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2021-10-24 (Sun) 09:40

函館本線岩見沢駅[13] 保線所・電気所が入居する旧本屋信号扱所

岩見沢駅本屋信号扱所a06

引き続き空知管内は岩見沢市有明町南にある、JR北海道の岩見沢(いわみざわ)駅を取り上げましょう。
第1回~第3回の記事では「鉄道の町・岩見沢」の象徴と言える岩見沢駅の大まかな歴史を解説。
第4回からは複合駅舎(4代目駅舎)を眺め、合築の市営施設「有明交流プラザ」も紹介しました。
そして第8回でラッチ内へと足を踏み入れ、3面あるプラットホームを全て観察しました。
今回も駅構内の様子を見ていきましょう。


JR北海道 国鉄 JR貨物 岩見沢保線区 岩見沢電気区 岩見沢保線所 岩見沢電気所 岩見沢保線管理室
岩見沢駅本屋信号扱所a05

岩見沢複合駅舎(4代目駅舎)から西南西へ約365m、有明町中央の鉄道用地内に3階建ての古びたビルがあります。
1階には見るからに資材庫の搬入口といった趣きの、青く塗られたドアが4つ。
その手前には単線の踏切が設けられています。
踏切には遮断機が無く、黄色いパトランプ付きの警報機を1基備えただけの簡素な佇まいです。


JR北海道 国鉄 JR貨物 岩見沢第一機関区 岩見沢運転所 車両基地 運転取扱業務 信号扱い
岩見沢駅本屋信号扱所a09

この踏切を通る線路は岩見沢運転所の使用する修繕1~4番線や、岩見沢レールセンターの使用する古軌条処理場1~3番線などに繋がる引込線です。
721系などの交流電車も行き来するため、引込線には架線を引いています。
踏切のすぐ脇には手動転轍機が置かれ、車両を通す際には複合駅舎1階の輸送本部から駅員が出向いて操作します。


岩見沢保線区 岩見沢電気区 岩見沢保線所 岩見沢電気所 岩見沢保線管理室 岩見沢駅本屋信号扱所
岩見沢駅本屋信号扱所a07

また、踏切には「構内通路につき関係者以外の立入を禁止します」との注意書きを立てています。
この踏切を越えると鉄道用地。
部外者にとっては不可侵の領域となります。


岩見沢保線区 岩見沢電気区 岩見沢保線所 岩見沢電気所 岩見沢保線管理室 岩見沢駅本屋信号扱所
岩見沢駅本屋信号扱所a04

国鉄時代の岩見沢駅では駅本屋・プラットホーム等のある構内北東を「本屋構内」、構内南西の貨車ヤードを「岩見沢操車場」と呼び分けていました。
このうち本屋構内における信号扱いを担うのが本屋信号扱所という訳です。


岩見沢駅 場内信号機 信号ビーム 運転取扱業務
岩見沢駅本屋信号扱所a17

かつて本屋構内には2つの信号扱所が置かれていました。
駅東運転事務室の管轄する「駅東信号扱所」と、駅西運転事務室の管轄する「駅西信号扱所」です。
駅東信号扱所は中央運転事務室と夕張街道踏切の中間にありました。
一方、駅西信号扱所は駅西運転事務室のすぐ西隣、つまり本屋信号扱所の建つ位置に元は存在したのです。
これら信号扱所には機械テコを備えており、信号掛が巨大なレバーを操作する事によって本屋構内の出発信号機・場内信号機を制御していました。


岩見沢駅 出発信号機 信号ビーム 運転取扱業務
岩見沢駅本屋信号扱所a19

道内の国鉄線では戦前から年を追う毎に列車本数が増加したため、安全度を高め且つ線路容量の増大を図る必要から信号設備の近代化を推進しました。
まずは1942年7月20日の函館本線朝里~桑園間を皮切りに、道央圏の幹線で自動閉塞化を展開。
戦後の1958年7月1日には札幌駅に道内初の第一種継電連動装置を導入し、道内各地の主要駅へと波及していきました。
岩見沢駅でも駅東信号扱所・駅西信号扱所に代わる新たなセクションとして本屋信号扱所の建設を進め、1968年11月11日に晴れて第一種継電連動装置の運用を開始しています。
本屋信号扱所には概ね20~30名ほどの信号掛(国鉄末期は輸送管理係・運転係)が詰め、2階の「継電室」で連動装置のオペレーションを遂行。
本屋構内の信号機・転轍機を一括制御し、725通りの進路構成を1ヶ所で処理できるようになりました。

