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2022-03-08 (Tue) 21:49

函館本線本石倉駅 住民の「下濁川駅構想」に応えた海岸の駅

本石倉駅a01

渡島管内は茅部郡森町石倉町にある、JR北海道の本石倉(ほんいしくら)駅。
森町の中心街から約9.7km北西、下濁川海岸の高台に設けられた駅です。
本石倉駅から約500m南東には石倉漁港があり、国道5号線に沿って細長い漁村が形成されています。
漁港の近くでは「民宿潮騒」が営業しており、1泊2食5,250円(税込)、1泊素泊まり3,500円(税込)で利用できます。

石倉町のルーツは江戸時代の1738(元文3)年に形成された村落で、津軽や箱館等から和人の漁師達が入植しました。
漁師達は主にニシン漁で生計を立てていたそうです。
アイヌは石倉の界隈を「ショ・ウン・ナイ」と呼んでおり、和訳すると「滝のある沢」となります。
このうち「ショ」は「裸岩」という意味を併せ持つ単語で、これが石倉の「石」に繋がったと思われますが「倉」が何処から来たのかは不明です。
また、本石倉の「本」はアイヌ語の「ポン」(和訳:小さな)だろうと言われています。

1807(文化4)年には石倉村に住む加賀屋半左衛門が、幕府に対し温泉場の開設を願い出ました。
これを受け幕府役人・小川喜太郎と間宮林蔵は周辺を巡検し、それから加賀屋に山道の開削を命じました。
そして加賀屋は石倉より南方の濁川盆地に湯治場を開きました。
この湯治場が濁川温泉の始まりで、現在は「新栄館」「中央荘」「温泉旅館天湯」「元湯神泉館濁川温泉にこりの湯」「温泉旅館美完成」の5館が営業しています。
最寄り駅は本石倉駅ですが、道道778号線経由で5.9kmもの道程を辿らなければなりません。


JR北海道 国鉄 JR貨物
本石倉駅a02

この請願運動は元々、1921年に濁川・本茅部・蝦谷の住民達が共同で始めた運動に端を発するもので、新駅を本茅部・蛯谷の中間に誘致したい他方の住民達と対立する事態になりました。
各集落の請願運動に対し国鉄当局は沿線調査を実施。
最終的に1930年3月20日、鉄道の運行上都合が良い本茅部・蛯谷の中間に石谷信号場(後の石谷駅)が開設されました。

これで請願運動に区切りがついた・・・と思いきや、濁川の住民達は未だ「下濁川駅構想」を諦め切れずにいました。
そして1933年10月、大場又二良を筆頭とする300名余りの住民達が、国鉄札幌鉄道局に対し請願書を提出したのです。

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 下濁川(現石倉町)に新駅設置の件について、昭和3年11月に上濁川(現濁川)地区の住民らが陳情したころは前述のとおりであるが、8年10月、函館運輸事務所を通じて札幌鉄道局の瓜生局長に、大場又二良ほか三百余名の連署のもとに、函館本線森・石倉間の下濁川の海岸に新駅設置を請願したのである。
 『新駅設置請願書』から抜粋すると、次のとおりである。

 現在森・石倉両駅間拾弐粁六分石倉村ノ沿線下濁川ニ新駅ノ設置ニ依リ其利益ニ均霑スルモノ約四百戸、而シテ将来、来住予想戸数五百戸人口弐千五百人ト推定ス。此ノ増加戸数人口ハ敢テ誇大ニアラズ事実上実現ハ火ヲ見ルヨリ明ナリ、而シテ上濁川ハ本道ニテ古来有名ナル温泉ノ湧出スルアリ。又風光絶佳旦天恵ニ富ムノ有勝地ナルモ、国道ノ入口に停車場ナキ為ト悪路ノ為発展セザルモ新駅設置セバ日々浴客ノ激増スルハ勿論、右ハ田中館学士ノ上濁川温泉ニ対シ『濁川盆地ニ就イテ』ノ論文ニテ本道登別温泉ニ比較スルモ敢テ劣ラザルコトトス。且入口ニ駅ナキ為生産物移輸出ニ多大ノ労力ヲ要シ生産物ノ価値も減ジ、生活必要品ノ配給容易ナラズ為に高価ナル物資ヲ需要スルコト余儀ナクセラレ、上濁川及ビ笹岱(注:三岱の一部)地方ノ拓殖ニ対し殆ンド拓殖意議ヲナサズ。尚、上濁川ニハ石油鉱ノ露出スルアリ。大資本ヲ以テ掘鑿スレバ石油ノ湧出スルハ明ラカナル事実トス。
 右ノ次第ニ依リ一日モ速ニ新駅ノ設置ヲ許可セラレ、住民ノ福利ヲ増進スルト共ニ温泉ノ発展農耕地ノ増加漁業ノ振興又畜産業ノ発達ヲ計リ、当地方ノ発展現下救済ヲ要スル農漁民ノ自力更生ニ大ニ資スルトコロアラントスルノ微旨ニ出ヅ。

