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2021-08-08 (Sun) 18:10

根室本線新富士駅[1] 十條製紙の企業城下町と「釧路貨物駅」

新富士駅・釧路貨物駅a5

釧路管内は釧路市新富士町3丁目にある、JR北海道の新富士(しんふじ)駅とJR貨物の釧路貨物(くしろかもつ)駅。
釧路市の中心街から約2.6km北西に離れた、釧路港西港区を構える工業地区に駅があります。
線路を挟んで南側の埋立地には北海道開発局釧路港湾事務所、㈱ニチレイ・ロジスティクス北海道 釧路物流センター、出光興産㈱ 釧路油槽所、東西オイルターミナル㈱ 釧路油槽所、釧路エルエヌジー㈱ 釧路LNGターミナル、中部飼料㈱ 釧路工場、道東飼料㈱ 本社工場、日本通運㈱ 釧路支店、ホクレン肥料㈱ 釧路工場、㈱マテック 釧路支店などが集まっています。
燃料関係や家畜飼料を取り扱う会社が多いですね。

一方、線路を挟んで北側には佐川急便㈱ 釧路営業所、飲料自販機を取り扱う開運興産㈱ 釧路営業所、三王運輸㈱、日本キャタピラー(合)釧路営業所、松岡満運輸㈱ 釧路主管支店、札幌通運㈱ 釧路支店、㈱カナモト レンタル事業部釧路営業所、宮本機械㈱ 釧路支店、コマツ道東㈱ 釧路支店などが集まっています。
運送会社や機械関係の会社が多め。
また、公設市場の釧路市中央卸売市場があるため、同市場に出入りする青果店や花屋なども周辺に店舗を構えています。


JR北海道 国鉄 JR貨物 十條製紙釧路工場 日本製紙釧路工場 富士製紙釧路工場
新富士駅・釧路貨物駅a6

そして忘れてはならないのが、日本製紙㈱釧路工場の存在です。
同工場は1920年7月に操業を開始した富士製紙㈱釧路工場をルーツに持ちます。
「新富士駅」の駅名も「新富士町」の地名も共に富士製紙に由来しており、工場を取り囲むように企業城下町が形成されました。
なお、富士製紙釧路工場の開業より38年前の1884年、この界隈に鳥取県から士族513名が入植し「鳥取村」を立ち上げました。
2021年現在も「鳥取南」、「鳥取大通」、「鳥取北」の3地名や、鳥取神社に伝わる因幡国の伝統芸能・麒麟獅子舞(金色の頭と赤い胴体を持つ獅子舞)に鳥取県人達の足跡が見られます。
彼らに与えられた土地は古来よりアイヌも住まなかったといい、開拓は大いに難航したと伝えられています。
しかし富士製紙の進出によって雇用が生まれたため、鳥取県人達は開拓の苦難から解放される事になりました。
そして鳥取地区は製紙業の町へと成長を遂げていきます。

1933年5月、富士製紙は樺太工業㈱と共に初代・王子製紙㈱に吸収合併され、釧路工場も王子製紙に引き継がれました。
戦前の王子製紙は日本国内における洋紙市場の8割以上を握る独占企業でしたが、終戦後は財閥解体を推進するGHQに目を付けられ、過度経済力集中排除法の指定会社になってしまいました。
1949年8月1日を以って初代・王子製紙は解体となり、後継会社として十條製紙㈱、苫小牧製紙㈱、本州製紙㈱の3社が発足しました。
このうち十條製紙が新富士の釧路工場を継承しており、1959年10月には本州製紙も大楽毛(おたのしけ)に釧路工場を開設しています。

十條製紙時代の鳥取地区は特に活気付き、企業城下町のカラーをより強めていったそうです。
1965年5月8日には福利厚生の一環として、鳥取大通2丁目に複合商業施設の「十條サービスセンター」が開業しました。
店内は食品スーパーを軸に衣料品店、薬局、雑貨店、化粧品店、宝石店、時計店、文房具店、レコード店、食堂街(ラーメン・カレー・おでん等)が入居。
十條製紙の社員とその家族だけでなく、部外者も買物・飲食に利用できる施設として親しまれました。
また、会社設立の1949年に社員達が十條製紙釧路工場アイスホッケー部を発足。
1974年には日本アイスホッケーリーグに加盟し、1975年にホームアリーナとして十條アイススケートセンターを開業。
他にも北洋銀行釧路十条支店、ケンタッキーフライドチキン釧路十条店、十條ひまわり幼稚園、びっくりドンキー十條店、モスバーガー釧路十條店など、多少の表記ゆれこそあれ十條製紙の名を付けた施設が多く見られるようになりました。

