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2021-09-11 (Sat) 16:10

函館本線岩見沢駅[3] 駅是「規律正して和協一致」を胸に迎えた開駅100周年

岩見沢駅操東運転事務室a01
岩見沢操車場の構内東側にあった「岩見沢駅操東運転事務室」の記念写真
操東運転事務室は操東ヤードと操南ヤードを受け持ち、信号扱い・操車・連結作業を担当した
岩見沢駅80年史編さん委員会(1962)『岩見沢駅80年史』(岩見沢駅長 斎藤好男)p.40より引用

引き続き空知管内は岩見沢市有明町南にある、JR北海道の岩見沢(いわみざわ)駅の大まかな歴史を見ていきましょう。
前回は1968年8月から1982年3月までの15年間を辿りました。
この間の1980年10月1日、北日本最大のヤードだった岩見沢操車場が廃止。
54年の歴史に幕を下ろしたかに思えましたが、何と操北ヤード構内の一部線路が撤去を免れ「岩北構内」として再利用される事になりました。
1982年3月1日には小荷物・貨物の両フロントが業務委託化し、北海道鉄道荷物㈱岩見沢営業所が来店型営業を担いました。
…と、ここまでが前回記事の終盤。
今回はその続きから現在に至るまでの、岩見沢駅の歴史を辿ります。

1982年4月8日、岩見沢駅運輸指導室(旧:駅手詰所→駅務掛詰所)、弘済美装㈱岩見沢支所、北海道鉄道荷物㈱岩見沢営業所の総合詰所が新築落成。
同日付で北海道鉄道荷物㈱岩見沢営業所が移転入居したほか、4月18日には運輸指導室と弘済美装㈱岩見沢支所も総合詰所に移転しました。


JR北海道 国鉄 職制 鉄道診療所 職名 職務内容 指揮命令系統 JR貨物
国鉄の鉄道診療所における職制(1977-2~)

1982年5月28日、国鉄における職用車の一種である「保健車」(スヤ32形)が初めて岩見沢駅に停車。
保健車は国鉄職員に対し巡回診療・健康診断を行うべく導入された鉄道車両で、周辺に鉄道病院等が無い地域を巡回していました。
従来は国鉄岩見沢診療所が岩見沢で働く国鉄職員達の健康診断を担ってきましたが、その診療所が同年4月30日を以って廃止されたので保健車が来たという訳です(※国鉄当局が鉄道診療所の事務掌程を削除したのは1ヶ月前の3月31日)。
保健車の車内には検査処置室・診察室・寝室・暗室・レントゲン室・トイレがあります。
この日は岩見沢駅と隣接する各現業機関(岩見沢車掌区・岩見沢第一機関区・岩見沢第二機関区・岩見沢保線区・岩見沢信号通信区など)の職員に対する健康診断を実施したそうです。

1982年6月30日、鉄道郵便事務所が岩見沢駅から撤退。
7月29日には岩見沢駅直営の小荷物室と貨物事務室が、新築された事務所棟に移転しました。


JR北海道 開駅100年記念岩見沢駅ソフトボール大会 駅員 国鉄 JR貨物
岩見沢駅ソフトボール大会a01
開駅100周年を記念したソフトボール大会の一コマ
岩見沢駅100年史編さん委員会(1982)『岩見沢駅100年のあゆみ』(岩見沢駅長 佐藤英夫)p.51より引用

この年は岩見沢駅が開駅100周年を迎える大切な節目であり、様々な記念イベントを企画しています。
まずは8月23日・24日、岩見沢市内のあさぎり公園野球場で「開駅100年記念岩見沢駅ソフトボール大会」を開催。
昔から鉄道職員には体育会系が多く、2日間に渡って大勢の国鉄職員がソフトボールを楽しみました。
9月4日・5日には一般客向けに「SLの日記念展」を開催。
市民広場を貸し切ってミニSLの運転・乗車会を行なったほか、駅本屋にはSLパネル展と鉄道模型の走行実演を設けました。
9月18日・19日にはステーション会館で鉄道用品等展示会を開催。
古い鉄道用品に加え銘石・盆栽を展示し、エレクトーンコンサートも一緒に催しています。
9月26日、曹洞宗禅洞寺で岩見沢駅殉職者慰霊祭を執行しました。


