タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2021-06-13 (Sun) 06:38

函館本線光珠内駅 稲作地帯に置かれた専修大学の農工短大

光珠内駅a01

空知管内は美唄市光珠内町北(旧:空知郡沼貝村字光珠内)にある、JR北海道の光珠内(こうしゅない)駅。
美唄市の中心部から南に約3km、岩見沢市の中心部から北東に約10km離れた農村に設けられた駅です。
光珠内の住民は稲作農家が多く、駅前集落を囲むように水田が広がっています。
中には稲作を営む傍ら、トマト、ニンニク等の野菜を栽培する農家も見られます。

当地に和人が住むようになったのは1891年6月。
屯田兵制度の改正によって「特科隊」の新設が決まり、美唄市内に3ヵ所の屯田兵村が発足したのです。
このうち光珠内は「高志内兵村」という砲兵隊の拠点になり、1894年までの4年間で延べ120戸の屯田兵が入植しました。
その内訳は青森県人6戸、岩手県人1戸、宮城県人6戸、福島県人1戸、茨城県人1戸、千葉県人1戸、東京府人1戸、新潟県人1戸、長野県人1戸、富山県人2戸、愛知県人7戸、京都府人8戸、和歌山県人6戸、兵庫県人4戸、鳥取県人4戸、島根県人4戸、岡山県人4戸、広島県人4戸、山口県人3戸、徳島県人11戸、香川県人6戸、愛媛県人5戸、高知県人8戸、福岡県人7戸、佐賀県人6戸、大分県人4戸、熊本県人2戸、鹿児島県人3戸で、四国勢がやや多めです。
屯田砲兵隊はヒグマを相手に実弾訓練をした事もあったといい、農業ではとりわけ養蚕に力を注いでいたのだとか。


JR北海道 国鉄 光珠内駅 正面玄関 木造駅舎 函館本線 無人駅 駅名標 駅名板 駅名看板
光珠内駅a05

光珠内駅から東へ約1.2kmの場所にはかつて、専修大学北海道短期大学のキャンパスがありました。
同短大は東京の神保町を本拠とする専修大学が1968年4月、「専修大学美唄農工短期大学」として開学しました。
当初は農業機械科・農業土木科・農業経営科の3学科を設けた農業系短大でしたが、1973年4月に「専修大学北海道短期大学」に改組。
農業機械科・土木科・商科の3学科体制に移行し、更に1983年4月には造園林学科・経済科を新設するなど、農業の枠組みを超えた学び舎となりました。
しかし学生の減少により2010年4月に閉学の方針を公表し、2013年2月23日の卒業式を以って全学生が卒業。
それから文部科学省に廃止許可申請を行い、2017年4月19日付で正式に閉学しました。
閉学から4年が経過した2021年6月現在も、駅前集落の国道12号線沿いにあるセイコーマート が「専修大学前店」を名乗り続けています。



JR北海道 国鉄 光珠内駅 木造駅舎 函館本線 無人駅 駅事務室
光珠内駅a06

前置きが長くなりましたが、ここからは光珠内駅の大まかな歴史を見ていきましょう。
当駅の前身は1920年9月11日、既に開業していた国鉄函館本線峰延~美唄間に開設された「光珠信号所」でした。
光珠信号所は函館本線岩見沢~滝川間の複線化工事に合わせ、暫定的に設置された施設に過ぎませんでした。
それは兎も角として、当時既に「光珠内」の地名が使われていたのに、信号所の名称は1文字抜いた「光珠」というのは何とも変な話。
戦前国鉄の事務方は旭川に「あさひわ」の読み仮名を振るほど仕事ぶりがいい加減でしたから、光珠信号所も事務方のミスにより間違った名称を採用したという事なのでしょう。

1922年4月1日には道内11ヶ所の信号所(姫川・東岡・光珠・豊沼・小糸魚・狩勝・上厚内・波若・塩狩・釧北・常紋)を「信号場」に改称する事となり、光珠信号所も「光珠信号場」と名を変えました。
そして1923年12月20日には函館本線岩見沢~東岡(信)間、1924年5月31日には同東岡(信)~美唄間が複線開通したため、光珠信号場は東岡信号場と共に廃止を迎えました。

