タタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-

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2021-06-09 (Wed) 22:51

室蘭本線三川駅 駅の開設に尽力した愛知県人・加藤平五郎

三川駅a01

空知管内は夕張郡由仁町三川錦町にある、JR北海道の三川(みかわ)駅。
由仁町の中心街から約7km南下した、三川地区の市街地に設置されています。
駅前には廃業店舗ばかりが目立つ商店街が南北に伸びていますが、そんな中でも加賀屋旅館、スナック「白馬車」、㈱清水はなや本社営業所、ビューティーサロンおおた、倉増商店といった店舗が頑張って営業を続けています。
直近では2021年4月24日、ベトナム雑貨を扱う「エシカルショップ JV STYLE」がオープンし、商店街の仲間に加わりました。

国道234号線沿いにはJAそらち(そらち南農業協同組合)の三川出張所と、トラクター等の修理を手がける三川農機具修理工場、農機販売の日農機㈱三川営業所があり、農業地帯の中心部という趣きを色濃く感じさせます。
また、全日食が買物過疎の解消を目指すべく2017年4月22日に開業した「シティマーケット三川店」があり、三川地区で唯一のスーパーマーケットとして営業中です。
市街地の周辺に広がる農地ではアスパラガスやスイートコーンが盛んに栽培されています。

三川を開拓したのは愛知県碧海郡棚尾村(現:碧南市志貴町)出身の加藤平五郎です。
平五郎は1860年に加藤平兵衛の五男として生まれ、1880年より隣村の大浜村役場に勤務。
その仕事ぶりは極めて優秀だったといい、これに村会議員を務めていた貿易商・岡本八右衛門が注目。
岡本氏は1883年に平五郎をスカウトし、自身が経営する木綿問屋「カネ八」の番頭に迎えました。
平五郎は岡本氏の命を受け1887年、支配人として米津村や安城ヶ原の開墾事業に着手し、足掛け4年で34町歩の「第一岡本農場」を完成させました。
この事業を通じて開拓農業技術を体得した平五郎は、「カネ八」の更なる事業拡大を目指して北海道の開拓を計画。
1894年に単身北海道へ現地調査に出た後、翌1895年4月に妻と小作人19戸を率いて由仁村ムコマナイに入植しました。


JR北海道 国鉄 室蘭本線 三川駅 名鉄三河線
三川駅a03
三川駅の旧駅舎
由仁町史編纂委員会(1973)『由仁町史』(北海道夕張郡由仁町)p.899より引用

三川駅の開設に多大な貢献を果たしたのも加藤平五郎です。
入植から1年後の1896年7月、北海道炭礦鉄道に停車場新設の請願を開始。
平五郎は自ら30日間も休まず札幌に通い、請願を続けたといいます。
北海道炭礦鉄道もその熱意を認めて1897年2月16日、既存区間の室蘭線追分~由仁間に三川駅を一般駅として開設しました。
なお、三川駅の名付け親もまた平五郎であり、駅名に準じてムコマナイの地名も三川に改称しています。

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 明治27年4月、20戸の開拓者と共に入植した加藤兵五郎は、翌28年7月から数回にわたり北海道炭礦鉄道会社へ停車場新設のため陳情をかさねたところ、その熱意が認められて明治30年2月に清水沢・滝ノ上の停車場と同時に三川停車場が設置された。
 明治29年9月より停車場工事に着手、加藤平五郎は、この停車場を「三川」と命名、ここにはじめて三川という名称がこの地に使用されるに至った。元来この地方はアイヌ語で「ムコマナイ」と呼ばれ、この語意は、開拓不成卦を暗示するとして、平五郎の出身地の三河を停車場名とすることを考えたが、生国の国名をそのまま襲名するのは、故国をけがす恐れがあるとし「河」を「川」に改めて「三川」と名づけたと伝えられている。
 明治30年2月16日、松田駅長が就任し一般貨物と旅客の営業を開始。明治35年11月、公衆電報取扱駅となる。停車場開設当初は、駅前は4、5軒の人家にすぎなかったが、同年秋頃には30数軒となり年々人口も増加し現在の市街地の基礎となった。