JR北海道 国鉄 JR貨物 岩見沢架道橋 アンダーパス 樺戸街道踏切道 室蘭本線 函館本線
岩見沢駅西アンダーパスa02
JR北海道 国鉄 JR貨物 岩見沢架道橋 アンダーパス 樺戸街道踏切道
岩見沢駅西アンダーパスa01

1982年11月1日、5年に渡る工事を終えて岩見沢駅西のアンダーパス(岩見沢架道橋)が開通。
これに伴い樺戸街道踏切が廃止となり、交通保安係1名(旧:踏切警手→踏切保安掛)が岩見沢駅を去りました。
岩見沢架道橋の完成により、操車場を含め駅構内に3ヶ所あった有人踏切は全て消滅しています。


JR北海道 国鉄 JR貨物 岩見沢駅開駅100年記念祝典 開業100周年
岩見沢駅開駅100年祝典a02
岩見沢駅開駅100年記念をPRする国鉄の社用車
岩見沢駅100年史編さん委員会(1982)『岩見沢駅100年のあゆみ』(岩見沢駅長 佐藤英夫)p.50より引用

1982年11月27日、岩見沢駅開駅100周年記念祝典を挙行。
岩見沢市民会館では祝賀会を執り行いました。
また、同日には4冊目となる記念誌『岩見沢駅100年のあゆみ』を発刊しています。
岩見沢駅が長年に渡り掲げてきた駅是は「規律正して和協一致」。
何百人もの駅員達が異なるセクションに身を置きつつも、一致団結して南空知の交通拠点を支えてきたからこそ100周年を迎えられました。


岩見沢駅運輸指導室 運輸指導係 一般助役 駅員 国鉄 JR北海道
岩見沢駅運輸指導室a01
1982年4月8日に新築落成した総合詰所の玄関にて「岩見沢駅運輸指導室」の記念撮影
運輸指導係は労務職(下級係職)のベテランで、出札・改札などの窓口業務はせず清掃・諸雑務に従事した
左腹部に国労の闘争ワッペンを付けた駅員がいる様子からも、国鉄末期の世相が見てとれる
岩見沢駅100年史編さん委員会(1982)『岩見沢駅100年のあゆみ』(岩見沢駅長 佐藤英夫)p.71より引用

しかし空知炭田の閉山が進む中、岩見沢駅の規模は先細りを続けるばかり。
最盛期の1947年には573名もの駅員が働く「マンモス駅」で、その後しばらくは人員の増減を繰り返したのですが、1977年の466名を境に減少の一途を辿りました。
1982年には総勢298名に落ち込み、その内訳は駅長1名、助役29名、運転主任13名、庶務係7名、営業管理係(旅客)6名、営業係(旅客)41名、営業管理係(小荷物)2名、営業係(小荷物)5名、営業管理係(貨物)3名、営業係(貨物)1名、営業係(連区・旅セ)8名、輸送管理係(配車)7名、輸送係(配車)10名、輸送管理係(信号)16名、運転係(信号)33名、輸送管理係(操車)8名、運転係(操車)30名、営業係兼運輸係2名、営業係兼構内係2名、運転係兼構内係12名、運輸指導係4名、構内指導係(連結)54名、構内係(連結)4名でした。
フロントについても出札・改札・案内の3部門が統合されて旅客部門となり、各担当者を旅客助役1名が統率する体制に変わりました。

1985年3月31日、志文駅を起点とする万字線が全区間廃止。
万字線の列車は室蘭本線志文~岩見沢間で直通運転をしてきましたが、これで岩見沢駅と万字炭山駅とを列車が往復する事は無くなりました。


