引き続き2021年11月23日に開催された「旭川駅新駅舎グランドオープン10周年記念イベント」の模様を取り上げましょう。
記念イベントのハイライトは急行宗谷のヘッドマークを掲出したキハ40-1747、急行礼文のヘッドマークを掲出したキハ54-529、そしてラッセル装置連結のDE15-2511を動員した車両展示会。
4番線から留置線、そして7番線へと入換作業を行ない、予定通り11:15から開始しました。
旭川駅長 キハ40系1700番台 キハ40形 キハ400系 キハ400形 急行宗谷
7番線ホームには白服を着た駅長が現れたので、宗谷急行色のヨンマルと一緒に撮影。
元々は盛夏服だった駅長の白服ですが、2015年頃からJR東日本のように季節を問わない「礼服」として着用する事が多くなりました。
しかし布地は薄いままなので見るからに寒そう・・・。
11:55、私は5・6番線ホームから7番線ホームへと移動しました。
同行したTJライナーさんは通夜に参列、Wさんは帰宅されるため直前に別れました。
エスカレーターを上ると「宗谷線急行気動車風・キハ54車両 展示順路」と書かれたボードが置かれています。
宗谷急行色の手前には撮影の人だかりが出来ていました。
JR北海道 国鉄 JR貨物 宗谷本線 石北本線 函館本線 富良野線 臨時列車
撮影者がはけた所で私も宗谷急行色を撮影。
急行宗谷のヘッドマークには、宗谷岬に築かれた「日本最北端の地」のモニュメントをあしらっています。
宗谷地方には近海の利尻島、礼文島も含まれるので、これら離島もすかさず描かれていますね。
行先のサボは「稚内」を表示。
実際の急行宗谷でもこのような列車愛称を付さない、シンプルなサボを使っていました。
一方、乗降口のサボは「宗谷 SOYA」と列車愛称を記しています。
定刻より2分遅れの12:02、4番線から789系0番台の特急ライラック22号が出発。
せっかくなので宗谷急行色とのツーショットを撮影しました。
キハ400系の現役時代には有り得なかった共演です。
続いてホーム西端に移動し、急行礼文のヘッドマークを掲げたキハ54-529を撮影。
サボには「稚内 急行礼文 旭川」と、列車愛称を真ん中に書いた上で始発・終着両方の駅名を記しています。
このサボは同じキハ54系を充当した特別快速きたみと同じ体裁ですね。
こちらは乗降口に掲げた列車愛称のサボ。
急行礼文のヘッドマークは夕焼け空の日本海と、礼文島の名所の一つである「地蔵岩」が描かれています。
この地蔵岩はメノウ浜から眺めたアングルでしょうね。
メノウ浜はその名の通り、たくさんのメノウが転がっている海岸です。
車内も開放中だったので入ってみます。
客室の天井からは急行礼文の勇姿を捉えた写真を吊っていました。
ヨンマルの車内でも急行宗谷の写真を展示。
しかも宗谷急行色と国鉄急行色の混合編成です。
壁には宗谷急行色の復刻に関する解説板もあります。
車内をひとしきり見終えてホームに出ると、都合よく輸送助役が立っていたのでヨンマルと一緒に撮りました。
赤帯2本入りのヘルメットが輸送助役の目印です。
ちなみに展示車両の入線時、5・6番線ホームの警戒に当たっていた助役さんとは別人でした。
旭川駅には輸送助役が3、4人ほど勤務していますが、輸送総括助役を置くまでには至っていないようです。
国鉄時代は道内でも各地の主要駅に輸送総括助役、計画助役、指導助役、配車助役、輸送助役と、構内関係の助役を多く配置していましたけどね。
国鉄末期におけるヤードの廃止や運転取扱業務の合理化によって「構内屋」は急速に数を減らしました。
12:15、予定通り展示会を終了。
これから展示車両達が旭川運転所に帰っていきます。
12:21にはラッセル車のDE15-2511が出発。
それから間を置いて12:27、キハ40-1747+キハ54-529が出発。
ホーム各所で輸送職駅員が警戒に当たる中、気動車2連は順調に加速していきます。
鉄道ファンと輸送助役は車両が見えなくなるまで、東の線路に目を向け続けていました。
展示車両を見送った後、輸送係さんにお願いしてアノラックに付けた缶バッジを撮らせていただきました。
イベント対応に当たった駅員や非現業社員の誰もが、このような記念バッジを付けていましたね。
長くなったので今回はここまで。
《ブログ内関連記事リンク》
旭川駅新駅舎10周年で復刻した急行宗谷・急行礼文[3]
※写真は全て2021年11月23日撮影
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最終更新日 : 2022-01-23