やがて平成に入り、1993年4月1日に十條製紙が山陽国策パルプ㈱と合併し日本製紙㈱が発足。
十條製紙釧路工場も日本製紙が継承し、釧路工場アイスホッケー部も「日本製紙クレインズ」に改称しました。
しかしインターネットの普及によって出版不況が巻き起こると、長年に渡って新聞用紙・印刷出版用紙を主力製品としてきた日本製紙は苦境を強いられる事に。
日本製紙釧路工場も専ら新聞用紙を生産しており、生活紙類(紙器・ダンボール・トイレットペーパー等)への転換を図るにも会社の体力が最早無い状態でした。
そして2019年3月、合理化の一環として日本製紙クレインズが活動を終了。
日本製紙釧路工場の元を離れ、同年5月に「ひがし北海道クレインズ」として再出発しています。
市民は釧路の産業を牽引してきた製紙工場の撤退を嘆き、従業員達も転勤・転職に伴う生活環境の変化に不安を隠せない状況です。


JR北海道 国鉄 JR貨物 旧駅舎 木造駅舎 新富士駅 請願駅 操車場 ヤード
新富士駅・釧路貨物駅a01
新富士駅の初代駅舎は木造モルタルの平屋だった
北海道旅客鉄道株式会社釧路支社(2001)『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』p.165より引用

前置きが長くなりましたが、ここからは新富士駅の大まかな歴史を見てきましょう。
新富士駅は1923年12月25日、既に開業していた国鉄根室本線大楽毛~釧路間に一般駅として開設されました。
ここは富士製紙の請願により開設に至った駅なのです。

富士製紙釧路工場は1920年7月の操業開始以来、パルプの原料となる木材の輸送を阿寒川・仁々志別川・釧路川の3本を使った上流地域からの流送に頼ってきました。
阿寒川と仁々志別川については工場の取水口付近に取り付けた網羽で陸揚げしたのですが、釧路川の場合は天寧駅付近に網羽を張り、そこから馬車軌道で木材を釧路工場まで運搬していました。
この馬車軌道は天寧駅の対岸(現在の北見団地)に積込場を設け、途中で北海炭礦鉄道(後の雄別炭礦鉄道→雄別鉄道)と並走する全長4.8kmほどの専用線です。
また、釧路工場から出荷する製品についても専用の馬車軌道を使い、約2.7kmの道程を経て南浜町の倉庫まで運搬していたんですね。
これら馬車軌道の運行に莫大な経費と労力を費やしたため、国鉄線を活用した輸送体制のスリム化を図るべく新富士駅の開設に漕ぎ付けたという訳です。
同時に新富士駅と釧路工場構内を結ぶ専用線(全長1.9km)も開通し、木材の入荷と製品の出荷を一環して行なえるようになりました。


鶴居村営軌道雪裡線 簡易軌道 殖民軌道雪裡線 路面電車 特殊狭軌 ナローゲージ 新富士駅前 自走客車
新富士駅・釧路貨物駅a8
新富士駅前に設けられた鶴居村営軌道雪裡線(旧:殖民軌道雪裡線)の専用線
1960年11月24日、湯口徹氏による撮影
石川孝織・奥山道紀・清水一史・星匠(2018)『釧路・根室の簡易軌道』(釧路市立博物館)p.50より引用

1927年11月、新富士駅に乗り入れる殖民軌道雪裡線(新富士~中雪裡間28.8km)が新規開業しました。
翌12月には雪裡線と接続する殖民軌道幌呂線(下幌呂~新幌呂19.3km)も新規開業しています。
雪裡線・幌呂線は共に北海道庁拓殖部が「許可移民」指定地とした雪裡・幌呂地区への移住を促進するために敷設した路線で、その敷設から1936年までの9年間で合計57戸が入植するに至っています。

開業当初は馬車軌道だった雪裡線幌呂線ですが、1941年11月には藤村敏一氏の「個人事業」としてバス改造ガソリンカー2両が入線し、営業運転を開始しました。
書類上は「馬力線」のままなのに動力車を投入、しかも鉄道の営業線上で個人所有の車両を運行するのは前代未聞の事でした。
これらガソリンカーは戦時中の導入という事もあり、実際には木炭を燃料に使っていましたが、それでも旅客輸送のスピードアップに貢献。
新富士~雪裡間の所要時間は馬車時代の約8時間から、約2時間半に大幅短縮されています。
バス改造ガソリンカーは終戦直後、更に1両が増備されました。

