共和国で仕事を始めた2006年からコロナ禍前の18年まで毎年600杯以上のラーメンを食べ歩いたといいます。
出店を依頼する決め手は、味が良いこと、接客が優れていること、本店を閉めずに出店できること。「たとえ味が良くても、店員の接客態度が悪ければクレームにつながります。札幌から遠く離れた店の味を共和国で知った人が、本店にも足を運んで地元を盛り上げてほしいという狙いもあります」
現在出店しているのは札幌、旭川、函館、小樽の人気店ですが、歴代の出店は東京都、神奈川県、新潟県など道外店を含め延べ44店にのぼります。リピーターを飽きさせないよう、夏には冷たいラーメン、冬には辛みそなど各店が味を競う期間限定フェアを行ったり、多い年で4店舗を入れ替えたりと、積極的にてこ入れを図ってきました。
開業以来、年間125万人を超える来場者があり、ピーク時の18年は137万人を数えました。しかしコロナの影響で、一昨年から「開館以来最大の危機」を迎え、客足が激減。観光客だけでなく地元客にも自粛ムードが広がり、昨年の来場者は62万人と半分以下に。これまですべてに目を通し、各店の改善につなげてきた来客アンケートも感染予防のため中止せざるを得なくなりました。
「苦しいけれど今は我慢の時期。全店舗一致団結してこの難局を乗り越えようと頑張っています」と、前を見据えます。
(ライター・吉田弥生)
ぬまた・はじめ
大阪府出身。5歳の時に札幌へ。札幌工業高を卒業後、1977年に国鉄に入り、苗穂機関区に勤務。87年にJR北海道発足後、駅構内で営業する飲食店を管理・運営する部門を経験。2006年から札幌駅総合開発が運営する「札幌ら~めん共和国」に副館長として携わる。10年から現職。
《出典》
『北海道新聞』2022年2月11日付 朝刊付録「さっぽろ10区(トーク)」第2面
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札幌ラーメン共和国 札幌らーめん共和国
さて、道新の記事に書かれた沼田館長の経歴には「87年にJR北海道発足後、駅構内で営業する飲食店を管理・運営する部門を経験」とあります。
「駅構内で営業する飲食店」というのは国鉄末期~JR初期にかけて、全国各地の鉄道職員が立ち上げた「直営店」を指しているものと考えられます。
直営店の業態は土産屋、弁当屋、喫茶店、レストラン、書店、鉄道模型店、コイン洗車場など様々でした。
主要駅では駅構内に複数点在する直営店の統括部門として「営業サービスセンター」が置かれ、そこに配置された駅員達が店舗の企画と管理運営を手がけてきました。
駅によっては営業サービスセンターが直営店と有料駐車場の運営を掛け持ちするケースもありました。
北海道旅客鉄道株式会社(1991)『JR北海道就業規則集』p.54より引用
分割民営化当初も駅の管理下にあった直営店ですが、暫くしてJR各社が駅の組織から関連事業を切り離し、新設した専門の現業機関(事業所など)に管理運営をさせるようになっていきました。
JR北海道においては「事業センター」として1988年8月に本社管内5ヶ所、1988年11月に旭川支社管内2ヶ所を開設。
直営店48店舗(物販28・飲食20)の管理運営をエリア毎に分担する体制に移行し、直営事業運営の充実を図りました。
駅営業サービスセンター時代、直営店の運営に当たる駅員は出改札担当と同様、営業主任・営業指導係・営業係の3職名としていました。
それが事業センターへの分離独立に伴い職制も改正し、事業主任・事業指導係・事業係の3職名に改称。
所長も従来は助役1名が担務指定を受けていましたが、ようやく現場長の仲間入りを果たしました。
以下に各職名の職務内容を引用しましょう。
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【所長】
センター業務全般の管理運営
【副所長】
所長の補佐又は代理
【事業主任】
事業指導係、事業係の業務及び指導並びにその計画・調整業務
その他上長の指示する業務
【事業指導係】
事業係の業務及び指導
その他上長の指示する業務
【事業係】
販売、接客及び加工・製造業務並びにこれらに附帯する業務
庶務、経理、資材及び契約に関する業務
