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2021-09-04 (Sat) 22:35

函館本線岩見沢駅[2] 操車場の一部を残した「岩北構内」の副本線

岩見沢駅輸送本部a01
岩見沢操車場の心臓部「岩見沢駅輸送本部」における輸送助役達の執務風景
輸送助役は指令所、他駅、保線区等と連絡を交わしつつ、運転整理や構内各詰所への作業指示を行った
岩見沢駅80年史編さん委員会(1962)『岩見沢駅80年史』(岩見沢駅長 斎藤好男)p.40より引用

引き続き空知管内は岩見沢市有明町南にある、JR北海道の岩見沢(いわみざわ)駅の大まかな歴史を見ていきましょう。
前回は開業から1967年8月までの85年間を辿りました。
この間の1926年8月15日、岩見沢駅の南西に岩見沢操車場がオープン。
岩見沢操車場は空知炭田の各炭鉱で産出した石炭の輸送をはじめ、道内外各方面への各種物資輸送を支える重要な中継物流拠点でした。
当初の操車能力は1日平均1617両でしたが、その後の構内改良工事によって2,500両にまで増強。
北日本(北海道・東北地方)において最大規模の操車場と謳われ、国鉄全体では7番目に広大なヤードだったと伝えられています(※日本最大は後発の武蔵野操車場)。
そして国鉄時代の岩見沢駅では駅構内を「本屋」と「操車場」に分け、「本屋」は建築物としての駅本屋だけでなく隣接するプラットホーム、運転事務室、信号扱所なども含めた呼称だったというのは前回に書いたとおりです。


JR北海道 国鉄 駅員 岩見沢駅本屋構内 駅東運転事務室 運転取扱業務 操車掛 構内作業掛 室蘭本線 幌内線
岩見沢駅東運転事務室a02
岩見沢駅の本屋構内東側にあった「駅東運転事務室」の記念写真
玄関左手には函館本線の電化に伴い制作したものと思しき「感電事故防止」の注意書きを掲げている
岩見沢駅90年史編さん委員会(1972)『岩見沢駅90年史』(岩見沢駅長 竹田小太郎)p.73より引用

駅の周辺には岩見沢車掌区、岩見沢第一機関区、岩見沢第二機関区、岩見沢客貨車区、岩見沢保線区、同岩見沢保線支区、同岩見沢保線支区(※西岩見沢保線支区は無い)、岩見沢電気区、同岩見沢電力支区、同岩見沢信号支区、同岩見沢通信支区、札幌建築区岩見沢建築支区、岩見沢レールセンターといった現業機関が集結。
これらの業務を監督する岩見沢運輸長室もあり、他に国鉄職員の福利厚生施設として岩見沢診療所と岩見沢配給所が置かれていました。
様々な職種の国鉄職員が大勢暮らし、弘済美装㈱や札建工業㈱、猪股組など協力会社の社員も共に働く岩見沢はまさしく国鉄の企業城下町といった趣きで、「鉄道の町」としてその名が知れ渡りました。
岩見沢駅だけでも1967年当時、延べ511名もの駅員が働いていたのは凄いですよね。
今回は1968年からの歴史を辿ります。

1968年8月28日、函館本線小樽~滝川間が交流電圧20,000Vにより電化開業しました。
同年9月には本屋8番線・9番線間に客車給水設備が設置されると共に、本屋構内に711系やED76形500番台を留置するための「電留車庫」が落成しました。


JR北海道 国鉄 岩見沢操車場 岩見沢駅構内 本屋信号扱所 第一種継電連動装置 運転取扱業務 駅員
岩見沢駅本屋信号扱所a01
岩見沢駅西構内にあった「岩見沢駅本屋信号扱所継電室」
本屋構内の信号設備を第一種継電連動装置で一括制御し、27名の信号掛がオペレーションを担った
岩見沢駅100年史編さん委員会(1982)『岩見沢駅100年のあゆみ』(岩見沢駅長 佐藤英夫)p.33より引用

1968年11月11日、本屋構内に新築された「本屋信号扱所」で第一種継電連動装置の運用を開始しました。
これに伴い駅東信号扱所と駅西信号扱所が廃止され、駅東運転事務室と駅西運転事務室は操車・連結作業に専念する事となりました。
新たに導入された第一種継電連動装置は本屋構内の信号機・転轍機を一括制御するもので、725通りの進路構成を1ヶ所で処理できるようになっています。

