空知管内は岩見沢市有明町中央。
この町域には岩見沢運転所(旧:岩見沢第一機関区)、岩見沢レールセンター、旧岩見沢駅本屋信号扱所(現在は岩見沢保線所・岩見沢電気所等が入居)と、鉄道関連の施設が集まっています。
前2回の記事では域内の西側に建つJR岩見沢寮と、取り壊しの進んだJRアパート群を取り上げました。
何れも「鉄道の町・岩見沢」と称された国鉄時代の面影を残す施設ですが、実はこの一角に知られざる遺構があります。
それがこの建物。
薄茶色の外壁を持つコンクリートブロック造りの平屋です。
窓や玄関は板で塞がれており、もはや廃墟の様相を呈しています。
JR北海道 国鉄 JR貨物 車両基地 室蘭本線 函館本線 幌内線 万字線
その玄関には黒い表札が1枚。
表札には「岩見沢職員集会所」と書かれており、かつて官舎に住む国鉄職員達が会合や行事に使っていた事が窺えます。
しかしその文字列は不自然な事に、表札の左半分に寄っています。
そして右半分をよく見ると、黒い塗料で白文字を消した痕跡があります。
一体どのような文字列を塗り潰したのか、じっくり目を凝らしてみたら「岩見沢鉄道診療所」と書かれているではありませんか!
そう、この建物には国鉄時代、職員集会所と鉄道診療所が同居していたのです。
国鉄は職員の福利厚生施設として全国各地の鉄道拠点に「鉄道病院」や「鉄道診療所」を設けていました。
これら医療機関は国鉄の直営で、医員、看護婦、薬剤師、物療技士、事務掛などが従事しました。
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てつどうしんりょうしょ 鉄道診療所 鉄道管理局の付属機関。職員、その家族および旅客の診療や疾病予防を担当する国鉄直営の医療機関の1つである。しかし保健管理所を有する東京、大阪および門司の各鉄道管理局管内の鉄道診療所は、職員の結核予防に関する業務を担当していない。そして鉄道病院とともに結核予防法第36条にもとづく指定医療機関に指定されている。主要な駅区等の集合したところや工場等においてあるので、現業にもっとも密接し、医療機関の第一線的な役割を果している。いずれも内科、外科その他一般疾病の診療を行うが、入院またはとくに複雑な専門診療を要するものは、鉄道病院にうつされる。
1鉄道管理局に2~11設置されており、総数147である。なお分室が12箇所ある。所長、医員、薬剤員、看護婦、事務掛等の職員が置かれ、また必要により副医長、看護婦長、助手およびレントゲン技士が置かれている。これらの職員数は約1,300人である。(宮坂正直)
《出典》
日本国有鉄道(1958)『鉄道辞典 下巻』p.p.1213,1214
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初期の岩見沢鉄道診療所はギャンブレル屋根の玄関を持つ木造建築だった
1960年代後半に現在残るコンクリートブロック建築に建て替えられたという
岩見沢駅80年史編さん委員会(1962)『岩見沢駅80年史』(岩見沢駅長 斎藤好男)p.47より引用
岩見沢鉄道診療所は1925年4月22日に開設されました。
岩見沢駅が発行した記念誌『岩見沢駅80年史』によると、1962年当時の岩見沢では合計2,159人もの国鉄職員が働いていました。
その内訳は岩見沢駅521名(岩見沢操車場を含む)、岩見沢車掌区208名、岩見沢機関区627名、岩見沢客貨車区153名、岩見沢保線区354名(岩見沢線路分区を含む)、岩見沢材修場80名、札幌建築区岩見沢派出所22名、札幌機械区岩見沢派出所5名、札幌電力区岩見沢電力分区19名、札幌信号区岩見沢第一信号分区15名、札幌信号区岩見沢第二信号分区18名、札幌通信区岩見沢通信分区17名、札幌自動車営業所岩見沢支所36名、札幌中央鉄道公安室岩見沢公安分室13名、岩見沢用品庫47名、岩見沢配給所14名、岩見沢鉄道診療所10名。
様々な職種の国鉄職員が力を合わせ、南空知の要衝を支えていたのです。
中でも岩見沢鉄道診療所はたった10名で大勢の職員達の健康を預かり、それが鉄道・バスの安全安定輸送に繋がる訳ですから特に重責だっただろうと思います。
しかし空知炭田が衰退するにつれて岩見沢の鉄道現場も合理化が進み、1982年4月30日には岩見沢診療所が廃止されてしまいました。
記念誌『岩見沢駅100年のあゆみ』によると、当時の岩見沢在住職員は合計1,472人。
20年間に687人もの国鉄職員が岩見沢を去った事になります。
そして同年5月28日、職用車の一種である「保健車」(スヤ32形)が初めて岩見沢駅に停車。
これまでの担当だった岩見沢鉄道診療所に代わり、岩見沢在住の職員を対象とした健康診断を実施しました。
旧岩見沢鉄道診療所の位置は地図のとおりです。
診療所の廃止から40年が経とうとしていますが、未だ取り壊されず雑草に囲まれています。
※写真は特記を除き2021年10月31日撮影
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最終更新日 : 2021-11-16