《出典》
由仁町史編纂委員会(1973)『由仁町史』(北海道夕張郡由仁町)p.899
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1906年10月1日、鉄道国有法の適用によって北海道炭礦鉄道が国鉄に移管されました。
1909年10月には国有鉄道線路名称制定に伴い、室蘭線室蘭~岩見沢間を「室蘭本線」に改称すると共に、追分~夕張間の支線を「夕張線」に改称しました。
1971年7月1日には近郊の栗沢駅と共に貨物フロント業務を廃止し、一般駅から旅客駅に格下げとなりました。


JR北海道 国鉄 三川駅 簡易駅舎 木造駅舎 JR貨物 無人駅 請願駅 簡易委託駅 簡易委託化
三川駅a04

1980年5月15日、荷物フロント業務が廃止となり、旅客フロントについても出札のみ近隣住民に任せる簡易委託に変わりました。
同日には室蘭本線の計15駅で駅員無配置化が敢行されており、三川駅の他には大岸駅、有珠駅、長和駅、稀府駅、黄金駅、虎杖浜駅、竹浦駅、社台駅、北吉原駅、糸井駅、遠浅駅、安平駅、古山駅、栗丘駅が挙げられます。
ただし当時は三川~由仁間、栗山~岩見沢間の単線区間が自動信号化されていなかったため、三川駅、古山駅、栗丘駅の3ヵ所にはタブレット閉塞を取扱う当務駅長(運転主任を含む)が引き続き勤務したそうです。

1980年10月1日、室蘭本線営業近代化に伴い沼ノ端~岩見沢間が自動信号化。
これに伴い単線区間のタブレット閉塞器が御役御免となりましたが、三川駅については由仁駅と共に暫定的に駅員を残す事になりました。
1981年11月2日、室蘭本線沼ノ端~岩見沢間がCTC化。
同時に三川駅は追分駅の被管理駅となり、当務駅長も居なくなって完全無人駅となりました。

1987年4月1日、分割民営化に伴いJR北海道が三川駅を継承。
簡易委託窓口は新会社発足から程なくして廃止に至ったそうです。
現在は千歳駅を拠点駅とする千歳地区駅(担当区域:千歳線美々~西の里間、石勝線南千歳~串内間、室蘭本線遠浅~栗丘間)に属し、地区駅長配下の管理駅である追分駅が管轄する完全無人駅です。


JR北海道 国鉄 三川駅 簡易駅舎 木造駅舎 JR貨物 無人駅 請願駅
三川駅a02

現在の駅舎は国鉄末期の1982年4月1日に竣工した2代目。
根室本線の平岸駅上芦別駅などとよく似た、緩やかな「への字」を描いた招き屋根を持つ幅広の駅舎ですが、正面側に待合室と駅事務室の玄関を設けている点が異なります。
三川駅と同じ追分駅の被管理駅では、安平駅、古山駅、栗丘駅が同様のスタイルです。



三川駅a05

国鉄末期の無人化に伴い設計された駅舎なので改札口は無く、駅前と駅構内を直接行き来できる通路を設けています。
通路左手にトイレ、右手に待合室の玄関があります。



三川駅a06

通路脇には三川市街の地図を掲げています。


JR北海道 国鉄 三川駅 待合室 駅舎
三川駅a07
JR北海道 国鉄 三川駅 待合室 駅舎
三川駅a08

待合室の様子。
玄関が2つあります。
ホーム側の窓際には橙色の4人掛けベンチを2脚置いています。


JR北海道 国鉄 三川駅 待合室 駅舎 出札窓口 簡易委託窓口 簡易委託駅
三川駅a09

室内には簡易委託窓口が綺麗な状態で残っています。
現在はシャッターが下ろされ、出札棚の上には室蘭本線苫小牧~岩見沢間の現状を伝えるパンフレット(岩見沢市役所発行)と駅ノートが置かれています。



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こちらは岩見沢商工会議所・岩見沢市役所・北海道商工会議所連合会が共同で制作した「鉄道はみんなの足。支えよう鉄路」のポスター。
室蘭本線苫小牧~岩見沢間の存続に向け、沿線関係者が様々な取り組みをしています。