1952年からは北海道開発局による線路の改良工事が行なわれ、晴れて正式な動力線となりました。
1953年には2路線の運行管理が鶴居村役場に移管され、鶴居村営軌道の発足に至ります。
1956年には簡易軌道で初となる自走客車(ディーゼルカー)がデビューし、これにより新富士~雪裡間の所要時間は1時間20分に短縮されました。
1961年には北海道開発局による改良工事が完了し、総距離47.4kmの動力化が成されています。
しかし皮肉な事に間もなく並行する道路の改良が進み、モータリゼーションに繋がった事から鶴居村営軌道は旅客・貨物ともに激減。
1967年8月に全線が運行休止に追い込まれ、1968年に軌道事業の用途廃止申請を行ない正式に廃線となりました。


貨物列車 石炭列車 運炭列車 石炭輸送
新富士駅・釧路貨物駅a9
鶴居村営軌道雪裡線と雄別鉄道鳥取側線の平面交差(ダイヤモンドクロッシング)
1965年、柏木茂氏による撮影
石川孝織・奥山道紀・清水一史・星匠(2018)『釧路・根室の簡易軌道』(釧路市立博物館)p.50より引用

話は遡りますが1946年2月10日、釧路埠頭倉庫㈱が新富士駅と釧路港北埠頭を繋ぐ2.1kmの「埠頭線」を開業しました。
この路線は主に雄別炭鉱、尺別炭鉱、浦幌炭鉱など道東各地で産出した石炭を釧路港へ直送するべく敷設された貨物鉄道です。
しかし戦中戦後の混乱により、高架桟橋やローダーといった石炭船積設備の設置が遅れ、埠頭線の開業から3年後の1949年3月にようやく完了しました。

私鉄の雄別炭礦鉄道㈱も埠頭線の開業に伴い北埠頭行きの石炭輸送に乗り出しましたが、当初は雄別炭山→釧路→新富士という遠回りルートにせざるを得ず、ロスが生じてしまいました。
そこで埠頭線への直通運転を成すべく、まずは1948年5月28日に十條製紙釧路工場の一部専用線を自社の「鳥取側線」に転用して新富士駅への乗り入れを開始。
そして1949年9月、新富士駅構内に根室本線との平面交差を設ける事によって、雄別炭礦鉄道鳥取側線と釧路埠頭倉庫埠頭線の直通運転が実現しました。
なお、鳥取側線には殖民軌道雪裡線との平面交差もあり、2.6kmの短距離に2ヶ所もダイヤモンドクロッシングが存在したという稀有な線路なのです。

1951年7月1日、雄別炭礦鉄道が釧路埠頭倉庫から埠頭線を買収。
1952年9月11日には埠頭線と国鉄線の連絡運輸を開始しています。
1959年9月1日、雄別炭礦鉄道は自社鉄道部門を分社化し雄別鉄道㈱を設立、同時に本体は炭鉱経営に専念する事とし雄別炭礦㈱に改称しました。


JR北海道 国鉄 JR貨物 新富士駅構内 十條製紙釧路工場専用線 雄別鉄道鶴野線 操車場 ヤード
新富士駅・釧路貨物駅a7
1969年7月当時に撮影された新富士駅の俯瞰写真
当時は埋立工事が実施される前で、駅裏に海岸が迫っていた
写真奥には雄別鉄道鶴野線の立体交差が見える
木村浩章・佐藤宥紹・柴田哲郎・中江徹・藤田卓也・北海道新聞社(2020)『くしろ写真帳』(北海道新聞社)p.66より引用

新富士駅構内にある国鉄線と雄別鉄道線の平面交差は、根室本線の運用密度が増大するにつれて安定輸送の妨げになっていきました。
この問題を解消するべく1968年1月21日、鳥取側線に代わる路線として雄別鉄道鶴野線が開業。
鶴野線は新富士駅の西側に根室本線との立体交差を設け、国鉄の列車運行に支障をきたさないよう配慮しています。
これに伴い十條製紙釧路工場を経由する鳥取側線は撤去され、鶴野線は石炭輸送のスピードアップにも貢献する・・・かに思えました。

