タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2021-07-24 (Sat) 23:53

釧網本線遠矢駅 青森から来た釧路アイヌの始祖・キラウコロエカシ

遠矢駅a01

釧路管内は釧路郡釧路町遠矢2丁目にある、JR北海道の遠矢(とおや)駅。
釧路町の商業中心地・セチリ太地区(光和・桂木・木場・曙など)から北東に約5km離れた、人口約450人の住宅地に置かれた駅です。
遠矢の町は釧路湿原国立公園を間近に控えた、いわば湿原の玄関口。
地名の由来は「沼の岸」を意味するアイヌ語の「トー・ヤ」で、かつて当地も沼のある湿地帯の一部だった事が窺えます。
遠矢に暮らすアイヌの人々は3ヵ所のチャシ(砦)を構え、このうち現在の竜谷寺付近にあった第一チャシにキラウコロエカシという首長が住み、一帯のアイヌを取り仕切っていたと伝えられています。
ちなみに「キラウコロ・エカシ」とは「角を持った長老」という意味。
漫画『ゴールデンカムイ』に登場する釧路アイヌのキラウも「角がついている」と訳せる事から、キラウコロエカシをキャラクターモチーフにしているのではないかと思います。

伝承によるとキラウコロエカシはアウンモイ(現:青森県)から一族60人を率いて船に乗り、蝦夷地へと移住してきた本州アイヌとの事。
道外の人達には意外に思われるかも知れませんが、かつて日本のアイヌは北海道だけでなく、東北地方や関東地方、新潟県、富山県などに広く分布したのです。
キラウコロエカシは最初、網走に上陸して現地の首長に妹を嫁がせ、それから遠矢に移りチャシを構えて釧路アイヌの始祖となったのだと言われています。
幕末・明治初期に蝦夷地を調査した探検家、松浦武四郎もキラウコロエカシの人物像を研究しており、その家系とチャシの関係を聞き書きにして残したそうです。
ちなみにキラウコロエカシの子孫は、ユーカラ(口承文芸)をはじめアイヌ文化の保存活動に心血を注いだ24代目首長・山本多助エカシ(1904-1993)です。


JR北海道 JR貨物 国鉄 釧網本線 釧網線管理所 木造駅舎 遠矢駅
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遠矢駅の初代駅舎は現駅舎よりも幾分大きかった
北海道旅客鉄道株式会社釧路支社(2001)『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』p.179より引用

遠矢に和人が住むようになったのは1888年、釧路と標茶を結ぶ道路の開通に伴い遠矢駅逓所が開設されてからだそうな。
和人達は当初、トーヤに「遠」の2文字を当てており、遠矢小学校も1920年4月の開校当時は「遠野尋常小学校附属特別教授場」という名前でした。
「遠矢」の2文字が使われるようになったのは1922年5月11日、遠矢郵便局が開業した辺りからのようです。

そして遠矢駅は1927年9月15日、国鉄釧網線別保(現:東釧路)~標茶間の新規開業に伴い一般駅として開設されました。
こちらも開業当初から「遠野」ではなく「遠矢」を名乗っています。
遠野だと岩手県の遠野(とおの)があるからややこしくなりますよね。
釧網線は全通から5年後の1936年10月29日、現在の「釧網本線」に改称しています。

遠矢駅は国鉄の一般駅としては貨物営業がかなり早期に終了しており、1960年7月10日を以って貨物フロントを廃止しています。
これに伴い一般駅から旅客駅に格下げとなりました。
その1ヶ月後の1960年8月20日には釧路駅西側の釧路操車場が使用開始となりましたが、遠矢駅は荷物営業でしかその恩恵に与かれませんでした。


JR北海道 遠矢駅 簡易駅舎 国鉄 無人駅
遠矢駅a02

1963年4月1日、釧網本線・標津線・根北線の経営管理を担う釧網線管理所が発足し、遠矢駅も同管理所の管轄に組み込まれました。
しかし釧網線管理所は3路線の抜本的な経営改善を果たせず、1969年2月1日を以って廃止に至りました。
これに伴い遠矢駅も元通りの独立した現業機関に。

1968年3月22日、釧網本線全区間で連査閉塞(連査閉そく式)の運用を開始。
これに伴いタブレット閉塞器が御役御免となり、遠矢駅でもタブレット交換を行なう事は無くなりました。
ただし連査閉塞は自動閉塞という訳ではないので、引き続き当務駅長(助役・予備助役・運転掛・特命運輸掛を含む)が手動で閉塞装置を取り扱いました。

1973年2月5日、旅客(出改札・案内)、小荷物の各フロント業務を廃止し、駅員についても連査閉塞装置を取り扱う当務駅長のみ勤務する体制に変わりました。
釧網本線では遠矢駅の他にも同日付で、細岡駅・塘路駅・茅沼駅・五十石駅の4ヶ所が窓口業務を廃止し、運転要員のみの配置に切り替わりました。


JR北海道 遠矢駅 簡易駅舎 国鉄 無人駅 駅名板 駅名看板 駅名標
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1986年11月1日、釧網本線全区間で特殊自動閉塞(電子符号照査式)の運用を開始。
電子符号照査式は「電子閉そく」とも呼ばれ、運転士が出発駅で受け取った車載器(RPCアンテナ)を扱い、閉塞区間ごとに交換駅と電波の送受信を行なう事によって信号機や転轍機、踏切を制御するという方式です。
ただし釧網本線では全ての交換駅に信号用ハットを新設してはおらず、列車ダイヤの見直しにより一部交換駅で交換設備の廃止を敢行。
遠矢駅も交換設備を廃止する事になり、連査閉塞を取り扱ってきた当務駅長(助役・運転主任を含む)の配置も終えて完全無人駅となりました。

