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2021-01-11 (Mon) 16:00

千歳線島松駅[1] 建材として重宝した「島松軟石」と寒地稲作の祖

島松駅a02

石狩管内は恵庭市島松仲町1丁目にある、JR北海道の島松(しままつ)駅。
駅周辺は戸建ての多い住宅街で、駅から東に1kmほど進むと北海道恵庭北高校、南西に500mほど進むと陸上自衛隊島松駐屯地があります。
島松という地名は恵庭市と北広島市の市境を跨いで広がっており、アイヌ語の「シュマ・オ・マップ」に由来しています。
和訳すると「岩石のあるところ」となり、具体的には「島松軟石」が地表に露頭する島松川の中流域(現在の恵庭墓園付近)を指しています。
島松軟石は建材として周辺地域に流通しており、大正時代には広島村(現:北広島市)の村有地と民有地の両方で採掘が行われたそうな。
福井県出身の石工・小川榮藏氏も島松軟石に目を付け、島松川の沿岸(北広島側)に移住し1915年4月に「小川石材店」を創業し、20名の職人で軟石の切り出しと加工を行いました。
しかし昭和初期から民有地での操業が出来なくなり、小川石材店をはじめとする石材業者は広島村との契約により村有地での採掘を余儀なくされます。

そして戦後にコンクリートブロックの大量生産が始まると、建材として高コストな軟石は次第に使われなくなり、島松でも1962年を最後に採掘がストップしました。
島松・三島の両地区では2021年1月現在も、島松軟石で建造した住宅や納谷、倉庫などが残っており、往時を偲ぶ事が出来ます。
島松駅前にあるコミュニティセンター「夢創館」も島松軟石造りで、元は1937年に島松商業組合が醤油・酒類の保管庫として建てたものです。
小川建材店は墓石の建立を専門とするようになり、1989年7月の法人化で㈲小川石材工業と名を変えてからも島松川の畔で操業を続けています。


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島松駅a03

一方、島松は農業においても重要な意味を持つ土地です。
明治時代、寒冷地の北海道では旧松前藩以北での稲作は不可能とされてきましたが、それを打ち破った人物が島松に現れたのです
その人の名は中山久蔵。
1828年3月21日、河内国石川郡春日村(現:大阪府南河内郡太子町春日)に住む農家・松村家の次男として誕生しました。
17歳で故郷を離れて諸国を巡った後、1853年に仙台藩士・片倉英馬に仕えます。
当時の仙台藩は蝦夷地警備を担っており、中山氏も仙台と白老を行き来する生活を送ったそうです。

明治維新後の1869年、中山氏は仙台を離れ北海道に移住。
最初は勇払に入植したものの作物が思うように育たず、1871年に土壌が良いとされる島松に移住します。
当時の入植者達は家畜と畑作の混合農業に勤しんでいましたが、内地にいた頃の食生活を忘れられず「米が食べたい」と切望する人が多く見られました。
中山氏はそんな人達の要望に応えようと、1873年に大野村(現:北斗市)から耐寒品種「赤毛」を取り寄せ、米作りに挑戦します。
苗代に風呂の湯を入れるなどの創意工夫を重ねた結果、一反歩ニ石三斗の稲を収穫する事に成功。
そこから品種改良にも着手し、赤毛種の選抜を進めて更に寒さに強い米を作り上げました。
中山氏が作った種籾は開拓農民に無償で配られ、北海道における稲作の拡大普及に多大な貢献を果たしました。
1915年に中山氏は88歳で逝去しましたが、その5年後に北海道は百万石の米どころへと発展を遂げています。
そして現在、北海道の稲作は新潟県に次いで全国第2位の生産量を誇るまでになりました。


