2020年11月22日撮影
この岩見沢寮のある一角には2棟のJRアパートも建っています。
住所で言うと岩見沢市有明町中央の西側ですね。
2枚とも2021年10月31日撮影
外壁が灰色に塗られた棟は「JRアパート203号棟」。
左右の妻面にダークグレーのガルバリウム鋼板を付けています。
2021年10月31日撮影
ベランダ側の様子。
洗濯物を干している部屋も見られ、生活感が漂っています。
ここには岩見沢に所在する各現業機関(岩見沢駅・岩見沢運転所・岩見沢保線所・岩見沢電気所・岩見沢レールセンター)の従事員や、近隣に事業所を構える子会社の社員が住んでいます。
Googleマップのストリートビューでは2015年6月当時の203号棟を見る事ができます。
これを見ると元は外壁が白く、ベランダの柵も水色の板を張っていました。
少なくとも2015年6月~2020年11月の間にリフォームが施された模様。
JR北海道 国鉄 JR貨物 岩見沢操車場 岩見沢駅 車両基地 社宅 室蘭本線
2020年11月22日撮影
203号棟の南に建つのは「JRアパート202号棟」です。
綺麗にリフォームされた203号棟に対し、こちらは塗装の剥がれが目立ちます。
幌内線 万字線 函館本線 国鉄官舎
2020年11月22日撮影
ベランダには白い板を張っています。
2021年10月31日撮影
202号棟には生活の気配が全く感じられません。
廃墟同然の状態ですね。
ちなみにストリートビューを見ると、2015年6月当時は計3棟のJRアパートが存在した事が分かります。
つまり既に1棟が取り壊されているのです。
消滅したのは「JRアパート206号棟」。
JR岩見沢寮のすぐ傍に建っていました。
2020年11月22日撮影
203号棟の北側にもJRアパートの跡地があります。
どうやら空知運転所の廃止(1994年11月1日)以降に取り壊されたようなのですが、跡地は長く遊休地状態で放置されています。
2020年11月22日撮影
遊休地は柵で囲まれており、土地を管理する札幌設備所が「立入禁止」の看板を立てています。
なお、札幌設備所は札幌建築所(旧:札幌建築区)と札幌機械所(旧:札幌機械区)の統合により発足した現業機関です。
駅舎・事務所・車庫・社宅・JR病院など各種建築物の維持管理と用地管理、自動券売機・自動改札機・エスカレーター・エレベーター・空調・クレーンなど各種機械設備の維持管理を担当しています。
国鉄時代、前身の札幌建築区は「岩見沢建築支区」、札幌機械区は「岩見沢機械支区」を分掌機関として岩見沢に置いていました。
1976年9月28日に撮影された岩見沢駅周辺の空中写真
国土地理院公式サイト『地図・空中写真閲覧サービス』より引用
これらJRアパートは国鉄から継承した物件(国鉄アパート)で、1970年代~1980年代前半に計7棟が建設されました。
また、国鉄時代は長屋タイプの国鉄官舎も周辺に集まっていました。
1976年の空撮を見ると北2条通沿いに11棟の官舎がありますし、その南側には国鉄職員達の親睦に使う野球場もありました。
それこそ函館本線沿いの北1条西11丁目は50棟ほどの官舎が密集し、域内に国鉄部外の施設は全く存在しない状態でした。
線路に沿って更に南西の北1条西13丁目、北1条西14丁目、北1条西16丁目までも国鉄官舎が建ち並び、まさしく「鉄道の町」と呼ばれるに相応しい様相でした。
1985年9月11日に撮影された岩見沢駅周辺の空中写真
国土地理院公式サイト『地図・空中写真閲覧サービス』より引用
国鉄末期の1980年10月1日、北日本最大のヤードと称された岩見沢操車場が廃止になりました。
以降は分割民営化に向けて現業機関の合理化が進み、多くの国鉄職員が岩見沢を去りました。
1985年の空撮を見ると野球場の一角は更地と化しており、北1条西11丁目の国鉄官舎もほとんどが取り壊されています。
2007年5月22日に撮影された岩見沢駅周辺の空中写真
国土地理院公式サイト『地図・空中写真閲覧サービス』より引用
それから22年後、2007年に撮影された空撮。
北2条通寄りに建っていた4棟のJRアパートは既に消滅しています。
線路沿いに連なる北1条西13丁目、北1条西14丁目、北1条西16丁目の官舎跡は宅地開発が為されました。
一方、国鉄官舎の独占状態だった北1条西11丁目は町域全体が遊休地と化しています。
分割民営化に伴い官舎の跡地をまるごと国鉄清算事業団が継承するも、買い手がつかないまま1998年10月22日に事業団の解散を迎えてしまったのです。
岩見沢駅から徒歩10分という好立地にも拘らず、自治体が再開発に乗り出す気配さえ無く30年以上も更地のまま。
何とも勿体無い話だと思いませんか?
2021年10月31日撮影
2棟を残すのみとなったJRアパート群の中央には煙突の付いた平屋があります。
まだゴミ収集車が当たり前でなかった時代、住民達がゴミを始末するために使っていた焼却炉でしょうね。
2021年10月31日撮影
その脇にはコンクリートブロック造りの物置が1棟。
2021年10月31日撮影
外壁には「ガス事業法に係る特定製造所」の標識が付いており、ガスボンベの貯蔵庫だった事が窺えます。
標識を見ると許可年月日番号は「昭和45年12月11日 45札通ガ第116号」、地点群名称は「国鉄アパート」、事業社名は「北燃商事株式会社」と表示しています。
国鉄アパートの名称が思わぬかたちで残っていました。
先述したとおりJRアパート202号棟は完全な空き家状態で、いつ解体されてもおかしくない状態だと思います。
すると残るJRアパートはリフォーム済みの203号棟のみという事に・・・。
かつての「鉄道の町」の隆盛は遠くなり、その面影も少しづつ消滅しています。
時代の変化に一抹の寂しさを感じる次第です。
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最終更新日 : 2021-11-14