19名が死亡し、他に重傷者20名、軽傷者4名を出す大惨事となりました。
雄別炭礦は当時、約70億円の累積赤字を抱えており、政府の石炭政策に乗って抜本的な合理化計画を実践しようとしていました。
しかし、この事故による復旧費・遺族補償費などが重くのしかかったために経営再建を断念し、1969年9月を以って茂尻炭礦を閉山
残る雄別・尺別・上茶路の各炭鉱も1970年2月付で閉山する急展開になりました。
雄別鉄道は炭鉱を離れる人達と家財道具を輸送するなど、残務整理の末に1970年4月16日を以って解散に至りました。

新富士駅関連で見ると、鶴野線は会社の解散と共に廃止を迎えました。
開業から僅か2年余りの早すぎる廃止です。
なお、埠頭線については石炭以外の物資(飼料・農業資材など)の輸送にも貢献しており、地元経済界から存続を求める声が多かった事から第三セクターの釧路開発埠頭㈱が運営を引き継いでいます。
これに伴い路線名称も「北埠頭線」に改めました。


新富士駅 駅名板 駅名看板 駅名標
新富士駅・釧路貨物駅a03

1970年12月24日、根室本線厚内~東釧路間の単線自動信号化に伴い、新富士駅におけるタブレット閉塞器の取り扱いが終了。
更に1971年5月1日には根室本線上落合~昭栄間、同年8月1日には根室本線昭栄~新富士間でCTC(列車集中制御装置)の使用を開始しました。

1977年12月1日、釧路開発埠頭西港線が新規開業。
当時の釧路港では東港区にあった石油油槽所が、西港区の埋立地完成によって軒並み移転しており、西港線も内陸部への石油の輸送を目的として敷設されています。
西港線は新富士駅と西港駅を結ぶ1.7kmの貨物鉄道で、途中にスイッチバックを設けていました。

1979年7月15日、新富士駅貨物フロントは車扱貨物を専用線発着のみ取り扱う事とし、その他の受付を廃止しました。
国鉄は1984年2月1日ダイヤ改正において、ヤード系集結輸送から拠点間直行輸送への一大転換を実施。
これに伴い全国各地の小駅で荷物フロントを一斉に廃止する事となり、新富士駅も例に漏れず小荷物扱いを終了しました。
加えて釧路開発埠頭北埠頭線、十條製紙釧路工場専用線も廃止となり、貨物フロントを廃した事により一般駅から旅客駅に格下げしました。
なお、釧路開発埠頭西港線については本ダイヤ改正後も存続しているのですが、こちらの貨物フロントは西港駅に所在したらしいという事が新富士駅の旅客駅化から読み取れます。
国鉄北海道総局の関連企業、北海道鉄道荷物㈱(現:㈱ジェイアール貨物・北海道物流)が西港駅の窓口営業を受託していたとすれば不自然な話ではないかな・・・と思いますね。

1986年10月28日、書籍『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』p.116によると「新富士駅CTC表示駅を釧路CTCセンター扱いとなる」と書かれています。
根室本線のCTCを釧路鉄道管理局中央制御室でコントロールしていたのは庶路駅の記事で書いたとおりですが、新富士駅にもCTC制御盤を設けていたという事なんでしょうかね?

1986年11月1日ダイヤ改正に伴い、新富士駅の駅員配置は運転取扱要員(運転主任・運転係など)のみに変更されました。
これは釧路開発埠頭西港線の貨物列車入出線に伴う信号扱いの担当駅員を残したという事でしょう。
なお、同日付で根室本線新富士~釧路間がCTC化されています。


JR貨物 釧路貨物駅 駅舎 釧路貨物駅事務室 貨物事務室 釧路営業所
新富士駅・釧路貨物駅a10

1987年4月1日、分割民営化に伴いJR北海道が新富士駅を継承。
1989年8月1日、JR貨物が基盤整備(日本国有鉄道清算事業団が保有する土地に係る基盤整備事業)の一環として浜釧路駅を廃止し、同駅機能を新富士駅に移転しました。
浜釧路駅は1917年12月1日に開業した貨物駅で、国鉄時代は釧路駅長の配下に置かれて貨物助役1名と10名ほどの貨物掛(国鉄末期は営業管理係・営業係)が従事していました。
それが分割民営化に伴い晴れて独立した現業機関となり、販売活動に特化した現業機関である「釧路営業所」が併設されていたのです。
なお、浜釧路駅の新富士駅移転に伴い釧路営業所も一緒に同駅構内に移転しています。