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島松駅a05

前置きが長くなりましたが、ここからは島松駅の沿革を見ていきましょう。
島松駅は1926年8月、北海道鉄道札幌線沼ノ端~苗穂間の開業に伴い一般駅として開設されました。
北海道鉄道は元々、恵庭村(現:恵庭市)に開設する駅は恵庭駅の1ヶ所だけとし、島松駅の開設を計画していませんでした。
しかし島松の集落は恵庭駅とは4.7km、北広島駅とは6.5kmも離れており、鉄道の恩恵に与かれない事から住民達が駅の開設を求める運動を展開。
それが功を奏して札幌線の開通と共に駅が設置されました。
書籍『恵庭市史』は当時の設置願をまるまる抜粋しています。

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島松駅設置運動
 工事は沼ノ端~月寒間は13年からはじまり、月寒~苗穂間は14年2月に着手して、前記のように15年8月、完成開通を見たのである。当初、本市の停車場は恵庭駅1か所であったらしく、そこで島松地区住民は次のように島松駅設置願を出して運動している。

 島松ニ停車場設置御願
御社ノ御計画ニ広島村ハ漁市街付近に停車場ヲ設置相成可キ趣ニテ近ク夫々御決定ノ上敷設工事ニ御着手相成可キ由ニ伝聞仕居候、然ル時ハ其距離約四里有之折角鶴首期待シ鉄道ノ開通ヲ楽ミ居吾等島松村ヲ中心トスル住民ノ内、島松、川上、仁井別、三別、及輪厚方面ノ者ハ殆ド之カ恩恵ニ浴スル事能ハズシテ札幌ニ向ヒ往復シ薪炭材並ニ農産物ハ元ヨリ仝地ヨリ産出スル豊富ナル軟石材ヲ搬出スルニハ停車場迄ノ運賃ノ高額ナルガ為メ他方面ノモノニ圧倒セラレ永久ニ鉄道ニ依リ多数ノ石材ヲ搬出スル事不能又下島松、漁太方面ノモノハ天然ノ舟便ヲ以テ農産物等ヲ搬出スルノ有利ニシテ是又永久ニ鉄道ノ恩恵ニ浴シ得ザルモノ多ク願地ニ停車場ヲ設置相成モノトセハ従来荒蕪地ニシテ殆ド顧ザル処ノ下島松ノ大原野モ夫々人工ヲ加急ニ之ヲ開拓シ以テ戸口激増シ近ク多数ノ農産物ヲ停車場ニ搬出スルニ至ル可ク又本願停車場ヲ中心トスル西北方約二里内外ノ地域ハ何レモ地味良好ナラザルガ為メ現在ノ処左程開発シ居ラザルモ同地ニ停車場ヲ設置相成モノトセバ専業若クハ副業ノ畜牛者夥多出テ来リ不良ノ土地ヲ利用シ以テ多数ノ生乳ヲ産出シ之ヲ札幌ニ向ヒ搬出スルニ至ル可ク又島松川、ルルマップ川ハ天然ノ障碍ニシテ現在ノ処完全ナル道路ハ室蘭街道、広島街道ノミニシテ従テ両川附近ノ住民ハ各種産物ヲ搬出スル苦痛ヲ感ズル所ニシテ願意ノ認容セラルゝ暁ハ地点ニ向ヒ天然ノ傾斜ヲ利用シ夫々支障トナラサル緩ナル坂路ヲ造リ馬車ノ通行ヲ容易ニスル事ヲ得従テ上記地域外ノ住民トシテモ同様此新道ヲ利用スル時ハ両川ハ何レモ敢テ障碍トナラサルヲ以テ距離ニ於テ近キモノハ何レモ之ニ向フ可キハ元ヨリ乗客モ多クハ札幌方面ニ向フモノタルヲ以テ願地ヲ中心トスル近距離ノ住民並ビニ諸物貨ハ元ヨリ柏木若クハ役場附近ノ者迄近キ漁駅ヨリモ本願停車場ヲ利用スルハ自然ノ要求ニ有之就テハ幸ニモ本願ヲ御認容ノ暁ハ中ノ沢ハ元ヨリ漁駅ヨリモ乗客貨物等多キ事ト想ハレ候上記ノ次第ニ御註議ノ上何卒願意御認容相成度別紙図面添付関係住民連署此段及歎願候也
 追テ願意御許可ノ上ハ幅三十五間長二百間ノ土地ヲ停車場敷地トシテ寄付仕ルノミナラズ之ニ要スル工事費中ニモ金壱千五百円ヲ寄付可仕尚ホ乗降場御設置ノ場合ハ之ガ建設費トシテ仝金額ヲ寄付支度願添候也
 大正十三年八月三十日
   千歳郡恵庭村大字島松村
    願人総代   射矢健四郎
    同      田中善松
    同      溝 新之助
    同      松原福蔵
北海道鉱業鉄道株式会社
  社長 犬上慶五郎殿
        以下連書者
        広島村島松川上     三二名
        恵庭村大字島松村字川上 一三名
        広島村字仁井別     三七名
        広島村字三別      二二名
        広島村字音江別      四名
        恵庭村大字島松村    二九名
        広島村字島松沢      四名