国鉄末期の1986年11月1日ダイヤ改正では岩見沢駅における小荷物・貨物の取扱いが終了し、本屋構内東側にあった貨物ホームも廃止を迎えました。
また、本屋構内北東の仕訳線9本・検炭場なども廃止となった事から、進路構成も大幅に減少。
JR北海道発足後は信号扱所の機能も輸送本部に集約したため、現在の本屋信号扱所に継電室はありません。


岩見沢保線区 岩見沢電気区 岩見沢保線所 岩見沢電気所 岩見沢保線管理室 岩見沢駅本屋信号扱所
岩見沢駅本屋信号扱所a13

なお、本屋信号扱所は信号扱いのためだけに供するのではなく、施設関係の現業機関も入居する「総合事務所」的な施設として活用されてきました。
国鉄時代は岩見沢保線区の業務分掌機関である「岩見沢保線支区」と「東岩見沢保線支区」が同居。
現在は2階に「岩見沢電気所」、3階に「岩見沢保線所」の本所事務室と「岩見沢保線管理室」が入居しています。
踏切前から目いっぱいカメラをズームすると、正面玄関の脇に掲げた表札を確認できます。
2016年3月31日まではJR北海道グループの建設会社、札建工業㈱の岩見沢営業所も入居していました。
札建工業㈱岩見沢営業所は同年4月1日付で廃止され、同営業所の軌道工事業務を北海道軌道施設工業㈱の新設部門・岩見沢出張所が継承しています。


岩見沢保線区 岩見沢電気区 岩見沢保線所 岩見沢電気所 岩見沢保線管理室 岩見沢駅本屋信号扱所
岩見沢駅本屋信号扱所a10

旧・本屋信号扱所の手前には工事用車を格納する車庫があります。
そのシャッターには「シャッターは上がり切ってるか!!衝突防止!!」との注意書きをプリントした黄色テープを貼っています。


JR北海道 国鉄 JR貨物 岩見沢駅本屋信号扱所 運転取扱業務
岩見沢駅本屋信号扱所a03

せっかくなので現在入居中の岩見沢保線所・岩見沢電気所について書きましょう。
まずは岩見沢保線所ですが、元は1922年10月1日に岩見沢保線区として開設されました。
国鉄時代の岩見沢保線区は函館本線夕張川橋梁~奈井江間、室蘭本線志文~岩見沢間、幌内線全区間を受け持っており、特に北日本最大級と称された岩見沢操車場の保線は極めて重要な任務でした。
配下の線路分区については全容が不明ですが、元国鉄小樽保線区長・JR北海道本社工務部保線課長の太田幸夫さんによると幌向駅の近くに「幌向線路分区」があったとの事です。
幌向線路分区のブロック平屋は2021年現在も、幌向駅から西へ約200mの線路沿いに残っています。

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 昭和43年8月31日、札幌円山陸上競技場で挙行された北海道百年記念式典へのご臨場と地方事情視察のため昭和天皇・皇后両陛下の行幸啓が行なわれ、両陛下は羽田空港から特別機で千歳空港に到着し、8日間道内に滞在された。その間、9月3日には札幌~旭川間、6日には稚内~札幌間をお召し列車で移動された。
 当時、私は、この年の3月に岩見沢保線区幌向線路分区長を拝命したばかりのピカピカの1年生管理者だった。お召し列車の警備方法については、管理局や保線区から厳しく指導されていたが、当日は緊張の極に達していた。
 担当区域の踏切、橋梁には数時間前から職員2人が1組になって警備に張り付く。お召し列車が通過すると「○○地点通過」と刻々と保線区に報告を入れる。
 6日のお召し列車では、両陛下が各駅で徐行して地元民の歓迎にお応えされることになっていた。いよいよ幌向駅通過。ホームには駅長はじめ住民が日の丸の旗を打ち振り、お見送りをした。両陛下が幌向駅での見送りに応えられた後、私は、駅から約200m離れた線路分区建物前でただひとり直立不動で敬礼した。このようにしなさい、という上部からの命令があったのだ。昭和天皇は私が見えたのか、瞬間ではあるが姿勢を直された感じがした。