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 大正9年9月、光珠内に複線工事のため信号所が設置され、普通駅設置の前提と大いに期待されたが、工事完了とともに信号所は廃止された。
 同地は線路に1,000分の6のこう配があるため、駅を設置するにはこのこう配をきょう正しなければならず、それには多額の工事費を要するため光珠内駅設置に難色を示した。しかし、たび重なる請願と陳情の結果、旅客列車のみ、停車する条件で昭和23年、開設されることになった。
 同駅の開設にあたっては、町当局の積極的支援を得て、地元の敷地提供や工事に必要な労務の出役等全面的な協力があった。出役中1名の犠牲者を出したが、昭和23年11月5日、ようやく地元民の喜びのなかで臨時乗降場が開設され、27年3月、駅に昇格した。

《出典》
美唄市史編さん委員会(1970)『美唄市史』(美唄市役所)p.567
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光珠信号所の廃止後、地域住民が長年に渡って駅の開設を請願し続けたのが功を奏し、1948年11月5日に「光珠内仮乗降場」として開設されました。
戦後北海道の国鉄線では人口密度の極めて低い地域に住む人々の便宜を図るため、国鉄本社の正式認可を受けず、鉄道管理局独自の判断で設置できる仮乗降場を増やしていました。
光珠内仮乗降場も所管する札幌鉄道管理局の判断で開設されたものですが、複線区間の仮乗降場というのは大変珍しいと思います。


JR北海道 国鉄 光珠内駅 岩見沢駅連合区 岩見沢駅連区 岩見沢地区駅 JR貨物 駅長 駅員 助役 営業係
光珠内駅a02
国鉄末期の光珠内駅における駅員達の記念写真
国鉄時代の光珠内駅は、岩見沢駅を幹事駅とする「岩見沢駅連合区」(岩見沢連区)に属した
岩見沢駅100年史編さん委員会(1982)『岩見沢駅100年のあゆみ』(岩見沢駅長 佐藤英夫)p.55より引用

開設から3年以上が経った1952年4月10日、晴れて駅に昇格し「光珠内駅」となりました。
光珠内駅は貨物フロントの無い旅客駅で、旅客フロント(出改札・案内)と小荷物フロントを担当する駅員達を配置しました。
この頃の国鉄は全国各地に「駅連合区」という組織を置き、営業活動の中心を従前の「駅単位」から、複数駅が連帯する「地域単位」に改め、共同で定めた収入目標の達成を目指して孝動する体制を拡大しつつありました。
光珠内駅についても岩見沢駅を幹事駅(連絡駅長のいる拠点駅)とする「岩見沢駅連合区」(岩見沢連区)に属し、岩見沢駅に勤務する連区助役の後方支援を受けつつフロント業務を遂行しました。
なお、岩見沢連区は室蘭本線志文~岩見沢間、万字線全区間、函館本線幌向~茶志内間、幌内線全区間を担当区域とし、各駅の収入管理や広報活動などを行なっていました。


JR北海道 国鉄 光珠内駅 木造駅舎 函館本線 無人駅 駅事務室
光珠内駅a08

1968年8月28日、函館本線小樽~滝川間が交流電圧20,000Vにより電化開業しました。
これに合わせて光珠内駅でも輸送力増強に向けた改良を行い、構内に待避線と信号機を新設し、各ホームを繋ぐ跨線橋を建設しました。

1978年10月2日、旅客フロント業務の廃止に伴い出札業務を簡易委託化。
ただし小荷物フロント業務を担当する駅員は引き続き配置しました。

国鉄は1984年2月1日ダイヤ改正において、ヤード系集結輸送から拠点間直行輸送への一大転換を実施。
これに伴い全国各地の小駅で荷物フロントを一斉に廃止する事となり、美唄市内でも峰延駅、光珠内駅、茶志内駅の3ヵ所で荷扱いを終了。
荷物担当として残っていた駅員も光珠内駅を去りましたが、出札業務については引き続き簡易委託で対応する事になりました。