 以上、総代以下141名の連署で、しかも7000坪の土地に1500円の建設費の寄付をもっての歎願によって、島松駅が設置されたのである。

《出典》
北海道恵庭市役所(1979)『恵庭市史』p.p.1024~1026
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JR北海道 国鉄 JR貨物 千歳線 コンクリートブロック駅舎 直営駅 社員配置駅 正面玄関
島松駅a08

1941年12月に太平洋戦争が勃発すると、改正陸運統制令の公布によって全国各地の私鉄が鉄道省に買収されるという、いわゆる「戦時買収」が相次ぐようになりました。
北海道鉄道札幌線も戦時買収の対象となり、1943年8月に国有化されて「千歳線」となりました。

戦後の1960年5月、恵庭町農協が島松駅南東に島松倉庫・貯炭場の専用線を敷設。
鉄道公報昭和45年11月27日第6358号の通報「専用線一覧について」によると、この専用線は総距離0.2kmという短さで、しかも部分的に国鉄側線を利用していました。
通運事業者は日本通運㈱で、国鉄の機関車と手押しの併用によって作業をしていた事が分かります。
恵庭町農協は1970年4月の市政施行に伴い、恵庭市農協に改称されました。

また、詳細な時期は不明ですが1961年頃、陸上自衛隊島松駐屯地の中にある北海道補給処まで物資を輸送する2.5kmの専用線が敷設されています。
鉄道公報昭和45年11月27日第6358号の通報「専用線一覧について」によると、この専用線では自衛隊が所有する機関車を運行していた模様。
専用線は島松駅の北西に分岐した後、大きくU字を描いてから島松駐屯地まで南下するものでした。

1963年4月には日本石油札幌油槽所が駅裏に開業しました。
同油槽所は日本石油室蘭製油所で精製された石油製品を貯蔵する施設で、室蘭から島松まで輸送される石油製品を受け入れるべく専用線0.6kmも敷設されました。
この専用線は自衛隊専用線から分岐する形態を採っており、国鉄の機関車と貨車移動機、手押しを併用していました。

島松駅には以上、3路線もの専用線が乗り入れました。
1980年5月には専用線発着を除く車扱貨物の取扱いを廃止しています。
1984年2月ダイヤ改正ではヤード系集結輸送から拠点間直行輸送への一大転換が実施され、島松駅の荷物フロント業務が廃止される事となりました。
その一方で専用線発着の車扱貨物は取扱いを存続しています。


JR貨物北海道支社
jr貨物北海道支社・業務機関配置図(平成4年10月1日現在)

1992年当時のJR貨物北海道支社における現業機関分布図
日本貨物鉄道株式会社(1992)『JR貨物5年の歩み』p.60より引用

1987年4月の分割民営化に伴い、島松駅をJR北海道とJR貨物が継承。
上に引用した図は書籍『JR貨物5年の歩み』に掲載されている、JR貨物北海道支社の各現業機関の分布を示した図です。
札幌機関区・苗穂車両所などの車両基地、札幌施設区・室蘭施設区などの施設関係区所に加え、全道26ヶ所の貨物取扱駅とオフレールステーション1ヶ所を表示しています。
その中には島松駅も表示されていますね。