《出典》
太田幸夫(2011)『北の保線 線路を守れ、氷点下40度のしばれに挑む』(交通新聞社)p.p.168,169
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国鉄の保線区・保線支区体制図p01

岩見沢保線区は1969年10月11日、従来の線路分区を廃止する代わりに、3ヶ所の保線支区(岩見沢・東岩見沢・美唄)を開設して1本区3支区体制を確立しました。
「保線支区」とは国鉄施設局が従来の線路分区・線路班による分散的な人力保線を改め、組織の集約化と機械の投入による集中的な保線体制の確立を目指し、全国各地に設置を進めていた現業機関です。

かつて国鉄の保線区は5~6kmおきに、概ね10名の線路工手から成る「線路班」を1班ずつ置き、その元締めとして「線路分区」を構えていました。
線路班が担ってきた人力保線は随時修繕方式と言い、ツルハシを持って担当する区間を巡回し、レールやマクラギ、道床を見たり触ったりして検査を行い、異常を発見したら直ちに修繕を施すものでした。
しかし高度経済成長期に鉄道の輸送量が増大すると、それに伴い列車本数も増便された事により、保線作業の出来る列車間合が減少。
おまけに列車の速度も向上したために線路破壊が早まり、それでも運転回数が多いせいで十分な修繕の出来る時間が少ない…というジレンマを抱えてしまった訳です。

そこで国鉄施設局は「軌道保守の近代化」を計画し、線路分区に代わる現業機関として1963年4月から「保線支区」の設置を進め、限られた時間の中で集中的に検査・補修を行う「定期修繕方式」に移行していきました。
従前は混同していた検査と作業も完全に分離。
軌道換算キロ10~15kmおきに設置した「検査班」が支区長に報告した検査結果を元に、計画担当(計画助役および技術掛)が作業計画を策定し、作業助役を通じて「作業班」に修繕をさせるという業務体制に移行しています。

岩見沢保線支区は室蘭本線志文~岩見沢間、函館本線夕張川橋梁~岩見沢間、岩見沢操車場・岩見沢第二機関区の各構内を担当。
東岩見沢保線支区は岩見沢駅本屋構内・岩見沢第一機関区・幌内線全区間を担当。
美唄保線支区は函館本線岩見沢~奈井江間と南美唄支線を担当しました。



岩見沢保線所指揮命令系統aa01

空知炭田の衰退が続く1980年10月1日、国鉄当局は輸送改善の一環として岩見沢操車場の廃止を敢行。
これにより岩見沢保線区の担当業務は大幅に減少しました。

国鉄施設局は1982年3月より「線路保守の改善」を敢行。
札幌鉄道管理局でも1983年11月1日に新体制へ移行しており、作業班は保線機械業務に特化した「保線機械グループ」、検査班は軌道検査に加えて工事計画と外注工事の監督を担う「保線管理グループ」に改組しました。
職名についても保線機械グループは重機保線長・重機副保線長・重機保線係の3段階、保線管理グループは保線管理長・保線副管理長・保線管理係・施設係の4段階としています。
保線管理グループは「管理室」とも称しており、「岩見沢保線区○○保線支区△△管理室」というような呼び方になりました。

しかし国鉄施設局は分割民営化を間近に控えた1986年度、保線支区・保線駐在・分駐所(管理室)の大規模な統廃合に踏み切ります。
札鉄局管内でも同年8月1日に支区制から管理室制に移行・縮小し、岩見沢保線区でも3支区をそれぞれ岩見沢保線管理室・東岩見沢保線管理室・美唄保線管理室に改組しました。