岩見沢駅 小荷物フロント 手小荷物窓口 北海道鉄道荷物㈱岩見沢営業所 鉄荷会社
北海道鉄道荷物㈱岩見沢営業所a01
岩見沢駅の本屋構内東側にあった北海道鉄道荷物㈱岩見沢営業所の手小荷物取扱所
ここでは窓口での手小荷物受付に加え、宅配鉄道便のサービスを取り扱っていた
岩見沢駅100年史編さん委員会(1982)『岩見沢駅100年のあゆみ』(岩見沢駅長 佐藤英夫)p.45より引用

1986年11月1日、国鉄は貨物輸送の効率化を盛り込んだダイヤ改正を実施。
JR貨物への継承を見据えて鉄道貨物輸送の大幅なスピードアップに踏み切り、輸送方法を車扱からコンテナへと一気に転換しました。
岩見沢駅についてはコンテナ基地を設置する事はなく、ダイヤ改正に伴い小荷物・貨物の両フロントを廃止しています。
同駅構内で来店型営業と荷役作業を手がけてきた北海道鉄道荷物㈱岩見沢営業所も、17年間に渡る活動に終止符を打ちました。

貨物営業の廃止により、岩見沢駅は一般駅から旅客駅に種別が変わりました。
岩見沢操車場の一部を残した「岩北構内」も、ダイヤ改正によって廃止されています。
また、室蘭本線沼ノ端~岩見沢間において貨物列車の運転が無くなり、旧操車場西側の新線(貨物線)も使用を休止しました。
なお、小荷物の取扱いについては完全に取り止めた訳ではなく、新聞輸送のみ引き続き受け付ける事となりました。


岩見沢駅中央運転事務室 岩見沢駅構内 運転取扱業務 運転主任 輸送助役 駅員 列車扱い
岩見沢駅中央運転事務室a11
岩見沢駅第2旅客ホーム(3・4番線)の東端にあった「岩見沢駅中央運転事務室」の記念写真
輸送副総括助役、輸送助役、運転主任が詰め、本屋構内各詰所への情報伝達と立ち番(列車扱い)に当たった
岩見沢駅100年史編さん委員会(1982)『岩見沢駅100年のあゆみ』(岩見沢駅長 佐藤英夫)p.73より引用

1987年4月1日、分割民営化に伴いJR北海道が岩見沢駅を継承。
また、弘済美装㈱がJR北海道の100%子会社となり、同社岩見沢支所が引き続き岩見沢駅構内の清掃に当たっています。

同年7月13日、岩見沢駅と共に歴史を刻んできた幌内線が遂に廃止。
これに伴い岩見沢駅中央運転事務室におけるタブレット閉塞器の取扱いも消滅しています。

1989年7月1日、駅本屋に接する1番線が電化され、室蘭本線・函館本線の共用となりました。



JR北海道・旅行センター支店の職制・指揮命令系統図

JR北海道は1991年3月20日、鉄道事業本部旅行業課を発展的に解消し「旅行業本部」を新設しました。
これに伴い駅旅行センターが駅から分離し、独立した現業機関「旅行センター支店」に改組されました。
岩見沢駅旅行センターについても「旅行センター岩見沢支店」(ツインクルプラザ岩見沢支店)に改組し、営業30年目で遂に駅長の指揮管理下を離れました。

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1)事業展開
 平成3年3月に旅行業として、指揮命令系統を他事業と分離し、収支も明確にするため、従来、営業部内にあった旅行業課を発展的に解消し、新たに旅行業本部を設置した。
 旅行業本部には、業務課、国内旅行課、海外旅行課の3課を置き、東京営業部、仙台営業所、大阪営業所についても、営業本部から旅行本部へ移行した。
 また、旅行センターを「旅行センター支店」に改称し、支店長、次長を配置する等体制の強化を図った。