ただし、この連動装置はあくまでも本屋構内で使用する設備に過ぎません。
岩見沢操車場については継電連動化が成される事はなく、操東信号扱所・操西信号扱所・操中信号扱所・操南信号扱所・操北第一信号扱所・操北第二信号扱所の6ヶ所に設置された機械テコで信号機を制御しました。


岩見沢駅 営業関係職員の職制 岩見沢操車場 駅員 指揮命令系統図 掛職
岩見沢駅の職制・組織図(1972年)
資料と聞き取り情報を基に作成した岩見沢駅の職制・組織図
PCの右クリックまたはスマホのタップで拡大画像を表示できます

同年11月18日、駅西の樺戸街道踏切(現:岩見沢架道橋)に人道跨線橋が完成。
1969年2月1日、小荷物営業に係る荷役作業を北海道鉄道荷物㈱に業務委託すると共に、駅務掛詰所(旧:駅手詰所)が担ってきた本屋構内の清掃作業を弘済美装㈱に業務委託しました。
これに伴い荷扱掛19名(旧:荷扱手)、駅務掛27名(旧:駅手)がリストラの対象となっています。
なお、駅務指導掛(旧:駅手世話掛)については2名から5名に増員され、弘済美装㈱岩見沢支所に対する業務指導を担当。
駅務掛についても実は岩見沢駅輸送本部の4名だけリストラを免れ、引き続き事務所内の掃除・炊事などの雑用を担ったそうです。


JR貨物 配車掛 配車事務 配車テレプリンター 岩見沢駅輸送本部配車テレ室 貨物列車 貨車ヤード
岩見沢駅配車テレ室a03
新機軸の配車テレプリンターに貨物列車の組成情報を入力する配車掛
岩見沢駅90年史編さん委員会(1972)『岩見沢駅90年史』(岩見沢駅長 竹田小太郎)p.37より引用

1969年6月1日、岩見沢駅輸送本部に「組成表伝送テレプリンター」(組成テレプリンター・配車テレプリンターとも)が設置され、使用を開始しました。
当時、国鉄貨物局は貨物輸送に関する情報処理の近代化を目指し、各拠点へのコンピュータ導入を進めている最中でした。
道内においては室蘭本線と函館本線の全区間に組成表伝送テレプリンターを導入し、組成情報の処理を迅速化する事で貨車運用の効率化を推進しました。

また、国鉄貨物局は同年12月1日から道内で「レーザー光方式」の導入による貨車の運用管理を試行。
具体的には貨車に専用の符号板を取り付け、それを岩見沢駅・苫小牧駅に試験設置した「地上読取装置」に通す事で貨車番号を読み取り、貨車の組成情報を各駅の輸送本部へ自動送信します。

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本社からお知らせ
貨車番号自動読取装置の実用化試験始まる

今44年度技術課題による貨車番号自動読取装置の試験計画については、すでに44年8月号によってお知らせしたとおりであるが、去る12月1日から試験開始されたのでその概況を述べる。

1、北海道内におけるレーザー光方式
1970-02 国鉄線(s45) 41より引用
 写真1のような符号板を取り付けた貨車が北海道内において目に付く。これがレーザー光方式の試験対象となっている貨車で、約4000両にのぼる。その内訳は、セキ3000形式約1800両、チサ100形式約1800両、トラ90000形式約450両、スム1形式約300両、トム15000形式役200両その他となっている。この符号板にレーザー光を当てて貨車番号を読み取る地上読取装置は、岩見沢駅東約600メートルの地点に上り用、下り用各1台と、苫小牧駅東南方約7キロの地点に下り用、1台とが設置されている。貨物列車がこれらの地点を通過すると、それぞれの輸送本部へ読み取り情報が送られて、テレプリンターに打ち出される。1日の読取回数は、岩見沢で750両、苫小牧で550両程度である。

2、青梅線における電磁誘導方式
1970-02 国鉄線(s45) 41より引用2
 写真2のような車上子を取り付けた貨車が青梅線氷川と浜川崎、あるいは高麗川の間を走っている。これが電磁誘導方式の試験対象となっている石灰専用輸送貨車ホキ2500形式で、全部で80両ある。この車上子に電波をあてて貨車番号を読み取る地上読取装置は、拝島駅の北方800メートルの地点に上り用、1キロの地点に下り用それぞれ1台である。読取回数は1日約160両である。なお、電磁誘導方式については、北海道内の滝川駅東方約1キロの地点(上り用)にも設置されている。
 以上の2方式の試験は、本格的軌道にのっており、種々の貴重な経験が得られ、貨物営業に資するための基礎づくりがなされるものと期待される。
(貨物局運輸課 望月)