JR貨物 現業機関 支店 営業所 営業センター 総合鉄道部 機関区 貨車区 車両所 施設区 電気区
jr貨物の支社別・業務機関配置図(平成4年10月1日現在)
1992年当時の支社別・業務機関配置表
日本貨物鉄道株式会社(1992)『JR貨物5年の歩み』p.132より引用

こちらは『5年の歩み』の巻末に掲載されている「支社別・業務機関配置表」。
左から6列目の「貨物駅(タ=ターミナル)」には狭義の貨物駅だけでなく、一般駅を含めた貨物取扱駅全般を記載しています。
このうち北海道支社の貨物駅を見ると・・・何と、前掲の分布図に書かれていたはずの島松駅の名がありませんね。
一体どういう事かと言うと、島松駅の貨物フロントはJR貨物の直営ではなく、JR北海道に業務委託していたんですね。
分割民営化当初、JR貨物と旅客会社の間ではこのような受委託契約が多く交わされており、逆に根室本線赤平駅関西本線富田駅のようにJR貨物が旅客フロント(出改札・案内)を受託するケースもありました。
JR北海道に貨物フロントを委託した駅は島松駅の他にも、函館本線茶志内駅、根室本線東鹿越駅、釧網本線中斜里駅など15ヶ所があり、何れも「支社別・業務機関配置表」には記載していません。
つまりこの表はJR貨物の直営機関のみ表示している訳です。

陸上自衛隊島松駐屯地への物資輸送は1987年、トラック輸送に切り換えられたといい、専用線の大部分は道路に転用されています。
交差点の路面を眺めると、踏切の跡だと一目で分かる不自然な亀裂を確認できます。
日本石油札幌油槽所の専用線についても、1997年3月ダイヤ改正を以って廃止。
以降の石油製品輸送はタンクローリーが担いましたが、札幌油槽所自体も2010年6月に閉鎖されています。
油槽所の跡地は福岡市に本社を置く㈱トライアルカンパニーが買収し、2017年10月より「スーパーセンタートライアル恵庭島松店」を営業しています。


JR北海道 国鉄 JR貨物 千歳線 コンクリートブロック駅舎 直営駅 社員配置駅 千歳地区駅
島松駅a01

現在の島松駅千歳駅を拠点駅とする千歳地区駅(担当区域:千歳線美々~西の里間、石勝線南千歳~串内間、室蘭本線遠浅~栗丘間)に属し、地区駅長の指揮を受けて駅長、助役、営業職駅員(営業主任・営業指導係・営業係)、輸送職駅員(輸送主任・輸送指導係・輸送係)が従事する直営駅(社員配置駅)です。
管理駅として千歳線恵庭~島松間を管轄し、業務委託駅である恵庭駅と恵み野駅を監督しています。
駅舎は1959年3月に落成した2代目で、コンクリートブロック造りの平屋。
小高い土台の上に建っており、正面玄関の手前に2本の階段、駅舎左右に2本のスロープを配しています。


JR北海道 国鉄 JR貨物 千歳線 コンクリートブロック駅舎 直営駅 社員配置駅 千歳地区駅
島松駅a04

駅舎南側の外壁には赤レンガ調のタイルを張っています。


JR北海道 国鉄 JR貨物 千歳線 コンクリートブロック駅舎 直営駅 社員配置駅 駅名板
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駅名板はエメラルドグリーンの切り抜きタイプ。
レンガを積み上げたような柄の格子窓が目を惹きます。


JR北海道 国鉄 コンクリートブロック駅舎 直営駅 社員配置駅 待合室 コンコース
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JR北海道 国鉄 コンクリートブロック駅舎 直営駅 社員配置駅 待合室 コンコース
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JR北海道 国鉄 コンクリートブロック駅舎 直営駅 社員配置駅 待合室 コンコース
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JR北海道 国鉄 コンクリートブロック駅舎 直営駅 社員配置駅 待合室 コンコース
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コンコースの様子。
ややイビツな間取りです。
床には六角形の各辺を波線にしたタイルを敷いています。
駅舎の開放時間は5:35~0:30です。