《出典》
森町(1980)『森町史』p.631
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本石倉駅a04

濁川の住民達は何度も粘り強く陳情を続けました。
1941年12月に太平洋戦争が勃発すると国鉄の輸送力は増強。
それと相まって請願運動が実を結ぶ事となり、まずは1944年9月10日に本石倉信号場が開設されました。
そして戦後の1948年7月1日、信号場は「本石倉仮乗降場」となり、正式に旅客扱いを開始するに至りました。

しかし先述したとおり濁川温泉と本石倉仮乗降場は5.9kmも離れており、地元が期待していたほどは湯治客の鉄道利用が無かったようです。
更に高度経済成長期に入ると濁川周辺の道路整備が進み、物資のトラック輸送が容易となったため貨物フロントが開設される事もありませんでした。
1964年9月29日、本石倉仮乗降場は旅客扱いを廃止し、本石倉信号場に戻りました。
なお、函館本線森~石倉間は1959年6月に自動信号化していますが、同時にCTC化したという訳ではないため引き続き信号担当の駅員が配置されました。



本石倉信号場の職制(1973年4月)

旅客扱いの廃止には地元が大いに反発したそうな。
いくら濁川温泉が微妙に遠いと言えど、本石倉信号場は石倉漁港を構える漁村に置かれています。
漁村の住民達にしてみれば、石倉駅から列車に乗るにしたって2kmも離れてしまう訳ですからね。
結局、青函船舶鉄道管理局は1973年12月11日、本石倉信号場を再び仮乗降場に設定しました。
同日には函館本線本石倉~石倉間が複線化しています。

更に1974年10月31日、石谷~本石倉間も複線化。
前後の複線化によって駅構内も棒線化したため、本石倉仮乗降場は駅員(駅長・助役・運転係)の配置を無くして信号場としての機能を廃しました。

1986年11月1日ダイヤ改正では函館本線森~長万部間がCTC化。
自動信号化から実に27年の歳月をかけ、ようやくCTCの導入が実現しました。



本石倉駅a05

1987年4月1日、分割民営化に伴いJR北海道が本石倉仮乗降場を継承。
同時に旅客駅に昇格し「本石倉駅」となりました。

2021年12月17日、JR北海道は自社公式サイトにて「2022年3月ダイヤ改正について」と題したプレスリリースを公開。
その中で利用者の少ない7駅の廃止を告知しており、石谷駅の廃止も確定しました。
2022年3月12日、ダイヤ改正と共に本石倉駅は廃止される事となります。



本石倉駅a06

現在の本石倉駅は函館駅を拠点駅とする函館地区駅(担当区域:函館本線函館~石倉間、砂原支線全区間)に属し、地区駅長配下の管理駅である森駅が管轄する完全無人駅です。
普通列車のみ発着し、特急・貨物列車は全て通過します。
プラットホームは高台の上にあり、国道5号線にホームへと上がる階段が設けられています。



本石倉駅a08

階段は下半分だけシェルターで覆われています。



本石倉駅a07

鉄板の階段は赤錆に塗れています。



本石倉駅a09

本石倉駅a10

2面2線の相対式ホーム。
20m車が2両収まるか微妙な長さです。
海側が上り列車用(森・大沼・函館方面)、山側が下り列車用(八雲・長万部方面)ですが共に番線表示はありません。
コンクリート板を敷いた桁式ホームは、板張りの床が多い往時の仮乗降場にしては立派な施設ですね。
夜間に駅構内を照らす外灯も設置されています。