その他上長の指示する業務
《出典》
北海道旅客鉄道株式会社(1991)『JR北海道就業規則集』p.54
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沼田館長も駅営業サービスセンター、事業センターと渡り歩き、札幌駅総合開発㈱に行き着いたのでしょう。
私自身、何度も足を運んだ「ら~めん共和国」。
閉館まで残り時間は1年半を切りました。
思い出深い空間をじっくり撮影するなら今だろう、とカメラを携えて“入国”しました。
ゲートは真っ赤なネオンサインを掲げています。
館内インテリアは札幌ラーメンの原風景と言える「昭和の札幌の町並み」がモチーフ。
具体的には昭和20~30年代のイメージですね。
札幌におけるラーメンの始まりは、中国山東省出身の料理人・王文彩が腕を振るった「竹家食堂」です。
王文彩は1920年に勃発した尼港事件に巻き込まれた後、樺太を経由し札幌へ亡命してきたと言われています。
1922年、王は北大の近くにあった竹家食堂で働き始めました。
看板メニューは塩味の鶏ガラスープに麺を入れた「肉絲麺(ロゥスーミェン)」で、これこそが札幌初のラーメンでした。
ここまで読んで「あれ?1922年って大正11年だよね。昭和じゃないだろ」と思う方もいらっしゃるでしょう。
実を言うと竹家食堂は“ご当地ラーメン”としての「札幌ラーメン」の元祖ではないんですね。
王文彩は1924年に竹家食堂を退職しており、それから竹家食堂は方針転換に踏み切っています。
何と肉絲麺の提供を終了し、東京で流行っていた中華そばに鞍替えしました。
スープは鶏ガラの塩味から豚骨清湯の醤油味に変更し、手打ちだった製麺も横浜から取り寄せた製麺機械に一新。
王文彩のメソッドは竹家食堂から消滅し、札幌の街には終ぞ定着しなかったのです。
時は流れて戦後の1946年、河北省天津から引き揚げた松田勘七が、すすきので「龍鳳」というラーメン屋台を開業しました。
「龍鳳」は天津料理の手法を応用し、豚骨で煮出した濃い目のスープに醤油を入れ、更にラードで油膜を施したラーメンを提供しました。
この「龍鳳」こそが札幌ラーメンの創始者と言われています。
翌1947年には富山県出身の西山仙治が「だるま軒」を開業しました。
仙治は東京の中華料理店で修行を積んだ人で、かんすいを使った自家製麺はたちまち評判となり、市内のラーメン屋から製麺依頼が殺到。
多忙を極めた仙治は1950年に従兄弟の西山孝之を富山から呼び、「だるま軒」の製麺部門を任せるようになりました。
製麺部門は孝之の尽力によってますます拡大。
あまりにも引き合いが多くなったため、孝之は1953年に製麺部門を譲り受けて「西山製麺所」を開業しました。
孝之は独立後の1955年、多加水熟成製法による卵麺(卵を使った黄色い縮れ麺)の開発に成功。
卵麺は札幌ラーメンの麺として広く普及、定着する事となりました。
西山製麺所は1963年に株式会社化し「西山製麺株式会社」に改称。
1965年には小売店向けに「西山ラーメン」の名で家庭用ラーメンの出荷を開始しました。
ラーメン屋の開業支援にも取り組み、暖簾に「サッポロ西山ラーメン」と書かれた店は札幌のみならず道内各地に多く見られます。
道東の帯広や北見でも「西山ラーメン」の暖簾を出すラーメン屋は少なくないですね。
西山製麺が無ければ札幌ラーメンの発展は無かったと言っても過言ではありません。
もう一つ、1955年に「味の三平」が味噌ラーメンを生み出した功績も大きいですね。
「味の三平」は南満州鉄道の機関士だった大宮守人が、引き揚げ後の1948年に札幌で始めた屋台が原点です。
当初はうどんとつぶ貝を提供しており、その稼ぎを資金として1950年にラーメン屋を開業しました。
味噌ラーメン着想のきっかけは大宮氏が読んだという、アメリカの雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』に掲載された記事。
その記事はスイスの固形スープメーカー、マギー社(Maggi)の社長が日本の食文化について書いたものでした。
マギー社社長は記事の中で味噌の効用を高く評価し、その上で「日本人は味噌を活用していない」と一刀両断したのです!