1987年4月1日、分割民営化に伴いJR北海道が遠矢駅を継承。
現在の塘路駅は釧路駅を拠点駅とする釧路地区駅(担当区域:根室本線直別~根室間、釧網本線鱒浦~東釧路間)に属し、地区駅長勤務の釧路駅が直轄する完全無人駅です。
普通列車と快速しれとこ摩周号が停車します。

そういえばテレビ東京の番組「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」の2019年9月20日放送回にて、安田団長が釧路湿原駅の生活利用者を調査したところ、何とこの遠矢駅から足繁く通っている人が見つかりました。
その方は国鉄時代の釧路機関区で機関士を務め、分割民営化後は釧路運輸車両所運転科に勤務し釧網本線の列車を運転したという元鉄道員でした。
定年退職後は細岡ビジターズラウンジで観光案内・風景写真撮影のボランティアをしており、自宅の最寄り駅である遠矢駅から釧路湿原駅まで列車移動をし続けているとの事でしたね。


JR北海道 遠矢駅 簡易駅舎 国鉄 無人駅
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現在の駅舎は1988年10月に落成した2代目で、無人駅向けのいわゆる簡易駅舎です。
ただし保線作業時の休憩室が設けてあり、北海道軌道施設工業㈱釧路出張所、㈲平松建設釧路作業所などの作業員が使用しています。



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正面玄関には「トイレありません」との貼り紙を掲げています。
遠矢駅は駅前広場にすら利用可能なトイレがありませんので、訪問の際はご注意を。



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なお、待合室には駅周辺にある公衆トイレの案内地図があります。
最寄りトイレまでの所要時間が5分、10分というのは何とも心許ないですね。
急な腹痛に襲われたら余計に苦しみそう・・・。

駅北の「ぱぁ~く108」は1998年にオープンしたコミュニティパークで、遠矢の読みに数字を当てて「108」としています。
ちなみに釧路の地名も「946」と3桁の数字を当てて施設名などに付けるケースが多く、2019年12月に栽培がスタートした釧路産バナナも「946banana」というブランド名を付けていますね。


JR北海道 国鉄 待合室 簡易駅舎 遠矢駅 駅事務室
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JR北海道 国鉄 待合室 簡易駅舎 遠矢駅 駅事務室
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待合室の様子。
無人化後に建設された駅舎なので、出札窓口の類は元からありません。
正面玄関入って左手に保線休憩室のドアがあります。


くしろ湿原ノロッコ号 臨時列車 観光列車 ジョイフルトレイン
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待合室では「くしろ湿原ノロッコ号」の運転日カレンダーと時刻表を掲示していますが、そもそも遠矢駅はノロッコ号が通過するためあまり意味がないような・・・。


JR北海道 遠矢駅 簡易駅舎 国鉄 無人駅
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遠矢駅では地元の方々が美化活動に取り組んでいます。
この日も午前中に近くのお爺さんがやって来て、保線休憩室の鍵を開けると箒や塵取りを出して掃除を開始しました。
掃除中は換気のため待合室の引き戸を開けっ放しにします。


JR北海道 遠矢駅 簡易駅舎 国鉄 無人駅
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JR北海道 遠矢駅 簡易駅舎 国鉄 無人駅
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ホーム側から駅舎を眺めた様子。


プラットホーム 単式ホーム 遠矢駅構内 跨線橋 棒線駅
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プラットホーム 単式ホーム 遠矢駅構内 跨線橋 棒線駅
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1面1線の単式ホーム。
全長は20m車3両分ほどで、床には細かな砂利を敷き詰めています。
交換設備が健在だった頃は相対式ホーム2面2線を有しており、駅舎側の1番線を下り本線(釧路方面)、駅裏側の2番線を上り本線(標茶・摩周・網走方面)としていました。



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かつて2番乗り場があった場所には5本の蝦夷松と1本のエゾノコリンゴが植えてあります。
エゾノコリンゴは釧路町役場が「釧路町の木」に指定していますね。


釧路町・花と緑の沿線づくり運動記念植樹
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この木々は2000年11月1日、北海道庁釧路支庁(現:釧路総合振興局)、釧路町役場、JR北海道釧路支社の3者合同による「釧路町・花と緑の沿線づくり運動」の実施を記念し、遠矢中学校の3年生達によって植樹されたものです。



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旧1番乗り場の釧路湿原方から線路を眺めると・・・



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・・・緑色のトタン板を張った小屋が線路沿いに建っています。
どうやらこれは国鉄時代、標茶保線区標茶保線支区遠矢検査班の詰所として使用されていたようです。


跨線橋 遠矢駅構内 人道橋 歩道橋
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駅前(東側)と駅裏(西側)を繋ぐ跨線橋。
駅裏の住宅街は1970年代に農地を開発して生まれたそうで、この跨線橋もその頃に建設されたものだろうと思います。


プラットホーム 単式ホーム 遠矢駅構内 跨線橋 棒線駅
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プラットホーム 単式ホーム 遠矢駅構内 跨線橋 棒線駅
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跨線橋の上から駅構内を俯瞰した様子。
2番乗り場や貨物側線の跡は草木に覆われ、一向に再活用される気配がありません。


流氷物語号 キハ54-507 キハ54形500番台 キハ54系500番台
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キハ54-517 キハ54形500番台 キハ54系500番台 快速しれとこ摩周号
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跨線橋を潜って停止位置に向かうキハ54-517の「快速しれとこ摩周号」。
先頭の乗務員室には列車巡回のため、釧路保線所標茶保線管理室(旧:標茶保線区標茶保線支区)の施設係員が添乗しています。


駅名標 遠矢駅 駅名看板 駅名板
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ホーム上の駅名標。


※写真は特記を除き2021年5月3日撮影
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最終更新日 : 2021-07-25

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