《出典》
日本国有鉄道旅客局・貨物局(1970)『国鉄線』1970年2月号(財団法人交通協力会)p.39
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操南ヤード 岩見沢操車場 国鉄 貨物ヤード 貨車ヤード JR貨物 室蘭本線
岩見沢駅操南ヤードa01
岩見沢操車場の操南ヤード構内と国道12号線陸橋
岩見沢駅90年史編さん委員会(1972)『岩見沢駅90年史』(岩見沢駅長 竹田小太郎)p.15より引用

1969年11月、本屋構内にある2・3番ホームの延長工事が完成。
どちらも島式ホームで2番ホームは本屋3・4番線、3番ホームは本屋6・7番線に割り当てられています。

1970年11月、岩見沢操車場の操南信号扱所付近から分岐する「道央地方卸売市場岐線」が使用を開始しました。
公設道央地方卸売市場は室蘭本線旧線の沿線西側、岩見沢市大和4条7丁目にある面積51,737㎡の市営市場です。
ここでは生鮮食料品(鮮魚・青果)の取引が行われており、これらの輸送に供するために操車場から市場に至る専用線を敷いたという訳ですね。


岩見沢操車場 貨車ヤード 操北ヤード 操西ヤード 操東ヤード 函館本線 万字線 幌内線
岩見沢操車場a04
北日本最大と謳われた岩見沢操車場の俯瞰図
岩見沢駅80年史編さん委員会(1962)『岩見沢駅80年史』(岩見沢駅長 斎藤好男)p.23より引用

1971年6月、操北第二てこ扱所に番線表示器、すなわち入換標識(線路表示式)の制御盤が設置されました。
これは機関士に対し開通している番線を示す設備ですね。

1972年3月15日、ダイヤ改正に伴い操北第一運転事務室における昼間帯の入換機配置が廃止されました。
空知炭田では1960年代から炭鉱の閉山が相次ぎ、この頃には操車場の構内作業ダイヤを見直さざるを得ないほどに貨物輸送量が落ち込んでいたようです。
7月10日には操東運転事務室の操車作業が一面化されました。
国鉄の動力近代化による蒸気機関車の淘汰も進み、8月27日にはC62形2号機(小樽築港機関区所属)のラストランが函館本線小樽~岩見沢間で挙行。
岩見沢駅構内では「さよなら出発式」と題し、「鉄道100年記念協賛仮装」と共に開催されました。


岩見沢駅旅行センター ツインクルプラザ岩見沢支店 JR北海道 国鉄
岩見沢旅行センターa01
販売・セールス活動に取り組んだ岩見沢駅旅行センターの店舗
手前に停まっている自動車は外回り営業に使う社用車か?
岩見沢駅90年史編さん委員会(1972)『岩見沢駅90年史』(岩見沢駅長 竹田小太郎)p.37より引用

1972年9月、本屋構内に「岩見沢駅旅行センター」がオープンしました。
同旅行センターは建築物としての駅本屋には入居せず、その東隣に建つ木造平屋を店舗としました。
「旅行センター所長」の担務指定を受けた助役1名を筆頭に、4、5名ほどの駅員(所長付)が増収を目指して来店型営業による旅行商品の接客販売、外回りによる企業等へのセールス活動に打ち込みました。

同年10月11日、岩見沢市内の曹洞宗禅洞寺で岩見沢駅殉職者慰霊祭を執行。
10月24日には岩見沢市民会館で開駅90年記念祝典を挙行すると共に、3冊目となる記念誌の『岩見沢駅90年史』を発刊しました。


岩見沢駅東運転事務室 運転取扱業務 操車 信号 駅事務室 指差称呼確認
岩見沢駅東運転事務室a01
岩見沢駅の本屋構内東側にあった「駅東運転事務室」
岩見沢駅100年史編さん委員会(1982)『岩見沢駅100年のあゆみ』(岩見沢駅長 佐藤英夫)p.35より引用