この言葉は大宮氏にとって衝撃的で、それから味噌を活用したラーメンの開発に打ち込むようになりました。
最初は常連客用のテストメニューとして提供を始め、1961年には晴れて正式メニューに。
それから味噌ラーメンは人気を呼び、他のラーメン屋もこぞって味噌ラーメンを作り始めました。
今や札幌ラーメンの代名詞となった味噌ラーメンですが、その歴史を紐解けば分かるように醤油・味噌・塩の3味が揃ってこそ札幌ラーメンなのです。
事実、札幌では殆どのラーメン屋が醤油・味噌・塩の3味を提供しており、味噌ラーメンだけが札幌ラーメンだというのは大間違いだと言えます。
更に言うと函館ラーメンも旭川ラーメンも、1店舗で醤油・味噌・塩の3味を揃えるのは当たり前。
複数の味が存在するのは道内ご当地ラーメンの大きな特徴と言えるでしょう。
「ら~めん共和国」の内装が昭和の町並みなのも、昭和時代が札幌ラーメンの発展を象徴する時代だからですね。
至る所に「北乃蓮華商店街」と書かれた提灯が吊るされ、電柱の広告看板、壁に貼られたポスター、ホーロー看板などレトロデザインが目白押しです。
万国旗も昭和の商店街では当たり前に吊るされていた物ですね。
不動産屋の掲示板を見ると、物件情報に混じってラーメンにまつわるクイズが書かれています。
北原時計店の真向かいには…
…「北海道ラーメン図」と題した道内ご当地ラーメンの地図があります。
札幌・函館・旭川・釧路の道内四大ラーメンはもちろん、長万部の浜チャンポン、苫小牧のホッキラーメン、鵡川のシシャモラーメン、初山別のフグ出汁ラーメン、愛山渓の舞茸ラーメンなど、マイナーどころもより取り見取りです。
道内四大ラーメンの中では格落ち感が否めない(失礼!)のが釧路ラーメン。
何しろ釧路市外・釧路町外への出店事例がほとんど無いのです。
同じ「道東」と一括りにされる十勝管内やオホーツク管内、根室管内でも、釧路ラーメンの店はまるっきり見られません。
「ら~めん共和国」では2004年10月~2006年9月の2年間、釧路市末広町5丁目に本店を構える「河むら」が出店しており、おそらくこれが釧路ラーメン初の遠方進出かと思われます。
2006年10月~2007年9月には釧路ラーメン2店舗目となる「らーめん丸美春鶴」、2007年10月~2008年4月には3店舗目の「塩屋ゆうじろう」が出店。
しかし「塩屋ゆうじろう」が卒業すると、釧路から共和国への出店は途絶えてしまいました。
なお「塩屋ゆうじろう」は卒業後、市電西4丁目電停の近くに札幌店をオープン。
現在は「らーめん逍遥亭」に名を変えて営業中で、遠方地域に定着できた唯一の釧路ラーメン店かも知れません。
で、釧路ラーメンは一体どんなラーメンかというと、共和国内の解説板にも大まかな概要が書かれています。
釧路は道東を代表する港町であり、海底炭鉱と製紙工場を構える工業都市でありながら、道内有数の漁師町でもあります。
そんな訳でラーメン屋台の集まる繁華街は、寒い海から一仕事終えて帰ってきた漁師達で賑わったんですね。
漁師は短気な人が多いと言われ、すぐに飯に有り付けないと気が済まなかったそうな。
そこでラーメン屋は漁師達の気風に合わせ、スープを短時間で焚き、なおかつ素早く茹で上がる細縮れ麺を使うようになりました。
ただスープにかける時間が短いせいで、全体的に薄味すぎる店が多いという…。
最近は釧路の人達もこってり味を求めるようになり、東京の「麺屋武蔵」の元従業員が独立オープンした「麺屋武双」が人気です。
個人的に共和国で一番通っている店は「麺厨房あじさい」ですね。
「あじさい」は1930年創業、函館ラーメンの老舗にして絶対王者です。
函館市内に4店舗を展開している「あじさい」ですが、札幌市内で営業しているのは共和国の1店舗だけ。
なので札幌から出ずに函館ラーメンを食べるには、共和国に足を運ぶ事が多くなってしまうんですね。
ただ、数年前に比べてメニューが削減されてしまったのが悩みどころ。
以前は本店とほぼ同様の品揃えで、世にも珍しいイカスミラーメンも食べられたんですけどね…。
今回は特塩拉麺を注文。
通常メニューの味彩塩拉麺に海苔、麩、かいわれを追加し、更にチャーシューを増量した物です。
特塩の「特」は関東のラーメン屋に多く見られる「特製」の特ですね。
要するに具の全部のせラーメンです。
「あじさい」のスープは昆布をベースに豚骨、鶏ガラ、スルメ、棒鱈、氷下魚(コマイ)などで取っています。
あっさりとしつつも様々な素材の旨味を感じます。
「あじさい」の卓上調味料はバラエティ豊か。
このうち蝦夷ラー油、蝦夷油胡椒は「あじさい」のオリジナルです。
特に美味いのが蝦夷油胡椒。
これは黒胡椒を主体にホタテの貝柱、昆布、煮干、鮭トバ、シシャモ、エシャロット、アーモンド、コーンなどをオリーブオイルに漬け込んだ物です。
油と胡椒を合わせただけでも斬新なのに、そこに多種多様な素材を加える事により、辛いだけではない複雑な味わいを生み出しています。
この油胡椒を塩ラーメンに加えると旨味が更に倍増します。
ただし岩塩を含んでいるため、調子に乗って入れすぎると塩辛くなってしまうので注意!
蝦夷油胡椒は「あじさい」の公式通販サイト「NATIVE HOKKAIDO」で買う事も出来ます。
唐揚げ、ステーキ、カルボナーラなど、色んな料理によく合います。
一度使うと病みつきになる事うけあいです。
さて、先述したとおり共和国はJR北海道の関連事業ですが、実は館内にも鉄道スポットが存在します。
上の写真を一目見れば、部分的に写り込んでいるのがお分かり頂ける事でしょう。
※写真は全て2022年2月27日撮影
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最終更新日 : 2022-03-17