1987年4月1日、分割民営化に伴いJR北海道が岩見沢保線区を継承。
同時に滝川保線区が廃止となったため、同区の下部組織である滝川保線管理室・芦別保線管理室を岩見沢保線区が引き継いでいます。
また、東岩見沢保線管理室が廃止となり、岩見沢保線区は1本区4管理室体制に移行しました。

1987年7月13日、幌内線全区間が廃止を迎えました。
同時に美唄保線管理室も廃止となり、岩見沢保線管理室が函館本線岩見沢~奈井江間の保線を引き継いでいます。

1988年4月25日、歌志内線が廃止。
会社発足から間もないうちに岩見沢保線区は担当区域の縮小を重ねました。



岩見沢保線所指揮命令系統aa02

1990年3月12日、JR北海道が組織改正を実施。
現業機関の組織単位である「区」を「所」に統一する事となり、車掌区は「車掌所」、運転区は「運転所」(※札幌・苗穂・旭川などは会社発足当初から運転所だった)、保線区は「保線所」、建築区は「建築所」、機械区は「機械所」、電気区は「電気所」・・・と一斉に改称しました。
岩見沢保線区も右ならえで「岩見沢保線」に改称しています。

1994年4月1日、JR北海道は保線管理体制を見直すべく、これまで釧路支社エリアだった根室本線富良野~落合間を本社鉄道事業本部の直轄エリアに変更。
同時に帯広工務所金山保線管理室が廃止となり、その担当区域を岩見沢保線所に編入しました。
これに合わせて芦別保線管理室が富良野駅の裏手に移転し、「富良野保線管理室」へと名を改めています。

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(5) 工務系統現業機関の統廃合
 6年3月18日に、より効果的な保守業務体制の確立を図るため、小規模な保線管理室を最寄の保線管理室に統合した。

(6) 本社と釧路支社との境界変更
 6年4月1日に、帯広工務所金山保線管理室の岩見沢保線所富良野管理室への統合に伴い、布部駅から落合駅までの7駅が釧路支社から本社に境界が変更になり移管した。

《出典》
財団法人交通協力会(1995)『交通年鑑 平成7年度版』p.p.221,222
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1994年5月16日には上砂川支線が廃止されています。

JR北海道は1998年4月1日、マルチプルタイタンパー・バラストレギュレーター等の運転による保線機械業務を子会社の北海道軌道施設工業㈱に全面委託化。
岩見沢保線所の保線機械業務についても分離され、北海道軌道施設工業㈱岩見沢機械センターが発足しました。

2021年現在、岩見沢保線所は室蘭本線志文~岩見沢間、函館本線夕張川橋梁~滝川間、根室本線滝川~落合間における線路・土木構造物の保全を担当しています。



岩見沢駅本屋信号扱所a01

続いて岩見沢電気所の歴史ですが、こちらは開設の経緯がやや複雑です。
そのルーツを辿ると1909年9月1日に開設された札幌通信区岩見沢通信分区まで遡ります。
岩見沢通信分区は岩見沢周辺の鉄道通信設備、即ち電信線・電話線や電信機・電話交換機などの保全を担いました。
なお、戦前の国鉄には信号設備を専門とする現業機関が無く、機械テコで動く信号設備の保全を保線区、電気式信号設備の保全を通信区が引き受けていました。

1928年6月1日、2つ目の前身である札幌電力区岩見沢電力分区が開設されました。
岩見沢電力分区は駅舎・事務所棟などの電灯や、配電線、送電線など各種電力設備の保全を担当しました。
このように当初は弱電系・強電系で現業機関が分かれていたのです。

戦後、国鉄電気局は機械式と電気式で保守体系が二分されていた信号設備について、一つの現業機関に統合する方針を固めました。
その下部機構として岩見沢第一信号分区、岩見沢第二信号分区を設けました。
岩見沢信号区は1955年10月1日を以って本区事務室を札幌に移転し、札幌信号区に改称しました。