1975年12月24日、岩見沢第一機関区としては最後のSLであるC57形135号機が岩見沢駅到着を以って引退。
135号機は暫く休車期間を挟み、1976年3月31日付で正式に廃車となりました。
そして神田須田町の交通博物館にて静態保存するべく同年4月4日、貨物列車に連結されて岩見沢駅を出発。
青函連絡船で青森に上陸した後、再び貨物列車で長町操車場、田端操車場と移動。
田端操車場で一旦解体して交通博物館に運び込み、そこで組み立てて5月14日から展示を開始しました。
2007年10月14日には大宮鉄道博物館に移設されています。


岩見沢駅操西運転事務室 岩見沢操車場 運転取扱業務 駅員 運転掛 操車掛 構内作業掛 信号掛 輸送助役
岩見沢駅操西運転事務室a02
岩見沢操車場の操西ヤードにあった「操西運転事務室」の記念写真
岩見沢駅90年史編さん委員会(1972)『岩見沢駅90年史』(岩見沢駅長 竹田小太郎)p.76より引用

1978年7月1日、本屋構内西側の樺戸街道踏切で立体交差化工事が開始。
フロントジャッキング工法によりアンダーパス(岩見沢架道橋)の建設が進められていきます。
1979年12月1日には駅本屋の公衆トイレが水洗化。
そして空知炭田で続く石炭産業の縮小を受けて1980年10月1日、国鉄当局は輸送改善の一環として岩見沢操車場の廃止を敢行。
「鉄道の町・岩見沢」の象徴的存在であり、北日本最大と謳われた貨車ヤードの消滅には多くの市民が嘆きました。
駅員も416名から314名と大幅に減少。
ヤード廃止に伴い配転となった駅員の中には畑違いの岩見沢保線区、札幌鉄道病院、札幌印刷場、札幌鉄道管理局施設部機械課に異動した人もいました。
第30代岩見沢駅長としてヤードの廃止を先導した大島光雄さんは、雑誌『国有鉄道』への寄稿文の中で当時の取り組みを述懐されています。

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 国鉄が生き延び発展するためには、合理化、近代化は避けられないことである。苫小牧駅輸送総括助役、札幌貨物ターミナル駅首席助役のときは、要員の確保に苦労が多かったが、駅長になってからは逆に過剰要員の配転その他で苦労をした。
 初めて駅長として赴任するに当たって、局関係者から「まず当面の仕事は、手小荷物積卸し作業の業務委託の推進を」と言われたが、1年後の2月1日に無事完了。荷扱掛11名を欠員補充に当て、ホットする間もなく転勤となり、ここでも手小荷物積卸し作業の業務委託を、また1年後の2月1日に実施、荷扱掛14名を欠員補充とした。
 53・10では、構内作業の見直しを行ない、昼間の上り入機の廃止、夜間いっせい休養の実施などにより25名の職員を削減した。この職員は、助役や運転主任に登用、また、配転により整理した。
 昭和54年3月、東北、北海道では随一と言われていた岩見沢駅に発令となり、翌年10月にヤード廃止を実施した。その結果、約140名の過剰要員をどのように扱うかが最大の悩みであった。配転させるためには1人でも多く昇職させようと考え、当初より通信教育の受講奨励に力を入れるとともに、管理者による学習指導を行ない、54年44名、55年79名の各種試験合格者を出した。とくに助役試験では、54年13名、55年34名の職員が合格した。
 対象職員の配転については、局担当者の協力はさることながら、管理者や分会役員などが精力的に当たり、56年3月までに大きな混乱もなく整理することができた。

《出典》
大島光雄(1982)「赤い帽子の15年間を顧みて」、『国有鉄道』1982年7月号(財団法人交通協力会)p.p.26,27
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岩北構内 岩北仕訳線 岩見沢操車場 岩北線 貨車ヤード 国鉄 JR北海道
岩見沢駅岩北構内a01
岩見沢操車場の操北副本線5本を残した「岩北構内」
岩見沢駅100年史編さん委員会(1982)『岩見沢駅100年のあゆみ』(岩見沢駅長 佐藤英夫)p.47より引用

ただし岩見沢操車場が廃止されたからと言って、構内にある全ての線路が撤去されたという訳ではありません。
実は操北ヤードにある5本の副本線(操北1番線~5番線)と通路線・機待線が撤去を免れ、「岩北構内」として再利用される事になったのです。
言わばヤードの小型化ですね。
「岩北」は「岩見沢駅北」の略称ですが、そもそもが岩見沢駅の北ではなく南西に築かれた操車場の一部分なので、妙に紛らわしい名前を付けたものだと思います。