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 昭和58年8月、国鉄当局は、昭和59年2月のダイヤ改正に合わせて、峰延と光珠内の2駅を無人化にして、定期券や指定券類を扱わないこと、峰延・光珠内・茶志内の3駅の手荷物の取り扱いを廃止したいと提示した。これに対し峰延・光珠内・茶志内各駅の地元住民は、この国鉄の合理化提示に反対を表明した。そして関係町内会、関係団体では、国鉄手荷物合理化対策協議会を組織して、国鉄当局と協議を重ねてきた。
 その結果、昭和59年1月30日に国鉄側は、手荷物取り扱い廃止は予定通りとするが、峰延と光珠内2駅の無人化問題については、簡易委託者を配置して、定期券や指定券を岩見沢駅と美唄駅に取り次ぐことにするという案を提示した。これに対し対策協議会では、この案で止むを得ないとして了承した。このため光珠内駅については、昭和53年に乗車券の販売を民間に委託していたが、それがこのまま継続されることになり、峰延駅だけが新たに民間に委託された。ただその他の問題については2月1日のダイヤ改正時に間に合わなかったが、昭和59年3月31日から実施された。

《出典》
美唄市百年史編さん委員会(1991)『美唄市百年史 通史編』(美唄市長 瀧正)p.p.1376,1377
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JR北海道 国鉄 光珠内駅 木造駅舎 函館本線 無人駅 駅事務室
光珠内駅a07

1987年4月1日、分割民営化に伴いJR北海道が光珠内駅を継承。
それから暫くして簡易委託者が乗車券の販売を辞め、なおかつ後継者が見つからなかったらしく、その穴を埋めるべく1990年代には再び駅員が配置されて出札業務に当たりました。
なお、Wikipediaには「1997年(平成9年)12月19日:運転業務無人化に伴い、出札業務も終了」とありますが、前掲した書籍『美唄市百年史 通史編』には1984年2月ダイヤ改正に伴い無人化されたとあるので、実際は運転取扱業務などしていなかったものと思われます。
駅の運転取扱業務は24時間体制で行なうものなので、それを本当にしていたのなら昼間だけ駅に来るというのは変な話ですよね。
夜間の線路補修工事に伴う線路閉鎖手続きも出来ない訳で。

普通列車のみ停車し、特急は全て通過します。


JR北海道 国鉄 光珠内駅 木造駅舎 函館本線 無人駅 駅事務室
光珠内駅a03

駅舎は1952年4月の旅客駅昇格に伴い建設された、平屋の木造建築です。
外壁は板を羽目張りにしており、ペンキの剥がれ、トタン屋根の赤錆と傷みが目立ちます。


JR北海道 国鉄 光珠内駅 木造駅舎 函館本線 無人駅 正面玄関 待合室
光珠内駅a10

正面玄関のアーチ。
かなり独特な形状です。


光珠内駅 待合室 木造駅舎 出札窓口 手小荷物窓口 無人駅
光珠内駅a13
光珠内駅 待合室 木造駅舎 出札窓口 手小荷物窓口 無人駅
光珠内駅a12

待合室の様子。
南西側の窓際には壁と一体化したベンチが伸びています。


光珠内駅 待合室 木造駅舎 出札窓口 手小荷物窓口 無人駅 簡易委託駅 直営駅
光珠内駅a14

出札窓口は板で封じられていますが、窓枠も出札棚も綺麗な状態で残っています。
出札棚の上には駅ノートが置かれています。
一方、手小荷物窓口は跡形もありません。


JR北海道 国鉄 光珠内駅 木造駅舎 函館本線 無人駅 駅事務室
光珠内駅a15

ホーム側から駅舎を眺めた様子。
正面側は玄関だけだった台形アーチが、こちらは左右に広がっています。


JR北海道 国鉄 光珠内駅 木造駅舎 函館本線 無人駅 駅事務室 改札口
光珠内駅a17

改札口にはラッチの痕跡が見られません。
右側には旅客フロントを廃止した1978年10月当時の物と思しき、古ぼけた集札箱(きっぷ受箱)が据え付けてありますね。


JR北海道 国鉄 光珠内駅 木造駅舎 函館本線 無人駅 駅事務室 改札口 出発合図器
光珠内駅a18

改札口の左手に付いた3つのボタン。
左から出発合図器、トークバック(高声電話機)、改札口の照明スイッチですね。
出発合図器は改札口の駅員が列車に向かう客が途切れた事を確認し、操作していたのでしょう。