木造駅舎 待合所
本石倉駅a11

国道5号線と繋がる階段があるのは上り線ホーム。
下り線ホームには小さな木造駅舎があります。
最初に仮乗降場となった1948年7月当時から存在する待合所でしょうね。


木造駅舎 待合所
本石倉駅a12
木造駅舎 待合所
本石倉駅a13

待合所は青い片流れ屋根を持ち、引き戸の玄関を2ヶ所に設けています。
外壁は近年のリフォームでサイディング張りになっています。
ちなみに信号扱所の建物は現存せず。


木造駅舎 待合所
本石倉駅a14

ところで気がついた方もいらっしゃるでしょうが、駅構内には両ホームを直結する通路が一切ありません。
跨線橋はおろか構内踏切も無いのです。
下りホームに行くためには駅の外を迂回する必要があります。



本石倉駅a17

本石倉駅a15

一旦、国道5号線に出ましょう。
駅のすぐ北側にガード下を潜るトンネルがあります。
石倉郵便局の看板が目印です。



本石倉駅a16

トンネルを過ぎたら急カーブの坂道を登っていきます。



本石倉駅a18

道なりに進めば駅前広場に辿り着きます。



本石倉駅a19

駅前広場から待合所を眺めた様子。



本石倉駅a21

本石倉駅a20

改めて下り線ホームに立って駅構内を撮影。


木造駅舎 待合所
本石倉駅a23

下り線ホームから待合所を眺めた様子。


木造駅舎 待合室
本石倉駅a24
木造駅舎 待合室
本石倉駅a27
木造駅舎 待合室
本石倉駅a25
木造駅舎 待合室
本石倉駅a26

待合室の様子。
サイディングが施された外装に反し、内装は国鉄時代の風情が色濃く感じられます。
部屋の片隅には電気機器を格納した鉄の箱が置かれています。
ベンチの上には駅ノート。



本石倉駅a22

高台のホームからは噴火湾を一望できます。


キハ40系700番台 キハ40形700番台 函館運輸所
本石倉駅a28

下り線ホームに滑り込むキハ40-835。



本石倉駅a03

ホーム上の駅名標。


記念乗車券 記念切手
本石倉駅a29

下り線ホームのすぐ傍には石倉郵便局があります。
ここでは局長の企画発案により2022年2月28日から、廃止対象の本石倉駅・石谷駅を含む森町内11駅の写真入り切手を販売しています。


※写真は全て2019年4月30日撮影
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最終更新日 : 2022-03-08

Re:函館本線本石倉駅 住民の「下濁川駅構想」に応えた海岸の駅 * by とし
初めまして。
長年の請願の末、ようやくできた駅が、今週末で廃止になるのですね。なんだか切ないです。
先人が残した設備、利用者も減り、維持費がかかるからやむを得ないのでしょうけど残念です。
丁寧なご紹介、ありがとうございました

Re: Re:函館本線本石倉駅 住民の「下濁川駅構想」に応えた海岸の駅 * by 叡電デナ22
としさん

どうも、初めまして。
こちらこそ熟読いただきありがとうございます。

当時の地元としては悲願成就だった本石倉駅ですが、このようなかたちでの廃止は寂しいですね。
昔は小学生も通学に利用していたそうです。
棒線化で信号場の機能を失っていますので、施設は完全に撤去されてしまう事でしょう。

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Re:函館本線本石倉駅 住民の「下濁川駅構想」に応えた海岸の駅

初めまして。
長年の請願の末、ようやくできた駅が、今週末で廃止になるのですね。なんだか切ないです。
先人が残した設備、利用者も減り、維持費がかかるからやむを得ないのでしょうけど残念です。
丁寧なご紹介、ありがとうございました
2022-03-09-01:12 * とし [ 編集 * 投稿 ]

叡電デナ22 Re: Re:函館本線本石倉駅 住民の「下濁川駅構想」に応えた海岸の駅

としさん

どうも、初めまして。
こちらこそ熟読いただきありがとうございます。

当時の地元としては悲願成就だった本石倉駅ですが、このようなかたちでの廃止は寂しいですね。
昔は小学生も通学に利用していたそうです。
棒線化で信号場の機能を失っていますので、施設は完全に撤去されてしまう事でしょう。
2022-03-13-10:43 * 叡電デナ22 [ 編集 * 投稿 ]