岩北運転事務室 第一種継電連動装置 信号扱い 駅員 運転係 輸送管理係 運転取扱業務
岩見沢駅岩北運転事務室a02
岩見沢駅岩北運転事務室で第一種継電連動装置を取り扱う駅員達(輸送管理係・運転係)
岩見沢駅100年史編さん委員会(1982)『岩見沢駅100年のあゆみ』(岩見沢駅長 佐藤英夫)p.47より引用

岩北構内の稼動開始に伴い、同構内の運転取扱業務を担う「岩北運転事務室」も開設。
操車場時代は最期まで機械テコ扱いだった信号設備も、ようやく第一種継電連動装置が導入されました。
岩見沢駅には本屋信号扱所を含め、2台の第一種継電連動装置が存在した事になります。
岩北運転事務室に配置された駅員は31名。
輸送助役を筆頭に輸送管理係、運転係、構内指導係、構内係が勤務し、岩北構内における信号扱いと操車・連結作業に当たりました。


岩北構内 岩北副本線 岩北線 操北1番線 操北2番線 操北3番線 操北4番線 操北5番線
岩見沢駅岩北構内配線略図a01
岩北構内の配線略図イメージ図
PCの右クリックまたはスマホのタップで拡大画像を表示できます
岩見沢駅90年史編さん委員会(1972)『岩見沢駅90年史』(岩見沢駅長 竹田小太郎)p.48を基に作成

岩北運転事務室の連動制御盤を撮影した写真を頼りに岩北構内の配線略図を起こすと、上の通りになるようです。
操車場の廃止後も岩北構内と区別するため、旅客ターミナル側では「本屋構内」の呼称を引き続き使用しました。


岩見沢駅輸送本部新庁舎 岩見沢駅 本屋構内 運転取扱業務
岩見沢駅輸送本部a03
操車場廃止の翌年に新築落成した「岩見沢駅輸送本部」の3代目庁舎
岩見沢駅100年史編さん委員会(1982)『岩見沢駅100年のあゆみ』(岩見沢駅長 佐藤英夫)p.47より引用

1981年9月30日、本屋構内に入換合図器を新設。
10月30日には本屋8番線に駅東運転事務室・駅西運転事務室の共用設備として、ブレーキ試験合図器を新設しました。
11月2日、室蘭本線沼ノ端~岩見沢間がCTC化。

12月4日には岩見沢輸送本部の3代目庁舎が本屋構内に新築落成しました。
岩見沢操車場の廃止から1年間、どうやら輸送本部は旧操車場東側の庁舎を引き続き使用していたようです。
同日には駅東運転事務室の改築工事も竣工しました。


岩北運転事務室 岩見沢駅 運転取扱業務 信号扱所
岩見沢駅岩北運転事務室a01
新築となった「岩見沢駅岩北運転事務室」の2階建てコンクリート建築
岩見沢駅100年史編さん委員会(1982)『岩見沢駅100年のあゆみ』(岩見沢駅長 佐藤英夫)p.47より引用

1981年12月5日、岩北運転事務室の建替え工事も落成。
こちらは新事務室が完成するまで、どうやら操北第二信号扱所を使いまわしていたようです。
12月8日には駅西運転事務室も改築竣工し、本屋信号扱所の新休養室も完成しました。


岩見沢駅 営業関係職員の職制 岩見沢操車場 駅員 指揮命令系統図 係職
岩見沢駅の職制・組織図(1982年)
資料と聞き取り情報を基に作成した岩見沢駅の職制・組織図
PCの右クリックまたはスマホのタップで拡大画像を表示できます

1982年2月1日、北海道鉄道荷物㈱による小荷物集貨がスタート。
3月1日、岩見沢駅の小荷物フロント、貨物フロントが共に北海道鉄道荷物㈱に業務委託。
この業務委託は来店型営業に限定したものだったらしく、岩見沢駅の小荷物部門(8名)と貨物部門(4名)は存続しています。
小荷物担当・貨物担当の駅員達は荷物会社からの問い合わせ対応、外回りによるセールス活動などに携わっていたのだとか。


長くなったので今回はここまで。


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最終更新日 : 2021-10-16

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