JR北海道 国鉄 光珠内駅 木造駅舎 函館本線 無人駅 駅事務室
光珠内駅a16

駅事務室の玄関は出っ張り、アーチの形状を左右非対称にさせています。
完全無人化から25年ほど経過した現在、駅事務室は保線作業員の休憩所として活用されています。


JR北海道 国鉄 光珠内駅 木造駅舎 函館本線 無人駅 駅事務室
光珠内駅a19

駅舎の南西にはシャッター付きの物置があり、中には除雪機が格納されています。



光珠内駅a20

トイレは駅舎の外に建つトタン張りの小屋です。



光珠内駅a21

このトイレは元々、ホーム側にも出入口を設けていたのですが、現在はご覧の通り封鎖されています。


光珠内職場2号 光珠内駅 建物 建築物 駅事務室
光珠内駅a22

駅舎の北にはコンクリート造りの平屋が1棟。


光珠内職場2号 光珠内駅 建物 建築物 駅事務室
光珠内駅a23

正面玄関には「吹付アスベスト使用建物」である事を知らせる注意書きがあり、これによると建物名は「光珠内職場2号」だと分かります。
とはいえ具体的に何の用途に使われている建物なのかは不明です。
平面図によると屋内は一部屋だけ。
「室内は囲い込み工事完了のため安全です」とありますね。
注意書きの一番下にはJR北海道本社鉄道事業本部の直轄エリアにおいて、建築物(駅舎・事務所・車庫・社宅等)や機械設備(自動改札機・自動券売機・エスカレーター等)の保守・管理を担当する「札幌設備所」の連絡先を記しています。
札幌設備所は国鉄時代の札幌建築区と札幌機械区(旧:小樽機械区)をルーツに持ち、建築・機械の職場を統合した現業機関です。


光珠内駅構内 プラットホーム 単式ホーム 国鉄型配線 1番線 1番のりば
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光珠内駅構内 プラットホーム 単式ホーム 国鉄型配線 1番線 1番のりば
光珠内駅a25

光珠内駅構内は単式ホームと島式ホームを組み合わせた、いわゆる「国鉄型配線」です。
駅舎側の単式ホームが1番線で、上り本線(岩見沢・札幌方面)となっています。
全長は20m車10両分ほどで、駅舎寄りの一部はアスファルト舗装が為されています。


光珠内駅構内 プラットホーム 単式ホーム 国鉄型配線 1番線 1番のりば
光珠内駅a26
光珠内駅構内 プラットホーム 単式ホーム 国鉄型配線 1番線 1番のりば
光珠内駅a27

1番乗り場と駅舎はそこそこ離れています。



光珠内駅a28

光珠内駅a30

単式ホームと島式ホームを繋ぐ跨線橋。
島式ホームの階段前には旅客上屋が設けられています。


構内踏切 光珠内駅 プラットホーム 島式ホーム
光珠内駅a37

旅客上屋の下には跨線橋が建つ前に使われていた、構内踏切の階段を埋め込んだ跡があります。
注意喚起のトラ模様が薄っすらと見えますね。


光珠内駅構内 プラットホーム 島式ホーム 国鉄型配線 2番線 2番のりば 3番線 3番のりば
光珠内駅a31
光珠内駅構内 プラットホーム 島式ホーム 国鉄型配線 2番線 2番のりば 3番線 3番のりば
光珠内駅a32

島式ホームも20m車10両分ほどの長さ。
中線が2番線(副本線)、外側が3番線(下り本線/滝川・旭川方面)です。
旅客上屋の辺りだけ舗装されています。


光珠内駅構内 プラットホーム 島式ホーム 国鉄型配線 2番線 2番のりば 3番線 3番のりば
光珠内駅a33

駅裏には水田が広がっており、島式ホームとは目と鼻の先です。



光珠内駅a35

水田に水を引く用水路は駅構内を横断しています。
写真は1番乗り場から用水路を眺めた様子です。


キハ40系1700番台 キハ40形1700番台 苗穂運転所 車掌 白服 盛夏服 制服
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1番線に停車したキハ40系2連。
JR北海道は2020年度から盛夏服への衣替えを6月から5月に繰り上げたため、1年が経った2021年5月も車掌の白服姿が見られました。


駅名標 駅名板 光珠内駅
光珠内駅a36

ホーム上の駅名標。



光珠内駅a09

駅前広場をよく見ると・・・



光珠内駅a11

・・・美唄市役所が1978年に建立した「開駅三十年記念碑」があります。


※写真は特記を除き2021年5月21日撮影
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最終更新日 : 2021-06-13

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