更に付け加えると新富士駅の貨物扱い復活に先駆け、1988年12月から新富士駅構内のE&S化工事に着手。
E&S方式とは「着発線荷役方式」とも呼ばれており、着発線に荷役ホームを造る事によって貨物列車が到着したらすぐに荷役作業を行ない、それが済んだら直ちに発車するように出来る訳です。
新富士駅においても着発線にコンテナホームを設け、列車が停車したらフォークリフトがすぐにコンテナを積み降ろしできるように整備しています。
この工事は1989年7月を以って竣工しました。


釧路貨物駅 駅舎 釧路貨物駅事務室 貨物事務室 JR貨物北海道支社道東支店釧路営業所
新富士駅・釧路貨物駅a4

1994年3月15日、JR貨物は中長期計画「フレイト21」の初年度を迎えるに当たり、地方営業組織を再編成した「営業支店」の設立を敢行しました。
これまでJR貨物は「提案型営業」や「攻めの営業」が弱いと評されており、全国的な営業組織の統一によって販売力の強化を図ろうと発案したのです。
そして地域営業の中軸として全国26ヶ所の営業支店体制がスタート。
新富士駅構内の釧路営業所も、新たに発足した「道東支店」の管轄に入りました。

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①設置までの経緯
 それまでの地方営業組織は、支社(全国6支社)の下に、新潟、金沢、広島の3支店(営業関係の権限・機能は支社に準ずる。)と盛岡、秋田、高崎、長野、静岡、岡山、四国の7支店(支社長指揮の下に、一定の販売契約権限等を保有)があり、さらに、これらの下部機関として、営業所、営業センター、駅サービス課、総合鉄道部営業課等の現業の営業組織が存在していました。これらの営業組織は、国鉄時代のものを含め、JR発足以降の試行錯誤の中で各支社が試行的に採用してきたものです。これについては次のような問題が指摘されていました。
●お客様・利用運送事業者様に最も近い営業組織にも関わらず権限・責任が不明確であること
●全社的に組織が不統一であり、窓口が不明確で分かりづらいこと
●要員等組織体制が全般に脆弱であること
●駅に営業組織を置く場合は広域な対応が困難であること
●輸送枠の調整、事故時の措置、損害賠償等、営業所長と駅長の関係が不明確であること
 つまり、それまで駅を営業最前線と位置づけ、自駅のお客様と密にコミュニケーションを取ろうという試みもしてきましたが、実際は駅業務と作業が重複したり、権限も明確でなく、人員も少ないこともあり効果的に活動できない状況にありました。

②営業支店のスタート
 これらを改善し、営業関係業務は販売の権限や、責任関係を全国的に統一しました。
 この営業組織の再編成の中では、営業支店は、駅、総合鉄道部とは分離した非現業組織となり、社員は販売・接客に専念することになりました。なお、営業支店長には販売契約権限・販売目標・責任を持たせることにより、支社等との権限責任関係を明確にしました。また、駅における日々の輸送枠調整等駅営業に対する指導・調整する権限をもつことになりました。初代営業支店長には、主要現場長経験者やその後の営業の中心で活躍した人など実力者を登用しました。26ヵ所でスタートした営業支店は、その後の組織改正の他、地域の経済界や行政組織からの要請を受け、2002年7月現在で35ヵ所になっています。

《出典》
日本貨物鉄道株式会社(2003)『JR貨物15年の歩み』p.p.110,111
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釧路貨物駅 JR貨物北海道支社道東支店釧路営業所 駅名標 駅名板 駅名看板
新富士駅・釧路貨物駅a12

1997年3月22日、釧網本線東釧路~中斜里間における貨物列車の運行が終了。
ただし中斜里駅の貨物取扱は終了とならず、新富士~中斜里間で1日2往復のトラックを運行するようになりました。

1999年9月10日、釧路開発埠頭西港線が廃止となりました。
1981年10月1日の石勝線開通によって石油の輸送体系が大きく変わり、臨港の油槽所から内陸部の油槽所へ運ぶ従来の方法から、製油所から内陸部の油槽所に直送する方法に移り変わったためです。
なお、事業者の釧路開発埠頭は2000年3月22日を以って解散しました。