2)一般旅行業の開始
 従来、国内旅行については、北海道知事登録国内旅行第225号、海外旅行については、日本旅行の受託販売会社として、運輸大臣登録一般旅行業代理店業第4971号により取り扱っていたが、平成3年7月、新たに運輸大臣登録一般旅行業第1043号の登録番号を取得し、今後、国内も海外も同一の登録番号のもとで一般旅行業者としての整備を図った。
 これにより、当社商品の企画、手配、販売をより一層強化するとともに、海外ブランド名も「ツインクルワールド」とし、新ロゴマークをつくり、国内、海外ともパンフレットデザインを一新、新ロゴマークとあわせてお客さまへの浸透を図った。
 また、道内の旅行センター支店の愛称名を「ツインクル・プラザ」(TP)とし、イメージの刷新を図った。

《出典》
財団法人交通協力会(1992)『交通年鑑 平成4年度版』p.257
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車両基地 岩見沢運転所 空知運転所
岩見沢操車場西(室蘭本線新線)a01
岩見沢操車場の西側に敷かれた室蘭本線新線の新線(貨物線/写真左側)
岩見沢駅90年史編さん委員会(1972)『岩見沢駅90年史』(岩見沢駅長 竹田小太郎)p.41より引用

1994年11月1日、旧岩見沢操車場の南西にあった空知運転所(旧:岩見沢第二機関区)が廃止になりました。
空知運転所は本屋構内西側まで出入区線を敷いており、その廃止に伴い室蘭本線志文~岩見沢間のルート変更を実施する事になりました。
これにより国鉄末期より休止していた新線ルート(貨物線)が復活し、旧ルートよりも1.7km延長の遠回り経路になりました。
なお、住宅地を直線的に突っ切る旧ルートは線路を剥がし、遊歩道に整備し直しています。



岩見沢駅a08

JR北海道は1990年代、札幌近郊で自動改札機の設置を進めてきました。
1998年12月5日、遂に岩見沢駅にも自動改札機が導入。
利用者には朝夕ラッシュ時の混雑緩和に繋がると歓迎されました。

2000年6月8日、弘済美装㈱が北海道クリーン・システム㈱に社名変更。
これに伴い同社岩見沢支所は「札幌鉄道支店JR岩見沢営業所」に改組されています。



岩見沢駅3代目駅舎模型
札学鉄研OB会の先輩、OBカトウさんが制作した3代目駅舎(駅本屋)の模型
2019年5月1日、「新札幌鉄道模型フェスタ2019」会場にて撮影

2000年12月10日、深夜2:25頃に駅舎待合室付近で火災が発生。
木造2階建ての駅本屋1,080㎡が全焼する事態となりました。
当時、駅舎内には当直勤務の駅員2名と清掃員2名の計4名がいましたが、全員が避難しており無事でした。
なお、旅客列車の動いていない時間帯だったので利用客に被害は及びませんでした。

岩見沢警察署・岩見沢消防署が原因を調べたところ、同日2:00頃に漏電警報機が作動し、その5分後には火災警報機が作動している事が分かりました。
そして2:25頃に駅舎から火が燃え上がり、たまたま近くの工事現場で働いていた作業員が目撃、直ちに119番通報したといいます。
駅舎は約4時間半に渡って燃え続け、入居する食堂などテナント5店舗も被災しました。
火災の影響により、この日の朝は18本もの列車が運休し約3,400人に影響が出ました。
8:04発の手稲行き普通列車が18分遅れで出発したのを皮切りに、旅客輸送を再開しています。


岩見沢駅 プレハブ駅舎 函館本線 室蘭本線
岩見沢駅プレハブ駅舎模型
札学鉄研OB会の先輩、OBカトウさんが制作したプレハブ駅舎(駅本屋)の模型
2019年5月1日、「新札幌鉄道模型フェスタ2019」会場にて撮影