国鉄電気関係区所「保守体系近代化a01」

国鉄では開業以来、設備の異常を発見したら直ちに補修を施す「事後保全」を大原則としてきました。
しかし、保全作業の度に列車を止めてばかりでは、高度経済成長期に入り増大を続ける輸送量に対応できません。
そこで1957年度から設備が故障する前に機能劣化の兆候を検出するか、設備の有効寿命を設定するなどしてトラブルが起きないうちに処置を施す「予防保全」への一大転換を図る事となりました。
この「予防保全」を軸としつつ、設備の改善強化による「メンテナンスフリー化」を合わせて推進する事で、各種電気設備の保守管理に関する業務の在り方を大幅に見直しています。

当然、電気設備の保守を担当する現業機関についても、近代化に則した組織体制を構築する必要が生じます。
札幌鉄道管理局では1964年4月18日に現業機関の抜本的な改正を実施。
札幌電力区・札幌信号区・札幌通信区の再編により「札幌電気区」と「岩見沢電気区」が発足しました。
岩見沢電気区は業務分掌機関として岩見沢電力支区・滝川電力支区・岩見沢信号支区・追分信号支区・砂川信号支区・滝川信号支区・岩見沢通信支区・滝川通信支区の計8支区を設置。
1本区2電力支区4信号支区2通信支区体制を確立しました。
1968年7月23日には函館本線小樽~滝川間の電化に対応するべく、岩見沢電力支区が岩見沢第一電力支区・岩見沢第二電力支区の2つに分離・増強されました。

1974年4月1日には岩見沢電気区が廃止となり、岩見沢第一電力支区・岩見沢第二電力支区は札幌電力区(1968年7月23日開設)が継承。
信号・通信の弱電系については同日付で新設された岩見沢信号通信区が継承しました。
岩見沢信号通信区は業務分掌機関として岩見沢第一信号通信支区・岩見沢第二信号通信支区・滝川第一信号通信支区・滝川第二信号通信支区・追分信号通信支区を設置し、1本区5支区体制を確立しました。



岩見沢電気所指揮命令系統aa01

国鉄解体を間近に控えた1985年9月1日、国鉄当局は電気関係区所の大幅な組織改正を実施。
従前の検査グループ(日常検査・工事監督)と技術グループ(計画・工事設計・安全教育)による業務分担を融合して「保全グループ」に再編し、本区と支区で分かれていた担当業務の範囲もある程度融合しました。
これにより岩見沢の各現業機関も刷新され、小規模化により支区制を廃止。
岩見沢電力区が発足すると共に、追分方面・滝川方面の信号通信設備が岩見沢信号通信区の管轄を離れ、新たに追分電気区・滝川信号通信区が発足しました。

1990年代に入ると、JR北海道は工務関係現業機関の組織改正を進めていきます。
電気関係についても電力所と信号通信所を統合し「電気所」に順次改組していく方針を固めました。
1993年3月には岩見沢電力所と岩見沢信号通信所の統合により、現在の岩見沢電気所が発足しました。

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工務関係現業組織の改正
ー10月1日より実施ー

 中央本部は8月20日提案を受けた工務関係現業組織の改正について9月19日14時集約をしました。これにともない工務職場の組織改正は10月1日から移行されました。
 今次の組織改正は9月13日経営協議会で提起された中期計画の中で示されている工務関係の取り組みの第一段階として捉え返すことが重要です。
 平成6年にむけてどの様に具体的な施策が進められるのか、組織はどの様になっているのか等です。
 今回の組織改正で実施されたおもな点は、
1 営林所を廃止して保線所に統合する。
 職名の統合などはなされていないが、一部の保線所では業務の融合が図られていることから今後の方向性を見ることが出来ます。
2 工務所の拡大が図られています。
 地域を限定する形で保線所と電気所を統合して工務所として3箇所設置されましたが、これからの基本形として位置づけることができ、今後拡大されていきます。
3 建築所と機械所が統合されて設備所として新設されました。
 釧路、旭川、函館については出来上がり型と見ることが出来、今後内部での効率化がはかられていきます。
4 電力所と信号通信所を統合して電気所を設置しています。
 同時に保線管理室、駐在、派出所の統廃合や名称の変更もなされました。組織改正に伴って業務体制についても担当区域の変更などもありました。
 今回の実施では、職名の統合等が成されていないため大きな要員削減になっていませんが、今後この組織を効率的に運営するための施策が実施されていくと考えられます。
 職場ではこの組織改正に伴って多くの人が異動の対象となりました。
 新しい職場のルールを自らのものとしてつくり出す取り組みの始まりです。
(武川業務部長)