2011年3月12日、JR貨物は「社内外に対して認知度向上及び会社イメージ向上の一助とするため」(『JR貨物30年のあゆみ』p.218より)貨物駅としての新富士駅を「釧路貨物駅」に改称しました。
なお、同日付で改称になった駅は他にも、帯広貨物駅(旧:帯広駅)、苫小牧貨物駅(旧:苫小牧駅)、函館貨物駅(旧:五稜郭駅)、仙台貨物ターミナル駅(旧:宮城野駅)、田端信号場駅(旧:田端操駅)、新小岩信号場(旧:新小岩操駅)、京都貨物駅(旧:梅小路駅)の7ヶ所があります。


JR貨物 釧路貨物駅 駅舎 釧路貨物駅事務室 貨物事務室 釧路営業所
新富士駅・釧路貨物駅a11

釧路貨物駅の駅舎(駅本屋)は1989年8月の浜釧路駅フロント移転に伴い建設された、半地下フロア付きのコンクリート建築です。
半地下フロアは駅員・営業所員用の駐車場となっています。
この駅舎には釧路貨物駅事務室と道東支店釧路営業所が一緒に入居しています。
釧路貨物駅は直営駅(社員配置駅)で駅長を筆頭に助役、営業職(営業主任・営業指導係・営業係)、輸送職(輸送主任・輸送指導係・輸送係)が従事。
同駅の営業職は輸送枠調整と発送手配、貨車・トラックの配車計画などを担当しています。
そして意外な事に㈱ジェイアール貨物・北海道物流の事業所は置かれていません。
しかも同社の社員はフォークリフト運転士すら配置されていないという・・・。

一方、釧路営業所は営業所長を筆頭に主席(現業機関の助役・主任に相当)、課員(現業機関の指導係・係職に相当)が従事。
荷主への接客と販売業務、貨物の受付を担当しています。



新富士駅・釧路貨物駅a13

なお、釧路貨物駅本屋の手前には・・・



新富士駅・釧路貨物駅a14

・・・くしろバスの新富士駅停留所が設置されています。
実は釧路貨物駅本屋の建つ位置には国鉄時代、新富士駅の木造駅舎が建っていたのです。
往時の名残でバス停の名称が未だに「新富士駅」という訳ですね。



新富士駅・釧路貨物駅a15

新富士駅・釧路貨物駅a16

では旅客駅の新富士駅は何処にあるかというと、釧路貨物駅本屋から道道559号線を西へ165m進んだ所に出入口を設けています。
道中には新富士駅の方向を示す看板も立っています。


JR北海道 新富士駅 跨線橋 人道橋 歩道橋
新富士駅・釧路貨物駅a02

こちらが新富士駅の出入口。
駅前T字路からプラットホームまで跨線橋が架かっています。
駅舎は建っておりません。



新富士駅・釧路貨物駅a17

新富士駅跨線橋の脇には釧路貨物駅の貨物自動車用出入口があります。
ここにもコンテナが置かれていますね。



新富士駅・釧路貨物駅a18

新富士駅跨線橋の東隣には・・・


十條製紙釧路工場チップコンベアー
新富士駅・釧路貨物駅a19

・・・何やら赤茶色のコンクリート建造物が1棟。


十條製紙釧路工場チップコンベアー
新富士駅・釧路貨物駅a20

赤茶色の建造物からは1本の太いパイプが延びており、線路向かいに続いています。


十條製紙釧路工場チップコンベアー
新富士駅・釧路貨物駅a21

建造物の西面には青く塗られた鉄の扉が1枚。


十條製紙釧路工場チップコンベアー
新富士駅・釧路貨物駅a22

この施設は十條製紙が建設したチップコンベアのパイプラインです。
地下に埋設した部分を含めると3kmに及ぶ長さで、釧路港西港区と日本製紙釧路工場を結んでいます。
具体的な用途はズバリ、西港で陸揚げされたチップ(紙パルプの原料)をパイプ内のコンベアに載せ、釧路工場まで運ぶというものです。



新富士駅・釧路貨物駅a23

鉄の扉に掲げた「入構者注意事項」。
ドアノブの上には「酸欠注意」のステッカーも貼られています。



新富士駅・釧路貨物駅a24

北面の外壁に据え付けられた建設銘板。
施工業者は大成建設㈱で、1975年6月の竣工だと分かりますね。


長くなったので今回はここまで。


※写真は特記を除き2021年5月3日撮影
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最終更新日 : 2021-08-12

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