2000年12月24日、焼失した駅舎の代用としてプレハブ仮駅舎が完成。
この中に駅事務室と待合室が置かれ、新駅舎の完成まで使用する事になりました。

また、岩見沢市役所は新駅舎の建設を「まちづくりの一環」と捉え、JR北海道と官民一体になって参画しています。
JR側からは鉄道高架やアンダーパスの建設、河川改修工事など、都市計画関連の鉄道工事を担当する「工務技術センター」(本所:札幌市西区二十四軒2条1丁目)が計画に参加。
両者は高架化の可能性も含めて4年近く協議を重ねた後、「岩見沢駅舎建築デザインコンペ」を開催する事に決めました。
そしてデザイン案の提出期限を2005年1月31日とし、同年2月上旬に一次審査、3月5日に二次審査を実施しています。
このデザインコンペはJRグループとしては全国初となる「一般公募型コンペ」で、全国各地の建築デザイナーから376案もの意匠が集まりました。


岩見沢駅 有人駅 直営駅 社員配置駅 岩見沢地区駅 岩見沢駅連区
岩見沢駅a01

この駅舎は「複合駅舎」、「南昇降棟」、「自由通路」、「北昇降棟」の4棟により構成。
岩見沢が道内屈指の豪雪地帯である事に着目し、冬季のメンテナンス軽減や落雪対策を期した載雪方式のフラットな屋根を採用しています。
その屋根構造にはPC屋根板を用いており、これによって大きな積雪荷重に耐える頑強な構造に仕上げています。
また、西村さんは「北海道=赤レンガ」というイメージを持っており、駅舎のデザインにレンガを取り入れようと考えていました。
そこでレンガについて広く調べてみると、木造とRCをつなぐ素材として全国各地の鉄道会社でレンガが使われていた事を発見。
そこに「鉄道の町・岩見沢」の記憶を引き継ぐというテーマを重ね、赤レンガと古レールをふんだんに取り入れたデザインを創り上げました。


岩見沢駅 4代目駅舎
岩見沢駅a10

複合駅舎の建設工事は2006年7月より開始。
別棟だった岩見沢駅輸送本部も、複合駅舎の1階に移転しています。

これにより複合駅舎の全面オープンが実現しました。
当日は岩見沢市役所の主催により、有明交流プラザ2階センターホールで完成記念式典を挙行。
同2階市民ギャラリーでは2009年4月17日まで「複合駅舎建設パネル展」を開催しました。



岩見沢駅a09

2017年3月18日、航空券・宿泊予約などのインターネット直販が普及した事を受け、ツインクルプラザ岩見沢支店が閉店。
岩見沢駅旅行センター時代から通算して45年の歴史に幕を下ろしました。



岩見沢駅a11

岩見沢地区駅は2001年4月1日に開設されました。
岩見沢駅には地区駅長を筆頭に地区副駅長、地区駅専門スタッフ、営業助役、輸送助役、事務職駅員(事務主任・事務係)、営業職駅員(営業主任・営業指導係・営業係)、輸送職駅員(輸送主任・輸送指導係・輸送係)が勤務しています。
国鉄末期の1982年には298名もの駅員がいましたが、分割民営化後の合理化によって大幅に減少し、今や35名となりました。

同センターはCTC化により日常的に運転取扱業務を処理する駅が減少した事を踏まえ、地区駅エリア内の各駅に対し運転取扱業務の支援を行なう部門です。
また、各駅員が信号扱い・操車業務をこなせるよう指導・教育を行う事もあるため、センター員は経験豊富なベテラン輸送職で構成しています。
岩見沢地区駅輸送業務センターでの4年間に渡る試行の末、2010年4月には道内各拠点に駅輸送業務センターが設置されました。



岩見沢駅a12

時間が無いので今回はここまで。


《ブログ内関連記事リンク》
函館本線岩見沢駅[3] 駅是「規律正して和協一致」を胸に迎えた開駅100周年


※写真は特記を除き2020年11月24日撮影
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最終更新日 : 2021-11-03

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