≪出典≫
北海道旅客鉄道労働組合(1990)『JR北海道労組新聞』1990年10月22日付、第2面
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1999年3月、滝川電気所の廃止に伴い滝川・芦別方面の保守管理を継承。
滝川駅構内に岩見沢電気所滝川派出所を開設しました。
2014年4月、工務所体制の見直しにより追分工務所が廃止となり、その電気保守部門が岩見沢電気所追分派出所に改組されました。
そして2021年現在、岩見沢電気所は1本所2派出所体制で室蘭本線沼ノ端~岩見沢間、函館本線夕張川橋梁~滝川間、根室本線滝川~落合間の電気設備を守っています。



岩見沢駅本屋信号扱所a18

旧本屋信号扱所の駐車場には岩見沢電気所の作業車が停まっていました。



岩見沢駅本屋信号扱所a08

ちなみに踏切の手前をよく見ると・・・



岩見沢駅本屋信号扱所a11

・・・赤錆に塗れたゴミステーションが1つ。



岩見沢駅本屋信号扱所a12

このゴミステーションは岩見沢保線所が管理しています。


JR北海道 国鉄 JR貨物 岩見沢駅本屋信号扱所 運転取扱業務
岩見沢駅本屋信号扱所a15
JR北海道 国鉄 JR貨物 岩見沢駅本屋信号扱所 運転取扱業務
岩見沢駅本屋信号扱所a14

線路向かいから旧本屋信号扱所を眺めた様子。
なお、線路手前に意味深な空き地が広がっていますが・・・



岩見沢保線区旧本区事務室a01
岩見沢駅の本屋構内南西にあった岩見沢保線区の本区事務室
岩見沢駅100年史編さん委員会(1982)『岩見沢駅100年のあゆみ』(岩見沢駅長 佐藤英夫)p.59より引用

・・・ここに国鉄時代、岩見沢保線区の本区事務室が建っていました。
木造下見張りの2階建て。


JR北海道 国鉄 JR貨物 岩見沢駅本屋信号扱所 運転取扱業務 岩見沢駅駅西運転事務室
岩見沢駅本屋信号扱所a16

ところで本屋信号扱所の東側には不自然な2階建て部分があります。
漫画『ゴールデンカムイ』の鶴見中尉は「美男子の条件は左右対称」と語っていましたが、これのせいで本屋信号扱所は左右非対称の姿なのです。


JR北海道 国鉄 JR貨物 岩見沢駅本屋信号扱所 運転取扱業務 岩見沢駅駅西運転事務室
岩見沢駅駅西運転事務室af01
岩見沢駅駅西運転事務室における駅員達(輸送管理係・運転係・構内指導係・構内係)の記念写真
左後ろにはアンダーパスの完成前に使われていた人道跨線橋が写っている
岩見沢駅100年史編さん委員会(1982)『岩見沢駅100年のあゆみ』(岩見沢駅長 佐藤英夫)p.75より引用

この2階建て部分ですが、実は国鉄末期の1981年12月8日に竣工した増築部分です。
それも本屋構内西側で操車・連結作業を担当してきた「岩見沢駅駅西運転事務室」の新事務室としてオープンしました。
岩見沢駅が発行した記念誌『岩見沢駅100年のあゆみ』には、この増築部分の玄関で撮影された記念写真が載っています。
なお、現在この増築部分にはJR北海道の子会社、ジェイアール北海道エンジニアリング㈱ の岩見沢営業所が入居しています。


JR北海道 国鉄 JR貨物 岩見沢駅本屋信号扱所 運転取扱業務
岩見沢駅本屋信号扱所a02

旧本屋信号扱所を横切る733系。


長くなったので今回はここまで。


《ブログ内関連記事リンク》
函館本線岩見沢駅[13] 保線所・電気所が入居する旧本屋信号扱所


※写真は特記を除き2020年11月24日撮影
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最終更新日 : 2021-11-03

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