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こちらは苫小牧市・安平町・由仁町・栗山町・岩見沢市の沿線5市町から成る「JR室蘭線活性化連絡協議会」が、2020年1月20日~2月28日に募集した「JR室蘭線写真コンテスト」の結果発表ポスター。
同コンテストには56名の応募があり(うち道外在住6名)、延べ111点もの作品を1枚のポスターに集めています。



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由仁町は「小さくてもキラリ、人が輝き、町が輝くために」というキャッチフレーズを掲げており、それに因んでキャラクターには「小町キラリ」と名付けています。


JR北海道 国鉄 三川駅構内 駅舎 プラットホーム
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JR北海道 国鉄 三川駅構内 駅舎 プラットホーム
三川駅a14

ホーム側から駅舎を眺めた様子。
駅事務室は保線作業時の休憩所として活用されています。


JR北海道 国鉄 三川駅構内 駅舎 プラットホーム
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駅舎の北西側には花壇が整備されています。


プラットホーム 単式ホーム 国鉄型配線 三川駅構内 無人駅 JR北海道
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プラットホーム 単式ホーム 国鉄型配線 三川駅構内 無人駅 JR北海道
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三川駅構内は単式ホームと島式ホームを組み合わせた、いわゆる「国鉄型配線」です。
室蘭本線は当駅を境に上り方向は稀府駅まで複線区間、下り方向は由仁駅まで単線区間が続きます。
駅舎側の単式ホームが1番乗り場で、乗り入れる1番線は上り本線(追分・苫小牧方面)となっています。
ホーム全長は20m車4両分ほどで、待合室前のアスファルト舗装を除き細かな砂利を敷き詰めています。


三川駅構内 跨線橋 プラットホーム 交換駅 交換設備
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三川駅構内 跨線橋 プラットホーム 交換駅 交換設備
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両ホームは向かい合わない千鳥配置となっており、跨線橋で繋がっています。


プラットホーム 島式ホーム 国鉄型配線 三川駅構内 無人駅 JR北海道
三川駅a18
プラットホーム 島式ホーム 国鉄型配線 三川駅構内 無人駅 JR北海道
三川駅a19

駅裏に面する2番乗り場には、下り本線(由仁・岩見沢方面)の旧3番線が乗り入れています。
こちらも1番乗り場と同じくらいの長さです。


プラットホーム 島式ホーム 国鉄型配線 三川駅構内 無人駅 JR北海道
三川駅a22

今や単式ホーム状態ですが、国鉄時代は島式ホームだった2番乗り場。
1番線と並行して副本線の2番線を敷き、普通列車が通過列車の待避をする際などに使用しました。
2番線は国鉄解体の前後に撤去されたそうで、切り崩されていないホームの縁端と地面に残るバラストに、往時の面影を感じられます。


プラットホーム 島式ホーム 国鉄型配線 三川駅構内 無人駅 JR北海道 跨線橋
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跨線橋の手前には旧2番線に面して柵を設けています。


プラットホーム 島式ホーム 国鉄型配線 三川駅構内 無人駅 JR北海道 貨物ホーム 貨物積卸線
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跨線橋から上り方向を俯瞰した様子。
1番線(上り本線)から写真左手にかけて、1本の線路が分岐していますね。


プラットホーム 国鉄型配線 三川駅構内 無人駅 JR北海道 貨物ホーム 貨物積卸線
三川駅a26
プラットホーム 国鉄型配線 三川駅構内 無人駅 JR北海道 貨物ホーム 貨物積卸線 車止め
三川駅a25

この線路は貨物積卸線として使われていたものですね。
線路脇には貨物ホームの石垣も綺麗に残っています。
すぐ近くには農協の倉庫が林立しており、国鉄時代はここで農産物を貨車に積み込んでいたのです。


国鉄コンテナ 貨物列車 JR貨物 三川駅構内
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貨物ホームには錆付いた国鉄コンテナが置かれています。
除雪用具の物置にでも使っているのかなあ?


キハ150形100番台 キハ150系100番台 三川駅 ワンマンカー キハ150-103 苫小牧運転所
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1番線に停車したキハ150-103(苫小牧運転所所属)。


三川駅 駅名標 駅名板 駅名看板
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ホーム上の駅名標。


※写真は特記を除き2020年8月14日撮影
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最終更新日 : 2021-06-09

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