JR北海道 国鉄 コンクリートブロック駅舎 直営駅 社員配置駅 待合室 コンコース
島松駅a19

コンコースには島松町内会が島松駅に寄贈したショーケースが1台。
中には生花を飾っています。


JR北海道 国鉄 社員配置駅 待合室 コンコース 出札窓口 みどりの窓口 改札口 自動改札機
島松駅a10
JR北海道 国鉄 社員配置駅 待合室 コンコース 出札窓口 みどりの窓口 改札口 自動改札機
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出札窓口(みどりの窓口)と改札口の様子。
窓口営業時間は5:40~23:50です。
駅員は終日勤務。
改札口には2基の自動改札機を備えています。


JR北海道 国鉄 社員配置駅 待合室 コンコース 出札窓口 みどりの窓口 自動券売機
島松駅a11

自動券売機は2台設置。
うち1台は橙色の装飾が施されていますね。


JR北海道 国鉄 社員配置駅 待合室 コンコース 出札窓口 みどりの窓口 自動券売機
島松駅a18

橙色の自動券売機は「話せる券売機」。
コールセンター(JR北海道電話案内センター)のオペレーターと通話し、乗車券に関する疑問を尋ねたり、案内を聞きながら各種乗車券類を購入する事が出来ます。
通話したい場合は液晶画面の「コールセンター」メニューを押してそのまま話すか、付属の受話器を取って赤いボタンを押します。



島松駅a16

屋内南側にはトイレがあるのですが・・・


JR北海道 国鉄 社員配置駅 待合室 コンコース 駅長室 駅事務室
島松駅a17

・・・何とその手前に駅長室があります。
なかなか微妙な配置。


JR北海道 国鉄 社員配置駅 待合室 コンコース
島松駅a22

その反対、屋内北側には待合室の出入口があります。


JR北海道 国鉄 社員配置駅 待合室 コンコース
島松駅a24
JR北海道 国鉄 社員配置駅 待合室 コンコース
島松駅a23

待合室の様子。
2脚のベンチが背中合わせに置かれています。


JR北海道 国鉄 社員配置駅 待合室 コンコース 自動販売機 飲料自販機 売店 キヨスク
島松駅a27

室内には2台の飲料自販機が設置されています。
その右端には「STAFF ONLY」と表示したドアが1枚。
元々はキヨスクでも営業していたスペースなのかなあ?


JR北海道 国鉄 社員配置駅 待合室 コンコース 陸上自衛隊島松駐屯地 島松駐屯地曹友会図書
島松駅a28

待合室の片隅には陸上自衛隊島松駐屯地の曹友会が管理する本棚、その名も「島松駐屯地曹友会図書」があります。
ちょっと年代を感じる文庫本や漫画、絵本などが集まっています。


JR北海道 国鉄 社員配置駅 待合室 コンコース 話せる券売機
島松駅a25

待合室では先述の「話せる券売機」の利用案内動画を流しています。


エコバス JR島松駅
島松駅a26

こちらは恵庭市役所が運営するコミュニティバス「エコバス」の路線図と、島松駅発着の時刻を表示するモニター。
エコバスは島松から恵庭市街にかけて循環路線を運行していますが、ルートが複雑で内回り・外回りという簡単な呼び分けが出来ないためAコース・Bコースと称しています。


エコバス JR島松駅停留所 バス停
島松駅a09

エコバスのバス停は駅舎の真ん前にあります。
停留所名は「JR島松駅」です。


エコバス コミュニティバス JR島松駅 コンクリートブロック駅舎
島松駅a07

島松駅前にエコバスが停車した様子。
千歳相互観光バスが運行を受託しており、基本的に日野ポンチョを使用しています。


長くなったので今回はここまで。


※写真は全て2020年12月12日撮影
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最終更新日 : 2021-01-16

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